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2005-05-30 11:03:35

駐日大開始

テーマ:日記

plane scenery


無事で日本に到着できました!13時間もかかったにもかかわらず飛行は苦しくもなかったし、お宅で泊まらせてくださった人たち優しいし、日本での初めての日は大体問題はなかった。


大体っていうのは、つまり一つの問題があった。名古屋空港で税関に行って、留学先の住所も電話番号も、さらに泊まらせてくださって人の家の住所も電話番号も知らなかった。留学先はビザの手続きもしておかなかったとかなんて言われて、とりあえず観光者として入国させてもらった。今後はもっとしっかりして記入してください、と税関長に注意された。恥ずかしくてたまらなかったけど、荷物を取りに行っていた最中に笑わざるを得なかった。


そして、問題なんて言えるかどうか俺には疑問だけど、今晩は初めて日本風のお風呂に入ってもらった。僕は普通朝頃シャワーを浴びる人間だけど、お風呂に入るように勧められて、シャワーを浴びたくてもこの家にはないみたいで―シャワーのような蛇口は風呂場にはあるけど小さくて、俺が知っているシャワーというものと匹敵できない―仕方なく妙な風呂場で床机に腰をかけて体を洗って、お湯に身体を浸した。気持良いといえば確かに気持ち良かったけど、多くの時間もかかったし、面倒だった。そして明日起きてから、また風呂に入るのは迷惑をかけそうなことの上、俺にしたってそういう元気はない筈だ。でも汚れた気がしてしまったらどうしよう?ニューヨークでシャワーを浴びずに外に出たことはめったになかった。今彼女が説明してくれたように、日本人はベッドが汚れるのが嫌いで、ベッドに入る前にはいつも体を洗う。そして起きてからさりげなく外に出かける。でもベッドの中に、自然に汗を掻いたり、皮膚のほこりなどが散らしたりするんじゃない?6,7時間も同じところで横たわって、立ち上がってから体はまだ風呂に入ったばかりのすっきりした状態であるとは信じ難い。


日本人って、変わっている登場人物だ。でも意外と優しくて、温かいと、今日一日中感じた。税関申告書を記入する為に、自ら頼まずにペンを貸してもらったりしてから、今日その温かみに応じて、俺はついにこにこと老人の荷物を運ぶのを手伝ったりした。


明日は名古屋を観光者として見物しに行きますが、駐日の第一日の記事をこれで済ませていただきます。

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2005-05-29 02:44:48

時は流れる

テーマ:日記

今日この国を後にする。


出発の直前の考えを書こうと思って、荷物に放り込む前にラップトップを机の上に置いたが、書こうにも言葉が思いつかない。


日常以外のことをする時は、つい信じ難い夢として思ってしまう。だから今から12時間後、飛行機に乗って日本に行って、生まれた時から一緒に暮らしていた人と離れて、ロング・アイランドとニューヨークにずっと戻れなくなるとは、信じられないほど不思議だ。予定通り上智に転入したら、両親と再び会うのはまだ何年間だろう?4年間、それとも二度と会わないかもしれない。全然会いたくはなくても、そう考えると寂しくなる。


寂しいけど、日本に行って、夢を叶える為に少し一人で籠もりたい気持もある。本来日本に行くと共にアメリカの知り合いとの関係を断ち切りたかった。あの時から色々があって、素敵な人も何人も見つかったので、全然話さざるを得ないだが、日本に行ってしばらくいささかに一人に放って置いてほしい。


日本で俺の夢を現実にさせる。俺がなりたい人になる。一日にはできることではないのだが、毎日頑張ったらきっとできる。だから友だちに集中させてほしい。


実は日本でも何処でもいい。今からやることは、日本ならではのものじではない。訪日とは、これからの人生には幕が上がると例える象徴となるだけだ。日本に辿りついて飛行機から降りても、俺は少しでも変わりはしなかったのだ。でもあの時から変わって行く。変わって、上達して、いつか誓った夢が叶う。


今日この国を後にする。楽しんだことにも悔やんだことにも背を向いて新しい道に歩む。

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2005-05-27 03:39:44

long island sound 下

テーマ:日記

oreint sign


自転車にまたがって力を入れて走る。風が背中を押しながら、イヤホンの音楽に漕ぐリズムを合わせて、眩しい太陽の下に燃えているかのように見える舗装を走る。何度も辿った道の上に思い出が走る。



