こんにちは。

今日は、良いお天気になりました。

やっと春が来たようです。

 

鳥羽湾には、ボラの群れが大群で入ってきました。

鳥羽湾にボラの群れ(写真手前。奥に海保の巡視船「いせゆき」)

 

かなり大きなボラです。50センチくらいでしょうか。

ボラは出世魚です。

ハク、オボコ、イナ、ボラ、トドと成長に合わせて呼び名が変わっていきます。

昔、鳥羽は、ボラ漁が盛んで、戦国時代の水軍の将・九鬼嘉隆の時代は、ボラを石高に換算したそうですよ。

ボラの群れ(拡大)

 

上の写真2枚は午前9時ごろに撮影したものですが、

実は、この日(今日ですが)13時からは鳥羽水族館の創設者で有名館長だった中村幸昭(はるあき)氏の告別式でした。

中村元館長の功績は言葉に尽くせないくらい偉大です。

鳥羽市、と言うより伊勢志摩観光の1つの時代を創った方と言えます。

と、同時に、しげじいにとっても大恩人です。

しげじいが鳥羽水族館時代、営業や広報、人とのつながりの大切さなど数えきれないくらい中村元館長から教わることができました。ありがとうございました。

 

式場に向かう途中、ミキモト真珠島の手前の海では、ボラの子供・イナ(10センチくらい)の大群を見ました。おびただしい数です。

通りがかりの観光客もスマホのシャッター操作に夢中になっていましたが、しげじいは、自転車で先を急ぐので残念ながら撮影はできませんでした。

 

イナが伊勢湾に入ってくると、いよいよ、春ですね。

中村元館長の名前は「はるあき」と読みます。

ボラの大人から子供まで大群で押し寄せてきたのは、ひょっとしたら、お魚館長・・・中村元館長を見送りに来たのかもしれませんねぇ。

ご冥福を心よりお祈りいたします。

ありがとうございました。

 

しげじい

こんにちは。

 

雨ですね。この時期の雨は特別冷たく感じられますね。

 

さて、先週土曜日は、晴れましたが風が強く寒い日でした。

参加者全員が防寒具を着込んでいる所為か普段より膨らんで見えました(笑)。

コースは、伊勢市矢持町の久昌寺を出発して竜ヶ峠までの往復です。矢持町には、平家伝説が各所に残っていて要所要所には解説版が建てられています。

出発前に地元の語り部として頑張ってくれている中瀬さんが竜ヶ峠の魅力などを語ってくれました。

 出発前の説明(久昌寺前)

 

道中の注意とコースの説明して出発です。

竜ヶ峠登り口までは、細い川筋を右手に見ながら長閑な里山を緩やかに上っていきます。

途中、モミジの木がありますので、紅葉を想像しながら炭焼き小屋を通過、50分くらいで登り口に到着です。

・・・普通に歩けば30分くらいの行程ですが、途中の説明に力が入り過ぎて・・・(笑)。

 竜ヶ峠登り口(右手)

 

ここで、身の回りを再チェック。特にダニ対策の虫除けスプレーでガードしていきます。

竜ヶ峠付近は、伊勢志摩国立公園の”特別保護区”に加えて神宮宮域林でもあります。即ち、2千年の歴史を持つ原生林ですので生物多様性に富み、マダニの宝庫(?)でもあります。

昨年末に登山道の整備を行い、伊勢市役所職員さんも参加してくれましたが、長靴を履いた上に隙間をガムテープでふさぐという徹底ぶりでした。

話が逸れました(笑)。

 

この付近の鉱物には、ハイテク産業に欠かせない貴重なレアアースが含まれているとのこと。竜ヶ峠を守る会の多田さんが説明してくれました。

 レアアースの説明(多田さん)

 

さて、山道に入ります。

15分くらい登ると左手上に大きな岩があります。

 かくれ岩

 

写真中央の奥、木々に隠れて黒く写っています。分かりますかね。

この岩を「かくれ岩」と呼び平家の武者たちが身を潜め、平家討伐の源氏武者を待ち伏せ、打ち取ったと言われています。

この辺り一帯を”六ケ谷”と呼び、解説版には「六ヶ谷の戦い」と記されています。

かくれ岩から10分足らずで次の解説版があり「茶屋跡」とあります。

 茶屋跡

 

明治まではここに2軒の茶店があったそうです。

この辺りからは、急斜面ですので道は”九十九(つづら)折れ”になります。

15分くらい歩いて休憩しました。

休憩

 

ここからは少しだけ視界が開けるのと、紅葉がきれいなので、毎回休憩ポイントとしています。

そして程無く竜ヶ峠に到着です。

ふゆザクラ(竜ヶ峠手前)

 

