8月24日(水)曇りのち雨 9月の教室に=『うそだあ!』

 

先日の日本子どもの本研究会の「小学生と読書」分科会で、アニマシオンクラブの仲間である宮崎先生が、教室での実践報告をされた。たくさんの絵本を紹介された。そのいくつかは買ってしまった。中でも愉快な、サトシン作、山村浩二絵『うそだあ!』(ぶんけい2014年1,300円)。

表紙の見返しから始まっている。右と左から男の子が「やあ!」とやってくる。扉は文章が書かれている。「バナナを食べようと思って、かわをむいたら、チョコバナナだったんだ!」「うそだあ!」と応じる。ここで、「うそだあ!」をみんなに言わせる。という繰り返し。単純だけど、おもしろい。9月の学級開きにどうぞ。

明日26日から27日まで相馬市に学生とお話し活動と復興視察に行きます。4年目。28日にブログを再開します。

AD

8月23日(火)晴れのち雨 むのたけじさん逝去

 

21日、ジャーナリストのむの・たけじさんが亡くなられた。『東京新聞』は1面トップだった。101歳。私たち「憲法世代」(日本国憲法によって育まれてきた戦後世代)にとって、道しるべとなった人だ。まだ私が20代の頃だったと思うが、山形県であった教育研究集会の記念講演がむのさんだったと記憶している。

戦前、報知新聞、朝日新聞記者として従軍記事などを書いた。戦後はその反省から一人で週刊新聞『たいまつ』を発行して、時流に乗らないで発言してきた。こういうお歳で一貫した反戦平和の発言をしているのは、金子兜太さん、日野原重明さん、宝田明さんなど限られた人となった。

むのさんの『99歳一日一語』(岩波新書2013年)を毎日読んでいる。8月21日はこんなことが書かれている。

――戦時中、軍の輸送船でボルネオ海を渡ったとき、ひどい嵐にぶつかった。泳げない私は死ぬしかないと腹を決めたら、不思議と心は落ち打ち手いた。けれど最後に残った残念・無念は、この私が、いつ、どこで、何ゆえ、どんな有り様で死んでいくのか。それを妻と子らに知らせる術がないことだった。戦場で死んだ多くの人たちは同じ思いではなかったろうか。

むのさんの「たいまつ」を、つないでいきたい。むのさんに玄関のヒマワリを捧げたい。ひまわりは『太陽を向いて咲く」と言われるが、そうでもない。かなり気ままだ。庭の一本は、「あっちむいてホイ!」と、私に背中を向けて咲いている。この方が、むのさんらしいのかもしれない。

AD

 

8月22日(月)雨 「アニマシオンと主権者教育」

 

激しい風雨。台風が通過していった。携帯がすごい不調となっていくとともに、自分も壊れていくような思いに襲われている。4年目となる相馬市への学生おはなし活動をめぐってとんでもない思い違いをしてしまった。各方面に大変なご迷惑をおかけしてしまった。なんだか怖くなるような思い、自信を失った。これからの自分の在り方にブレーキをかけたい。

さて、この夏のアニマシオン活動で、鹿児島市立鴨池小学校の学校図書館の活動を拝見した。その中に、「子ども選書会」があった。全校生徒が用意された300冊ほどの中から「これがいい!」という本に投票する。そうして選ばれた本をほぼすべて購入している。限定的な予算の中では購入されないだろうと思われるタイプの本も買っている。だから、子ども達は意欲的にこの選書会に参加している。購入されるだろうと思えば、責任感も生じる。

「子どもが選ぶ文学賞」は、「第3回高校生直木賞」がある。『オール読物7月号』(文芸春秋)が詳しく紹介している。これは、フランスから広がった「子どもが選ぶ文学賞」の活動としてヨーロッパで広く行われている。フランスの実際の様子を翻訳家の辻由美さんが『読書教育――フランスの活気ある現場から――』(みすず書房2008年)で詳しく紹介している。その発端となった「高校生ゴンクール賞」が、日本でも大きな影響を及ぼしているのだ。

私は2009年3月、第1回フランス・アニマシオンツアーにおいて、クレルモンフェラン市の公共図書館で、「クロノス賞」の様子を拝見することができた。クロノス賞は幼児から高校生までが6つの年齢層に分かれてそれぞれの候補作品を読んで選んでいく活動である。私たちが参観したのは幼稚園児・小学1年生の部(ピンク候補作)と2~3年生の部(グリーン候補作)である。

