極東国際軍事裁判は、第二次世界大戦で日本が終戦した後の1946年5月3日から1948年11月12日にかけて行われました。連合国が「戦争犯罪人」として指定した日本の指導者などを裁いた一審制の軍事裁判でした。
ねずブロの東條英機元首相の遺書から、どんな裁判であったのかをご紹介いたします。



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東条英機元首相の遺書はいろいろなところで紹介されているのですが、実はかなり意図的な改ざんが目立つものとなっています。
たとえ総理といえども、他人の遺書を改ざんするなど、もっての他と思うのですが、ほんとうに売国左翼や在日たちの悪意には、ほとほとあきれ果ててしまいます。

たとえば、遺書に「今回の処刑を機として、敵・味方・中立国の国民罹災者の一大追悼慰安会を行われたし。世界平和の精神的礎石としたいのである」という文があります。

東京裁判で、戦犯として処刑されることが決まった元総理が、戦争の責任は、自分たちが全部負って死ぬから、いったん、それはそれで終わりにして、戦争で亡くなられた方々、あるいは被災した方々について、敵味方の区別なく、みんなで追悼会を開催してほしい、というよびかけです。

なぜそれをしようというのかといえば、敵も味方もない、戦争の悲惨をくり返さないために、その世界的一大追悼会を、世界平和の精神的礎石にしてほしい、というお言葉です。

ところが、いろいろなところで紹介されている遺書をみると、肝心の「世界平和の精神的礎石としたいのである」や、「慰安会」が取り払われて、単に、「今回の処刑を機として敵、味方、中立国の罹災者の一大追悼会を発起せられたし」とされていたりします。
つまり、なんのために、という東条元首相の熱い気持ちやメッセージが、見事に消されているのです。

あるいは、「再建軍隊の教育は、精神教育を採らなければならぬ。という文があるのですが、これなどは主語が改ざんされて、「教育は、精神教育を採らなければならぬ」にされたりしています。

将来再建する軍について、単に強いばかりの軍を築くのではなく、精神性を大事にせよと言っているのに、主語が変わると、まるで子供達への「教育は精神教育を第一とせよ」と言っている、つまりまるっきり右翼的軍国主義的な主張であるかのごとき誤解を与える文章にされたりしています。

さらにこの文は、軍隊の再建について「忠君愛国を基礎としなければならぬが、(旧陸海軍の一部に)責任観念のないことは淋しさを感じた」とされているのですが、これがまた「責任感をゆるがせにしてはならぬ」と変えられているものが多いようです。

まだあります。この続きとして東条英機元首相の遺書には、軍の責任観念について「大いに米国に学ぶべきである」と書いているのに対し、それが「教育は、大いに米国に学ぶべきである」とすり替えられていたりしています。

この一文は、戦争遂行責任者としての東条英機元首相からみた、陸海軍への感想です。
両軍ともに忠君愛国の念は非常に堅牢なものがあったにもかかわらず、本部命令に現場が背き、進撃すべきものを現場指揮官の判断で勝手に逗留したり、反転したりするような事態が、前線において顕著にみられた、そうすることによって、勝てた戦いが負けに終わってしまったということが、実際、いくつも起こっています。
人を大切にし、人と人とが対等であるという観念の強い日本ですが、軍においては、一部の人のそうした振る舞いが、大勢の命を奪うことになる。
これは軍の総責任者であった東条首相だからこそ言える苦言であろうし、そうであるがゆえに、とても大切な一文であるにもかかわらず、それが単に「教育」という言葉にすり替えられる。
ひどい話です。

東条英機元首相は、昭和23(1948)年12月23日に、東京巣鴨において刑死されました。64歳でした。
東条英機元首相は、明治17年生まれ。陸軍大学を卒業し、陸軍大将となられ、改選前の昭和16(1941)年10月に、勅命をもって内閣総理大臣に就任されています。

処刑後、GHQは、日本の総理大臣だったのだから、きっと隠し財産がいっぱいあるに違いないと、東条英機元首相の青森の実家にまでおしかけ、徹底した家捜しと取り調べをしたそうです。
ところがめぼしい財産など、なにひとつ出て来ない。
当時の日本はとても貧しかったけれど、その貧しい中でも、とびきり貧しいのかと思えるほど、なにひとつ財産らしい財産は、出て来なかったそうです。

