2月24日(金)晴 世界に一冊の本をつくる②=おもしろ「しりとり」

 

とても簡単な絵本作りです。谷川俊太郎さんの『しりとり』(和田誠・絵、いそっぷ社)がヒントです。ここでは「ん」がついたら終わり…という約束はありません。終わりのとり方も自由です。

例:さいころ→ロケット→となりのみっちゃん→Cahnce Operation→しょんべん→弁慶…

となっています。とにかく続けるおもしろさ。それに絵をつけていくと、楽しくなります。

コツは、きれいなノートで仕上げることです。大切にします。

春めく=ゆあんの保育園でのお雛様。

AD

2月23日(木)雨のち曇り 世界に一冊の絵本をつくろう

=①夢の電車との旅:『かぜのでんしゃ』

 

教室で、家庭で、今でなければできない一冊の絵本を作ってみましょう。「今でなければ…」という意味は、今日という日は再び来ないからです。来年でも、10年後でも、またできるのですが、その時は生活も、感情も変わっているでしょう。この顔ぶれ、今日という今。

文字の無い絵本はたくさん出ています。まず、『かぜのでんしゃ』(谷内こうた・絵と文、講談社)がおすすめ。草原に一人座っている少年。扉の絵から始まっています。

――めを とじて

――めを とじて

かぜのおとを きこう

――とおくから

――ほら とおくから やってくる

――かぜのでんしゃ

という5場面の後に、電車に乗って、旅に出る少年が描かれます。そして、電車と別れる11場面の後に、

――めを とじれば

――めを とじれば

やってくる かぜのでんしゃ

という2場面があります。

空白のページに直接に書き込むと、消したり、直したりする汚れが生じるでしょう。まず、コピー用紙などに書いて、読み上げるといい。教室なら、11チームに分かれて、場面を分担し、順に輪になって、開きながら読んでいくといいものです。

家庭なら、一人ずつ分担して書いて、ページを開きながら、担当場面を読んでいくといい。コツは、およその長さを約束しておくことです。慣れたら、一人で物語を思う存分に書くといい。

AD

 

2月22日(水)曇り 『世界』の「学び方改革」特集

 

雑誌『世界』3月号が、「学び方改革」を特集している。2017年委改訂される学習指導要領を検討しているものだ。その冒頭が、朝日新聞論説兼編集委員の氏岡真弓さんと日本教育学会会長・広田照幸さんとの対談「新しい学習指導要領は子どもの学びに何を与えるか」という対談になっている。

広田さんは批判と共に可能性を提起している。全否定的な批判の方がやりやすいし、仲間の大向こうをうならせることにはなるが、それでは進まない。ただ、二人ともに指摘しているのは、現在の貧困な教育環境と疲弊した教員の現状では成功できないということだ。

「条件整備のないままの中途半端な改革は、学力の階層差を広げる危険があります」(広田)ということだ。

氏岡さんはこうも話している。

――最近の教員意識調査では、「裁量は要らない」と答える教員も多く、学習指導要領から逸脱したときは教育委員会に指摘してほしいという教員が増えているとのデータもあります。――

現場を離れて長いので、最近の職員室の様子は若い人たちから聞くだけだが、このような空気は感じている。笑顔なき教室、ダジャレの笑いさえ起らない。ある県の研修会に呼ばれて授業を参観した後に、ホテルまで送ってくれた方が、「もはや軍隊の雰囲気ですよ。」と嘆いていた。

広田さんは「生徒個人の家庭の文化的、経済的な背景が影響し、格差を広げかねない」として、こう話している。

――「主体的に学ぶ」ということを期待した教育方法が、学習が進む生徒と時間を浪費する生徒との格差を増幅させてしまう可能性は、残念ながら非常に多いのです。ですから、一つには、ほとんどの生徒には従来型の学習が依然として必要なのです。――

ぜひ、ここから読んで、論議を始めていきたいものだ。

AD

2月20日(月)曇り 回文『おれはレオ』&読書会『テオの「ありがとう」ノート』

 

新学習指導要領に「回文」などの言葉遊びが入るようだ。佐々木マキ『おれはレオ』(理論社2006年)もその一冊。これは3つの短編から成っている。

主人公は女の子。腹を減らした動物たちと知恵比べで生き残りを賭ける。だから、ヒヤヒヤしても、必ず女の子が勝つ。先に3回間違えた方が負けという約束も繰り返し。

1.バナナくだサイ

2.おろちイチロー

3.おれはレオ

ものすごい数の回文を投げ合う。食べものにちなんだ回文や、人命にちなんだ回文など、本当に知恵比べだ。この中からおもしろいのを20~30ほどメモしておけば、当分困ることはないだろう。

