#019 損するメカニズム | おもいでのヤンゴ

#019 損するメカニズム

おもいでのヤンゴ

小学2年生の頃のボクの話です。


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柿ピーはなんであんなにおいしいんだろう。
おかしのくせに甘くもなく、どっちかというとしょっぱいはずなのにすごくおいしい。
毎日柿ピーがご飯だろうと、ボクは飽きない自信がある。
そんな柿ピーなんだけど、ボクの中では2種類に分けられる。決して中身や味のことじゃない。
全部が1袋に包装されている「大包み」と、小さな袋に個装されている「小分け」、の2種類に分けれる。

ボクは小分けされているほうは好きじゃなかった。
だって、あんな少ない量しか食べれないのが最初からわかってるなんて嫌だ。
大包みのほうは、もし小分けと同じ量を食べるにしても、
「ひょっとしたら、あとでお母さんがもうちょっと足してくれるかもしれない」
という期待感がある。
結局お母さんが足してくれないにしても、最後までいい気分で食べることができる。
小分けされているほうは、もう一袋くれる可能性は万に一つもなさそうだ。
だから、「あとこれしかない」という気持ちを引きずりながら、目の前で減っていく柿ピーに憂えずにはいられなかった。

でも、お母さんが買ってくる柿ピーは「小分け」の方が多かった。
一緒にスーパーについていっても、小分けの柿ピーは誰にでも見えるところに、値段が大きく書かれてうられている。
おそらく「めだましょうひん」ってやつになりやすいんだろう。

お母さんが買うものを変える権限なんかボクにはない。だからボク自身が変わることにした。
ボクには名案があった。

次のおやつが柿ピーの日にそれを実行した。
お母さんはいつもどおりの6Pと書かれた柿ピーの袋から2袋出して、ボクとツキに一袋づつ渡した。
ツキはすぐに袋を開けて、てのひらに適量よりも多いと思える量を出しては、一気に口に運んだ。
ふふふ。わが妹ながらバカだな。そんなのじゃ楽しい時間がすぐに終わっちゃうぞ。ボクはそんなすぐに食べたりしないぞ。
ボクは机の引き出しを開けて、秘密兵器を出した。

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ボクは誰も見ていないのに、もったいつけるようにゆっくりと「(ピーナッツ)」と書かれたチョコボールの空き箱を出した。
お母さんが前に買ってくれたチョコボールの箱を、捨てずにとっておいたボクはえらい。
ボクはこの10センチほどの小さな箱に、柿ピーを移した。
「トコトコトコトコ」
小気味良い音をたて、柿ピーはチョコボールの箱に入っていく。
ふたをしめて、完成だ。

ボクはわがもの顔をしながらツキに近よった。
「ツキくん、これをみたまえ」
チョコボールの箱をツキの前につき出し、ふたを開けて、てのひらに柿ピーを出して見せた。
「あー、柿ピーだ。それお兄ちゃんが考えたの」
ボクはうなずき、すでに食べ終わったツキの前で、得意げに食べてみせた。
「これ、外にも持って行けるから、おなかすいたらいつでも食べれるんだぜ。ふたの角度だって調整できるから出しすぎないで済むしさ」
ボクはもう一度てのひらに出しては食べてみせた。

「お母さん、お母さん」
今度はお母さんのところへ行った。
「お母さん、見てこれ。ボクが考えたんだよ。ふたの角度を調節するとちょっとづつ食べれるんだよ」
ボクはまた得意げに実演してみせた。

お母さんにも一通り自慢し終わり、ボクは部屋に寝そべった。
ボクは発明の天才なんじゃないかと思った。柿ピーをチョコボールのピーナッツ味に入れるというのもシャレがきいてるし。
心躍る気持ちでポッケに手を伸ばし、箱を振ってみる。
「ジャラジャラ」
この音だと、まだ十分入っている。まだまだ楽しい時間は終わらないんだ。ボクはふたを開け、手に一振り出した。

「あれ」
7粒出てきた。でも、箱にはもう入っている気配がない。
「あれ、そんなわけない」
おおもとのふたを開けてのぞいてみたが、本当に何も入っていなかった。
「なんだよこれー、なんでなくなるんだよー」
このときのボクは、“だれかに柿ピーをとられた”ような気分だった。
「なんでだよ。なんでだよ。」
ボクは寝ころび手足をじたばたさせた。

お母さんに十分聞こえる声でわめいたはずなんだけど、お母さんはきてくれなかった。


あの時ボクは、箱を振る“音”で残量を計っていた。7粒だろうが20粒だろうが、「ジャラジャラと音がする」という点では変わらなかったんだと思う。
別に、残りの“重さ”で判断できなかった訳じゃない。ただ、何かにとらわれておろそかになっていたんだ。
「自分だけは損したくない」なんて後ろ向きな気持ちは、どんな場面でも重要な何かを見逃す。
だからといって、もし音だけで正確に残量を判断できたとしても、損する気持ちは変わらなかっただろう。
「損したくない」とあれこれ考えることで視野を狭め、普段はあるはずの“柔軟性”を発揮する余地がなくなってしまうから。

ボクはいつもそうだった。
“楽しい”を探すために、頭でっかちになっていた。
そんなことしなければ、楽しさなんていつも目の前にあったのに。





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