2007-10-06 23:27:52
ガラスを隔てた関係性
テーマ:おもいでとか
夜の駅前
交差点の信号待ち。
仕事帰りの人たちが歩いていく。
電光掲示板に流れる要約されたニュースを見るようだ。
僕にとって彼らは人でありながら人でなく
左から右へ一定の速度で流れる文字、記号でしかない。
そう、「人でありながら」
僕は最近になって
ようやく彼らを、同じように想い、喜び、悩む
人であることを意識できるようになった。
子供の頃は完全に記号だった。
スーツを着た人、若い男性、中年の女性、はげたおじさん
その違いは、たぶん関係性だろうと思う。
同じ社会人であり、同世代もいる。
共有できるものが人だと意識させる。
子供の世界は彼らとほぼ無関係だからね。
記号であって当然なんだと思う。
だから、僕も1つの記号として見られているのだろう。
寂しいとか切ないとか思わないよ。
そういうものなんだと思う。
給油したばかりの車だから
フロントガラスは存在すら忘れてしまうほど透明で
だけど、そのガラス一枚の厚みが
僕と彼らとが別にしてしまう。
時間や場所を切り離してしまうように感じる。
まるで映画を見ているみたいだ。
無名の俳優さんを使った映画で
1人でも知ってる人が出てくると、急になぜか安心する。
映像が身近に感じる。
それもきっと関係性が作用しているんだと思う。
もしエキストラでも友達が出演していたら
もっと身近に感じるんだろう。
映画と僕の距離が縮まるんだ。
だから、交差点を流れる人たちのなかに
同級生を見かけた瞬間
もう映画じゃなくなった。
ガラスは本来の役割を取り戻して、ガラス以外の何ものでもなくなった。
無表情だったよ。
交差点を歩く彼女は、まったくの記号で
仕事帰りの人で、僕の知る彼女とは違った。
僕が彼女を見つけたことで
信号で停車中の運転する人、という記号から
本来の僕を取り戻したように、彼女もまた僕を発見すれば
交差点を歩く人から
幼稚園から中学校まで一緒だった同級生を取り戻すのかな。
でも、彼女は僕に気がつかず
交差点を歩く人のまま
僕も声をかけず
少しだけ彼女との思い出を振り返り
車を運転する人という記号になる。
僕はたくさんのことを覚えている。
だけどあの頃のまま話ができるだろうか?
幼稚園の帰り、母親と買い物中に追い掛け回され
僕は必死に逃げたこと。
小学校の低学年のとき、通学路の途中にあるテニスコートを眺めていたら
テニスをしている女の人のスカートを見ているのだと思われ
エッチのレッテルを貼られたこと。
高学年になってようやく彼女の身長を追い抜いた頃
もう完全にただの同級生になって
幼稚園の頃からの関係がどこかに行ってしまったこと。
彼女はとても美人になって、寄り付けなくなったこと。
中学生でまた同じクラスになって
塾も同じになって
僕は異性を意識しすぎて、意識しすぎたためにニュートラルになって
とても仲良くなれたこと。
雪の日に、積もった雪を背中に入れあって遊んだこと。
自転車で二人乗りして、コンビニに買い物に行ったこと。
部活に行かない僕に、寂しいと言ってくれたこと。
塾のクラス替えも、学校のクラス替えでも
手を握って惜しんでくれたこと。
僕が塾をやめて少しずつ距離がひらいて
彼女に彼ができて、別れて泣いていたとき
僕に何も言ってくれなかったこと。
高校生になって駅ですれ違ったとき
声をうまくかけられなかったこと。
久々に連絡があって飲み屋で再開すれば
短いスカートをはいて、年上の彼がいたこと。
僕がとても複雑に迷っていた時期で
昔みたいに話をすることができなかったこと。
僕はなんとか自分を取り戻して
今なら昔のように話をすることができるけど
彼女もまた僕と同じように、様々な経験をして
様々な悩みに向き合って
彼女が僕の知る彼女である保障はどこにもない。
僕は彼女に落胆し
迷っていたときと同じように、また彼女を落胆させるかもしれない。
僕たちの持つ秤が永遠だったらよかったのに。
運転する人という記号になった僕の前にある一枚のガラスが
今度は想い出を映すスクリーンになって
切り離された時間の寂しさを感じた。
もう彼女は僕にとって、知っている俳優さん程度でしかなかった。
タバコに火をつけて、少し窓を開けてみれば
二人乗りでコンビニに行ったときと同じ風
僕の鼻は冬のにおいを嗅ぎ取った。
アクセルを踏むことも、ブレーキをかけることもなく
ただそれを無意識に吸い込む空気と変えずのみこむ。
右手にセブンイレブンが見えても追わない。
