1 | 2 | 3 | 4 | 5 |最初 次ページ >>
2012-02-22 15:36:49 issjapanの投稿
テーマ:ブログ

美しい島での出会い

大学4年生の時、沖縄はまだ日本に返還されていませんでした。パスポート(身分証明書)を持って鹿児島から船に乗り、船上で一泊して那覇港にたどり着きました。船員さんも食欲がなくなるほどの大荒れの海でしたが、船酔いをすることも無く、夜の海を楽しみながら南の島を目指したのです。
那覇港に着くと抜けるような青空に明るい日差しが、南国に来たことを実感させてくれました。
その後南部戦跡や、那覇市の牧市マーケット、国際通り、また嘉手納基地の中を見せてもらったり、PXでショッピングをしたりと楽しく過ごしておりましたが、あるご縁で、ハンセン病の施設愛楽園を訪ねることが出来ました。
 那覇から知人に車で送ってもらいましたが、屋我地大橋の手前で車から降ろされ、「ここからは歩いていきなさい」といわれました。羽地内海が東シナ海につながるとても美しいところでしたが、愛楽園に行くためにはその海にかかる長い長い橋を渡らなければなりません。まるで世界から隔離するためにかけられたような橋でした。
 緑の木々に囲まれた島に渡る橋の上から、美しい海の色と空の色そして輝く白砂を楽しみながら、愛楽園へと向かいました。
 そして、出迎えてくださった看護士の方に導かれて、施設の中に入りました。入所者の方々は明るい表情でこんにちはと声をかけてくださり、特に変わった様子には見えませんでした。
 院長先生がハンセン病について話して下さると言う事で、院長室にいきました。椅子に腰を掛けていると、お茶を運んでくださいましたが、その方は湯飲みの上に手のひらをかぶせるようにして湯飲みを持ち上げて、私の前においてくださいました。そこで初めて彼には指が無いことに気がつきました。院長先生は気になるならお茶はお飲みにならなくても結構ですよとさらっと言われました。彼は無菌者ですとの先生の言葉で、お茶を頂いたのですが、そのとき先生がじっと私を見つめ、入所者が運んできたお茶を飲む人は大変少ないのですといわれたのです。その言葉に私は驚きました。医者が大丈夫といっていても飲まない人がいる。そしてそれも良しとして受け入れている人々がいるという事実。その後先生の案内で入所者の方々の居室を見せていただきましたが、そこである高齢の女性が、「何度も海に身を投げようと思ったよ。特に子どもと引き離されたときには自分は生きていてはいけないとまで思ったよ。でもこの美しい海を見ていると生きようと元気が湧いてくるよ」と話してくださいました。
 過酷な運命を受け入れるまでの葛藤がいかなるものだったかは想像もつきませんが、それを潜り抜けてきた人の美しさに圧倒されました。

 様々な人生がありますが、同じものはひとつとしてありません。これからも一人一人の人生を大切にする仕事に関わっていきたいと思っております。  (KO)
2012-02-13 13:58:08 issjapanの投稿
テーマ:ブログ

親子の絆

先日、小学校時代からの友人の結婚式に参加しました。
外国籍の彼女は、お母さんが日本人と再婚したために幼いころに来日しました。
実のお父さんには会ったことがないと言います。
兄と姉を本国に残し、新しいお父さんとの暮らしを始めた
小学生の頃の彼女は、お父さんと馴染めないとよく言っていました。

さて、ISSJではフィリピンやタイ国籍の連れ子の養子縁組に関するご相談をよく受けます。
ご相談だけではなく、タイの連れ子の養子縁組では
実際にタイの養子縁組センターに申請を出すお手伝いをします。
フィリピンの連れ子の養子縁組では日本側での手続き、
フィリピン側での手続きについてご説明しています。
よく受けるご質問は「氏を変えたい」というものです。
お子さんの年齢や国籍により状況が変わりますので、
是非直接お電話でお問い合わせください。

