融合と抵抗、日本のロック史(7) | 私、BABYMETALの味方です。

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★今日のベビメタ

本日4月7日は、BABYMETAL関連では、過去に大きなイベントのなかった日DEATH。

 

神バンドのドラマー、青山英樹の父、青山純は1957年生まれで、1975年ごろ杉真理のバンド(レッド・ストライプス)に参加し、プロとしてのキャリアをスタートした。

1977年にはハイ・ファイ・セット、杉真理、松任谷由実らのバックバンドを務め、1979年には一世を風靡したフュージョンバンド、THE SQUAREに参加。1983年には超絶ギタリスト和田アキラが四人囃子の森園勝敏らと結成したプリズムに参加し、並行して、山下達郎のレコーディング、ライブ活動などにも加わった。仙波清彦率いる「はにわオールスターズ」や、MISIAのライブのサポートメンバーも務めた日本屈指のフュージョン系ドラマー、それが青山純だった。

1986年生まれの青山英樹も父と同じドラマーを志し、2005年Straight Flushを結成、翌年改名し、ヤマハミュージックコーポレーションからポップ・ロックバンドARMERIAとしてデビューした。2008年3月には卓越した演奏力を買われ、JAM Projectのサポートドラマーとして活動。2012年には日本芸術専門学校でドラムの講師に就任し、KAT-TUNのライブツアーのサポートメンバーとなった。

2013年2月から、BABYMETALの神バンド(バックバンド)のメンバーとして活動を開始したが、この年12月、父青山純は56歳の若さで亡くなった。

SU-METALこと中元すず香の父もバンドマンだった。高校でバンドを始め、スカウトされて上京し、HOOLIGANSというロックバンドのベーシストとして1990年にデビューアルバムをリリース、映画にも出たという。http://artist.cdjournal.com/d/-/1290100579

1990年といえば、E.Z.OとVOWWOWが解散し、ビーイングからB’Z、ZARD、T-BOLAN、WANDSが次々とデビューしていった頃。もう少し頑張ればトップバンドになれたかもしれないが、父親(SU-の祖父)が脳梗塞で倒れたため、兄の説得により、東京での活躍をあきらめ、広島に戻って建築関連の仕事に就き、SU-たち三人姉妹が生まれた。それがキツネ様の意志だったのだろう。

神バンドの藤岡幹大(小神)、BOH(禿神)、大村佳孝(大神)には、音楽一家に育ったというプロフィールはない。だが、そのキャリアには日本のロック史が凝縮している。

1981年に兵庫県で生まれた藤岡幹大(G)は、高校卒業後、ESPが経営するMI(Music Institute)大阪校に入学。在学中にギター専門誌「Young Guitar」のギターコンテストGIT 2000に入賞し、MI卒業後に講師として迎えられる。ギター専門誌「Guitar Magazine」と「Young Guitar」は、数年ごとに誌上ギターコンテストを開催する。課題曲と自由曲、コピー部門とアレンジ部門など、いくつかのジャンルがあるが、プロ、アマを問わず全国の腕自慢のギタリストが応募するのでレベルは相当高い。1970年代以降、日本は学生時代にギターを始めるアマチュア人口が多く、それをサポートする楽器店やメーカーも数多いからだ。

おそらくアマチュアのロックプレイヤー人口はアメリカに次いで世界第2位、厳密な「コピー技術」という点では、日本人の生真面目な性格、教則本やバンドスコアの充実度から見て世界一だろう。もちろんギターコンテストは「コピー」だけで勝ち抜けるものではない。ソロのフレージングやバッキングセンスのオリジナリティが勝負を分ける。その最激戦のギタリスト部門で勝ち抜いた藤岡幹大は、日本のギタリストの頂点であり、つまりは世界トップレベルということだ。