僕はもう慣れたんだ。
交差点の信号待ち。
仕事帰りの人たちが歩いていく。
電光掲示板に流れる要約されたニュースを見るようだ。
僕にとって彼らは人でありながら人でなく
左から右へ一定の速度で流れる文字、記号でしかない。
そう、「人でありながら」
僕は最近になって
ようやく彼らを、同じように想い、喜び、悩む
人であることを意識できるようになった。
子供の頃は完全に記号だった。
スーツを着た人、若い男性、中年の女性、はげたおじさん
その違いは、たぶん関係性だろうと思う。
同じ社会人であり、同世代もいる。
共有できるものが人だと意識させる。
子供の世界は彼らとほぼ無関係だからね。
記号であって当然なんだと思う。
だから、僕も1つの記号として見られているのだろう。
寂しいとか切ないとか思わないよ。
そういうものなんだと思う。
給油したばかりの車だから
フロントガラスは存在すら忘れてしまうほど透明で
だけど、そのガラス一枚の厚みが
僕と彼らとが別にしてしまう。
時間や場所を切り離してしまうように感じる。
まるで映画を見ているみたいだ。
無名の俳優さんを使った映画で
1人でも知ってる人が出てくると、急になぜか安心する。
映像が身近に感じる。
それもきっと関係性が作用しているんだと思う。
もしエキストラでも友達が出演していたら
もっと身近に感じるんだろう。
映画と僕の距離が縮まるんだ。
だから、交差点を流れる人たちのなかに
同級生を見かけた瞬間
もう映画じゃなくなった。
ガラスは本来の役割を取り戻して、ガラス以外の何ものでもなくなった。
無表情だったよ。
交差点を歩く彼女は、まったくの記号で
仕事帰りの人で、僕の知る彼女とは違った。
僕が彼女を見つけたことで
信号で停車中の運転する人、という記号から
本来の僕を取り戻したように、彼女もまた僕を発見すれば
交差点を歩く人から
幼稚園から中学校まで一緒だった同級生を取り戻すのかな。
でも、彼女は僕に気がつかず
交差点を歩く人のまま
僕も声をかけず
少しだけ彼女との思い出を振り返り
車を運転する人という記号になる。
僕はたくさんのことを覚えている。
だけどあの頃のまま話ができるだろうか?
幼稚園の帰り、母親と買い物中に追い掛け回され
僕は必死に逃げたこと。
小学校の低学年のとき、通学路の途中にあるテニスコートを眺めていたら
テニスをしている女の人のスカートを見ているのだと思われ
エッチのレッテルを貼られたこと。
高学年になってようやく彼女の身長を追い抜いた頃
もう完全にただの同級生になって
幼稚園の頃からの関係がどこかに行ってしまったこと。
彼女はとても美人になって、寄り付けなくなったこと。
中学生でまた同じクラスになって
塾も同じになって
僕は異性を意識しすぎて、意識しすぎたためにニュートラルになって
とても仲良くなれたこと。
雪の日に、積もった雪を背中に入れあって遊んだこと。
自転車で二人乗りして、コンビニに買い物に行ったこと。
部活に行かない僕に、寂しいと言ってくれたこと。
塾のクラス替えも、学校のクラス替えでも
手を握って惜しんでくれたこと。
僕が塾をやめて少しずつ距離がひらいて
彼女に彼ができて、別れて泣いていたとき
僕に何も言ってくれなかったこと。
高校生になって駅ですれ違ったとき
声をうまくかけられなかったこと。
久々に連絡があって飲み屋で再開すれば
短いスカートをはいて、年上の彼がいたこと。
僕がとても複雑に迷っていた時期で
昔みたいに話をすることができなかったこと。
僕はなんとか自分を取り戻して
今なら昔のように話をすることができるけど
彼女もまた僕と同じように、様々な経験をして
様々な悩みに向き合って
彼女が僕の知る彼女である保障はどこにもない。
僕は彼女に落胆し
迷っていたときと同じように、また彼女を落胆させるかもしれない。
僕たちの持つ秤が永遠だったらよかったのに。
運転する人という記号になった僕の前にある一枚のガラスが
今度は想い出を映すスクリーンになって
切り離された時間の寂しさを感じた。
もう彼女は僕にとって、知っている俳優さん程度でしかなかった。
タバコに火をつけて、少し窓を開けてみれば
二人乗りでコンビニに行ったときと同じ風
僕の鼻は冬のにおいを嗅ぎ取った。
アクセルを踏むことも、ブレーキをかけることもなく
ただそれを無意識に吸い込む空気と変えずのみこむ。
右手にセブンイレブンが見えても追わない。
僕はもう慣れたんだ。