orient point farm


オリエント・ポイントへ行く度、別荘を囲む森を貫く道から始まって、橋と電車の踏切を渡って、それから町と町を繋がせる道路に出る。大きな交差点に着くと、自転車道路はいきなり止まり、車と交じて思い切り漕いで渡り抜ける。渡ってから長い坂に上がって、海を沿って強い潮風を通じて加速して、その勢いで沼地を通す曲がりくねった道路を走る。それからイースト・マリオンという小さな町のメイン・ストリートを走って、農地の方へ行く。麦畑の穂を揺らせる微かな風は、オリエント・ポイントへ進めば進むほど海の匂いをする。そしてオリエント・ポイント、ロング・アイランドの東北の端にあるフェリー場に辿りつく。そこから州立公園に入って、海とカモメを眺めるともなく、人影のない細い道の行き止りまで行くと、太陽に漂白された熱い砂の上に建てられた子どもの遊び場がある。休日には子ども連れの家族は何人も居るんだが、平日の午後には、一人も居ない。唯僕と波打ちの音と大西洋とカモメ。家からオリエント・ポイントは約1時間半かかる。



orient point state park


2003年の夏、毎日その道を行き帰った。毎日必ず行ってきた。或る日、両親も居なかったし、そして月が明るかったから、真夜中にもう一度オリエント・ポイントまで行った。当日ひどい日焼けされた腕が涼しい夜風に吹かれて、木々に漏れた月の光に照らされた道をゆっきりと辿った。でも海沿いの長い右に曲がるカーブに精一杯加速して、坂道を上がったりして、オリエント・ポイントの広い浜に着いたら汗を掻いていた。輝いていた白い満月が空にぼんやりと浮かんだ。漂白されたみたいな砂の上に寝転んで、星々を見た。

いつの間にか居眠りをした。目が覚めると、2時半に近い時間だった。45分寝ていた。



beach water


この頃は夢を見てばかりいる。起きていても夢を見ているのだ。でもそろそろその夢を現実にさせる時間だ。過去の思い出は大切だ。でも過去ばかり見ると、未来に背を向けてしまう。未来とは怖いものだ。前に進むと戻れなくなるんだから怖い。


2004年にも、夏休みをロング・アイランドで送ることにした。高校を卒業して、去年のように体力と日本語の能力、平穏なところで鍛えると思って、初夏の朝早く電車に乗ってロング・アイランドに出発した。雨ばかりの夏だった。泳ぐ機会は少なくて、雨でオリエント・ポイントまで行く気もなかった。偶に興奮して真夜中にジョギングしたが、大体の時間を家の中に潰していた。その為勉強に熱中できなかった。そして毎日2003年の夏の日々を懐かしでいた。



state park water


一生涯が経っても、あの時ロング・アイランドで味わった幸せを二度と見つけないかもしれない。ニューヨーク行きの終電で、外を眺めていた途中思った。


僕は昔から車に乗るのが好きだった。広々と無限に続く道路を見るのが楽しみだった。儚く目の前を横切る光景は、過ぎてしまっては二度と見ない。でも行き先へ進まなければ何もかも無意味だ。ニューヨークの郊外のあっという間に視界から消えてしまう灯を眺めながら思った。いつまでも夢を見ていられない。過去に戻れないから前へ進む。


2年前の夜空の下で、砂浜で立ち上がった自分をこころの中に抱えて、誓った行き先まで歩む。



my bike

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2005-05-24 03:35:57

long island sound 中

テーマ:日記

li marina reflection


僕は最近毎晩夢を見るのだ。起きてはどんどん忘れていくけど、覚えてるのは唯嫌だった。特に悪夢と言うほどじゃないけど、確かに怖い。内容は次の晩まですっかり忘れてしまってはまだ同じように怖い夢を見る。バスの中でも何処でも眠ってはそんな夢を見る。例外とは、この間ロング・アイランドでの深い眠りしかありえない。



long island ferry


ニュー・ロンドンから出発するフェリーは、一日3往復の便で、コネチカットのニュー・ロンドンとニューヨークをオリエント・ポイントに繋いでいる。そのフェリーには3階がある。1階は車が止まって、2階はテーブルや席が並んでいて、そこに人は座りながら大きな窓を見るともなく見て、3階は眺め。つまり、3階はフェリーの屋上だ。冬でも肌寒い潮風に堪えて、1時間20分の旅全部そこに海を眺める人は多く居る。晩春でも意外と寒くて、早く写真を撮って暖かい2階に帰った。



mike garden


オリエント・ポイントに着いたのは6時半頃だった。そこで父親の友だちに会って、家まで送ってもらう筈だったが、彼はそのついでに家に誘って、その日奥さんが釣ったイカをご馳走した。その夫婦が僕が生まれた頃から父親の友だちだった。随分昔のことだけど、父親がウォール街で働いていた頃、その友だちを雇った。あの時に初めて出会って、それからだんだん友人になった。彼は英文を専門して大学を卒業してからIT業界で働いて、若いうちにかなり金持ちとなった。約8年前に買ったロング・アイランドでの別荘は、1億円以上の値段だった。早く引退してから、中国人の妻と同じく中国の子ども2人を養子にした。でも単なる子ども育ちに飽きたかのように、今度はカキ養殖として再び働き始めた。その傍らに1億円なりの別荘の立派な庭を養っていて、彼の家を訪ねる度、子どもが何処かを走り回っていて、おもちゃ等が限りのないみたいに広い芝生と家の片隅に散らかっている。彼らと晩ご飯を食べるだけで自分が疲れるほど忙しそうに見える。とうとう僕が自分の家まで送ってもらったら、やれやれ、と溜息をついて、彼の車の後姿を向いて腕を降った。正確な時間が思いつかないが、夕焼けが西の方へ潜り込んでいた。近所―つまり別荘を囲むマリナと森―を散歩することにした。