また、法的な相談のみならず、ISSJでは養親から養子縁組ならではの
お悩みの相談を受けることもあります。
妻の連れ子と養子縁組した日本人のお父さんから
しつけの方法でご相談を頂いたこともありました。
ISSJの子どもの利益を最優先に考えたアプローチはここでも変わりません。
お子さんにとって最も良い方法をお父さんと共に模索しました。

話が戻って、結婚式では「娘よ」を歌いながら男泣きしてしまった友人のお父さん。
そんなお父さんを見て涙ぐむ友人。
二人を見ながら、ケースで関わった養子の子ども達を思い出し、
私も目頭が熱くなりました。
実際、二人にとって大切だったのは血縁関係ではなく
一緒に過ごした時間、楽しい思い出だったのでしょう。
養子となった子どものその後を伺うチャンスはなかなかありませんが、
養子縁組によって父親と娘という特別な絆を得た二人を見て
とても嬉しく思いました。(MT)
2012-02-03 13:00:19 issjapanの投稿
テーマ:ブログ

コーンウォール・リーとハンセン病


“草津「喜びの谷」の物語・コンウォール・リーとハンセン病”(中村茂著)を読みしました。ハンセン病は体の末梢神経の麻痺や皮膚がただれたような状態になり、戦後に特効薬ができるまでは人々から恐れられ、病者とその家族は忌み嫌われ差別の対象でした。病者は故郷を追われ、ある人はご利益のある神社仏閣の周辺での物乞いやまたある人は効能を期待して温泉場で療養したそうです。草津町のはずれにあった湯乃沢部落にも多くのハンセン病者が定住したそうですが、特効薬もない時代で病は好転せず生きる希望は失われ自暴自棄になり、賭博や自殺、酒乱という荒れ果てた状況となったそうです。本書のイギリス人宣教師、メアリ・ヘレナ・コンウォール・リーはそんな湯乃沢部落に自らを投じてハンセン病者の人間としての尊厳を復活させ、暗黒の谷から「喜びの谷」へと変えていった、その過程、功績、自分のことをあまり語らなかったコンウォール・リーという人物像について探っているのも、推理小説の謎解きに通じるところがあって興味深いものでした。

コンウォール・リーのような自分の生涯をなげうって弱者のために働いた人たちが今日のソーシャルワークの礎になっているのでしょう。弱者のふところに自ら飛び込んで支援したコーンウォール・リー、周囲から「母」として認められるまでの苦労は並大抵ではなかったと想像します。彼女を通してソーシャルワークの難しさや奥深さをも痛感しました。(ya)
2012-01-29 10:43:19 issjapanの投稿
テーマ:ブログ

ある日本人の死


 カンボジアに来ると、毎回何人か挨拶に伺う人がいます。その中でいつも楽しみにしていたのが、私たちの学校の向かいの建物で、現地の人と車いすを作る活動をしているOさんです。お坊さんのように頭を丸めていて、60~70代ですが粋で闊達、元気な下町のおじいちゃんといった感じです。もうずいぶんと長くカンボジアで暮らしていると聞きました。

 休み時間に子供たちが外で遊んでいるとふらりと顔を出してくれて、私は子供を見守りながらOさんと話すときが好きでした。現地の人と仕事をすることの難しさ、スタッフの人間関係、人々の暮らしぶりからカンボジアの教育事情、経済発展まで、いろいろな話をしました。私がお土産に新聞や週刊誌を持っていくと、「こういうものが一番ありがたい」と言ってうれしそうに受け取ってくれました。

 一度、飴売りが来たことがあります。お金を払うと、飴売りのおじさんはリクエストに応じて飴をいろいろな形にして売ってくれるのです。Oさんは「自分の子供時代にもあった」と非常に懐かしがり、飴を作るところを見たいからといって、その場にいた子供たち全員に飴を買ってくれました。子供たちは大喜びです。恐竜や犬など、次々と成形していく飴売りの手さばきに感心して見とれていた様子を今でも覚えています。

