MAXが旅立ってから21日が経ちました。

つい先日、日テリ仲間の同じ年のスコット君も旅立ってしまったので

今ごろは虹の橋の向こうで思い切り走り回っているのでしょうか…


私達家族はMAXが旅立った後もめそめそしていていました(今も…)。

でも日々の慌ただしさに助けられているところもあります。

思い出すとまだまだ涙が出てきますが、MAXが亡くなるまでをメモして

おきたいと思います。

長文ですし、ネガティブな部分が多いですが、時間とともにMAXの

最後がどうだったか曖昧にならないよう、メモのために書いておきます。

あくまでも私たち家族のためのメモです。



1/21(土)

私とリーは私の友人の家にお泊りに行きました。

毎日の食事は私が作っていましたが、居ないときは缶詰かパウチの

食事をしてもらっていました。

その日の夜もたまに食べる缶詰をお留守番の旦那さんにあげてもらいました。

空良+向日葵は美味しくなかったのかあまり食べなかった様子。

でもMAXは普通に食べていたようです。


1/22(日)

この日からMAXの下痢が始まってしまいました。

でも良くあることなので1日絶食してビオフェル○ンを飲ませれば

たいがい治っていたので今回もお腹を壊しちゃったね、程度でした。


1/24(月)

やはり下痢が続いており、水を大量に飲んでいました。

でも自分でトイレにも歩いていけるし、ビオフェル○ンも飲んでいるので

大丈夫と思っていました。

夜になり少し食欲が戻り、あぁ、元気になって来たなと思っていました。


1/25~27

1度治った下痢もまたまた始まり食欲もなくなってきました。

歩けるけどふらふらしており、体もぐっと痩せてしまった。

それでも私は絶対に大丈夫と思っていました。でも病院へは行かないと

いけないなと思っており、週末になったら連れて行こうと思っていました。


1/28(土)

リーの習い事が終わり、夕方病院へ。

その頃にはかなりやせ細っており、お水を大量に飲んでいました。

ふらふらとしながらもトイレもしっかり行っていてまさかこんな診断を

下されるとは思わなかった…


血液検査をしてもらい、MAXの体のほとんどの臓器が異常な値を

示していました。中には測れないくらいの数値もあり。

先生にもここに居るのがびっくりするくらいの数値と

言われました。先生の見解では今夜が山でしょうとの事。

多臓器不全・・・老衰の症状との事。


ありえない!!うそだ!!


先生にはでも全部の臓器をここまで使い果たしたってことは

老衰と言うこと。大事に育ててきたという証拠ですというようなことを

言われたけどただただ涙が出て、ありえない、うそだとつぶやいていました。

皮下輸液を入れてもらい、もしもこれで調子が戻れば好きなものを

好きなだけ食べさせてあげて良いと言われました。

先生が療法食の缶詰を少し鼻先に持って行ったらものすごく

「食べたい!」というそぶりを見せました。

なのでその缶詰を買って、本当はいけないけど、コンビニで売っている

から揚げを買ってお家に帰りました。


車の中でもから揚げのニホイに「食べたい~」と言っていたMAX。

家に着くと「早くぅ~♪」と催促までされました。でも歯がないので

私が細かく噛み砕き、あげてみるとトータル3個も食べました。

他の子たちも「欲しいー!」と言うのでちょっとずつおすそ分け。

みんなで大喜びで久しぶりにワイワイしていました。


しかし、その数時間後、MAXはいきなりのリバース。確か3~4時間程

経っていたと思うのにすべてそのままの形状で出てきました。

もう胃が受け付けていないんだとはっきりわかりました。

MAXはすまなそうな顔をしてションボリ…お水は大量に飲んでいました。

痩せてしまったので寒いと思い、ヒーターの前で寝かせても

すぐに立ち上がってトイレかお水を飲みに動いていました。


1/29(日)

夕方に病院へ行き、また皮下輸液。

しかし、食欲は全くなく、昨日食べたがった缶詰も見向きもせず。

何か喜ぶものはないかとおやつや、お肉の切れ端を見せても全然食べず。

あんなに食には貪欲だったくせに・・・。

ただひたすらに水を飲む。でも口の中で出血しているのかMAXが

水を飲んだあとはすごく濁った色になる。何度も何度も換えてあげた。

ふらふらしながらもトイレは自分でちゃんと行っていた。


1/30(月)

朝、心配だったけどとりあえず仕事に向かう。

夕方に病院へ行くために早退することは決まめていたけど、あまりにも

心配で午前中仕事をしてすぐに家に戻った。MAXは苦しそうにしながらも

ちゃんとトイレにはいく。そして水を飲む。元気だ、まだ大丈夫!

