2013-04-15 18:57:36

愛しき馬伝説416 ロングヒエン

テーマ:愛しき馬伝説⑭

飛燕(ひえん)、素晴らしい速さで飛ぶ燕(つばめ)。


悲しいまでに、速かった。




悲燕。




その金色に輝く栗毛色の疾走を、人々は目を輝かせて見つめた。



ロングヒエン。

父ホープフリーオン、母セラ。母の父タカウォーク。


1979年、4月5日。北海道静内町・武岡牧場で生まれたロングヒエン。

父ホープフリーオンはアメリカ産。競走成績はそう素晴らしいものではないが、アメリカの名馬、名種牡馬アリダーの全兄として、その血統の魅力で日本に輸入された。産駒は典型的なマイラータイプが多かった。


父から貰ったスピードを武器に華々しくデビューしたロングヒエンだったが、まだ短距離路線が整備されていない時代。

クラシックこそ王道。

その時代に泣いた馬だった。




1981年、9月。阪神・3歳(現表記2歳)新馬戦。芝1200m。

9頭立て1番人気は、調教で快速ぶりを示していたリードエーティであり、単勝1.9倍、断然の人気馬だった。

ロングヒエンは3番人気。まだ、その恐ろしいスピードを誰も感じていなかった。


ゲートが開くや先頭に立ったのは、1番人気のリードエーティだった。ただ1頭ついて行ったのがロングヒエンだ。

2頭で後続をちぎる。そして、直線、ロングヒエンがリードエーティをちぎった。


見る見る離れるリードエーティ。3馬身、4馬身、ロングヒエンの鞍上・小野幸二は最後、追うことをやめた。それほどの大楽勝だった。

リードエーティに6馬身、さらに3着のオンザノーブルとは5馬身の差があった。

1分9秒9。当時の阪神競馬場の芝1200m・3歳タイレコード。



デビューいきなり見せつけたスピード。


驚愕だった。




ただ一度の走りのまま、骨膜炎で休養に入ったロングヒエン。


その間に、新馬戦で子ども扱いにしたリードエーティは新馬・特別を連勝、デイリー杯3歳Sを勝ち、阪神3歳Sを勝ち、関西の3歳王者に君臨した。


リードエーティが勝てば勝つほどにロングヒエンの評価は上がり、そのリードエーティが故障で戦列を離れると、もはやロングヒエンは伝説となった。




1982年、3月。アルメリア賞。芝1600m。

半年ぶりに復帰した伝説の馬・ロングヒエン。単勝1.2倍、当然のような圧倒的1番人気。


馬場は不良。新馬戦とは全く違った状況。あのスピードを見せつけられる馬場ではない。

おかまいなしに人々は信じた。


あのスピードを見せてくれる。

金色に輝く栗毛色の馬体は、伝説より美しい。


ゲートが開いた。誰よりも早く飛び出したロングヒエン。

逃げた。他の追随を許さぬ逃げ。


終わって見れば、2着トーキングボーイに5馬身差。さらに3着キョウエイプラッグに8馬身。さらに4着に5馬身。


ロングヒエンの見せた強さは、伝説を超えた、か?



