時には犬にはかなわない

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もうかなり前になる。
私が飲食業をやっていた頃、無農薬の野菜と米を作ってるって方と知り合った。
その方は、京都大学で学生運動、イギリスの大学の大学院、京都の私立大学で哲学を教えていたが、自給自足に目覚めて、山の中の農家を譲ってもらい、そこで農業を始めたって方。
結構有名なお寺の跡取りでもあった。(それも投げ捨てている)
丁度今ぐらいの梅雨の時期招かれてお邪魔したことがあった。
と言っても、田んぼの雑草取りを昼間はやらされましたが。
本当に無農薬の米を作るには、一番上流の田んぼでしか出来ないのだそうだ。
下流の田んぼでは、上流に農薬を使う農家があったらそこの田んぼから農薬は流れてくる。
だから谷地田(漢字あってるかな)って言われる、林に入り組んだ田んぼでしか作れないといっていた。
ところが、平地ではないので面積の大きな田んぼには出来なく、また山側は波状に入り組んでるので機械が入れられない、自ずと古典的な人の労力をかける田んぼで作ることになるって解説だった。
田んぼの草取りって言っても、ゴムの地下足袋みたいなのを履いて、稲の下に小さく伸びてきた雑草の目を両手で泥に馴染ませるって作業だけである。
泥に埋め込むことでそれも稲の養分として利用されるらしい。
ところが辛い。
足を伸ばした状態で前屈し手のひらで田んぼの泥をかき回す。
丁度この時期この姿勢をとらないでしゃがんでやろうとすると、稲の若葉の先が目の高さになって刺さってくるのである。
では柳橋さんこっちの一枚やってもらえますかって小さい目の田んぼを与えられたが、作業の辛さと進み具合の遅さで、腰を伸ばすたびに絶望的な気分に襲われた。
「柳橋さーん!!」
「はい??」
「今啼いたのがホトトギスです!!」
「そうですかぁ(そんなもん気付く余裕はありません!)」
てな感じで、栄養補給としか感じられなかったおにぎりタイムを挟んで、16時頃にやっと完了。
帰り道、「どうですか、泡立っていた泥もあったでしょう。あれは窒素肥料のやりすぎなんです」
「私の耕し方が至らなかった部分に出てきます」
「窒素肥料って昔で言う肥溜めの事、所謂家畜や私達人間の糞尿のことです」
「実はね、窒素肥料の輸入大国なんですよ日本は」
「電化製品を売ってうんこを輸入する、変でしょう」
んー、んっ、もう少し気分的に余裕がある時言って欲しいかな。
私には、足を洗っている裏庭の水道の近くで、彼の家のアイヌ犬、無双が好物の生の夏大根をがりがり食っていることのほうに共感を覚える。
初対面でなついてくれたことを彼らが珍しいって言ってくれたので、私としても無双は心配りしてくれたんだって思ってもいた。(変な犬ではあるが)
しばし無双と遊んで家の中に。
彼の家人が早めに田んぼを切り上げて晩御飯を用意してくれていた。
野菜尽くしの料理ではあるが旨い。
米は旨い、野菜も旨い、肉いらないって晩飯で感じたのは初めてだった。
タバコは止められるんですよ農業に来れば、でも酒は止められないですね、特に日本酒は。
すすめられるまま、冷やした日本酒をいただく。
旨い和む染みる一合も飲まないうちにすばらしい開放感と癒しを感じました。
で、夜は更けると共に哲学、宗教の話。
アニミズムの尊さや欧米の宗教でもギリシャ神話辺りまでは面白かったって話題。
ガンジーの非武装の概念の是非。
子規と虚子と現代俳句との違い、蕪村と芭蕉の人間の大きさ。
イデオロギーの崩壊と今の日本の新たな矛盾。
ちと困り気味で、疲れ気味で飲みましたが、居酒屋って考えるとすっごくいい居酒屋でしたね。
本音を言えば、梅雨の晴れ間の更け行く夜、気温が下がり始めた夜の土の上に座って無双と並んで星を眺めながらちびちびとやるのが良かったんですけどね。

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お暇なときにじっくりとお読みください。
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