岐阜・柳ヶ瀬の“昭和”の映画館・ロイヤル劇場での『人間の條件』全六部作一挙上映。
3週連続の岐阜通いとなりましたが、完結篇となる「第五部・第六部」は1週間の間隔を
置かずに早めに出かけました。先の「第四部」から「第五部」にかけては、1945年8月の
ソ連の日本への参戦と戦闘が描かれている。かの地には「8.15」の終戦は存在しない。

大陸に残された日本人の避難民が被る苛酷な運命を描くとともに、最後の最後まで生
きる意志を貫き通す梶(仲代達矢)の“彷徨”を描いた果てに作品は完結する。全編を
通してスクリーン鑑賞できたことは望外の喜び。今回も割引券を利用して入場料金は
100円引き、座席も“定位置”の5列目中央です。ロイヤル劇場(特別料金700円)。

人間の絛件ポスター3
 

(1961年、監督・脚本/小林正樹、脚本/松山善三、稲垣公一、原作/五味川純平、撮影/宮島義勇、音楽/木下忠司)

ソ連国境でソ連軍の攻撃により全滅した梶の部隊。梶は寺田二等兵(川津祐介)を伴い、
南を目指してただただ歩き続ける。途中、日本人の避難民の一団がいて、彼らは梶の指
揮に従って歩き始める。しかし、老教師夫婦や慰安婦の竜子(岸田今日子)らの一団は、
疲労と飢えから次々に倒れていく。結局、避難民で梶に着いてこれたのは竜子だけ。

かつて野戦病院で一緒だった丹下(内藤武敏)や桐原(金子信雄)ら敗残兵とともに一軒
の農家を見つけ、束の間の休息を取ることになる梶。しかし、そこは民兵に囲まれ、竜子
は悲惨な殺され方をしてしまう。生き残った6人の兵士は、再び日本人の避難民の集団と
出会うことになるが、そこにいた若い女(中村玉緒)をめぐって梶と桐原の間に遺恨が生
じることになる。傷ついた同胞の娘を平気で凌辱する桐原に、梶の怒りが爆発するのだ。

 

やがて梶たちの一団がたどり着いた開拓集落には、老人や女の避難民だけが身を寄せ
合うようにしている。日本兵は食糧を荒していくだけ、黒パンを持ってやってくるソ連兵の
方がマシだとなじる女(高峰秀子)がいる。やがてこの集落にソ連の兵士たちがやって来
ると「ここで戦争をしないで」という女の叫び声に、梶は呆然としたまま降伏するのだ。

梶や寺田の連行されていったソ連の収容所にはすでに桐原がいて、彼は捕虜を管理す
る立場にある。梶や寺田に陰湿な仕打ちをする桐原。彼のソ連将校への告げ口で、梶
が森林軌道の重労働に出向いている間に、寺田は桐原に殴り殺されてしまう。収容所へ
帰ってその事実を知った梶は、寺田の殺された便所の裏で桐原を殴り倒す。そして収容
所を抜け出すのだ。ただひたすら美千子(新珠三千代)のもとへ、梶の“彷徨”が始まる。

 

この「第五部・第六部」で際立つキャラクターは、一番に上げるべきは梶に対する明らか
な“敵役”桐原伍長の金子信雄といえます。権威にすり寄って狡猾な上に、残忍な振る舞
いを平気で行う彼は、脱走を決意した梶にコテンパンにやられてしまう。最後は瀕死の状
態で便所の“くみ取り場”(?)に落とされるが、“山守親分”同様の出色の役柄です。

そもそも主人公の梶は兵役に就いてから、なかなか優秀な兵士だったといえます。射撃
の腕前も、行軍をする体力も周囲より抜きん出ている存在です。それゆえ南下する敗残
兵の集団の中にあってもリーダーシップを発揮する。当然、生きるためにソ連の兵士を
殺戮します。そのことで苦悩もしますが、戦時下であればやむを得ないことと思います。

この完結篇に梶の妻・美千子は慰安婦・竜子にオーバーラップするように映りますが、
実際の彼女の状況を捉えた描写はありません。岸田今日子、中村玉緒、高峰秀子とい
う苦境にある女性を通して、妻の苦境を“幻視”するのみです。梶は殺人を行う兵士では
ありますが、出会った女性を性欲の対象とみなし平気で凌辱するような兵士ではない。

開拓集落の高峰秀子の誘いにも乗らない一徹さは、“女犯”をしないとう梶の覚悟を垣
間見せます。それは妻・美千子への純愛という綺麗ごとではなく、その一線が崩れたら
自己が崩壊する恐怖感があるのかもしれない。本能のぎりぎりのところでも正しく人間
であろうとする梶が寄るべきものは、永遠に美しいままの美千子の姿なのでしょう。


 
 

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