子どもたちは先生に引率されて、図書館のアニマシオンホールに入ってきた。アニメーターである司書が候補作品について1冊ずつ内容を質問しながら再確認をして、ちょっと論議も誘う。そして、投票。傍らにボランティアの「立会人」がいる。ここに図書カードを示し、投票。低学年は本の表紙の縮小カードから選んで帳票箱に入れる。その結果を持って選ばれた代表が、これが次第に市~県~全国へと繰り返されていく。フランスの置けるこの活動の特徴は、単なる〔人気投票〕に終わらせないことだ。必ず討論を積み重ねていく。

さて、この活動の位置づけである。一般に子どもたちの本は、おとなが選んでいる。子どもの環境は大人に用意されたものだ。読書環境の場合もそうだ。それに対して、子どもは「意見表明・参加」の権利を持っている。いや、本来、市民は自分の環境に対して発言できるし、変更を求めることができるし、創りだしていくこともできる。それを、子どもの時から経験させ、主権者としての自覚を育てていくのが、「子どもが選ぶ文学賞」なのである。

だから、クロノス賞の場合も、上級生や中・高校生の選考会は市議会議場や市役所ホールを設定したり、本物の投票箱を用意したりしているということだ。「立会人」も選挙の場合と同じような体験ができるようにしている。図書館利用者カードを示すのは、「投票権資格者」を示すのと同じ行為なのだ。

今回の参議院議員選挙で、18歳からの投票権実施に対して、高校で模擬投票が行われたりして学習されたが、それは日ごろのあらゆる場面において市民教育としての位置づけの元に行われるべきものである。アニマシオンは「自立した市民を育てる活動」だと位置づけられていることをあらためて自覚したい。長くなりました。

AD

 

8月20日(土)曇りしばしば雷雨 どう読む?=ロアルド・ダール『オ・ヤサシ巨人』

 

代々木のオリンピックセンターで日本子どもの本研究会の第2日目。午前中、「小学生と読書」分科会に参加した。アニマシオンクラブの藤條さん、宮崎さんが報告者の中に加わっていたからだ。

宮崎さんは「子どもたちに本をとどける」活動を、具体的な絵本をとおして話した。印象的な本がたくさん紹介された。藤條さんは『にじんだお話し』のアニマシオンを実際に展開して好評を得た。おかげで本もたくさん売れた。

鹿児島やこの研究会の報告はまた、ホームページなどでも行っていきます。

さて、このブログは「子どもの本の語り部」たるページなので、できるかぎりはとりあげていきます。もうすぐ映画で、ロアルド・ダールの『オ・ヤサシ巨人』が上映される。図書館で借りて読んでみた。もうお読みの方もいらっしゃるでしょうが、いかがなご感想をお持ちでしょうか?

孤児院の少女ソフィーが、「オ・ヤサシ巨人」に巨人国に浚われて、一緒にルラス。この巨人は草食系でまずいおばけキュウリしか食べないが、ほかの巨人たちは人間(ニゲンマメ)を食べるのだ。それも子どもも丸ごと食べて、食い散らした骨を残したりする。ダールの作品のブラックユーモアは分かるが、私はなんだか気持ちが悪くなるような感想を持った。他にも、いくつかの国の名前をパロディ風にしてその国の人間を食べる。映画ではどうするのだろうか?

「おもしろかった」という感想ではない取り上げ方ですので、感想を話し合う機会を持つような読み方が必要なのではないでしょうか。

中村妙子訳、評論社2006年

 

8月19日(金)曇り 2つのアニマシオン講座=鹿児島&日本子どもの本研究会

 

ブログ再開しますが、なんだかちょっと落ち着かない毎日になっています。

16~18日が鹿児島でした。「子どもの本かごしま」が開くアニマシオン講座です。もう13年続いていて、今年も120名もの人が参加するのだからすごい。これを基軸に私の一年は回っています。鹿児島に向けて新しいアニマシオンを考案してこれから過ごすという感じです。

今年は「図書館のハローワークを考案。図書館のちょっと開かれなくなった本の登場人物たちが新しい会社(お店)を考えて仕事を創りだすという設定です。人物カードが大変でした。かなり心配していましたが、鹿児島でも、子どもの本研でもすてきなアイデアのお店・会社が登場しました。鹿児島と東京のちょっとした違いは、東京の皆さんは癒し系(飲み屋、カフェ・・・)、鹿児島の皆さんは起業系(葬儀屋までも…)。同じなのは宅配や旅行社系と言うことかな…?

