6月28日(火)雨 ブックトーク第7章じじ・ばば
⑫シンプル is ベスト=『うさこちゃんの だいすきなおばあちゃん』

第7章のラストは、ディック・ブルーナの『うさこちゃんの だいすきなおばあちゃん』(まつおかきょうこ訳福音館2008)。たった12場面の「別れ」です。
第1場面で、おばあちゃんが死んで泣いているうさこちゃんです。
第2場面は「ねむっているようですが もう いきはしていません」
第3場面は悲しむおじいちゃん。
第4場面はひつぎの中のおばあちゃん。
第5場面は涙を流す家族。
そして、お墓でお別れです。
見送る家族は後ろ向きです。
余分な感情的な表現は一切ありません。ブルーナー自身が言っているように、「シンプル イズ ベスオ」なのです。
さて、これで第7章じじ・ばばはおしまい。
ちょっと雑談をして、次を考えます。




AD

読書のアニマシオン研究会7月例会おさそい

日時:7月2日(土)13:30~16:30(閉会時刻修正しました)
会場:明治学院大学白金キャンパス2号館2201教室
内容:ショート・アニマシオン=「詩でアニマシオン」(渡部康夫)
ワークショップ=「なぞときブックトーク」(宮崎大策、島崎悠一)
*『子どもの心に本をとどける 30のアニマシオン』㉘を新バージョンで行います。
二人はこのために何度も図書館に足を運んで、あらためて「図書館の面白さを発見した」と語っています。楽しみです。
*なお、開会に短い〈語り〉を、岩辺が行います。今回は第6回です。開会に間に合った人だけそのカードがもらえます。6枚目になります。
参加費:500円
*終了後、希望者は打ち上げがあります。品川駅周辺です。
*8月は行いません。9月3日「今日は君が映画監督――映像のアニマシオン」(笠井英彦)です。
AD

6月27日(月)晴 第7章じじ・ばば
⑪「死を教える」教材としての期待=『1000の星のむこうに』他

昔話のおじいさん、おばあさんは死ななかったのです。ところが、高齢化社会・大長寿時代に入ったのに、目の前のおじいさん、おばあさんは死んでいくのです。昨日は、認知症になったおばあちゃんの絵本を2冊取り上げました。不思議なことに、「わすれても好きだよ、おばあちゃん!」というのは、まさにおばあちゃんだけで、おじいちゃんの場合は(死んでも)『おじいちゃん わすれないよ』(ベッテ・ウェステラ作、ハルメン・ファン・ストラーテン絵、野坂悦子訳、金の星社2002)となる。かいぞくごっこなんかをしてくれた大好きなおじいちゃんが亡くなる。ぼくは納得できない。おじいちゃんがいつもぼくと遊ぶ時に使っていた赤い大きなハンカチをママが渡してくれる。ぼくが泊りにいくとき、おじいちゃんはそのハンカチに一つ結び目を作って待っていてくれた。ぼくもいま、一つ結び目を作って、おじいちゃんをわすれないようにする。すごく好きな絵本。
『1000の星のむこうに』(アネッテ・ブライ文・絵、木本栄訳、岩波書店2007)は少女からの視点。大好きなおじいちゃんの死を受け入れることができないリサ。葬式が終わって、夕闇の庭に出る。ママがやさしく話しかける。
「目をとじて、ケーキを思い出してごらん」と。リサはいろいろなケーキを思い浮かべる。
「おじいちゃんはただ見えなくなっただけだと思う」とママ。
リサはその意味がわかってくる。
「おじいちゃんは、数みたいだね。さいしょからわたしのなかにあって、ずうっとずうっと、おわらないの」と。
ジョン・バーニンガムの『おじいちゃん』(谷川俊太郎訳1985)も女の子の孫の目。おじいちゃんと過ごした日々のことがずっと描かれる。そして、病気になったおじいちゃん。ラストは、おじいちゃんのグリーンのソファが誰もいないまま描かれている。
『じいじのさくら山』(松成真理子作、白泉社2005)は、大好きな1冊。三省堂の国語教科書編集にあたってぜひ採用したかった絵本。じいじはうれしいことがあると山に桜の樹を植えた。おれはじいじとそのさくら山に散歩に行く。じいじが病気になって、おれはさくらの木にお願いする。春が来て、じいじとさくら山に行くと、なんとヤマハいっぱいに桜を咲かせて待っていた。その晩、じいじは死んだ。山は桜の名所となってにぎわっている。『おじいちゃんのごくらくごくらく』(西本鶏介・作、長谷川義文・絵、すずき出版2006)、ウルフ・スタルクには『おじいちゃんの口笛』(ほるぷ出版1995)がある。
これらに描かれている死を受け入れる子どもは、およそ9~12歳くらいである。理屈が分かりはじめ、かつ思春期にどっぷり入ってはいない。柔軟で、まっすぐな児童期である。
高齢者諸氏よ、心したまえ。イギリスのように、若者の行く末を高齢者が閉ざしてしまうような(国民投票)ふるまいは決してしてはならない。我々は静かに退場するのみである。(とはいえ、選挙にはしっかりと参加しようではないか)



