セオドア・ルーズベルト | 麻布で働く社長のBlog

セオドア・ルーズベルト

”失敗する事があっても、大きなことに取り組んで栄誉ある勝利を獲得する事の方が、たいした苦労もしない代わりにたいした喜びもしない臆病者の群れに加わるより、はるかにいい。臆病者は、勝利も知らなければ、敗北も知らない灰色の生活を送っているのだから”   セオドア・ルーズベルト1899


ビジョナリーカンパニーを読んでいたら、朝からインパクトが強いフレーズ。。いたたたた・・痛い・・痛いかも?(笑)でも、同じような感覚を覚えた人は沢山いるんじゃぁ無いかな??かなり核心を突かれているようで現状にほんの少し満足気だった気持ちがシャンとなったような気がする。


勿論、人生勝ち負けだけじゃぁ判断なんてできないけど、イベントの1つ1つにフォーカスして、その細部にフォーカスしてから、そのスコープの上位概念を考えていけば勝敗って明らかになっていくように思える。この仕事が取れたら勝ちで取れなかったら負けみたいに単純じゃぁ無くて、犠牲フライみたいな仕事も意思決定も有るけど、それは勝負の範囲を変えていくと何れ勝敗が見えて来る。自分が関与している事のみではなくて、それによって最終的な成果物をも視野にいれそこまでにあくなき追求をする。これが勝負に拘るってこのなのかも知れない。


ここで、セオドア・ルーズベルトの経歴に軽くふれたいと思う。
日露戦争(1904~1905年)調停した。翌年(1906年)には、その功績によってノーベル平和賞を受賞している。彼は、1898年、スペインとの紛争に参加した。彼は、常に全軍の先頭に立ち、長い剣を振りながら、大声で「来れ!来れ!」と叫んだ。それまでの将軍の号令は「進め!進め!」であった。自分が後方にいて叫んでいた。ルーズベルトは、指揮官として命をかけて戦った。戦いにおいては、まず「将」自らが闘争の意志を鮮烈に示すことである。あいまいな、腹の決まらないリーダーのもとでは、あとに続く人々の士気が高まるはずがない。ルーズベルトの率先垂範に、兵士たちも奮い立たずにはおれなかった。指導者の凛とした“獅子呪”が、大勢の人々に勇気をもたらす。その模範であった。彼の軍は連戦連勝。彼は、「来れ将軍」と呼ばれ、勇名をとどろかせたのである。


これは、自身の考えているリーダー像と完全に合致している。勿論根性論だけではどうにもならないこともある事は確かだし。このときにリーダが戦死した事に対するリスクヘッジが必要なのも十分に理解できるが、やはりその点を踏まえてもリーダーはこうあるべきだと思う。



そんなに人が発している言葉を否定する事なんかできない訳で、、と少しずつ自分にプレッシャーをかけてみたりして・・・