明日からは様々な地域等の研修会巡りです。今日は午後、スマホの修理に生行きましたが(ショートメールが使えません。特に受けることができません。必ずGメールかライン、FBメッセージでください)うまくはいきません。結局は機種変更かということになりそう。皆さん、当分の間、よろしくご配慮くださいね。



8月15日(月)曇り 本が主人公の楽しい物語=『まだ名前のない小さな本』

明日16日~18日、鹿児島のアニマシオン講座に行きますので、ブログをお休みします16日は学校図書館における司書の役割や司書教諭との提携、そして、親子20分間読書運動を提唱した無鳩十先生の役割などを学習します。
17日は午前が岩辺「図書館のハローワーク」アニマシオン、午後が笠井英彦さんの「トイレットペーパーのアニマシオン」です。もう120名の申し込みとか。18日は午前が親子で楽しむワークショップ「わすれられないおくりもの」。笹島智美さんにも登場してもらいます。『子どもの心に本をとどける 30のアニマシオン』(かもがわ出版)の1~4のアニマシオンです。
「ハリーワーク」は本邦初公開のアニマシオンで、19日には代々木のオリンピックセンターの「日本子どもの本研究会」の分科会でも行います。
このアニマシオンは、『まだ名前のない小さな本』(ホセ・アントニオ・ミリャン著、晶文社)から得たヒントです。ヒントと言うより、ばっちり「図書館で行われるハローワーク」が描かれているのです。小さな本が自分がなかなか成長できない原因を求めて、図書館を探検する話です。設定がユーモアたっぷり。ぜひ読んでみてください。
今日は丸木俊、位里『おきなわ 島のこえ』を紹介したいと思っていました。丁寧に取材し、隅々まで沖縄戦の真実おうぇが着込んだ絵本です。語り継いでいかなくてはなりません。保塚図書館の本
では、しばらくお休みです。ファイスブックは記入します。


8月14日(日)曇り 夏休みの話=『ゼツメツ少年』

「ゼツメツ」とは、絶滅。絶滅していった動物たち。はるかの昔には恐竜たちがゼツメツした。大陸が一つであったころ、陸から海へ生きる道を選んで移動していったクジラのような動物たちがいた。彼らは生き残る道を海に選んだわけだ。
学校や家庭で居場所を失った「ゼツメツ」危惧状態の子ども達がいる。中学2年のタケシ、5年生の少年リュウ、少女ジュンの3人は、不登校の子どもを持つ親の会が開いたキャンプで知り合い、家出する。そして、「ゼツメツ」から逃れる道へ進む。それはこの世界を離れることだった。小説家の「センセイ」が3人の依頼を受けて彼らの物語を豊かにしようとし、記録もしていく。しかし、彼らの「意思」を替えることはできない。
「想像力の奇跡を信じ、哀しみの先にある光を探す、驚きと感涙の長編」と、カバー後ろの紹介にあるが、だいぶ違う印象を受けた。子どもを巡る現実はあまりに重いということだ。文庫で500ページ。かなりの厚さ。しかし読み始めたら、やはり結末が心配になって惹き込まれた。子どもより大人にすすめたい。重松清『ゼツメツ少年』新潮文庫2016.7、750円

庭の弦の花のネットにセミがとまっている。なんだかはかないなあ。年々セミの声も少なくなっている。庭に来る雀も減っている。増えているのは、やぶ蚊くらいか(笑)。絶滅危惧種はあっちにもこっちにも。