「ママのまな板のタイ生のまま」「たしかに八百屋に貸した」「タイツがきついといつ気がついた」「はげ頭にアゲハ」「とーさん小鳥とコンサート」・・・・。

いやいや、自分で考えるから、言葉遊びでしょう。知っている限りを争うのでは、〈知恵比べ〉とは言えない。

今日は、アニマシオンクラブの銀(シニア)読書会。テキストは、『テオの「ありがとう」ノート』この本の紹介は依然、書きました。会の様子は機関紙『ファンタジスタ』またはHPで紹介しています。

 

2月19日(日)晴 葛飾作文の会&『子牛の春』

&春めく②モクレンのつぼみ

 

春めく・その2=モクレンのつぼみ膨らむ。

昨日は葛飾作文の会だった。しばらくぶりの参加できた。若い二人の女性の実践報告。Sさんは2年生の担任。添削の仕方を教えてほしいということでマインド・マップで取材指導をして、それに基づきながら400字程度の作文を書かせている。中には2枚、3枚と書いている。先生の一生懸命さが伝わっている。

「だい名をくふうしよう」「作文書き出しをくふうしよう」「作文の中にうごき・音を入れよう」「文のおわりをくふうしよう」という4点に注意を喚起している。子どもはそれをよく聞いていると思った。

「きんちょうしたよさこいエイサー」「うまくできた学しゅうはっぴょう会」「よさこいエイサー、たのしいよ」「きんちょうするね、スイミー」「あせなみカキカキうんどう会」等々。「あせなみ」は「あせとなみだ」。

学習発表会のスイミーでは、先生が「みんなが主役よ」と繰り返し話したのだろう。

「スイミーだって、赤い魚だって、くらげだって、いせえびだって、まぐろだって、うなぎだって、みんなみんなだいじなしゅやくです」

と書いていた。この子はスイミーのオーディションの落ちてくらげになった。「くやしいくやしいくやしいと何ども何どもいいました」と書いているが、自分を納得させてがんばったのだ。

2年生としてはずいぶんしっかりと書き込んでいる。先輩からのアドバイスは、「いいところ、良く書けている所をいっぱい見つけて花マルをつけてあげたら…」ということだった。私もその通りだと思う。赤ペン添削を真っ赤にして書き直しをさせていれば、「作文はもうイヤ!」という気持ちにさせる。また、先生の方も疲れてしまう。ただ、作品の読み合わせ、交流が大事な学びあいだ。

S先生は学年の申し合せとして、通信は出さないということになっているので、作品を読み合うようなプリントはできないという。そういうことが最近よく聞かれる。彼女は任期付き採用の身である。実践を委縮させている。「そういう時は、『授業資料』としての『一枚文集』を出したらいいよ」というアドバイスがされた。

もう一人は、W先生。持ち上がりの4年生担任。4年目。学級通信を出して交流している。毎週金曜日に200字日記を宿題にしている。ただ、やらねばならない課題行事が実践を縛っている。年6回の俳句作り(廊下に掲示)、毎学期1回の「おすすめの本の紹介」(廊下に掲示)「新聞を作ろう」(6.9月)。今は「わたしの研究レポート」作りだ。その取材、構想指導などが機械的、一律的な手法を強いている。

200字の日記指導を活かして、それを3つ~5つ積み重ねてひとまとまりの「研究レポート」とするための切り口をアドバイスした。感想に流れないこと(…おもしろかった。…楽しかった。…強く心に残った等々)。冷静な描写、説明を基本にすることだ。

それから立石に出て、一杯。これがあるからやめられない!

