探検!呪われたリゾート廃墟 | 石垣島ライフ♪

探検!呪われたリゾート廃墟

島の最北に「うなり崎」と呼ばれる場所がある。


西表島移住日記

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ちょうど半島の先端部分です。


うなり崎は、トゥドゥマリの浜(月が浜)に面しており、トゥドゥマリとは”留まる”という意味から由来している。

神が”留まる”ことで、月の神様が降りて遊ぶ浜として古来より地元住民の聖地となっていた場所だ。

トゥドゥマリの浜は現在、「月が浜」と呼ばれているが、これは海岸線が三日月の様な弧を描いている事から30年程前にリゾート会社が付けた名前らしい(リゾートが破綻した現在は再び「トゥドゥマリの浜」に改められる動きがある)

そして、うなり崎には「うなり崎御嶽」と呼ばれる御嶽 があった。

御嶽とは神様の来る聖地であり、「うなり」とは「女」の事を指し、うなり崎御嶽は女神様で「航海安全」の護り神の聖地でもあった。

古来より西表では田植えが1~2月に終え、稲刈りは6月頃から始まるのだが伝承では稲刈りが終えるまで『女を舟にのせて「うなり崎」をまわってはならない』など厳しく戒められていたそうだ。

もしもそのタブーを犯した時には「にわかに嵐となり舟が転覆する」とまで言われている。

また浦内川上流域の「カンビレー」は12年に一度干支の年には島中の神々が集い交際する聖地であり、カンビレーからトゥドゥマリ浜、うなり崎に至るまで神々がいったり来たりする西表島の精神文化の中心地とされていた。

その為、昔から浦内のトゥドゥマリ浜は「神々の聖地」として浦内部落の行事もこの浜ではしなかったそうだ。

人々が唯一許されたのは八月十五夜の晩に神々と一緒にトゥドゥマリ浜での「神遊び」だけだったそうだ。

そして、この聖地を汚した者には『天罰が下る』と言い伝えられている。

今から30年以上も昔の1972年に真喜屋優という人が「太陽の村」という一大リゾートを計画した。

その際に彼は何と!「うなり崎御嶽」を重機で破壊して自分の別荘を建てるという暴挙を行ったのだ!

当時、近隣に住んでいたお年寄り達は「あれはカンヌトゥガ(天罰)が当たる」と予言し、その予言通りわずか10年にして太陽の村は倒産する事となった。

 その後、日本を代表する西武グループが太陽の村を買い取り、一大リゾートを計画したのだが、これもバブル崩壊で撤退を余儀なくされた。

太陽の村リゾートの残骸は今も「うなり崎」に廃墟となって、そのまま残されている。

また太陽の村リゾート以前には西表の石炭王といわれた野田小一郎という人が、浦内部落を「炭坑基地」とすべくトゥドゥマリ浜へ石炭積出桟橋を作ったのだが、一度も使わない内に嵐がきて破壊されてしまったらしい(残骸は今もトゥドゥマリ浜に残されている)

そして晩年には狂乱状態となり糞をまき散らし自分の糞を食べるという悲惨な最期であったという。



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建物の壁には「神秘の黒真珠館」の文字が…


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入口から見た暗い廊下


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広い館内は当時を想像する事も難しいほど荒れている。


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この台座のようなモノは黒真珠を展示していた台座だろうか?


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浴室とトイレがあるところをみると宿泊施設も兼ねていたのだろうか?


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建物からトゥドゥマリの浜を見ると素晴らしい絶景が広がっている!!

確かにリゾート地にするには絶好のロケーションだ!!


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階段から下にも降りれるような設計になっている。



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降りた先には展望台でもあったのだろうか???

赤レンガの土台のようなモノだけが残っている。


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反対側にも建物が見える。


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草木が生い茂っており、これ以上は入れない。

竹富町の「立ち入り禁止」看板もあったので入るのは断念した。


写真には撮らなかったのだが、お線香をあげている場所があった。

太陽の村リゾート時代に観光に来た若い女性が夜の「うなり崎」から海へ落ち原因不明の死亡事故があり1週間目に水死体で発見されたらしい。

もしかしたら当時の供養をする人が今でもいるのかもしれない。


確かにリゾート地としては素晴らしいロケーションではあったけど、乱暴な開発をした為に天罰を下されたのかもしれないね…。

聖地を破壊され、廃墟となった建物を見て、神々はどう思っているのだろうか?


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