8月13日(土)晴 学生時代とは何か=『作文と教育』9月号に書きました。

学生時代から日本作文の会に参加し、夏の集会にも若い時はずっと参加していた。その後は教育科学研究会に重点を移してきたが、葛飾で作文サークルを再建させて、これはもう35年余りも続いている地域サークルとなっている。
機関紙『作文と教育』9月号が、「キャリア教育って何だろう?」という特集を組んでいる。小・中・高校・大の教師がそれぞれの実践を報告している。大学生については、私が
頼まれてまとめてみた。ぜひ目を通して、ご批判、ご意見をいただきたい。
私は、キャリア教育について論ずることはできないとお断りしたが、学生がどのように自己形成をして、旅立っていったかについては、報告したいと思った。学生に替わって発言したいことがあるからだ。18~22歳の青年期を過ごす大学と言う場は、人生を拓く上に非常に大きな位置をなす。大学側はあたかも、未熟者に道を示すかのように設定した線の上を歩かせようとする。「はみ出すこと」を許さない。
しかし、この時期を振り返ってほしい。「自分とは何者か」「この世七課はどうなっているのか」「この時代に対して自分はどのように関わることができるのか」…、しっかりと向き合う時期である。進む道も変更することも多い。私は文学部から入って教育学部から出てきた。
小論を書くにあたって卒業3年目になるゼミ生数名に集まってもらってインタビューし、アンケートに書いてもらった。あらためて彼女たちが「おとな」なんだと見直した。本来、大学政策や教育政策については若者たちの意見表明がおおいに受け入れられなければならない。もっと若者が大事にされる社会を作っていかなくてはいけない。そんな思いを強くしたのだ。

8月12日(金)晴 こやま峰子詩集『未来への伝言』

詩人・こやま峰子さんが新しい詩集を出された。ご自身の戦争~戦後体験を踏まえて、次の世代に語り継ぐメッセージである。
1. あの頃
2. 新生
3. 願望
となっている。
「あの頃」には、「千人針」「愛国の母」「縁故疎開」「たえしのぶ」などが並ぶが、この言葉も辞書が必要になっていくのだろう。
「 発車
いねむりしている間に
すっかりかわってしまう
車窓の 景色のように
悲しみがすぎてほしい

いつまでも戦争という
車窓の 景色のまま
発車しない列車

…(中略、そして、戦争は終わる―岩辺)
原子爆弾を 広島 長崎に落とされ
苦い敗戦 苦い降服 けれど行く先は
きっと きっと 幸福駅のはず
どこかに きっと あるはずの
幸福という名の終着駅 」
「新生」は、戦後の復興期を書いている。私はこの頃からを共有している。だから、私にとって「戦後」という響きは、「ギブミーチョコレート!」と「闇市の賑わい」である。
こやまさんは、「メーデー」など民主主義を勝ちとる闘いをも描いている。
「願望」は、清酒運と共に参加してきたデモ行進や「沖縄の心」、世界への足取り「ボスニア・ヘルツェゴビナへ」など幅広く書かれている。
この本を手にしたときは、ちょっとドキッとした。いわば「遺言」のように受け取ったからだ。しかし、私たち世代はこやまさんが表したように、語り継ぎ、たたかい継ぎ、バトンをたしかに手渡していかなくてはいけない。その意味でも、読み、手渡していきたい。(藤本将画。未知谷2016.8、1,500円)

8月11日(木)晴 映画「奇跡の教室」

笠井さんとフランス映画『奇跡の教室』を観た。朝の回が満席だった。予約しておいてよかった。チラシの解説を借りながら紹介します。
「貧困層がクラスパリ郊外のレオン・ブルム高校」が舞台。その中でも落ちこぼれの集まる1年生の教室。担任は歴史のアンヌ・ゲゲン先生。年配である。先生は荒んだ生徒たちに「歴史の本を作るコンクール」挑戦させる。初めは抵抗していた彼らが、次第にのめり込み、アウシュビッツの生存者の体験談を聴くととともにお互いの人種や肌の色、性を越えて仲良くなっていく。そして、ついに全国優勝をなす。事実に基づく物語には説得力がある。教師とは「生徒を信じる」ことだとあらためて教えてくれる。
かつては、このようなドラマは日本中にたくさんあって、映画化もされた。いや、いまだって、小さなドラマは生み出され、蓄積されている。だからこそ、日本の100万の教師はこんなに多忙で、やりきれないような気持ちにされている現実の中でも仕事を続けているのである。マスコミと言うか、報道の人々も丁寧な目を現場に注いで、光をあててほしいものだ。
さて、午後から「私たちは『買われた』展」を観に行った。売春を重ねざるを得なかった少女、若い女性の体験が綴られている。すべてを読むのはとても辛い。教師である者が、その買人である、加害者である例も複数ある。この現実はしっかりと直視しておきたい。若い人がたくさん退場していたことが希望だった。
11~21日、神楽坂セッションハウスにて。一般1,500円。高校生以下無料。東西線神楽坂①出口より5分。