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2012-02-19 10:20:40

上京30年。

テーマ:ブログ
ホノルルから帰国の機内で書いております。

手前どもが山形の高校を出て上京して、30年になります(諸事情あって今は一時的に岐阜県に居住しておりますが)。「光陰矢の如し」と言いますが、まさにその通り。30年前に生まれた子供が30才。30才だった人は60才です。ここまでは良いとして、当時60才だった人で今残っている人はほとんどいないと思うと愕然と致します。

「人生に無駄な事は一つもない」といいます。

しかし、振り返りますれば「無駄な事だらけ、廻り道だらけ」の人生だったような気がします。

言い換えれば「無駄な事をして得た経験、廻り道して見た景色こそ、人生」ともいえます。

要は考え方一つ!あらゆるものは考え方、フォーカスの仕方でその本質が決まる、ともいえます。


しかし今や世界人口67億人とも言われますが、100年後には今いる人がそっくり入れ替わっているのです(中には生きている人も少なからずいるでしょうが)。

ほんの束の間の人生、好きなように生きなくてどうする、

と改めて思うのです。

「キミは好きな事を仕事に出来ていいなぁ」

と良く言われます。でもどんな仕事もやってみないとわからないものです。「好きな事を仕事にしてしまったしんどさ」というものもあります。
「ウクレレを弾く、曲を書く、ウクレレを教える」というのが現在の手前どもの仕事です。ウクレレのようなお気楽の極地のような楽器でも、仕事で弾いていると、「これが仕事じゃなくて趣味だったらよかったなぁ」などと思う事もたまにはあります。

仕事柄、移動が多いです。演奏は、土日がほとんどです。電車や車で演奏に出かけて夜帰る時に、マンションや家の団欒の明かりが見えます。ああ、みんな土曜日は休みで、家族で過ごしているんだなぁ、と思うとなんとも言えない、切ない気持ちになります。土日が仕事のサービス業の方なら、この気持ちを分かってもらえると思います。

「仕事でいろんなところへ行けていいですね」とよく言われます。でも、旅から旅への暮らしをしていますと、いつまでも地に足がついていないと言いますか、どこか落ち着かないものです。

以前も書きましたが、

人は無い物ねだりの動物です。これは多分、人間だけの習性でしょう。スズメが鳩を羨むでしょうか?猫が犬を羨むでしょうか?

あ、前に飼っていた犬はどこにでもジャンプ出来る猫を羨んで吠えていましたね(笑)。

「ハングリー精神がなければだめだ」といいます。

しかし、「満足」というものはある程度のところで留めておかないと留まるところを知りません。「限りないもの、それが欲望」と昔、井上陽水さまも歌っておりました。

人間の「あらゆる欲」を煽る事で、今の世界経済は成り立っております。

「人が欲しがるモノ、知識」をマーケティングし、それを造り出し、たくさん売った者が現代社会では「勝者」と言う事になります。当然、そういった競争社会に付いて行けない人もたくさんいます。手前どももその一人で御座います・・・。

好き放題に生きて参りました。散々人様にご迷惑をおかけして参りました。ですので、今後はせめて「人様に喜んで頂きたい」との思いで演奏活動をさせていただいております。

「ミュージシャンになる!」と決めた14才のワタクシ、その夢は叶いましたが、「ミュージシャンであり続ける事」のしんどさは想定外でした。みなさまにおかれましても、まさかまさかの人生なのではないでしょうか?

