国民が主権を発揮するためには、財政の枠を取り払わなければなりません。

財政に枠があれば、どんなに民主主義を実行しようとしても、多数決という天下の宝刀でバッサリと切られるわけで、国民の主権者としての意識は育たない。

だが、国家財政に枠がないとなると話が大きく変わってくるわけです。国民が主権を行使するための多数決という天下の宝刀に意味がなくなるわけで、国民が財政難という理由で諦める必要がなくなることを意味します。

主権を国民の手に渡したくない者たちの策略によって、財政の枠が長年維持されてきたのでしょうが、昨今のデフレ解消に向けた様々な政策が高価を出せないことから、残される道は、財政枠の撤廃に通じる禁じ手となるヘリコプターマネーということが取り沙汰されるようになったわけだということでしょう。

これが導入されると、国家は必要とする資金を無限に用意できるということになります。税収だとかGDPだとかの経済指標に抑えられることなく、ただただ、国民のニーズに元ずく予算を立てることが可能になるのです。

思わず、なんじゃそれ!と、言いたくなることだと思います。一体我々は何のために我慢をしてきたきたのか?これまでの常識が吹っ飛ぶ革命的な事態になるでしょう。

そこで大事なのは、そのことがもたらす意味を主権者である国民が自覚することであろうと思います。我々は、ようやく主権というものを手にし、自分たちを守る為に国家を動かす力を持つことになるわけです。

働くための人生は終わりを告げ、自分の人生というものを大切に生きなければならなくなるでしょう。他人の言う通りに動くようではダメで、自分がどういう人生を生きるかを自分で考え決めていかなければならない。

これまでのような奴隷的環境はなくなりますが、ある意味、自由という不自由な人生が待ち受けることにもなる。いずれにしても、これまでの常識は役に立たなくなるだろうと思います。

相当頭を柔らかくしておかなければ、この新しい世界を享受しすることは出来ないと思われます。かと言って、決して難しい話ではなく、問われるのは「あるがまま」という自然の状態であり、嘘をつく意味がなくなるだけのことかもしれません。

このサイトをご覧になっている方には、そんなに難しいことではないかもしれないが、長い間、嘘をつくことで生きてきた人間に取っては、違和感を感じるかもしれない。そういう人たちが、きっと、この新しいパラダイムを妨害するだろうと思います。

しかし、今日、わが国が抱える全ての問題は、一気に解決する方向に向かうわけで、この文明社会を思う存分享受できる環境に変わることは間違いないと思われます。

最初に、世界でどの国が始めるのか?が鍵になるだろうと思いますが、私的には、日本がやるのが一番適切であろうと思います。我々としては、まず、国家による学校教育をいち早く廃止し、地域住民による寺子屋教育にシフトすることから始めれば良いのではないかと思います。

この新しいパラダイムを何と呼ぶのかというのは後世の人間が決めるとして、やはり、私的には「道楽社会」と名づけて欲しいと願う次第です。

遂に、我々は無限の資源を手に入れるわけで、それは全ての国民を守る力を持ち、全ての国民を自由にし、全ての国民に幸せを届ける力となるわけで、焦ることや争うことが必要なくなることを意味し、平和な世界を築く礎となるものと思います。

従って、我々国民は、穏やかに着実に一歩ずつ進めばいいわけで、国民が主権を手にすることで、政治家や官僚や選挙という国民主権を妨げる三悪は消えることになるでしょう。その分、我々は国家に対する責任を担うわけですから、大人になる必要が出てきます。

楽に生きれるようになれば、それは誰だって出来ることでしょうから、肩の力を抜いて向き合っていけば良いものだと思っています。

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