峠では、ふゆザクラが出迎えてくれます。

この桜は、秋に来た時もそうでしたが、今回も疎らに咲いていました。「この桜は、いつ来ても咲いとる」とは、植物に詳しい奥野さん。

出発から1時間40分くらいで竜ヶ峠の東屋に到着しました。

・・・すごくゆっくりペースです(笑)。

 竜ヶ峠

 

標高333mとあります。東京タワーと同じですね。

 竜ヶ峠・東屋

 

ここで、お昼ですが、少し余裕がありましたので、足に自信のない方を残してこの先400m付近の”モミジの間”まで下ります。

10分ほどですが、「馬落とし」との標識のとおり急斜面にやっと一人が通れるだけの道筋となり十分な注意が必要です。

 モミジの間

 

モミジの間では、周辺に生えているヒメシャラやアベマキの木などを竜ヶ峠を守る会の奥野さんが解説してくれました。

モミジの間から更に下って行くと伊勢市の高麗広で、五十鈴川沿いに下れば神宮宇治橋前となります。

・・・が、今回は、ここで折り返します。

 

再び急斜面「馬落とし」を通って東屋に戻ります。

 馬落とし

 

ちなみに、ここにも平家伝説が残っていて、平家討伐の騎馬武者を木の蔓(つる)を使って谷底に転落させたと言われています。

しっかり足元を見ていないと谷底に滑り落ちそうです。

東屋に戻って、お昼です。

東屋でお昼

 

頂上なので吹き抜けの風が強いため、東屋の南斜面の日当たりの良いところでお昼をとりましたが、この時期、長く座っていると体が冷えてきますので、昼食後は早々に帰路に着きました。

帰りは1時間と少しで久昌寺に戻りました。

 

これまで「竜ヶ峠コース」は、紅葉の時期に行っていましたが、軽登山コースの為、汗が出ない程度に体が温まり、「冬場のコースもありかな?」と思いました。

今回、エコツアーの常連さんに加え、地元の方にも参加していただき、その中には、来月(4月)1日から僕(しげじい)の跡を引き継いでくれる山下さんにも参加していただき無事楽しく終えることができました。

あっ、と言うことで、

話が前後しましたが(笑)、私こと、3月31日をもって、伊勢志摩国立公園協会事務局長を(めでたく、笑)退任させていただくことになりました。

つまり「しげじいの佐田浜日記」は今回が最終になりそうです。

いつもながら、長い長い文章にお付き合いいただきありがとうございました。

そんじゃ、また。いつか・・・。

しげじい

 

 

 

 

 

こんにちは。

雨ですね。

朝方は、かさが無くても歩けるくらいでしたが、本降りになってきました。

まっ、雨も降らないと困りますから・・・久しぶりの雨ですし・・・。

 

さて、その日は、絵にかいたようなウォーキング日和でしたよ。

風はありましたが、日差しは温かく宮川の左岸を景色を楽しみながら歩いてきました。

コースは、JR宮川駅裏の離宮院跡をスタート。官舎神社から宮川の堤にある「桜の渡し」経由で左岸沿いに河川敷を歩き、度会橋を渡って筋向橋経由で外宮・・・5,5キロのショートコースでした。

 離宮院跡前駐車場

 

写真の奥が芝生広場で、昔、斎王様がお住まいになった離宮院の跡です。

で、そもそも斎王様とは、「天皇に変わって伊勢神宮の天照大神に仕えるために選ばれた未婚の皇族女性」とのこと。

建物もさぞかし立派だったのでしょうね。

 

芝生広場を抜け右手に官舎神社への参道があります。ここの鳥居は珍しく”白い鳥居”です。

 官舎神社の白い鳥居

 

地元の方は、旅行などに出かけるときに官舎神社にお参りして道中の安全を祈願したそうです。

・・・我々もエコツアーの安全をお祈りしました。

 官舎神社

 

境内の桜の木には、花が咲きかけていました。

 桜の花

 

早いですね・・・と言うか、早すぎますね(笑)。

早咲きの種でしょうか?

もと来た参道を東に向かい離宮院公園を抜けていくと・・・

しだれ梅・・・こちらも咲きかけです・・・こちらは”順当”でしょう(笑)・・・来週ぐらいからが見ごろでしょうね。

 しだれ梅

 

梅の花から漂う香りを楽しみながら公園を出て、宮川堤に向かいます。

ただ、伊勢街道は狭い割に車の往来が頻繁ですのでJR線の南側を並行する農道を進みます。宮川の支流・汁谷川にあたったところを左にとり、JRのガードをくぐります。

 JRのガードをくぐる

 

汁谷川には、なんと、でっかい鯉が泳いでいましたよ。

 

ガードをくぐって100mくらいで伊勢街道に出ます。

でたすぐ右手の宮古橋を渡ります・・・が、たもとに「参宮人見附(さんぐうにんみつけ)」と彫られた石碑が立っています。元は、常夜灯で、夜間の参宮人を監視していたそうです。