そう、誰の人生も「波瀾万丈」、みんなが「劇的な人生」なんだと思います。

今この瞬間にも、世界中には病気で亡くなられる方や事故で亡くなられる方がおられるでしょう。「まさか自分が今日死ぬなんて!」思わなかった方がほとんどでしょう。

この世に生まれて来た事・・・不思議です。いったい何万、何億の偶然が重なって自分はここに存在しているのでしょう。自分と言う存在が何であったのか、人生にどういう意味があったのか、知る由もありません。

一つだけ言えるのは、

「今、この瞬間に、自分がここにいることを認識している自分の意識があり、とりあえず肉体が正常に機能している」から、手前どもはこの拙文を書いているのであり、みなさんに読んで頂けていると言う事です。

そう考えると、すべてがなんて素敵なミラクル!と思えて来ませんか?でも一方で納得いかない出来事も世の中にはたくさんありますよね。

しかし、考えだすとキリがない。無責任なようだけど「無理して身の丈以上の事は考えない、やらない」と言うのもアリかな、と思います。世界が必要としてるから、みんな生まれて来たんだと思います。
子供の頃はいつか大人になるなんて思っていなかった。

小学校の6年間は、永遠に続くと思っていた。

中1の時は、中3の先輩が大人に見えた。

高校の3年間は10分くらいで過ぎ去ったような気がする。

そして、20歳になって、30歳を過ぎて…。

時の流れはますます速くなってきて、気がついたらもうこんな歳。

みなさんもそうでしょ!?みんなおんなじ。人生と言う100年にも満たないジェットコースターを一気に駆け下る。見る景色はそれぞれにちょっとずつ違うけど、ゴールは同じ。そんな気が致します。迷ったら、苦しかったら、何も考えず目の前の事を淡々とやっていればいい。

必ず「大いなる」力が、いろんな形に姿を変えて助けてくれる。

手前どもはそう信じております。

それが手前どもの「信仰」でございます。

IWAO拝
2012-02-19 10:15:07

上京30年。

テーマ:ブログ
2012-02-15 20:29:27

「タンポポは風を知っていた」

テーマ:ブログ
ホノルル空港のスターバックスでパソコンを叩いております。ハワイに来るようになって20年以上になります。もはや何度目のハワイか分からなくなってしまいましたが、今回は「一人旅」でございます。手前どもはあまり一人旅の経験はございません。しかし、一人日本を離れて遠く外国におりますと、物の感じ方に微妙な変化が起こります。ともすれば心もとなく淋しい一人旅ですが、物思いに耽るにはうってつけなのが一人旅でございます。海外なら尚更です。みなさまにおかれましても、たまには一人でよその国へ行かれる事をお勧めします。

手前どもが初めてハワイに来た20数年前には、携帯電話はおろか、インターネットさえありませんでした。ホノルル空港でWi-Fiが使えるようになったのは10年くらい前でしょうか?その頃使用していたノートパソコンはゴツくて不細工なものでしたが、今こうしてキーボードを叩いているMacBook Airは実にスマートであります。10年前には考えられなかった薄さです。このままいけば、

十年後、ノートパソコンはA4のコピー用紙くらいの薄さになり、携帯電話は耳栓のように耳に内蔵し、すべての操作が音声によって行われることになるでしょう。あまりに機械の気が利くようになり、「ウンコをする前にウォシュレットの水が肛門を直撃する」ような事にならない事を祈るばかりです。

それにしても変わらぬものは「人のこころ」でございます。

いくら通信媒体が変わっても、そこで行われる意思疎通の本質には古式ゆかしいものがございます。古代から男女の関係性は、基本的にかわっておりませんし、争いも絶えません。あらゆるモノは猛スピードで進歩し続けているのに、なぜこうも「人のこころ」だけは進歩しないのでしょうか?いくら世界がデジタル化しても、人間は基本的に「情緒」で生きている存在でございます。

人はいつも人を愛し、愛されたいと願い、認められたいと願うのです。

最近はすべてを悟りきったような文章を書いている手前どもでございますが、実際のところはいつも悩やみ、苦しんでおります・・・自分の境遇をもう少しどうにかならんのかと嘆き、人を羨みます。そして、そんな自分に嫌気がさし「これでいいや…」と半ばあきらめにも似た気持ちで自分を投げ出したとき、ふとしばし楽になるのです。そんな事の繰り返しです。