先日も書かせていただきましたが、日露戦争くらいまでは、世界の資源エネルギーは石炭だったのです。
それが第一次世界大戦頃から、エネルギーの中心が石油に変わりました。
日本は、石炭は自国内で産出できます。
けれど、日本に石油はありません。
これは、エネルギーの最先端にある軍にとっては、きわめて重大な事態でした。
しかも日本は、その石油の多くを米国から輸入していたのです。

陸海軍の士官学校を卒業された軍の高官たちにとって、このことは致命的ともいえる大問題でした。
ですから東条閣下が開戦前に、米国から石油の輸出を差し止められ、日本が追いつめられたときに、若い部下たちや、メディアから即刻開戦せよ!と迫られ、「石油ごときのために戦争がはじめられるか!」と激怒されたというのは有名な話です。

それでも開戦に踏み切らざるを得なかった。
その決断をした者として、戦後、戦争の全責任を負わざるを得なかった。
そしてそういう東条英機元首相が、地位を利用した自分の財産など毛筋一本残さず、お金のためなどではなく、天下国家のためにその生涯を捧げぬいたというこのことは、私達は、批判ではなく、謙虚に事実を事実として受け止める必要があるのではないかと思います。

その東条英機元首相の遺言状をここに掲載します。
死の直前の文です。
私には、この文が、まさに戦前の日本人の良心の血の叫びのように、聞こえるのですが、みなさんはいかがでしょうか。

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【遺言】

開戦当時の責任者として敗戦のあとをみると、実に断腸の思いがする。
今回の刑死は、個人的には慰められておるが、国内的の自らの責任は、死をもって贖(あがな)えるものではない。しかし国際的の犯罪としては、無罪を主張した。いまも同感である。

ただ力の前に屈服した。
自分としては国民に対する責任を負って、満足して刑場に行く。ただこれにつき、同僚に責任を及ぼしたこと、また下級者にまでも刑が及んだことは実に残念である。
天皇陛下に対し、また国民に対しても申し訳ないことで、深く謝罪する。

元来、日本の軍隊は、陛下の仁慈の御志により行動すべきものであったが、一部過ち犯し、世界の誤解を受けたのは遺憾であった。このたびの戦争に従軍して斃れた人、およびこれらの人々の遺家族に対しては、実に相済まぬと思っている。
心から陳謝する。
 
今回の裁判の是非に関しては、もとより歴史の批判に待つ。
もしこれが永久平和のためということであったら、も少し大きな態度で事に臨まなければならぬのではないか。この裁判は、結局は政治裁判に終わった。勝者の裁判たる性質を脱却せぬ。
 
天皇陛下の御地位および陛下の御存在は、動かすべからざるものである。
天皇存在の形式については、あえて言わぬ。
存在そのものが絶対に必要なのである。

それは私だけでなく多くの者は同感と思う。
空間や地面のごとき大きな恩は、忘れられぬものである。

東亜の諸民族は今回のことを忘れて、将来相協力すべきものである。
東亜民族もまた他の民族と同様、この天地に生きる権利を有つべきものであって、その有色たることを、むしろ神の恵みとしている。

インドの判事には、尊敬の念を禁じ得ない。
これをもって東亜民族の誇りと感じた。
今回の戦争によりて東亜民族の生存の権利が了解せられ始めたのであったら、幸である。
列国も排他的の感情を忘れて、共栄の心持をもって進むべきである。

現在の日本の事実上の統治者である米国人に対して一言するが、どうか日本の米人に対する心持ちを離れしめざるように願いたい。
また、日本人が赤化しないように頼む。

東亜民族の誠意を認識して、これと協力して行くようにされなければならぬ。
実は東亜の多民族の協力を得ることができなかったことが、今回の敗戦の原因であると考えている。
今後、日本は米国の保護の下に生活していくのであらうが、極東の大勢はどうであらうか。

終戦後わずか3年にして、亜細亜大陸赤化の形勢は斯くの如くである。
今後のことを考えれば、実に憂慮にたえぬ。
もし日本が赤化の温床ともならば、危険この上ないではないか。

今、日本は米国よりの食糧の供給その他の援助につき感謝している。
しかし一般が、もし自己に直接なる生活の困難やインフレや、食糧の不足等が、米軍が日本に在るがためなりというような感想をもつようになったならば、それは危険である。

