アメリカに嵌められた日本 | MAXIQ(山海草木庵)のブログ・・パチンコ撲滅!!・・ヘンタイ禁止!!・・アメーバからオデン文字を撤去しろ!韓流テレビの宣伝もするな!

MAXIQ(山海草木庵)のブログ・・パチンコ撲滅!!・・ヘンタイ禁止!!・・アメーバからオデン文字を撤去しろ!韓流テレビの宣伝もするな!

朝日新聞は明確な意思をもって日本を葬ろうとしている。
朝日新聞を潰さない限り、日本に未来は無い。
だが、シナ共産党がある限り、朝日新聞は潰れない。
ではどうするか?・・・
とりあえず、朝日新聞社長と社員全員○刑台に送れ。
話はそれからだ。

まあ、アメリカに嵌められたというか、こすい

大人に嵌められた純粋な少年です。


私はハル・ノートはまだ勉強中です。複雑で

今のところまだよく分かりません。


ただし、はっきりしていることは、白人の正義

は、白人は人間だが有色人種は家畜であり

差別され搾取されて当たり前という白人の

常識により、日本は非正義の生意気なイエ

ローモンキー、世界の強国になるなど許せ

ない潰してしまえ。という白人の正義により、

日本は追い詰められていたということであり


ルーズベルトは、日本を怒らせ戦争の口火

を切るようにし向け、日本の奇襲攻撃を口実

に、戦争反対だった米国民を「けしからん、

日本やっつけろ!」と言わせたことです。


そういうわけで、以下を再UPします。


フランクリン・デラノ・ルーズベルト

(1882~1945)



ruzuberuto


アメリカ合衆国第32代大統領(1933~1945)



第二次世界大戦前、大半の米国市民も米国の

財界も政治家も、米国の参戦には反対であった。


世界の外交政策においては、ときに経済制裁を

行なうことがあるが、これは武力を用いないだけ

で事実上の戦争とみなされることがある。


ルーズベルト大統領は、米国が経済政策を実施

するために足かせになる米国内の法律を次々に

改正するとともに、英国等と組み、ABCD包囲

と後に呼ばれる日本に対する経済封鎖を強めて

行った。


以下、ウィキペディア「ABCD包囲網 」よりコピペ


対日経済封鎖


アメリカによる対日封鎖と経済制裁のあらましを記す 

  • 1937年(昭和12年)10月5日 ルーズベルトによる「隔離演説
  • 1939年(昭和14年)7月 日米通商航海条約破棄を通告
  • 1939年(昭和14年)12月 モラル・エンバーゴ(道義的輸出禁止) として航空機ガソリン製造設備、製造技術の関する権利の輸出を停止するよう通知。
  • 1940年(昭和15年)1月 日米通商航海条約失効
  • 1940年(昭和15年)6月 特殊工作機械等の対日輸出の許可制
  • 1940年(昭和15年)7月 国防強化促進法成立(大統領の輸出品目選定権限)
  • 1940年(昭和15年)7月26日 鉄と日本鉄鋼輸出切削油輸出管理法成立
  • 1940年(昭和15年)8月 石油製品(主にオクタン価87以上の航空用燃料)、航空ガソリン添加用四エチル鉛、鉄・屑鉄の輸出許可制
  • 1940年(昭和15年)同8月 航空機用燃料の西半球以外への全面禁輸
  • 1940年(昭和15年)9月 屑鉄の全面禁輸
  • 1940年(昭和15年)12月 航空機潤滑油製造装置ほか15品目の輸出許可制
  • 1941年(昭和16年)6月 石油の輸出許可制
  • 1941年(昭和16年)7月 日本の在米資産凍結令
  • 1941年(昭和16年)8月 石油の対日全面禁輸

(ウィキペディア「ABCD包囲網 」より)



ルーズベルト大統領の計略


近年になって、フーバー大統領が記されていたと

いう「フーバー回想録」なるものが出版された。


これについて、中央大学客員教授稲村公望氏が

次のように述べられている。


月刊日本.2012/2/20

ルーズベルトが日本を戦争に引きずり込んだ ―― 

『Freedom Betrayed』のどこに注目すべきか。

稲村氏談

 フーバー大統領死去から実に四十七年の歳月を経て刊行された同書は、フランクリン・ルーズベルト大統領を厳しく批判しており、同書の刊行はいわゆる「東京裁判史観」清算のきっかけになるほど重大な意味を持つ。例えば、フーバーは回想録の中で、次のように書いている。  「私は、ダグラス・マッカーサー大将と、(一九四六年)五月四日の夕方に三時間、五日の夕方に一時間、そして、六日の朝に一時間、サシで話した。(中略)  私が、日本との戦争の全てが、戦争に入りたいという狂人(ルーズベルト)の欲望であったと述べたところ、マッカーサーも同意して、また、一九四一年七月の金融制裁は、挑発的であったばかりではなく、その制裁が解除されなければ、自殺行為になったとしても戦争をせざるを得ない状態に日本を追い込んだ。制裁は、殺戮と破壊以外の全ての戦争行為を実行するものであり、いかなる国と雖も、品格を重んじる国であれば、我慢できることではなかったと述べた」  これまでも、チャールス・A・ビアード博士らが日米戦争の責任はルーズベルトにあると主張してきた。対日石油禁輸について、ルーズベルト大統領から意見を求められたスターク海軍作戦部長が「禁輸は日本のマレー、蘭印、フィリピンに対する攻撃を誘発し、直ちにアメリカを戦争に巻き込む結果になるだろう」と述べていた事実も明らかにされていた。しかし、ビアードらの主張は「修正主義」として、アメリカの歴史学界では無視されてきた。つまり、ルーズベルトの責任がフーバーの口から語られたことに、重大な意味があるのだ。  『フーバー回想録』には、対日経済制裁について次のように明確に書かれている。  「…ルーズベルトが犯した壮大な誤りは、一九四一年七月、つまり、スターリンとの隠然たる同盟関係となったその一カ月後に、日本に対して全面的な経済制裁を行ったことである。その経済制裁は、弾こそ撃っていなかったが本質的には戦争であった。ルーズベルトは、自分の腹心の部下からも再三にわたって、そんな挑発をすれば遅かれ早かれ(日本が)報復のための戦争を引き起こすことになると警告を受けていた」


月刊日本.2012/2/20



太平洋戦争の日米開戦は、ルーズベルトに

よる経済制裁という事実上の戦争により、

仕掛けられたものであった。



(参照)

地球史探訪:ルーズベルトの愚行

http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h11_2/jo



(再UP) 2015/11/26 もえ太郎


‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐

UP履歴

(再UP) 11/26 18:21