AD

6月26日(日)晴 第7章じじ・ばば
⑩「老い」の教材として=『忘れても好きだよ! おばあちゃん』他

さて、高齢化社会のなかで、高齢者が果たせる役割がある。絵本でもそれを「期待」する作品がたくさん出るようになった。その第一が「老い」を教える教材としてである。
ドイツから2000年に入って出されている人権シリーズは、とてもよくできた絵本だ。
『わたしの足は車いす』『見えなくてもだいじょうぶ?』『わたしたち 手で放します』。そして、この『忘れても 好きだよ おばあちゃん!』(あかね書房2006)。
(10歳ぐらいかな)「わたし」のおばあちゃんは何か言ってもすぐわすれてしまう。アルツハイマー病だ。友だちが来た時にもとんでもないことを言ってびっくりさせてしまう。
ママがとても上手にその病気を説明してくれる。壁に大きな木を描き、その枝に年代別に知識・思い出のたくさんの写真やできごとを書いた紙を貼る。風が吹いてくると、その葉っぱが散ってしまう。
「いちどに全部散ってしまうんじゃないのよ。根っこのほうの葉は、上の葉よりもしっかりついているの」
「それで、子どものときのことを、よくおぼえているの?」
と…。
いろんなことを忘れても、わたしはおばあちゃんが大好き。
柳田邦男さんの訳『でも すきだよ、おばあちゃん』(講談社2006)も、男の子からの視点で同じようなおばあちゃんを描いている。
では、おじいちゃんにはどういう役割が期待されているのだろうか?
そうそう、TOHOシネマズ日本橋で「朝10時の映画会」という企画が行われている。2週間で映画が変わっていく。今は「ハリーとトント」。妻を亡くし、一人暮らしのおじいさん。11年猫のトントと暮らしている。その古いアパートが撤去となる。息子家族の家もなじめない。こうして娘や次男の家をも転々としながら孤独な老いを過ごしていく。かなり身につまされた。けっこう人気でいっぱいになっている。



⑨癒しの人として=『おおきな木』『くじけないで』

高齢者の役割として、「癒しの人」という期待があらわれた。癒しであり、励ましであるという。5年ほど前にベストセラーとなった柴田トヨさんの詩集『くじけないで』(飛鳥新社)。2010年に出されると165万部を超えた。文庫版が2013年10月。この年1月に101歳で亡くなられた。飾らない言葉がいい。
「 先生に

私を
おばあちゃん と
呼ばないで
「今日は何曜日?」
「9+9は幾つ?」
そんな バカな質問も
しないでほしい
「柴田さん
西条八十の詩は
好きですか?
小泉内閣を
どう思います?」
こんな質問なら
うれしいわ 」

「 神様

お国のために と
死にいそいだ
若者たちがいた


いじめを苦にして
自殺していく
子供たちがいる

神様
生きる勇気を
どうして
与えてあげなかったの

戦争仕掛人
いじめる人たちを
貴方の力で
跪かせて 」

かくしゃくたるものですね。
村上春樹さんが新訳をした『おおきな木』(シェル・シルヴァスタイン作、あすなろ書房2010年)は、小学校国語教科書に入っていた時期があった。一本の樹に遊びの友を求め、実りを求め、家を求め、旅に出る舟を求め、失うものも亡くなった時、老いた子どもがただこしをおろす切り株を提供する。「それで木はしあわせでした」と繰り返される物語。子どもには難しかった。
『1歳から100歳の夢』(いろは出版2006)は、まさに100人の日本人にその夢を聞いてスナップ写真を添えている。それがとても楽しい。アニマシオンクラブの事務局長笠井英彦さんが自分の中学校で生徒たちと「夢」を語り合う授業の導入におもしろいアニマシオンをしている。100歳の矢谷千歳さんは「ひ孫が勉強して出世してくれること」が夢だと言う。とてもつやつやしたお元気な顔だ。毎日することは、するめを食べる、編み物をする、新聞を読む、婦人公論を読むことだそうだ。すごい意欲だ。
いやしとはげましの存在という「期待」は、いまも高齢者に求められる基本的なパターンであろう。(私もその仲間になって思うことは、高齢者はそのための存在ではないということですね。そうっと、安心して暮らせるようにして、放っておいてほしいですね。私たちはもう充分に働いた)
>