実際は、かかる宣伝をなしつつある者があるのである。
よって米軍が、日本人の心を失わぬよう希望する。

今次戦争の指導者たる米英側の指導者は、大きな失敗を犯した。

第一は、日本といふ赤化の防壁を破壊し去ったことである。
第二は、満州を赤化の根拠地たらしめた。
第三は、朝鮮を二分して東亜紛糾の因たらしめた。

米英の指導者は、これを救済する責任を負うて居る。
従ってトルーマン大統領が再選せられたことは、この点に関して有り難いと思ふ。

日本は米国の指導に基づき、武力を全面的に抛棄(ほうき)した。これは賢明であったと思う。
しかし、世界全国家が、全面的に武装を排除するならばよい。
然(しか)らざれば、盗人がばっこする形となる。泥棒がまだいるのに警察をやめるやうなものである。 

私は、戦争を根絶するには欲心を取り払わねばならぬと思う。
現に世界各国は、いずれも自国の存在や自衛権の確保を主としている。これはお互いに欲心を抛棄(ほうき)して居らぬ証拠である。

国家から欲心を除くということは、不可能のことである。
されば世界より今後も戦争を除くということは不可能のことである。

これでは結局は人類の自滅に陥るのであるかも判らぬが、事実はこの通りである。それゆえ第3次世界大戦は避けることができない。

第3次世界大戦に於いて主なる立場に立つものは、米国およびソ連である。
日本とドイツというものが取り去られてしまった。

それがため米国とソ連というものが直接に接触することとなった。
米・ソ2国の思想上の相違はやむを得ぬ。
この見地からみても、第3次世界大戦は避けることはできぬ。

第3次世界大戦において極東、日本と支那と朝鮮が、その戦場となる。
この時にあって、米国は武力なき日本を守の策を立てなければならぬ。
これは当然米国の責任である。

日本を属領と考えるのであったならば、また何をかいわんや。
そうでなしとすれば、米国は何等かの考えがなければならぬ。

米国は、日本人8千万国民の生きて行ける道を考えてくれねばならない。
およそ生物として、自ら生きる生命は、神の恵みである。
産児制限の如きは神意に反するもので、行うべきでない。

なお言いたきことは、公・教職追放や戦犯容疑者の逮捕の件である。
いまは既に、戦後3年を経過しているのではないか。
従ってこれは速やかに止めてほしい。
日本国民が正業に安心して就くよう、米国は寛容な気持ちをもってもらいたい。

我々の処刑をもって一段落として、戦死病者、戦災死者、ソ連抑留者の遺家族を慰安すること。
戦死者、戦災死者の霊は、遺族の申出あらば、これを靖国神社に合祀せられたし。
出征地に在る戦死者の墓には保護を与えられたし。
従って遺族の希望申出あらば、これを内地へ返還されたし。
戦犯者の家族には保護を与えられたし。

青少年男女の教育は注意を要する。将来大事なことである。
近時、いかがわしき風潮あるは、占領軍の影響からきているものが少なくない。
この点については、我国の古来の美風を保つことが大切である。

今回の処刑を機として、敵・味方・中立国の国民罹災者の一大追悼慰安会を行われたし。
世界平和の精神的礎石としたいのである。

もちろん、日本軍人の一部の間に間違いを犯した者はあらう。
これらについては衷心謝罪する。

これと同時に無差別爆撃の投下による悲惨な結果については、米軍側も大いに同情し憐憫して悔悟あるべきである。

最後に、最後に軍事的問題について一言する。

我国従来の統帥権独立の思想は確かに間違っている。
あれでは陸海軍一本の行動は採れない。

兵役制については徴兵制によるか、傭兵制によるかは考えなければならない。
我が国民性に鑑みて、再建軍の際に考慮すべし。

再建軍隊の教育は、精神教育を採らなければならぬ。
忠君愛国を基礎としなければならぬが、責任観念のないことは淋しさを感じた。
この点については、大いに米国に学ぶべきである。