li purple cloud

li marina horizon


父親がロング・アイランドで別荘を買ったのは1995年の初夏だった。10年前の話だ。ロング・アイランドでは、そういう長い時間なりの思い出はある。



li marina dock li breezy acres


色々写真を撮った、昔見たことがあった気がした写真と、別荘の周りの美しい風景の象徴となる写真と。


少しずつ暗くなって、そろそろ家に帰った。シャワーを浴びてから広いベッドに飛び込んだ。疲れ切った所為か、その夜は夢を見なかった。そして今学期の寝不足をすっかり埋め合わせた。



li moonlight

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2005-05-20 17:21:41

long island sound 上

テーマ:日記

mike's dock


今日3時頃NYの実家に到着。昨夜NYのホテルで眠って、起きてからはぼんやりと2時まで村上春樹の短編を読んでいた。昼頃はホテルのメイドが勝手に入って、ベッドに横倒れたまま帰した。外は雨が降るのを兆している雨雲が太陽を隠して、湿っぽい道路を走っていたタクシーが懐かしいクラクションを鳴らした。


今日は雨だが、昨日は見事に晴れだった。一昨日も素敵だった。


5月18日の夜。真夜中の少し前、彼女に荷造りを手伝ってもらった。僕はそういうことは苦手だから、彼女がわざわざ僕の寮まで寄ってきて、服をきれいに畳んで荷物に詰めてくらた。すると彼女が結構疲れて、2階のラウンジの寝椅子に寝転んだ。期末試験の為睡眠不足を抱えながらも僕を手伝おうとするしようがない子だが、9ヶ月前クラスで初めて出会った時から、二学期を通して、アメリカに居る最後の約一年間を彼女と一緒に過ごしていてよかったと、今は切に思う。寝椅子の側に腰を下ろして読んでいた。それはUMASSでの最後の夜だった。



umass final


その明くる日、午前6時にルームメートと別れのあいさつをした。僕たちの間には特に親しい関係はなかったが、異常もなかったから感謝していた。二人とも先学期は変態と暮らしていたので、今学期少しでも平凡な境遇があってよかったと思っていた。彼は来年日本に行くかもしれないし、機会があったら再会する可能性はある。再会する人との別れは楽だが、また会う人と会わない筈の人と、どっちかと言えば僕はどっちでも別れをあまり悲しまない。再会する人の上達―背の高さであれ能力であれ―を楽しみにする、再会しない人をどんどん忘れていく。別れの際しくしく泣く彼女を見てから分かった。僕は分かれを悔やむ人より再会を楽しみにする人だ。だから18日の夜に、期待していた人に僕が使った教科書などを渡した。日本の大学で経済学を勉強していく友だちに机の引き出しに重なってきた文章、午前3,4時でも部屋に入らせて世間話を聞いてくれた―うんざりしていたが―友人に日本語能力2級の受験参考書、知り合う機会はまりなかった200番第を取っている4階の努力家に昔の教科書、廊下を歩いて様々な部屋を回って友になった人に上げた。見損なった先輩には、その前のパーティーの後で残っていた酒を彼の机の上に下ろした。



tobin


彼にはもう何も希望もない。UMASSから出かける前に、最後にもう一度彼を戒めて励まそうと思ったが、どうしても彼はとても変わりそうもなかった。彼に諦めた。だからUMASSに出かけた時、彼に月並みなあいさつを噴出した。そして車に乗って、再び見かけはしない顔を忘れ始めようとした。



umass sky


僕は昔から車に乗るのが好きだった。父親に助手席に乗らせたもらった時から、僕の目の前に広々と無限に続く道路を見るのが楽しみだった。都会を貫く急速道路でも田舎の木々に囲まれる道でも、進歩している感じがする。



new london


日本に行ってから二度と見る機会はないかもしれないから、今度はUMASSからロング・アイランドに行った。その為、3,4年前に訪れたニュー・ロンドンという小型の港町にもう一度行った。小型というのは、その町はフェリー乗り場と、そういう小さな町には似合わない大仰な像の他には何もないと言っていいぐらいの小さな町だった。そこに父親と別れて、軽い昼食を済ませて、ロング・アイランド行きのフェリーに乗った。それでUMASSに入学したばかりの頃から願っていたことが現実にさせた―やっと両親も兄弟も居ないロング・アイランドの別荘に戻ることができた。

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