「盛り土」「地下空間」「汚染物質」――豊洲市場問題とは何だったのか
 THE PAGE 2016年11月18日 13:00
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 11月7日に築地から移転されるはずだった豊洲市場。汚染物質に対する安全性の検証の必要性から小池百合子都知事の移転延期決定後、「盛り土」「地下空間」など計画と異なる工事の実態が明るみになり、小池都知事の判断が注目を集めています。

 

  見えにくくなった豊洲市場問題の論点を建築という観点から、若山滋氏(建築家・名古屋工業大学名誉教授)が整理します。

 

 トランプ氏とクリントン氏の選挙戦は、嫌われ者どうし、史上最悪の大統領戦と言われ、アメリカを二分する接戦を演じたのだが、小池都知事の選挙戦は圧勝であった。結局、日本でもアメリカでも、人々は「変化」を選択したのであり、その余震がまだ続いている。

 

  圧勝の余勢を買って、新知事が就任後最初に問題としたのが、築地市場の豊洲移転である。いくつかの論点が浮かび上がったが、センセーショナルに報じられたのは盛り土問題であった。今更、という印象もあるが「あれは一体何だったのか、建築の専門家として説明してほしい」という声も強いので、正直な印象を述べてみたい。

 

盛り土……十分な建築的知識はあったか

 

 その話を聞いて、初めは何が問題なのかよく理解できなかった。

 

  すでに竣工した建築の下に、しかるべき盛り土が行なわれていない、というが、われわれの頭の中には、その程度の土は掘り返して工事するものという考えがある。木造住宅や軽量の鉄骨造は、盛り土の上に載せる感覚であるが、規模の大きい鉄筋コンクリート造では、地下空間と基礎構造が一体化され、最下部にはほとんど人の入らない水槽、配管、メンテナンス・スペースなどが設けられることも多い。そして地盤の悪いところでは、ボーリング調査によって地耐力の出る支持層まで杭を打って構造体を支えるのである。冷凍など市場特有の設備に加え、防災や情報の設備も多くなり、最近の建築はパイプ類が増えており、これが地下に集中する。東京の地下は、地上と同様に都市化が進んでいると言うべきであろう。

 

  盛り土を決定した専門家会議のメンバーは、マスコミのインタビューを受けて、それが行われていないことに憤慨していたが、果たしてその会議に、十分な建築的知識があったかどうか。

 

「構造力学」と「汚染物質」2つの安全問題の指摘

 

 そして二つの安全問題が指摘された。
 

 構造力学的な問題と汚染物質の問題である。

 

 構造力学に関しては、そこに土がないから、地震などの外力に対して危険ではないかという、いかにも素人的な詮索が行われた。専門家へのインタビューも、報道側の意図が先んじてか、その専門家が不適切だからか、あまり要領をえなかった。私は建築構造が専門ではないが、周囲にいる構造専門家でこれを危険視する人はほとんどいなかった。すぐれて力学的な問題なので、ここで建物の層数、自重(じじゅう)、安全率などを論じても、一般読者の理解を得ることは難しいだろう。この建築設計者の構造技術は高いので、今後の検討によって、問題のないことが証明されることを期待している。

 

汚染物資に対するコンクリートの遮蔽性は高い

 

 汚染物質に関しては、それがどの程度危険なのかの検証もまたずに騒ぎ報じられた。

 

 ベンゼン、ヒ素、シアン化合物などの濃度とその危険性に関しては、専門外なので確たることは言えないが、地下の溜り水に食品としての安全基準を適用するような報道には疑問を感じざるを得なかった。

 

 問題はコンクリート・スラブの遮蔽性、つまり危険物質がコンクリートの床を透過する危険性であるが、これについてはほとんど論じられていない。コンクリートの遮蔽性は高い。親しくしているコンクリート工学の専門家、特にその遮蔽性については日本でもトップの学者と話をしたが「何を問題にしているのか分からない」。つまりマスコミが騒いでいるような危険性は感じられないという答えであった。また、地下空間に水が溜まるのはよくあることであり、排水処理はそれほど困難なことではない。

 

きわめて技術力の高い組織による設計

 

 これは必ずしも理解を得られないかもしれないが、われわれには設計者に対する信頼もあることを告白しなければならない。この建築の設計者は、きわめて技術力の高い組織であり、メディアが指摘するような単純なミスはほとんど考えられないのである。建築界は裾野が広い。高度な技術をもつ組織と、そうでもない組織と、よく指摘される劣悪な組織とがあって、その差が大きいのだ。一般の人と話していて、われわれと認識が異なると感じるのは、その点である。

 

  「信頼」という言葉を使うといい加減なようだが、技術というものも、実は人間と組織の信頼の体系の上に乗っている。専門的になり高度になればなるほどそういう傾向がある。もちろんその信頼が崩れるときは、大きな危機となる。福島原発事故はそういう事故であり、例の小保方問題にも似たところがあった。今、高度な科学技術の専門家とその組織に対する不信感は、これまでになく高まっている。

 

建築関係の不祥事が招いた不信感

 

 つまりマスメディアの報道にも、無理もないところがあるのだ。このところ建築界には、構造設計書に十分な鉄筋を入れなかった耐震強度偽装いわゆる姉歯事件、またマンション工事で十分な長さの杭を打たなかったために建物が傾いた杭打ちデータ偽装事件など、これまでの単純な手抜き工事とは質の異なる、考えられないような不祥事が続いている。またオリンピックがらみで、新国立競技場の設計やり直しとエンブレムの盗用問題も、建築とデザインの専門家に対する不信感というかたちで影響している。

 