学校教育は従前の質朴剛健のみでは足らぬ。
人として完成を図る教育が大切だ。
いいかえれば宗教教育である。
欧米の風俗を知らすことも必要である。

俘虜のことについては、研究して、国際間の俘虜の観念を徹底せしめる必要がある。

 辞 世

我ゆくも
またこの土地に かへり来ん
国に酬ゆることの足らねば

さらばなり
苔の下にて われ待たん
大和島根に 花薫るとき

散る花も
落つる木の実も 心なき
さそうはただに 嵐のみかは

今ははや
心にかかる 雲もなし
心豊かに 西へぞ急ぐ

~~~~~~~~~~~~~

この遺書を読んで思うのは、次の三つです。

第一に、ひとつの時代を責任者として真剣に生きた人を、後世の平和な日本という環境の中で、裁いたり評価したりするのは間違っている、ということです。
もっと謙虚に、そこから「学ぶ」という姿勢が必要なのではないかと思います。

第二に、東条英機閣下は「戦争犯罪者」ではなく、「戦争責任者」であるということです。
戦争犯罪者というのは、非常に偏った内容を持つ東京裁判史観による一方的な評価でしかありません。

東条英機元首相は、日本国中が「鬼畜米英」と「開戦やむなし!」「ススメ一億火の玉だ!」などといたずらに戦争を煽っている中、昭和天皇から、そのアオリを抑えれるのは東条しかいない、と言われて総理の任命を受けられています。

昭和16年12月8日、日本は真珠湾攻撃を成功させていますが、その翌日の明け方、開戦回避を熱望していた昭和天皇の期待に応えることができなかったと、東条英機首相は、懺悔の念に耐えないと、首相官邸で皇居の方角に向かって号泣したそうです。

そういう経緯があったからこそ、総理の職を辞した時に、昭和天皇から異例の感謝の勅語を贈られているのです。これも有名な話です。

日米が開戦してから、約100日、日本は東南アジアではなく、米国領だったフィリピンや太平洋においても、米陸海軍をことごとく打ち破りました。
まさに破竹の勢いでした。
日本国中が勝った勝ったと沸き立ちました。

ということは、同じころの米国内は、負けた負けたという報道ばかりです。
米国内は、負け戦のたびに失われる米兵の生命で、国内世論が日米開戦に踏み切ったルーズベルト大統領に対して怨嗟の声が満ち溢れる状況となりました。

米国としては、なんとしても日本に一撃を加えなければならない。
そこで行われたのが、ドーリットル空襲です。

これは、陸軍が持っている長距離爆撃機を、海軍の空母から飛ばす。そうすることで、日本の東京や名古屋などの都市を空爆しようというものでした。
一般人への無差別攻撃ですから、これは明らかにハーグ陸戦条約違反です。
その違反を承知で、日本本土空襲を行わなければならない、そんなところまで、当時の米国政府は追いつめられていたのです。

空爆は実施されました。
現実の被害はたいしたことはなく、「ドゥ、リトルだった」と、日本から揶揄される程度のものだったのだけれど、米国内では、開戦後、はじめて日本をやっつけた快挙として、おおいに戦意高揚に寄与しました。

この空爆のとき、撃ち落された米軍機の乗員が日本の捕虜になりました。
一般人を巻き込んでハーグ条約を破って本土攻撃をしたわけです。
これは国際法上は、戦争行為としては本来認められず、民間人大量虐殺の刑事犯です。

日本の参謀本部は、犯人を即刻死刑にすべし!と東条総理に建言しました。
けれど東条総理は、これを許可しませんでした。
現行犯として処断するのではなく、世界中のだれが見ても正当な軍事裁判を行って、ことを処理せよ、と命じています。

ひとついえることは、戦争責任者として、ただしく事を進めようとしても、あるいは人として正しく生きようとしても、相手がそういうことを無視して非道を働くなら、そこでは正義も道理も条理も真実も、全部ないがしろにされてしまう、それが社会の現実だ、ということです。

人の世の正義、人の世の真実は、ときに力による正義や力による支配を望む者たちによって、蹂躙(じゅうりん)されます。
それが世の中の現実です。

けれどそうした現実は、結局は一部の人の幸せと贅沢、多くの人々の貧困と不幸しか招きません。

そういう力による支配や力の正義に、最後の最後まで戦い抜き、そして血の出るような遺書を残されたのが東条英機元首相でもあったわけです。

もちろん、戦争の責任がそれによって帳消しになるものではありません。厳しいことを申上げるようだけれど、責任者というものは、そういうものです。

けれど戦後72年が経ち、開戦から76年が経過したいま、私達は、もういちど冷静になって、真実はどこにあるのかを、先入観や偽造、変造、捏造をとりはらったところで、事実に基づいて冷静に考えてみる必要があるのではないかと思います。

すくなくとも、たとえ相手が著名な学者の先生であろうとも、死を目前にした他人の遺書まで改ざんするような、とんでもない連中のいう事など、いっさい信用するに値しないと思うからです。

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