東日本大震災による宮城県での支援活動を終えて (上) | いずみ野福祉会~東日本大震災支援活動ブログ~

東日本大震災による宮城県での支援活動を終えて (上)

東日本大震災による宮城県での支援活動を終えて

高石作業所

増岡 有梨

 東日本大震災発生から6ヶ月が経過。私は9月17日(土)から9月24日(土)までの7日間、宮城県にあるJDF(日本障害フォーラム)みやぎ北部支援センターの活動に参加しました。

主な活動地域を南三陸町とし、隣接している気仙沼市や石巻市への活動も行いました。

私が担当した支援の内容は、移送支援と社会資源の調査を行うこと。

現在でも、南三陸町の移動手段として多くの方が利用されていたJR南気仙沼線は線路が流されるなど、震災の被害は大きく、復興のめどが立っていません。

近所や親戚の人に頼んで車に乗せてもらい通院や施設への通所をされている方がほとんどといった状況です。

 震災前の南三陸町の人口は約18000人(高齢化率29%)で、障害者手帳の交付数は942名(20103月末)でした(①身体735名②知的136名③精神71名)。

北部支援センターの担当エリアは、宮城県の人口や障害者手帳交付数状況と比較して被害は大きく、避難所・避難者についても宮城県全体の70%となっています。

また、地域の中で、障害がある方々の日中活動の場、住まいの場、社会参加および余暇活動の場というものが社会資源として十分に準備されていたとはいえない状況がありました。

社会資源が少ないことと地域性もあり、家族で支えるということが多かったのかもしれません。

もともと少ない社会資源の全てが今回の震災で失われてしまいました。

6ヶ月たった今も、高台にある仮設住宅から買い物や病院に行くための手段が十分確保されていない状態があり、移送支援は大きな課題として現れていました。

この7日間で、送迎支援にあたった方々の公共交通機関を利用しての病院や施設までのアクセス方法を1人ずつ調査すると、仮設住宅の下にバスの停留所があるものの、そこに行くまでがきつい坂道になっており(仮設住宅が高台に作られているため)、身体障害の方や、高齢者の方にとっては大変つらい生活を余儀なくされていること。

また、バスは運行しているものの、運行本数が1日に2本しか走っていない場所も多く、乗り継いで病院に行っても15分後に帰りのバスに乗らなければ仮設住宅にまで戻れないといった、とても利用できるものではない状況など多くの問題点が浮きぼりになってきました。



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                                    (つづく)