私は、しばらくぶりに『子牛の春』(五味太郎、偕成社)2冊の〈並び読み〉を紹介した。低・中学年や図書委員会の集会活動用だ。2冊を並べて(2人が並んで)次々と開いていくと、変化が楽しめる。場面の数だけ用意できれば、並んでやるとさらにおもしろい。

 

2月18日(土)晴 これは便利!=『賢治童話ビジュアル事典』

 

昨日は春一番が吹きました。春めいてきました。庭の小さな花たちのご挨拶です

その1.アッツザクラ

国語教科書の文学教材も名作と呼ばれて数十年。かつては登場する人物や暮らしの道具、風景、会話などが身近のものであったが、今となってはかなり説明が必要になっている。そんな時に、これは便利と言えるビジュアル事典が出た。「みの帽子」の子どもの写真はまさに一目瞭然。解説も的確。そして、賢治の作品で登場する物語が紹介されている。『かさこじぞう』『ごんぎつね』『わらぐつの中の神様』…にも使えよう。まず、さらさらと見ておくと、基礎知識としていい。社会科にも役立つ。見ているだけでも楽しい。

「萱ぶきの小屋」――『セロ弾きのゴーシュ』の住んでいた水車小屋はこんな風だったろう。これにはガラス窓はないけれど…。

1.光と空の章…幻灯、アセチレンランプ、風なんかもある。

2.土と草の章…モリブデン、やまなし、かしわばやし…

3.しごと…ふいご、発破、毒もみ、三角標、活字なども…

4.暮らしの章…かんじき、鼻めがね、セロ、蓄音機…

5.食べものの章…西洋料理店、カリメラ、薄荷、くまの胆(い)…

こういう章と綱目の設定も参考になる。このように設定を考えて、手分けをして調べ、一冊の「図鑑」を作成するのもおもしろい「読解」だろう。自分ではちょっと買えないので、学校図書館には置きたい。そうそう、表紙は『どんぐりと山猫』ですよね。

『賢治童話ビジュアル事典』中地文監修(岩崎書店2016.9)6,000円

2月17日(金)晴 読み比べる=『長ぐつをはいたねこ』

 

新学習指導要領に「批判的な読み」が明記されたというが、私は「主体的な読み手を育てる読み」と言いたい。その分かりやすい一つは、「読み比べ」だ。数年前から、新美南吉の「ごんぎつね」の挿絵を様々に並べ、どれがふさわしいかそれぞれの根拠を文章に求めて論議するという手法を提起して、ワークショップを開いてきた。

ここに、2冊の絵本がある。いずれも『長ぐつをはいたねこ』だ。ハンス・フィッシャーぶん・え、やがわすみこ訳、福音館1980(以下、矢川本)。マーシャ・ブラウン絵、光吉夏弥訳、岩波書店1996(以下、光吉本)。*光吉本では、原文は誰によるのか、書かれていない。地域図書館にたまたまこの2冊が並んでいたにすぎないのだが。

これを3~4人くらいのチームに分かれ、テーマを分担して比べていく。ストーリー、挿絵、表紙と想定、ねこ・主人(粉屋の息子)・王さま・お姫様・魔法使いの大男(人食い鬼)の描き方等々。

挿絵は好き好き…と言える。でもそういう風に言ってしまえば、みんなで分析しあっていうことのおもしろさを棄ててしまう。「根拠を持った意見表明」を大事にしていくことがポイントだ。

私が抱いた読後の印象として決定的な違いとして感じたことは、この御主人様である粉屋の三男に尽くす飼い猫のキャラクターの描き方である。光吉本は人物像が現代的で、ネコが活躍が際立ち、最後は、

「長ぐつをはいたネコは、大とのさまになり、ネズミをおいかけるなんてことは、もう、あそびにしか、しませんでした。」

と結ばれる。つまり、ふつうのネコではなくなる。

矢川本では、ねこは知恵を働かせるが、二本足で慣れない長ぐつをはいて歩くことに苦労し、農民を脅かすために怖い顔の練習をしたり苦労を重ねる。そして、御主人様を幸せにした後は、「ふつうのねこ」に戻るのである。

「うちあけばなし、いまひとつ。――やれやれ、ようやく、長ぐつとおさらばすることができて、ネコはしんからほっとしましたさ。」

と、結ばれる。

表紙裏にも矢川本には目を光らせたたくさんのねこが描かれて、ねこの持つ不思議な力に引き込ませている。

さあ、あなたなら、どう読みますか? 「ねこ」派? 「ネコ」派?