父ホープフリーオンからもマイラー。クラシックは距離がもたない。

あの速さ、強さなら、距離は克服する。



賛否の中で、陣営はクラシック挑戦を選んだ。

クラシック以外に輝くことのない当時の日本の競馬体系。短距離血統であろうと走るしかない王道。


ロングヒエンは走った。



4月18日。皐月賞、芝2000m。

20頭立て。『華麗なる一族』ハギノカムイオー、関東の弾丸逃げ馬・ゲイルスポート。

名うての先行馬2頭に先手を取られて3番手を進んだロングヒエン。


未知の距離となる直線の攻防で、ロングヒエンは沈んだ。


関東の刺客アズマハンターが鋭く伸びて皐月賞馬となり、ロングヒエンは、あえぎ7着が精一杯だった。

距離の壁は、あまりにも大きく、高くそびえ立っていた。



NHK杯(芝2000m)をアスワンの4着と、距離の適応性をわずかながら見せたロングヒエン。



玉砕覚悟で臨んだのは、ダービーだった。




5月30日、ダービー・芝2400m。

1番人気が皐月賞馬アズマハンター。

2番人気にハギノカムイオー。

3番人気が、なんと、ロングヒエン。


距離の壁を突き破ってくれッ! ファンの切なる願い。

度肝を抜かれた新馬戦。金色に輝く姿を忘れられない者どもは、儚い信者となって熱き夢を見た。


28頭立て5番枠。ハギノカムイオーもゲイルスポートもいないダービー。すんなり逃げられる。ならば・・・、期待が失意へと変わったのは、S善波がゲートインした瞬間だった。

ゲートが開く寸前に、ロングヒエンはゲートを突き破って出てしまった。スタートやり直し。しかも、安全のためロングヒエンは28番枠の2つ外、馬番掲示のない30番枠からの出走となった。


28頭立て、大外に入ることでも最大の不運といわれるダービー。

『運のいい馬が勝つ』といわれるダービー神話の由縁は、ここにある。


そのまた、外から走るロングヒエン。

ゲートが開くや、大大外からダッシュを効かせて先頭に立った。


悲鳴と大歓声の中で、果敢に先頭に立って走るロングヒエン。

無謀といわれようと、27頭を引き連れて走ることが、いまのロングヒエンには正しい道と思えた。


直線、バンブーアトラスとワカテンザンがダービー馬の称号を争っている中、馬群に沈んでいくロングヒエン。


精根尽き果てて、15着でゴールした。



6月、中京4歳特別。芝1400m。

久々にクラシックから外れて走った短距離では、やはり王者だった。

ラブリースターに4馬身の差をつけて圧勝。レコード駆けで飾った。



秋、神戸新聞杯(芝2000m)を2着したあと、京都新聞杯(芝2000m)は14着。


菊花賞(芝3000m)は諦め、休養に入った。





1983年。

翌1984年から短距離路線が整備され、古馬の安田記念、マイルチャンピオンSがG1となることが発表された。

願ってもないこと。


短距離路線に光りがあたることになった。



3月、マイラーズカップ。芝1600m。

1番人気、ロングヒエン。

半年ぶりも、マイルの輝きは違うことを誰もが認めていた。


桜花賞馬ブロケード、ダービー馬オペックホース、天皇賞2着馬カツアール。

相手に不足はない。


一気に逃げたロングヒエン。

明るい明日へ向かって、逃げに逃げた。


金色に輝いた。

ブロケードを1馬身差退け、勝利。




明日への明るい勝利のはずが、屈腱炎を発症。


長期休養を余儀なくされた。




1984年。

短距離馬にとって、待望のグレード制導入元年。マイルG1レースの誕生。


屈腱炎、うずくまってはいられない。


ロングヒエンは復帰した。



10月、貴船特別・ダート1400m。

1年7カ月ぶりの実戦。

脚試しのダートでも、走れる、その喜びだけで満足だった。


それでもがんばり、3着に残ったロングヒエン。




10月28日、スワンS・芝1400m。


1番人気は、グレード制導入によって短距離の王者となるニホンピロウイナー。

ロングヒエンにとっては、いつか雌雄を決する相手。復帰2戦目とはいえ、負けられなかった。



逃げたのはニホンピロウイナー。2番手につけたロングヒエン。

新馬戦を思い出したロングヒエン。


圧倒的1番人気、リードエーティが逃げる。2番手で追いかけたロングヒエン。

負けられない、思いが脚を動かした。見る間に交わし、引き離した。


明日のために・・・負けられない。


ロングヒエン。



3コーナー過ぎ、2番手にいたロングヒエンが一気に下がった。



失速。



競走中止。


自慢の栗毛が淀んでいる。




右前脚粉砕骨折。




予後不良。




安楽死処分。





あまりにも、運命は酷だった。





ロングヒエン。




悲燕。




秋風の中を飛んだ、泣き燕(つばめ)。
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