  必要なことは、個々人のモラルとチェック機構の整備であるとともに、何を信頼し何を疑うかという大局的な判断である。社会の公器たる新聞やテレビの影響は大きい。マスコミ関係者も、そこで発言する専門家も、厳しく追及すべきことと、闇雲に不安を煽るべきではないことを、慎重に判断してほしい。昔のジャーナリズムは、そこがしっかりしていたような気がする。

 

建築の問題は政争に使われやすい

 

 都庁内の調査は、安全の問題よりも、盛り土をしないことの報告を怠った問題に焦点を当てているようだ。しかし一般の人はこの二つを峻別することが難しいので、スケープゴートがつくられるとすれば気の毒なことである。手続き論としては確かに手抜かりであったかもしれないが、専門家会議の決定通りにすれば、土を盛ってまたすぐにその土を掘り返さなければならないことになり、その無用なコスト(血税)を省く信念の決断をしたというのなら、理解できるのではないか。

 

 建築の問題は政争に使われやすい。私もたびたび経験し、理不尽な思いをしたこともある。

 

  問題は、こういった「委員会行政」につきものの、責任の分散と政策の硬直性なのだ。委員会の決定を経ることによって、行政担当者の責任と権限が曖昧になる。絶え間なく変化する社会にあって、建築行政は常に臨機応変であるべきであるが、委員会決定の文面が足枷となって修正が効かず、後戻りもできないことがあるのだ。

 

  現在の行政は委員会だらけである。専門的な問題は仕方ないにしても、そのメンバーは、当該問題に対する実際の能力より社会的立場を重視して選ばれているのが実情だ。結果として、何も決められないか、官僚の誘導を追認するか、出席者の意見を全部足して頭数で割ったような結論しか出ないことも多い。そのための準備に、膨大な人と時間(これも血税)が費やされている。今、日本の行政は、肥大化し、複雑化し、そして錆びついている。都庁のような大組織には長いあいだの膿もあるだろう。

 

  人気と実力を兼ね備えた知事なら(私はそう思っている)、大向こう受けを狙う劇場的な追及より、一見順当に見える恒常的かつ構造的な行政システムにメスを入れ、痛みを伴いながらも錆と膿を切除し、苦しみながらも贅肉を削ぎ落とす、例えば「ドクターX」のような改革をやっていただきたい。組織というものは、トップが真剣に取り組めば、自律的な蘇生力を発揮するものだ。

 

  必要なのは「行政の簡素化」である。

 

  隣国の国民は大統領を弾劾しようとしているが、われわれはこの肥大した行政システムそのものを弾劾しなければならない。新知事の都政改革にその姿勢が見えたとき、人々は国政についてもそれを望むはずだ。

 

築地市場は醸成された文化空間

 

 築地市場は、四方を海に囲まれた日本水産業の象徴であり、大東京の食の流通の要であり、現代に息づく伝統文化である。日日行われる競りの情景は外国人観光客にも人気があり、玄人ばかりでなく素人も訪れて鮮魚を食する場所としても人気がある。

 

  これは、長い時間をかけて醸成された腐葉土のような文化空間で、一朝一夕に出来上がるものではない。豊洲に移転すれば確実に失われる。つまり文化論的には、移転ではなく消失なのだ。

 

 私は、日本の伝統的な木造建築などに培われた、精緻な技術と微妙な感性の合体を「精妙文化」と呼んでいるが、築地はまさに「精妙文化の空間」である。多くの日本人に、それが失われることに対する哀しみがある。豊洲移転問題は、実は、築地消失問題であり、都市化の進行による文化喪失の問題である。

 

 そこに「都市化の反力」が生じないわけはない。

 

  その精神的反力が問題を大きくしているというのが私の考えだが、だからこそ、国民の納得を得るために再検討する必要があった、とは言えるかもしれない。

 

 今後も色々と問題が指摘されるかもしれないが、総合的に判断して、豊洲移転は実現するであろうし、そうすべきであろう。

  それなら早い方がいい。
  すべて潮時というものがある。
  新しい市場に、あの粋で鯔背で威勢のいい仲買人の元気が満ち渡るのはいつのことか。

 

 

 

 

いすけ屋

 

 豊洲移転は早くて1年以上先のことらしい。これは出だしの良かった小池都政の失敗の始まりとなるだろう。そもそも盛土問題は専門でない専門家集団が、建築物の下に盛土がされていなかったことに腹をたて、抗議したことから始まる。建築物の下はコンクリートの基礎床があり、盛土より遮蔽効果は高いのに、何をいきまいているのかと、多くの科学に携わる専門家は思ったにちがいない。このコラムの著者もその一人である。何故、地下空間があったら危険なのか、その専門家集団は科学的に示したのか?私はあらゆる報道を感心をもって見てきたが、一切そのような報道はない。別に豊洲に井戸を掘ってその水を使うわけでもなく、少しマスコミも騒ぎ過ぎだ。

 

 移転が遅れる理由が「環境アセス」にもあるようだが、1年というのは「環境アセス」をやり直さない場合という。環境アセスメントは、元来、開発に際し、「自然環境をなるべくそのまま残しましょう」という目的で、環境影響評価法が制定され、当然豊洲市場でも実施されている。影響評価は建築物も設計図をもとに行われているはずだから、地下空間のある状態でなされている。今更変更する理由などない筈だ。

 

 あまりにも小さい問題なのに、そのためにオリンピック道路となる環状2号線も、築地市場跡地の地上に暫定道路を造るとか。これも無駄金ではないのか。1年以上遅れることによる業者に対する賠償金も総額が発表されていないが、これも無駄金だ。小池さんもトランプと同じで、選挙中は大ぼら吹いて人気を集めたが、その後の運営があまり賢くない。頭の切れるブレーンはいないのか。ここまで神経質だと、いっそのこと豊洲市場は全館無菌室にしたらどうだ!