何かあるなんて私が勘弁しない!!とずっと思っていました。


夕方この日は電車で病院へ向かう。いつもだったら「フィンフィン」と

小声で泣くけどその日はおとなしく、でも外を見たがった。スリングで

抱っこしながら「寒いね~」とか「ここは○○が見えるね~」と話しながら

出かけた。

そして皮下輸液。

その日は久しぶりに会った女医さん。その先生はあまりにもクールで

しかも融通が利かず、イラッとさせられる事が多く苦手だったんだけど

久しぶりなのにMAXを覚えていてくれた。だいぶ痩せたね~、

頑張ってるね~と言われ、保護者の私たちの事も良く頑張っていますねと

褒めてくれた。

でも本当にもうすぐお別れが来てしまうんだよ、心の準備はしておいて

くださいと言われ、私は苦手な先生だったけど、その先生の前では涙を

見せたくはなかったけどもうこらえきれず・・・

あとからあとから涙が出ていて止まらなかった。


この日の夜からMAXはほぼ寝たきりになってしまった。

でも「トイレに行く」と自力で起きようとしていました。私はそばに居て

起きようとするMAXを支え、そばに付いているだけしかできなかった。

お水も飲みに行き、でもよろけて顔面をお水に突っ込んだり…

本当に本当に細くなってしまったMAX…その姿を見ているだけで涙が

止まらなかった。


夜、突然呼吸が止まっちゃうんじゃないかと心配でそばで一緒に寝ていた。

案の定、空良、鈴蘭も私のそばにぴったりくっついて寝るため私は

身動きが取れず、MAXも心配でほとんど寝られませんでした。

向日葵だけはダメだと言われても旦那さんの布団へ。

何度も何度もトイレやお水を飲みに起き、そのたびについて歩いてました。


1/31(火)

午前中に病院へ皮下輸液を打ちに来てほしいと言われていましたが、

MAXは寝た状態のままで苦しそうに息をしているのを見て、

動かしたくないと思ったので病院へTELしてそのことを伝えました。

先生ももしも来れそうだったら来てほしいと言うのでその時はTELすると伝えました。


14時ころ、急にMAXの息が荒くなり、そして恐ろしい痙攣が始まる。

体を触るとヒーターの前に居るにも関わらずどんどん体温が落ちて行った。

MAXと何度も呼びかけて、でも荒い呼吸をするだけ。そして痙攣の繰り返し。

湯たんぽを入れ、ヒーターの温度を上げ、体をこすり・・・

しばらくすると呼吸が少し戻って、体温もだいぶ上がってきた。


まだまだだよね、MAX!!頑張れ~。


私はただそう言うしかなかった。私が1番嫌いな言葉「頑張れ」も

何度も何度も言ってしまった。なんだかMAXに申し訳ない・・・

頑張ってるのにね。ごめん、MAX。


少し落ち着いてきて、ほかのトリオが「散歩に行きたい」と言うので、

じゃあみんなで行こうか!と、出かけてみた。みんなは寒いから洋服を着せ

MAXは毛布でぐるぐる巻きにして、スリングで外を歩いた。

苦しそうな息をしてても外は嬉しかったようでフンフンと外の匂いをかいでいた。


MAX、鳥さんがイッパイないてるね~。風が冷たいけど日差しは暖かいね。

もうすぐ春だよー。桜の蕾も大きくなってきてるねー。

空は青いよ。見える?MAXがウチにやってきてくれた日がもうすぐだし、

ひまちゃんのお誕生日もあるよ。一緒に美味しいものをたくさん食べよう!


