昨年からは劇場(スクリーン)で見た映画は、必ずブログに記事に書くことに決め、昨年・
今年とその「自己ルール」を愚直に守っている。愚直ゆえ以前に一度記事にしていても、
このルールに従って再度ブログに記事も書く。ロベール・アンリコ監督の『冒険者たち』
や山下耕作監督の『関の彌太っぺ』なんていうのは、まさにそういった映画記事です。

それで、この自己ルールのつらいのは正直記事にするのに気が乗らない場合も、やはり
何とか記事にしようと工夫することになる。その鑑賞映画が「ダ作」というわけではありま
せんが、気が乗らないのですから記事を書くのに時間ばかりかかる。なおかつ記事を書
いた後もスッキリしない気持ちを抱え込む。そんな映画に久方ぶりに出会いました。前田
敦子・主演、山下敦弘・監督の『もらとりあむタマ子』です。劇場はセンチュリーシネマ。

もらとりあむタマ子  『もらとりあむタマ子』公式サイト

主人公は東京の大学を出て間もない坂井タマ子(前田敦子)。大学を卒業後は父親(康
すおん)がひとりで暮らす甲府の実家に戻ってきている。就職もせず、家事もせず、家業
のスポーツ用品店も手伝わず、ただひたすら食っちゃ寝食っちゃ寝を繰り返す、自堕落な
生活ぶり。実家(父親)に寄生した「ぐうたら女子」を前田敦子が好演(?)しています。

起きている時も、マンガを読みふけているかゲームをするか。かつての同級生に町で逢っ
ても、特に連絡を取るわけではない。まるで引きこもりのような生活ぶりに、父親も「就職
活動くらいしろ!」と叱りつけるが、「その時が来たら動く! でもそれは今じゃない!」と意
味不明の言葉で逆ギレするタマ子。季節は秋から冬、そして春へとゆるやかに移っていく。

もらとりあむタマ子 

映画の中でタマ子が就職活動らしい行動を取るのは一度。タレント・オーディションを目
指して、近所のカメラ屋で写真を撮り、父の作る手料理ではなく温野菜と青汁で食事を
済ます。そんな日常のエピソードを淡々と綴った後、やはり予定通り(?)の落選なんだ
ろう。娘を気づかって父親は励ますのだが、その思いやりに腹を立て逆ギレする始末。

そんな折、料理上手で商売熱心な真面目な父親に再婚話が持ち上がる。日頃は口を
開けば言い合いになってしまうタマ子と父親だが、やはりタマ子は父親が付き合ってい
る女性が気になって仕方がない。子分のように扱っているカメラ屋の息子(伊東清矢)と
共に、相手の女性の偵察に。そんな微笑ましいエピソードも交えて、1年が過ぎていく。

実にユルいドラマだと思います。山と川に囲まれた甲府でロケ撮影していて、その四季
のゆるやかな変化。変わることのないようなタマ子と父親の関係にも、どこかそこかに
変化の兆しが見える気がします(あくまで私がそのような気がするだけですが、、、)。

もらとりあむタマ子 

父親役の康すおんは山下監督作品の「常連」のようですが、この映画ではかなり目立っ
ています。それにタマ子の子分のようなカメラ屋の息子役・伊東清矢も、実に味わいの
ある存在感と演技だったように思います。ですので問題は、主役の前田敦子となります。

話は少しずれますが、この映画では父親の作る手料理とそれを食す描写がかなり出て
きます。人間の欲求を突きつめれば、究極は性欲と食欲だと思います。それで、映画の
中で「モノを喰う」シーン、ことに女優の食事をする描写というのは、濡れ場と同様にエロ
いと私は考えるわけです。個人的な偏見ですが、核心をついた考えとも思っています。

この映画の前田敦子は自堕落な「ぐうたら女子」になりきり、「モノを喰う」シーンは実に
小汚いです。映画の冒頭で食事をする際に、私はあの「傷だらけの天使」のショーケン
を思い出したほど。彼女の「モノを喰う」シーンで感じたのは、この映画は間違いなく、
前田敦子のアイドル「卒業」よりも「逸脱」映画として記録されるだろうということです。


(2013年、監督/山下敦弘、脚本/向井康介、撮影/芦澤明子、池内義浩)

もらとりあむタマ子