「顔のないヒトラーたち」「ハンナ・アーレント」拝見 | 時は止まる君は美しい

時は止まる君は美しい

巡りあった美しい人達の記憶を重ねます・・・
B面ブログ「扉・鎧戸・宵の口」も始めました。

 

昨日に続き奇しくも同時期を描いた映画を

 

ここまで同時期出来事を描いた作品と、強く意識してではないのですが、

戦争について考える映画を拝見するのは、とてもエネルギーが必用で苦しい

昨日、アイヒマンについての映画を拝見したので、意を決し、

拝見するべく用意していた、中から二作品を続けて拝見しました。

2014年ジュリオ・リッチャレッリ監督作品、

「Im Labyrinth des Schweigens(顔のないヒトラーたち)」(ドイツ)

 

 

1963年ニュールンベルグ裁判も終わり、復興したドイツで、

「過去」として決着し、忘れたい出来事とされていた、ホロコーストの現実。

 

 

アウシュビッツで従事したナチスの党員が教師として働いているのを、

アウシュビッツで双子の娘たちを亡くした父が目撃したことに始り、

フランクフルト・アウシュビッツ裁判が実現されるまで。

 

 

 

 

徹底的に事実を追跡し、証拠を捜した、若き担当検事の視点で描いた作品。

この裁判によって、ドイツにおいてのナチスの認識現実として語られるようになったと言います。

 
 
 

 

主人公の恋の相手がドレスメーカーを始めるところや、復興された建物のモダンさに、

戦後20年が経、新しい世代が育っていることが随所感じられました。

 

2012年マルガレーテ・フォン・トロッタ監督作品、

「Hannah Arendt(ハンナ・アーレント)」(ドイツ、ルクセンブルグ、フランス)

 

 

 

1961年アドルフ・アイヒマン裁判に対し、「ニューヨーカー」の特派員として、

裁判を傍聴し、「悪の凡庸さ」を結論付ける記事を書いた、

哲学者ハンナ・アーレント(バルバラ・スコヴァ様)を描いた作品。 

 

 

 

若き日のアーレント様をフリーデリーケ・ベヒト様という、

「顔のないヒトラーたち」で恋人役を演じられた方が演じておられました。

哲学者、ハイデッガー様と、お若い時不倫関係でらしたことがおありなんですね。

 

 

 

収容所内で生き残るため、責任者となりナチスの為に働いたユダヤ人への言及、

ただの凡人として、アイヒマンの行為を批判は出来ても断罪は出来ないとした記事。

自らも、亡命によってナチスの手から逃れた身でありながら、

彼女の理論は、若い人たちの共感は得ても、実際に弾圧された人々を傷つける

 

 

 

ユダヤ人社会から、大きな反発を受け、家族同然の友からも背を向けられ、

その批判は今も続いている。

 

 

 

拝見して思うことを、文章として書くのは簡単ではありません

今日は、Wikipedia引用されている、アーレント様の文章で締めくくらせて頂きます。

昨日拝見した作品も、この言葉が反映されているように感じます。

 

 

「アイヒマンは、ただ命令に従っただけだと弁明した。

彼は、考えることをせず、ただ忠実に命令を実行した。

そこには動機も善悪もない。思考をやめたとき、

人間はいとも簡単に残虐な行為を行う。

思考をやめたものは人間であることを拒絶したものだ。

私が望むのは考えることで人間が強くなることだ。」