そう言えば、吉良の仁吉のかたき討ちに来た清水次郎長一家は、船で勢田川沿いの神(かみやしろ)港に上陸したとのこと。この検問を避けたのでしょうね。

 

さて、橋を渡った正面に宮川堤があり、階段を越えると河川敷に出ます。

 宮川堤の階段

 

すぐ目の前が「桜の渡し跡」です。

桜の渡し跡

 

この桜の渡しは、明治30年の参宮鉄道の開通まで利用されていたそうです。関西や、関東からお伊勢参拝に来る人々の大事な渡し場だったそうです。近くにある解説版には往時の賑わいの様子が描かれています。

 

さて、河川敷を度会橋に向かいます。

 河川敷

 

この先、3つの橋をくぐります。

最初はJR参宮線の鉄橋です。

 JR参宮線の鉄橋

 

このポイント・・・”撮り鉄”でなくてもシャッターを押したくなります。

次は、伊勢街道をつなぐ宮川橋です。

 宮川橋

 

現在の伊勢街道はこの橋を渡りますが、幅が狭く、その割には交通量が多いので、今回は渡らずにくぐります(笑)。

宮川橋をくぐると遠くに度会橋が・・・。

 河川敷、遠くに度会橋

 

河川敷は、冬場の北西の風を堤防が衝立になり防いでくれますので、日差しがあれば温かくウォーキングにはもってこいです。

対岸を見ると遠くに伊勢の霊山・朝熊山が遠望できます。

宮川左岸からみた朝熊山

 

手前にスズキの穂が残っていて絵になりますねぇ。

春には、対岸の桜並木がピンク色に染まりますよ。

 

さて、出発から約1時間で度会橋です。

 度会橋の下

 

度会橋をくぐってすぐの階段を上ります。 階段を上る

 

少し戻ると交差点で、右手の度会橋を渡ります。 度会橋

 

度会橋の歩道は、市内に向かう右側だけです。

 歩道を進む

 

ここから宮川の上流を眺めると、逆光が川面に映えてきれいですよ。

度会橋から上流を眺める

 

ただ、この歩道は、自転車も多くゆっくり眺めてばかりいられませんが・・・(笑)。

 

度会橋を渡り切った所が桜の名所宮川堤です。

駐車場のところにトイレもあり、休憩用のベンチも設置されています。

今回は、河川敷は寒いのでここでお昼にしました。

 

食後は、右岸に沿って少しだけ上流に向かって歩きます。

 宮川の看板。奥が休憩所

 

すぐ先に階段があり、ここが、20年に一回のご遷宮用ご用材を運びこむ”どんでん返し”です。

ご遷宮に使うご用材は、木曽から筏を組み木曽川沿いに伊勢湾に出て、伊勢市大湊町まで下り貯木場に集められます。そして、時期になると宮川を登り、ここから陸揚げされます。その際、この堤防を乗り越えるのが一番の難所で、その作業を「どんでん返し」と呼び、地名にもなっています。

 どんでん返し(陸側)

 

これらの一連の行事を「お木曳」と呼び、今回は、お木曳車の進む道を外宮まで辿っていきます・・・普通に歩いておよそ30分くらいです。

 

途中、筋向橋(すじかいばし)があります。現在は暗渠になっていますが、かつては伊勢街道、伊勢本街道。熊野街道の集まる交通の要所でした。

 筋向橋の欄干

 

欄干だけが残っていて、「交通の妨げ」・・・などとは(伊勢の人なら)誰も言いません。歴史を物語る大切な史跡ですから・・・と、言う風に見れば、なるほど、良い形をしていますね(笑)。

 

間もなく歴史ある建物”小西万金丹本舗”が左手に見えてきます。外宮の手前です。

 小西万金丹本舗

 

創業は安土桃山時代とか。この建物は明治の初期に江戸時代の姿を守らせて建てたとのこと。小西万金丹と言えば、伊勢の人には、無くてはならない妙薬で、旅行などに出かけるときの必需品となっています。昔は、お伊勢参りのお土産として伊勢暦に並ぶ人気商品だったそうです。お土産として嵩張らず、また実用的で重宝したんでしょうね。

 

外宮前臨時駐車場横の歩道沿いにはサザンカが咲いていました。

 道路わきのサザンカ

 

そして、外宮北御門前に到着です。

お昼を除いて、1時間30分くらいでした。

今回は平坦なショートコースで「歩き足りない」向きも(笑)。

その分、次回の「平家の里エコツアー」は、伊勢市矢持町・久昌寺前から伊勢志摩国立公園の特別保護区に迫るハードコースです(笑)。

乞うご期待!

そんじゃ、また。

しげじい