医療事務資格試験に合格したちひろ。

休日に山形県を南北に走る最上川(もがみがわ)を見学に行きました。

場所は村山市の碁点温泉(ごてんおんせん)近くの碁点橋です。ゆっくりと流れる大河をじっと眺めていると何もかも忘れ、時間がゆっくりと流れて行きます。

 

碁点橋(北側) 

 

碁点橋の「最上川」のプレート 

 

碁点橋(南側) 

 

碁点橋から見た北側の最上川(下流方向)には舟が見えます 

 

碁点橋から見た南側の最上川(上流方向) 

 

碁点橋から見た南側の雄大な最上川(上流方向)

 

温泉宿泊施設、プール、露天風呂のある「クアハウス碁点」

 

 クアハウス碁点の温泉センター

 

 

最上川は、山形県を流れる一級河川です。吾妻山系に源を発し、北流して米沢・山形盆地を貫流、新庄盆地で流路を西に変え、下流部に庄内平野を形成して日本海に注ぎます。

流路延長229kmは、一つの都府県のみを流域とする河川としては、国内最長です。支流が多く、全流域面積(7,040km2)は山形県の面積の約75%に相当します。日本三大急流の一つでもあります。

田畑への農業用水、観光、そして、江戸時代には最上川の舟運を通じて内陸の紅花が京都や大阪に運ばれ、山形に莫大な富をもたらしたこと(第21話)でもわかるように山形県民には「母なる最上川」と呼ばれています。


「山形県民の歌」も「最上川」です。下記に山形県のホームページから引用します。
 

山形県民の歌の由来
この歌は、昭和天皇が、大正14年に山形県においでになられてご覧になった「最上川」の様子を、その翌15年の「歌会始(うたかいはじめ)」においておよみになられたものです。
昭和5年にいたって、宮内庁の許可を得て、東京音楽学校(現在の東京芸術大学)の島崎赤太郎教授が作曲し、以来、県民に親しまれてきました。
その後、昭和57年3月31日「山形県民の歌」に制定されました。
 


 

最上川三難所「碁点・三ヶ瀬・隼」は村山市の最上川にあり、流れが急で、岩盤がむき出しになっている所が多く、 最上川舟運が栄えていた時代は、船頭達に最も恐れられていた難所でした。碁石を並べたように岩が突起する「碁点」、川底に 細い岩礁が三層をなす「三ヶ瀬」、岩礁が川底全体をおおい急流になっている「隼」の3つの地点の総称です。

この難所付近では昔から数多くの船が難破しました。現在は、 多くの観光客がスリルのある舟下りを楽しんでいます。

 

この地域には多くのそば屋が街道沿いに散在し「そば街道」と呼ばれています(第22話)。「クアハウス碁点」近くの「村山市農村文化保存伝承館」には「そば打ち道場 農村伝承の家」があり、そば打ち体験ができます。山形県民はそばが大好きなのです。

 

日本三急流 最上川三難所舟下りの石碑 

 

新奥の細道コース案内図 

 

日本三急流 最上川三難所舟下りの乗船場 

 

日本三急流 最上川三難所舟下りの乗船場近くのそば屋

 

 

(平成29年3月14日)

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