 前回(2011年7月)訪問したときも、いつものように週刊誌を持って行ったのですが、なかなか会うことができませんでした。あるとき、スーツを着て車いすに乗った人が自動車を運転して(!)Oさんにご挨拶に見えました。カンボジアで身体障害者の支援をしているNGOの代表者でした。Oさんが出てくると、その人はとても丁重にご挨拶をし、また車に乗って帰って行きました。私はこのチャンスにOさんに挨拶しようとしました。ちらりと私を見たOさんは、驚いたことにとても疲れた顔つきをしていました。軽く会釈して建物の中に戻ろうとしたので、駆け寄って持ってきた週刊誌を手渡しました。Oさんは、最近具合が悪いこと、日本やタイに行って治療していること、すぐ疲れるのであまり話ができないことを伝え、お詫びと週刊誌のお礼を言って戻りました。建物に入るOさんの背中を見送りながら「もうこんな小さな活字を読む元気もないんだ」という声が聞こえたような気がしました。

 今回の訪問で、Oさんが3か月前に亡くなったことを知りました。一人で死んでいたのを発見されたそうです。この地で葬儀が行われ、埋葬されました。私はこうなることを予想していたわけではありませんが、お土産を持ってきていませんでした。食べ物も週刊誌も、もう彼が必要とするものは何もない気がしたのです。Oさんは、自分の死を予期していたことでしょう。治療のために日本に時々帰っていたとはいえ、いつもカンボジアに戻ってきました。この地に骨を埋めることを望んでいたのだと思います。

 外国で暮らすことには、母国では味わうことのない、強い孤独感がつきまといます。私は日本で暮らす外国籍の人からよくそれを聞きますし、私自身ときどき外国で感じます。それでもOさんは外国で、カンボジアで死ぬことを選びました。彼は自分の望む人生をまっとうしたのでしょうか。それとも、日本に居たくなかったのでしょうか。そういう人生の話しもしてみたかったけれど、もう今となってはすべがありません。少なくともOさんは自分が望むように死んだ。そんな気がして、それがとてもOさんらしいと感じています。(MI)

2012-01-23 14:17:58 issjapanの投稿
テーマ:ブログ

日本語教材募集中!

日本に暮す難民申請者へ送るために、日本語の教材を募集しています。
難民申請者は、日本にどれだけの期間暮すかわからない不安定な立場といえます。
けれど語学力はイコール生活適応力。言葉が少しでもわかれば、抱え込むストレスも大きく減ります。
・日本語テキスト
・ひらがな、カタカナ書き方練習帳
・小学1~2年生用の漢字書き方練習帳
・English-Japanese Dictionary (ローマ字か、ひらがな・カタカナ表記があるもの)
その他、お手持ちのものがありましたらISSJまでお送りいただけませんか?
お問い合わせお待ちしてます♪ (YS)

2012-01-17 10:35:41 issjapanの投稿
テーマ:ブログ

パーマネンシープランニング

私が初めてパーマネンシープランニングという言葉を聞いたのは15年近く前になると思います。
日本語にすると、永続的養育計画となるでしょうか?

欧米ではだいぶ前から一般的な概念として、福祉の現場でも実践されている理念だと思います。

国際養子縁組は、このパーマネンシープランニングのひとつです。

養子縁組をすると、子どもに家族ができ、一緒に生活していくことになります。将来、進学したり、就職したり、結婚したりする時も家族は傍にいてくれるでしょう。

ひとりでも多くの子どもに、愛情あふれる家族ができることを願っています虹 (AN)

2012-01-11 11:14:38 issjapanの投稿
テーマ:ブログ

難民とメンタルヘルス

激動の2011年が過ぎ日本は多くの難問を抱えながら新しい年へ船出をしました。
難民申請中の方々もそうした厳しい社会環境下で生活を送りながら認定の日を待
っていますが、困難と立ち向かう心にのしかかる重圧は厳しく、心の問題やスト
レスなどで精神面で病んでしまうケースも少なくありません。

