Intrepidのブログ

主に、民主主義と再生可能エネルギーについて、投稿します。


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1944年10月のレイテ沖海戦以降、日本海軍は、特別攻撃隊、いわゆる神風特攻隊を編成、爆弾を搭載した飛行機による敵艦への体当たり攻撃を実施しました。

海軍の第1航空艦隊司令長官であった大西瀧治郎中将や、第5航空艦隊司令長官であった宇垣纏(まとめ)中将の主導により進められた作戦でした。

まだ20歳になるかならないかのパイロットが、神風特攻隊員として出撃しました。陸軍機による特攻隊も含めると、終戦までの間に、数千名のパイロットが特攻隊員として出撃しました。

アメリカ軍の圧倒的な戦力に対抗し、爆弾の命中精度を上げ、国体を護持するためには、この作戦しかないというのが、当時の軍指導部の論理でした。

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しかしながら、本来のPROFESSIONAL SOLDIERであれば、「この戦争が終わったあと、日本を復興させるという大切な仕事がある。そのために若い人たちに生き延びてもらう必要がある。自分が軍の指導的地位にある間は、特攻は絶対にさせない。」と主張すべきであったと思います。

人間を物として扱って戦争を続けるよりも、人間を人間として扱って降伏すべきでした。

国家安全保障の目的は、平和を維持し、国民の生命・権利・自由を守ることです。

民主的な文民統制(CIVILIAN CONTROL OVER THE MILITARY)の制度を整備し、先の大戦の愚行を二度と繰り返さない「仕組み」を確立すること、それが本当の意味の総括であり、戦争で亡くなったみなさんの鎮魂となると思います。


註記: 上記の見解は、私個人のものであり、いかなる団体あるいは政党の見解をも反映するものではありません。

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8月15日は、終戦記念日でした。

先の大戦において、日本国内唯一の地上戦が行なわれたのが、沖縄戦(1945年3月-6月)でした。日本の沖縄守備隊は、満州や本土からの応援部隊で増強され、沖縄市民のみなさんは、前線から離れた地域への避難を命じられました。

3月26日に沖縄本島西側に位置する慶良間諸島に上陸したアメリカ軍は、4月1日、沖縄本島の読谷村海岸に上陸、日本の守備隊を南北に分断しながら、前進を続けました。アメリカ軍の圧倒的な火力の前に、沖縄守備隊の降伏は時間の問題と思われました。

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ところが、日本軍の沖縄現地司令部は、本土決戦に向けた時間稼ぎの持久戦を行なうことを決定、守備隊司令官の牛島将軍は、日本軍をじりじり後退させ、なんと民間人のみなさんが避難している地域に日本軍を移動させました。その結果、まさに避難地域そのものが戦場となり、避難民のみなさんが砲火にさらされることとなりました。

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沖縄戦での日本側の死亡・行方不明者18万8千人のうち、実に半数の9万4千人が民間人でした。


この日本軍の行動と対照的だったのが、1942年に、シンガポールの守備に当たっていたイギリス軍の行動でした。当時、日本軍の圧倒的な戦力により包囲されていたシンガポールでは、守備隊の司令官パーシバル将軍が、これ以上抵抗を続けると、シンガポール市内での市街戦が行なわれることとなり、多くの一般市民のみなさんが犠牲になると判断、日本軍への早期の降伏を決断しました。

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当時も今も、日本では、パーシバル将軍は、大した抵抗もせず降伏した腰抜け将軍との評価が一般的ですが、市民のみなさんの命を守るという最も大切な目的を達成したという意味で、パーシバル将軍は、まさにPROFESSIONAL SOLDIERの名に値すると思います。

このふたつの事例の対比は、国家安全保障とは何なのか、そして、国家安全保障の目的は何かということを考えさせる貴重な教訓を与えてくれると思います。

国家安全保障の目的は、平和を維持し、国民の生命・権利・自由を守ることです。

民主的な文民統制(CIVILIAN CONTROL OVER THE MILITARY)の制度を整備し、先の大戦の愚行を二度と繰り返さない「仕組み」を確立すること、それが本当の意味の総括であり、戦争で亡くなったみなさんの鎮魂となると思います。


註記: 上記の見解は、私個人のものであり、いかなる団体あるいは政党の見解をも反映するものではありません。

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【先の大戦の総括と民主的な文民統制確立の必要性について】

8月6日は広島原爆の日、8月9日は長崎原爆の日でした。広島では、20万人の方々が亡くなり、長崎では、15万人の方々が亡くなりました。

原爆の日が来るたびに、私は、いつも、なぜ日本は、もっと早く降伏出来なかったのか、という思いを抱きます。

イタリアでは、独裁者ムッソリーニが解任され、1943年9月、新政権が連合国との降伏文書に調印しました。ドイツは、1945年5月に降伏しました。

1944年6月のマリアナ沖海戦で、日本の空母機動部隊は、艦載機が全滅し、以後、戦闘能力を失いました。1944年10月のレイテ沖海戦で、日本の連合艦隊の艦隊戦力は壊滅しました。

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日本は、1945年8月でなく、1944年の末に降伏すべきでした。そうすれば、広島・長崎への原爆投下もなく、東京大空襲・名古屋大空襲・大阪大空襲(1945年3月)もなく、沖縄戦(1945年3月-6月)もありませんでした。

ところが、当時の軍および指導層は、国民の多くが戦災で苦しむ中、「国体護持」に躍起になっていたそうです。国体護持とは、国の体制を維持することですが、それは言い換えると、自分たちの地位と権力をいかに維持するかということであったと思います。

軍および指導層の、降伏すれば自分たちの地位と権力が失われるかも知れないという思いが、降伏を遅らせたと思います。国民のみなさんの生命・権利・自由を守ることよりも、自分たちの地位や権力を守ることが優先されたと思います。

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そのようなことが二度と起こらないよう、日本は、国会を中心とした、民主的な文民統制(CIVILIAN CONTROL OVER THE MILITARY)の仕組みを確立し、安全保障に関し、国民が最終的な決定を行なえるようにすべきです。

そのために、法律および憲法で、安全保障に関する徹底的な情報開示と説明責任を、政府に義務付けるべきです。

それを行なって初めて、先の大戦の総括を行なったことになると思います。先の大戦の愚行を二度と繰り返さない「仕組み」を確立すること、それが本当の意味の総括であり、戦争で亡くなったみなさんの鎮魂となると思います。


註記: 上記の見解は、私個人のものであり、いかなる団体あるいは政党の見解をも反映するものではありません。
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