そう言いながら歩いてた私は周りから見たらちょっと不気味だったかな。

でもMAXが喜ぶならなんだってしてあげたかった。

MAXは長男だからって本当にいろいろ厳しくしつけをしてしまった。

その上どんどん下に増えてしまい、MAXをおざなりにしていたと思う。


本当にごめんね、MAX…


1/31 午後10時ちょっと前

リーはMAXにおやすみをしてすでに寝ていた。

旦那さんがずっと話かけていた。


いいよ、MAX。もう無理しなくていい。頑張ったから。大丈夫だから。

心配しなくていいよ。


旦那さんが泣きながらずっとずっとMAXに言っていた。

私もMAXをなでると心臓の動きがゆっくりになっているのが分かった。

もうお別れが近いんだ、と頭の中では分かっていた。


頑張っているのも知っている、MAXが苦しいのもわかる。

でもお別れなんてしたくない。

MAXの命が長くなってくれるのなら私の命の時間、何年分でもいいから

取ってもらっていいと心の中で神様にお願いをした。

こんな時にしか出てこない神様だけどMAXともう少し一緒に居たい。

それしか考えられなかった。


くぐぅぁぁ・・・・・


苦しそうに大きく口をあけ、息を吐いて目を見開いて手足を突っ張って、

そしてMAXの時間が止まってしまった。


MAX!!


何度叫んだんだろう…。


本当にごめんね、MAX。私たちはMAXを幸せにしてあげられたのかな?

いやダメだったね。本当にダメな保護者だった。

後悔してももう遅いんだ。。。

大事な家族だったのにMAXがおとなしいから甘えていたんだよね。

謝ることしか出来ない。本当にごめんなさい。。。


良かったと思えるのは、もう苦しくないんだよね、っていうこと。

そして私たちはMAXのおかげでたくさんのいろんなことが体験出来て

たくさんのいろんな人達に出会え、たくさんたくさん愛をもらったこと。

私達はMAXからもらうばかりだったね。


ありがとう。MAXは私達の宝物だった。


もう20日経つのにMAXの事をあれこれ思い出しているんだよ。

そしてダメな私はいまだに泣いてばかりなんだよ。オトナなのに・・・

しっかりしなきゃいけないのにね。そっちで笑ってる?

ダメだなぁ~ってあきれてるかな?


2/1(水)

午前10時にMAXはちいさな白い箱に入って帰ってきた。

夜、みんなが揃ってからリーがどうしてもMAXを見たいというので

みんなで中を見てみた。思ったよりしっかりとした頭蓋骨。

ほかの歯はダメだったけど犬歯はしっかり残ってた。


その日の夜、いつも飾っていたMAXの写真が棚から落ちた。


その写真を飾れっていうこと、MAX?


なので白い箱の隣に写真を飾った。

きれいなお花もエミリーさん、けらゆからいただき、飾ってあげました。

そして蔵吉家の皆様からもお花をいただきました。


すごくすごく喜んでいたと思います。お気遣い本当にありがとうございました。

MAXは色んな人に愛されていたのですね。


さびこさん、あの時MAXを託していただいて本当にありがとうございました。

突然お邪魔して、そしてすぐにMAXを連れて帰っていいよとおっしゃって

いただきました。

本当はあの日は見学するだけだったのです。でも一目みて、

どうしてもMAXと一緒に居たかった…

大事なMAXをたったの14年間しか育てられず申し訳ない気持ちでいっぱいです。

すみませんでした。そして本当にありがとうございました。

あの日のことも、そしてMAXと過ごした時間もそしてMAXの最後の時も

私はずっとずっと忘れません。


顔が黒くて白い体。耳が垂れてて細い手足の犬。

夏に強くて冬に弱い。超短毛で抱っこすると腕に湿疹ができる。毒針?(笑)

向日葵というお嫁さん。空良と海のお父さん。そして蘭ちゃんのお父さん。

鈴蘭の保護者。


可愛い可愛いMAX。私の大事な家族の日本テリア・・・。

本当にありがとう。ゆっくり休んでね。。。