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《私と加藤清正公》 熱田伸道



私と加藤清正公の出会いは、今から4年前、平成206月山形県鶴岡市致道博物館へ甲冑見学・調査に出かけた時である。嫡子忠広公配流の地、丸岡城跡を紹介された。丸岡城跡は現在整備され近い将来資料館が創建されるそうである。

 北側に曹洞宗天澤寺があり、境内高札看板に清正閣と題し下記のように書かれている。
加藤忠広公と正応院様は、清正公の御遺骨を密かに、捧持し居館奥庭の太夫石の元に休め、丸岡大火の翌年に天澤寺世代墓地の五輪塔の元に安置した。この清正閣も五輪塔、「巫女石・太夫石」とならぶ重要な史跡である。はじめは土饅頭の上に石碑が載っていたのみであったが、天保年間に祠を建てた。中の鉾型の碑は、熊本特産の島崎石であり熊本から運んだものである。

 昭和24年、清正公遺骨探索の調査では第一番目にこの閣の下が発掘され、その結果、地下2mの地点から清正公着用と推定される鎧が出土し、天澤寺に保存されている。
 尚、そばの小さな五輪塔は、密かに野に下野した忠広公の子供のものといわれている。


天澤寺に保管された鎧の残欠を拝観し、室町末期頃に出現した金胴丸(最上胴丸)と判断できた。長い年月を経過し形を成していないが、その一部位を手に取り、この形代を想像したときは言いようも無い感動に浸ったことを覚えているがそれと同時にどうしたらいいのだろうという不安を感じた。私の役割は、この清正公の甲冑の残欠を復元するのだろうかと思ったからだ。
 昭和25年この甲冑を当時検分し記録を残された山形県文化財専門委員佐藤東一先生の資料を拝読し、残欠を計測・推定し全体像を捕えてみた。
まだ、その始まりだが、近い将来推定復元できればと考えている。


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加藤清正公の若き日の甲冑

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昭和24年、山形県鶴岡市丸岡、曹洞宗天澤寺内清正閣地下から加藤清正公の形代・甲冑が発掘された。甲冑といっても、胴甲のみだが、室町末期発祥の金胴丸(最上胴)である。

江戸期(17世紀半ば)一度、発掘されたようで当初の姿のままではないかもしれない。

昭和25年、山形県文化財専門委員佐藤東一先生が調査をされ報告書が出されておりそれに基づき推定復元を試みているところである。

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