静岡県掛川市(旧掛川町遊廓 十九首)③ | お散歩日記

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路地裏、バラック、長屋、昭和の香りがする飲食街、遊郭赤線跡地、廃墟、古い町並み、山奥・・・・そんな場所を訪れては下手糞な写真を撮っております。

「糸かけて、つくり織り込む葛のはた。さらす乙女の手も懐かしい。夫婦仲良くきぬたうつトントントン」掛川音頭。










「シテイチ」跡地である現在の小鷹町へ入って行きましょう。




入手出来た一番古い掛川市住宅明細地図は昭和三十六年度版。遊廓の面影は「旅館萩の家」と「旅館すゞもと」の二軒。現在、「旅館すゞもと」は取り壊されております。





往年は「喜楽楼、鈴本楼、千歳楼、新鈴本楼、岡村楼」の五軒が営業をしており、前述した掛川風俗史稿に因ると「喜楽楼、鈴本楼」の二軒が赤線廃止当時まで残っていたようです。




在りし日の「旅館すゞもと(鈴本楼)」。茅葺木造二階建て、手すきガラスの遊廓遺構でありました。平成二十二年頃に取り壊されました。「曽根辰雄著 掛川歴史ミニ案内」より。




「旅館すゞもと」解体後、平成二十二年頃の写真。「八木富美夫著 静岡県の赤線を歩く」より。




上記と同一箇所を平成二十六年一月二十三日に撮影。真新しい家が建ち、道路が出来ています。写真右に見えるお宅が建つ前、妓楼が建っていたのではないか、とは地元の方より。





「シテイチ」のメインストリート。セオリー通り道路幅が不自然に広がっております。




このメインストリートには旧東海道を思わす嘗て松の木が一本立っていたようですね。「八木富美夫著 静岡県の赤線を歩く」より、昭和四十年代頃の写真。



上記同一箇所を平成二十六年一月二十三日に撮影。松の木は撤去されたようであります。しかし未舗装の砂利道はそのまま。地元の方曰く、道路が未舗装なのは土地問題等、複雑な事情が絡み合っているからだとか。








唯一残る遺構、転業旅館の「萩の家」




昭和四十年代~五十年代頃までは旅館として営業していたそうです。鑑札も残されています。「萩の家=喜楽楼」なのでしょうか。





聞き込みを行った地元の方は赤線時代をかろうじて覚えている世代。「新しく此処に越してきた若い家族は誰もここらの歴史を知らないでしょうね」と。







「歴史って言うより恥部でしょう。特に女の人は。当時を知ってる女性はもうこの辺りにはいないですがね。触れられたくないのが正直なところです。早いところ市役所に取り壊してもらいたいですよ」




・・・・・・・・現に行政の段取りもある程度ついているようで、「萩の家」も取り壊し間近だとか。遊廓建築は放置状態になっているケースが多いので、行政が強制執行で取り壊すパターンが全国的に増えるのではないでしょうか。