ISSJでは昨年12月UNHCRの共催を受け、通常の活動拠点である関東を離れて大阪と
名古屋で「難民とメンタルヘルス」のセミナーを開催し、組織でまたは個人で難
民をサポートしている方々と難民のメンタル面での厳しい現状を共有し、今後ど
のように対処して活動をしてゆくのかを探る機会を設けることができました。
1978年に政治判断によってインドシナ難民を受け入たことを難民政策の本格的な
開始とすると今年で日本の難民支援活動も既に34年目となります。
新年を迎え、微力ではありますが更なるサポートの向上を目指し、
新たな気持ちで取り組んで行きたいと考えています。(TO)
2012-01-01 17:35:41 issjapanの投稿
テーマ:ブログ

新たな家族の誕生をめざして

新年おめでとうございます。

年末から年始にかけて、ISSJにはたくさんのグリーティングカードが届きます。その多くには、ひとまわり大きくなった子どもたちの写真が添えられています。ISSJを通じて養子縁組をした家族から、写真と共に近況報告が届けられるこの時期は、私たちスタッフも幸せのおすそ分けをもらい、温かく優しい気持ちに包まれます。

クリスマス前には、今年の春に養子縁組が成立し、秋には氏と名の変更申立を完了させたユキちゃん(4歳)が、パパとママと一緒に事務所を訪ねてくれました。パパとママの優しいまなざしに包まれ、ピンクのワンピースにブラックのコートでドレスアップしたユキちゃんは、まさに"リトルプリンセス"のよに輝いて見えました。

今年も一人でも多くの子どもたちに、幸せな笑顔と温かい家族のぬくもりを届けることができるよう、スタッフ一同、力を尽くしていきたいと思います。(AO)


2011-12-11 22:39:10 issjapanの投稿
テーマ:ブログ

ケースファイルの重み


事務所では、現在ケースの電子データ管理化に取り組んでいます。ISSJでは、設立以来60年間、援助してきたケースの資料ファイルを大切に保存しています。ファイルには、様々の重要な情報や国際養子縁組に子どもを託した実母の苦渋の選択がうかがわれる自筆の手紙も収められています。

一般的には、公的文書の保存期間は、5年から長くても10年、医療のカルテは5年とされています。この様な社会的状況のなか、ISSJが、設立以来の文書の保存を行っているのには、特別な理由があるからです。

国際養子縁組で、海を渡った子どもたちが成長し、何十年の時が過ぎ、やがて自分の結婚や子どもを持つななどという機会に「自分の実の親に会いたい。どこで、生まれたんだろう。自分のルーツを知りたい。」と思うようになり、出自を知りたいとの問い合わせが、養子縁組を援助したISSJにくる場合が多々あります。

これは、国際養子縁組で養子となった子どもたちの当然の権利であり、出自の記録をきちんと保存するのは、国際養子縁組を援助する団体の大切な義務です。

今回のケース電子データ化で、保存されている情報が、より有効に使われるよう取り組んで参りたいと考えております。(M.E.)
2011-12-04 21:12:04 issjapanの投稿
テーマ:ブログ

養子からの手紙

当事業団では日々様々な文書を翻訳する必要があります。

中でも私がいつも心を打たれるのは、養子から実母や実の兄弟姉妹に宛てた心のこもった手紙を翻訳するときです。

養子に出された子が、成人し生みの親をそして自分のル-ツを探したいと思うのは自然の成り行きだと思います。

養子からの実母に宛てた手紙のほとんどは、自分を養子に出したことを恨む怒りの手紙ではなく、

実母が我が子を養子に出すことがどれだけつらい決断であったのかと、母を理解し、今の自分がりっぱ

な大人に成長し幸せであることを告げる、精一杯親を思いやる気持ちに溢れたものが多いです。

いつもこのような手紙を読むたびに、養子をめぐる二つの家族それぞれの幸せを願わずには

いられません。(Y.E.)
1 | 2 | 3 | 4 | 5 |最初 次ページ >>
アメーバに会員登録して、ブログをつくろう! powered by Ameba (アメーバ)|ブログを中心とした登録無料サイト