6月24日(金)曇りのち雨 ブックトーク第7章じじ・ばば
⑧語り伝え手としてのじじ・ばば

長生きをするようになって、おじいさん、おばあさんはいろいろな期待を担わせられるようになった。まず、一に、歴史の語り手として期待されるようになった。課題図書にもなった『マッチ箱日記』は、典型的な語りものだ。女の子がひいじいちゃんのお店に行く。本屋で、骨董店だ。その部屋の中から一つの箱を選び出す。その中にはマッチ箱が入っている。
その一つずつを開けながら、ひいじいちゃんは貧しかった子ども時代から語りだす。お腹がすくと、母はオリーブの種を渡した。これをなめておきなさいと。アメリカに出稼ぎに行った父からの手紙は学校の先生の息子に読んでもらった。そして、アメリカにわたり、どんな仕事でも一生懸命にやった。学校に行って文字を学び、印刷工になった。
小さな箱の一つ一つが日記になっている。絵が丁寧に、古い写真のように茶色を基調に描かれ、感情をこめずに、時代を理解させてくれる。現在の場面はカラフルだ。このように「歴史の語り手」としてのじじ・ばばは児童文学では大活躍となる。
文・ポール・フライシュマン、絵・ハグラム・イバトゥーリン、訳・島式子、島玲子。BL出版2013)
6月22日(水)曇り 第7章じじ・ばば
⑦愛されている「朝鮮のむかしばなし」=『さんねん峠』

「朝鮮のむかしばなし」と絵本にはタイトルがついている『さんねん峠』(光村図書では『三年とうげ』)は、子どもに愛されている教材である。在日の詩人でもある李錦玉(リ・クムオギ)さんの再話作品だ。友人であるソウルのミラルドゥーレ小学校の鄭基元校長は、「このままの話が韓国に残っているというのではなく、創作だと思うが、韓国人はこのように〈災い転じて福となす〉という逆転の物語が好きなのだ」と話していた。
反物売りのおじいさんが、隣村まで商売に行っての帰り道、あまりに秋の峠が美しいので夕暮れまで過ごしてしまう。そこで、あわてて帰ろうとしたら、石につまずいてころんでしまった。「さんねん峠で転ぶと3年しか生きられない」という言い伝えがある。おじいさんは家に帰ると寝込んでしまった。
それを聞いた水車屋の若者トルトリは、「一回転べば3年しか生きられないならば、何度も転べば、その3倍生きられることになる」とアドバイスする。おじいさんはそれに従って、峠へ出かけて何度も転び、心機一転元気に楽しく生きたというお話。
朴民宜(パク・ミニ)さんの絵が素朴で楽しく、豊かなイメージを膨らませてくれる。アニマシオンとしてもやってみたことがある。光村の教科書では(三年下)、「世界の民話や昔話」を読んで楽しみましょうと誘っている。「韓国」とか「朝鮮」とかは全く触れていない。(教師用指導書ではどうだろう?)
絵本の「あとがき」で児童文学者・内田庶氏は、「作者も画家も女性で、しかも日本生まれの二世というコンビの(朝鮮の)昔話が出版されるのは初めてですし、ユニークです」と紹介している。
初版が1981年2月で、私の持っているのは2008年11月の第31刷だ。広く支持されていることが分かる。その後、松谷みよ子さんの監修で、「かんこく・ちょうせんのみんわ」全12巻が、2000年に出されている。出版社は『ユンボギの日記――あの空にも悲しみが――』のベストセラーを出した(1965年)太平出版社だ。『チゲとおばあさんのとらたいじ』もその一つ。こうして、コリアのおじいさん、おばあさんが今日も日本の子どもたちに愛されているのは、うれしい。

22日

6月21日 夏至

テーマ:


6月21日(火)雨 巡り来る夏至

今日の花は「テッポウユリ」――NHKラジオ深夜便の「誕生日の花と短歌」によれば。これは、歌人鳥海昭子さんが一人で詠まれたものである。今日は、
――テッポウユリの束をかついで 大股の男がひとりぐいぐいといく
というのです。この歌集が大好きで、毎日読んでいる。もう10年になる。
庭のユリはもう枯れてしまいましたが、元気の時の写真です。
今日は夏至。私は73歳になりました。両親の63歳を越え、次兄の73歳を迎え、長兄の77歳を目指します。目標はアニマシオンを本来の「社会文化活性化運動(生涯学習運動)」として広げることです。4月末に『子どものこころに本をとどける 30のアニマシオン』(かもがわ出版)を出しました。この第1部で、「読書のアニマシオン」について整理をしましたので、ぜひご覧いただきますよう。
カバーの絵は、昨年ゆあんの保育園で行った読み聞かせの写真を元にして描いていただいたものです。大好きなこの道を元気に歩きたい。




6月20日(月)晴 第7章じじ・ばば
⑥元気な年寄りの登場

グラフで見るように、日本では1970年から急速に70歳以上の高齢者が増えていきます。その要因はなんだったのでしょう? いろいろな議論があります。医療の進歩もあるでしょう。私は社会生活の変化、向上を背景に、70年前後にいわゆる革新自治体が広がり、岩手県沢内村の深沢村長による乳幼児・高齢者医療の無償化などに見られる社会福祉政策の前進があると思っています。私はこの時に(1967年)、教師をスタートさせました。60年安保の後、社会変革への余熱がおとなたちに残っていました。そういう活気は、人々を「生きる」方向に高めていったと思います。
昔話のおじいさん、おばあさんは死にません。「かちかちやま」のおばあさんはタヌキに殺されてしまいますが、例外中の例外と言えます。多くはおばあさんによって語り継がれていったのですから、おばあさんは元気でなくてはいけなかったでしょう(笑)
児童文学の中にも、元気なおじいちゃん、おばあちゃんが登場します。『もりたろうさんのじどうしゃ』(ぶん・大石真、え・北田卓史、ポプラ社1969年)は、私が教師となった翌年の発行です。
郵便配達員であった田舎の町で働き続け、60歳で勤めを辞めると、児童書の運転免許に挑戦します。そして、おんぼろの中古車を買い、きれいに直します。それを運転して、孫のももこちゃんの住む大きな街に向かいます。
途中、エンジンが焼けて水を汲みに出たすきに、銀行強盗の二人組が自動車を奪って逃げようとしますが、乗っていた犬を踏んでかまれ、あわてて川にどぶん!
泥棒は捕まり、もりたろうさんはお礼に、新しい自動車をもらって、ももこちゃんたちを乗せてドライブです。
こういう創作絵本の中で、元気なおじいちゃん、おばあちゃんが活躍を始めます。そのうち、きんさん、ぎんさんも人気者になるし、100歳を越える人たちも一線で発言するようになりました。高齢化社会がきましたが、日本はまだこれを受け入れ、柔軟に、ゆるやかに、全世代が支え合って生活していく社会の在り方を共有していません。トラブルが絶えないばかりか、「90歳過ぎて生きていくつまりかよ!」と、公言する大臣も平然と居座っている状態です。




⑤おじいちゃんのすてきなプレゼント=『うきわねこ』

ねこの世界です。えびおにおじいちゃんんから、誕生日のプレゼントが届きます。なんと、うきわです。
「どうして うきわなんか くれたのかしらね。このまちには うみもなければ かわもないのに」と、おかあさんは言います。
「つぎのまんげつのよるを たのしみにしていてください。」と、お手紙がありました。
その満月の夜、うきわをふくらませて、ベランダの出ると、うきわはゆっくりと浮かび上がる。そこへ、、やはりうきわに乗って、おじいちゃんがやってくる。空には、翼のある恐竜やヘリコプター、渡り鳥などが飛んでいる。
海に出ると、浮き輪を浮かばせて釣りをする。とんでもなく大きな魚が釣れる。浜辺でたき火をして、その魚を焼いて食べる。
おじいちゃんは言う。
「このうきわは あしたから ふつうのうきわになってしまうよ。いちどしか とべないんだ。こんやのことは ないしょにしておこう。だれもしらない ひみつのさんぽだからね」
ふたりは 夜明けの空を飛んで戻る。えびおは幸せな気持ちで眠る。
蜂飼さんの語りがやわらかい。そして牧野さんの絵がファンタジーの世界に誘う。すごくいい。年を取るっていいですよ。
『うきわねこ』蜂飼耳ぶん、牧野千穂え、ブロンズ新社2011年 1,400円
>