あるときこんな事がありました。

離婚をして一人暮らしを始めた頃です。可愛がっていた犬や猫たちとも別れてしまい、淋しい日々を送っていました。広いマンションから一転、狭いアパートでの一人暮らし…淋しさを紛らわそうと、いつも行くコンビニの途中に咲いている花や、近所のネコなどを愛でておりました。四十を過ぎて、初めて花屋で「自分のために」花を買ったりもしました。

ある日、コンビニからの帰り、ふと足下に目をやると、タンポポが咲いておりました。手前どもは無意識にしゃがみ込み、タンポポに向かってフッと息を吹きかけました。タンポポの羽(種?)は風に舞っていきました。手前どもは立ち上がりそのまま歩き始めると、ある事に気がつきました。

タンポポはコンクリート塀に沿って生えていたので、自然の風で飛ぶ事はたぶん無い。自分が息を吹きかけなければ、あのタンポポの種は飛んで行かず、その命を繋ぐ事はなかった。そんな事は全く意識せずに自分はタンポポに息を吹きかけた。その事でタンポポは別の場所で新たな花を咲かせるのです。手前どもの、「息を吹きかける」と言う行為がタンポポの命を繋いだ。


じゃあ、無意識に僕が息を吹きかけた、その行為をさせたのは誰だろう?僕を使って、タンポポの命を繋ごうとした力はなんだろう?そもそも「風」の存在を前提に、タンポポは存在している。

タンポポは「風を知っている」ということか!そして今その風を僕が作った。ワォ!素敵!

そうか、その力が「命の素」なんだ。我々を生かしてくれている力と同じ力なんだ。無意識のうちに、人間も動物も植物も鉱物も、それぞれを生かし合っている。自分が死んでも、なんらかの力で「他の命」を生かしている。手前どもには子供はいませんが、あの時、タンポポの命を僕は繋いだ。だから、あの時のタンポポの種は僕の子供とも言える。命の循環というのはそういうことなんじゃないのか?

あの時、手前どもは確信を持ちました。すべての命は繋がっている。そして、みんなその事に気がつけば、世界は平和になると。

あの時のタンポポの赤ちゃん達は手前どもの事を親と、命の恩人と思ってくれているかもしれない。

なかなか鉱物や物質までが有機的に人間と繋がっているとは思いにくいですが、動物、植物なら繋がりを感じる事が出来るのではないでしょうか。我々は石や砂を食べては生きて行けませんが、他の動物や植物を食べる事で生かしてもらっているのです。人が古来から「鉱物」を装飾品として身につけて来たのは、昔の人は鉱物と意思の疎通のようなものが出来たのかもしれません。

…人間同士は下手に言葉が通じるから上手くいかないのかもしれない。音楽を生業としておりますと、

「言葉が通じる」事が時にマイナスである、と思う事が御座います。


繰り返します。すべての命は繋がっており、互いに「生かし、生かされ」ております。


自分は「生かされている」と思う事も大事ですが、あなたは生きているだけで、ただ呼吸しているだけで他の誰か(人間に限らず)を生かしている「偉い」存在なので御座います。二酸化炭素を植物に与えていますし(その代わりに酸素をもらって)。どうか自信を持って頂きたいと思います。

お釈迦様も言われているように、生きると言う事はそれだけで大変なことであります。しかし、

「その大変さを通してしか知り得ない事がある」からそのようになっているのではないでしょうか?


そう思えば、「すべては出来レース」と思えてくるのでございます。出来レースなのですから、ジタバタしても仕方ありません。手前どもに偉そうにモノを言う資格は全くありませんが、あっちにぶつかったり、こっちにぶつかったりしながら、進んでいくしか無いと思うので御座います。障害物を取り除こうとしてもキリがないのでございます。

きっと障害物は次々とやってくる。それをクリヤーすることで学んで行く。


「逃げる」のも一つのクリヤーの仕方ですが、あまりいい結果にはならない事が多いかもしれません。ぶつかって行けば、結構火事場の馬鹿力でなんとかなるものです。

暖かくなるまであと少しです。

寒い冬があって初めて、春の有り難みが分かる。人生もしかり、でございます。

ご自愛下さい。

ホノルル空港にて
IWAO拝
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