女体の神秘 | 高橋いさをの徒然草

女体の神秘

わたしは男なので、自分のカラダを受け入れて男として生きていてるが、もしも「自分が女のカラダを持っていたら?」と空想することがある。自分にはないものを持つ人に人間は憧れや恋するのは世の常である。もっともそれは空想であって、わたしは女であることがどういうものかわからないままに生涯を終えるであろう。それをどうしても実現しようとしたら、性転換することも不可能ではないが、そこまでやる人はマレだと思う。

ところで、何かをきっかけに男女の心が「入れ換わってしまう」事態を描いたファンタジー作品は数多く、わたしが知る限りでは、「転校生」(大林宣彦監督の映画)「秘密」(東野圭吾の小説)「椿山課長の七日間」(浅田次郎の小説)「君の名は。」(新海誠監督の映画)などがあるが、女のカラダを持った男は、鏡の前で自分の裸体をまじまじと見つめた時にどのような気持ちになるであろうか。たぶんそれはとても複雑な気持ちにちがいない。彼は鏡の前で自らのカラダをくねらせて、そのボディラインにうっとりしたりするのだろうか。

SF映画「ヒドゥン」(1986年)と「ターミネーター3」(2003年)には共通点がある。前者には人間のカラダを乗っ取って悪事を働く宇宙からやって来たエイリアンに寄生される女性ストリッパーが、後者には自由自在に変身できる未来からやって来た金属製の女ターミネーターが登場する。前者のエイリアンは、車の運転席のバックミラーごしに寄生したストリッパーの豊満なカラダをまじまじと眺め、物珍しそうに乳房を両手で触る。後者の女ターミネーターは、パトカーに追跡されている最中、ふと見た巨乳の女性が映った広告看板を真似て、自分の胸を風船のように膨らませる。ともに彼女を追跡していた男性警官はその胸に気を取られてつい油断する――。どちらの映画も、エイリアンや女ターミネーターが関心を向けるのが女の乳房であるという点が興味深い。

この文脈で、逆のパターンを考えると、男のカラダになったエイリアンやターミネーターが鏡の前で関心を向けるのは、自分の下半身にある奇妙な突起物であるということになるか。

※「ヒドゥン」の女性ストリッパー。(「FRAGILE」より)