あたたかい今日。春一番があるかと予報されています。庭にはひよどり(?)が来ています。梅にはハトが花を食べに来ています。

 

 

2月16日(木) 読了! 『アウシュヴィッツの図書係』

 

やっと読み終えた。途中でやめることはできなかった。16歳の少女、エディタ・アドレロヴァ(ディタ)。本名ディタ・クラウス。強制収容所をたらい回しにされながらも希望を失わず、生き抜いた。現在は(この本の出版された)イスラエルでお元気に過ごされている。アウシュヴィッツでは、家族収容所の中に秘密に設けられた子どもたちのための「学校」で8冊の本と「6冊の生きた本(語り部)」とを管理する図書係をした。本を読むこと、学ぶことが禁止されていた。その中での勇気ある行為だった。

ある女性は不安におびえるディタにこう言う。

「ナチスは私たちから何から何まで取り上げたけど、希望を奪うことはできない。それは私たちのものよ。連合国軍の爆撃の音も前より大きくなってるわ。戦争は永遠に続くわけじゃない。平和が来たときの準備もしなくちゃ。子どもたちはしっかり勉強しておかなければね。だって、廃墟になった国や世界を立て直すのはあなたたち若者なんだから」

作者はこういう。

「学校を閉鎖したけりゃすればいい、彼は言う。誰かが何かを伝えようとし、子どもたちがそれを聞こうと周りに集まれば、そこが学校になるのだから。」

作者は巻末でこう述べている。

「アウシュヴィッツ=ビルケナウに秘密の学校を開き、こっそりと図書館を運営するために命を危険にさらす人間がいたということを聞いても、感銘を覚えない人もいるだろう。勇気ある行動ではあるが、絶滅収容所でもっと差し迫った問題があるときに、それは無駄なことだと考える人もいるだろう。本では病気は治らないし、死刑執行人たちを打ち負かす武器として使うこともできない。空腹を満たすことも、喉の渇きをいやすこともできない。それは確かに事実だ。人間が生き残るために必要なのは、文化ではなくパンと水だ。それさえあれば人間は生きていける。しかしただそれだけでは、人間性は失われる。もしも美しいものを見ても感動しないなら、もしも目を閉じて想像力を働かせないなら、もしも疑問や好奇心を持たず、自分がいかに無知であるかに思いが及ばないなら、男にしろ女にしろ、それは人間ではなく、単なる動物にすぎない。」

そうそう、警告もある。

「戦争は氾濫した川に似ている。いったん溢れた川は、もうもとの流れには戻せない。小さな堤防を築いたくらいでは、濁流にのみ込まれてしまうのだ。」

これは私たちへの警告だ。

アントニオ・G・イトゥルベ著、小原京子訳『アウシュヴィッツの図書係』(集英社2016.7)

 

先日の同窓会で幹事が用意してくれた武井壮君(5年生を担任)の『勝つ人』(文芸春秋)のサインは、ちゃんと幹事が頼んでくれた直筆でした。横から飲んだ勢いで茶々を入れたK君からお詫びの電話、世話役のY君はブログに説明を入れてくれました。同窓会では「武井壮、亀有を訪ねる」番組のビデオも流され、同窓会メンバーが歓迎していた。その時に頼んでくれたのだ。同窓会の日は沖縄に仕事が入っていたので参加できなかったということだ。ありがとう。あらためて写真を掲載します。そして、当日の名札とと共に。

2月15日(水)晴 「ことばあそび」

 

新学習指導要領では、小学校国語の1,2年生に語彙を増やすという活動として、回文などを行うとある。「しんぶんし」とか「トマト」なんかをやっているうちはいいが、「わたしまけましたわ」などと次第に長くして、宿題に出たりしたら、涙だ。そうなると、このような本が売れるのだろう。これは作者が楽しんでやっているからこそ、読んでいて楽しい。宿題のために、覚えるために読むとなったら苦痛でしかない。覚えたから語彙が豊かになったというものでもない。そのために本が売れだしたら、作者たちはちょっと戸惑うだろうなあ。「そんなつもりじゃなかったのになあ…」と。

語彙を増やすということでは、大原則は自由な読書だ。そして、のびのびとした友達や家族、人びととの会話だ。静かなる、孤独の学びでは語彙が豊かに身につくはずがない。語彙は「与えられる」ものではなく、「獲得する」もの、「身につけていく」ものだ。

これからの先生たちも大変だなあ。笑っちゃいけない、まじめな顔で「ことばあそび」をしようというのだから。にらめっこじゃあるまいし。「遊び」に目的が設定されたら、もう遊びじゃないでしょう。息抜き、息抜き!笑い声があふれる教室にしよう。