藤岡は理論家でもある。MI講師として、「アドリブギター虎の巻」シリーズをはじめ、ギター教則本を多数書いている。教則本と言っても、有名ギタリストのフレーズやバッキングを解説しただけのものでも、速弾きのためのトレーニング本でもない。バッキングコードに含まれる音を和声発展させてフレーズを創っていくそのメソッドは、ジャズのコード理論とロックのフィーリングを、文字通り「フュージョン」させたもので、ここまで整然とオリジナルフレーズを創るための方法論を語れるロックギタリストは、日本にはほとんどいなかったと思う。成毛滋の時代から、ロック教則本も進化しているのだ。

しかしいくら演奏技術が高くても、理論家でも、アーティストとしては機会に恵まれ、ヒット曲を出さなければお金にはならない。2007年、キコ・ルーレイロ(ANGRA)を起用してオリジナルアルバム「Trick Box」をリリースしつつ、サポート仕事もこなし、2013年から神バンドの一員となる。

1983年大阪府生まれの大村佳孝(G)も、高校時代にLAメタルの雄、ドッケンを聴いてギタリストを志した。

MI大阪校在学中、教わった先生はケリー・サイモンと藤岡幹大だった。

卒業後、藤岡同様、卓越した演奏力を買われてMI講師に就任するとともに、美形の大村はヤマハからソロデビューし、同時にサポートギタリストとしての活動を開始する。

2007年には、日本に移住した元メガデスのギタリスト、マーティ・フリードマンのバンドに参加。2013年に神バンドに参加する。LOUD PARK 13に出演した際は、マーティ率いる鉄色クローンXとBABYMETALの掛け持ち、2016年のFUJI ROCKでも、菊地成孔率いるジャズ・ファンクバンドdCprGとBABYMETAL神バンドのギタリストとしてダブルヘッダーをこなした。

1982年に北海道で生まれたBOH(B、棒手大輔)もベースを始めたのは高校時代。

Mr. Bigのビリー・シーンや、フュージョンベーシストのヴィクター・ウッテンらのテクニックを学び、1980年代にブレイクした爆風スランプの和佐田達彦を師と仰ぐ。スキンヘッドはサンプラザ中野だけどね。プロを志して音楽専門学校に進学し在学中に、講師の勧めで6弦ベースを極めることを決意したという。

2004年からプロ活動を開始、2006年には中島美嘉のバックバンドを務め、2007年にはSIAM SHADEの元ギタリストDAITAが結成したロックバンド、BINECKSへ加入してメジャーデビュー。BENICKSが2010年に活動休止してからは、スタジオワークや、サポートベーシストとして活動し、MIの講師にも就任した。2013年よりBABYMETALのサポートベーシストとなる。

おそらく、プロフィールを公開していないLEDA(G、中神)や、一時的に神バンドに参加したプレイヤーも同様だと思うが、現在超絶技巧を誇る彼らも、かつては初心者だった。

中学・高校時代に小遣いやアルバイトで買った安物の楽器やアンプやエフェクターで学生バンドを始めたのだろう。他のメンバーが大学へ進学して、社会人になっていくのに、自分はプロになりたいと夢見てしまう。それには、上手くなるしかない。兵庫や大阪や北海道の高校生たちが、音楽専門学校へ進学することを決意し、三度の食事も忘れてひたすら暗い部屋で練習していた姿が目に浮かぶ。

発展途上国なら、楽器やアンプを持っているだけでバンドを組めるだろう。しかし、日本はロック大国であり、アマチュアのレベルは世界一である。だから、たまたま曲が売れてスターダムに上ったアーティストではなく、演奏力でJ-POPのサポートミュージシャン、スタジオミュージシャンに呼ばれる日本人プレイヤーの演奏技術は世界一のレベルなのだ。

BOH神は、「自分から何かをやりたい人ではない」と言っているが、Sonisphere 2014のステージに立ったとき、神バンドのメンバーは、1970年代から連綿と受け継がれてきた無数のアマチュアロックミュージシャンたち、それを支えた楽器メーカーやエフェクターメーカーの職人さんたち、ロック関連の音楽出版社のカメラマンやライターたち、すべての日本のロックの歴史を担った人々の「思い」を背負っていたのだ。

「紙芝居」が終わり、SEが高まる。青山神のシンバル4つ打ちから「BABYMETAL DEATH」が始まった。

(つづく)