最悪の手前
テーマ:認知症の祖父のこと貧しさと暴力から逃れるため
肩を寄せ合い暮らした姉妹三人。
それでも、結婚し別々に暮らすようになれば
想いは丁寧に折りたたまれ
ポケットのずっと奥に隠される。
共有する過去を持つだけに
姉妹はそれぞれの想いに触れることがでない。
もし、誰かが折りたたまれた想いを語れば
必ず、傷ついてしまう。
だけど、何事にも総括は必要なのかもしれない。
先送りにされたものは、
大概、最悪の時にツケとして圧し掛かってくる。
根底に憎しみがあることを認める母。
しかし、認知症になった祖父への対応は
あまりに、優しすぎた。
祖父に健全さを取り戻させようとする努力は
僕には信じがたいものだった。
その努力に、どうにか便乗しようとする祖父
「健全さを取り戻すなら」と
それを許す母。
主治医の先生は、母の方が危うく感じると僕に伝える
そして、僕も母の疲弊した表情に
健全でないものを感じていた。
「今日は調子が良かったよ」
「今日はちゃんと話してくれたよ」
と、嬉しそうに報告する母。
母の妹たちは、それを見て
当然、不愉快になる。
「甘いのよ」
「利用されてるわよ、それ」
母は、その態度に苛立つ。
「苦しんでいる現実を、最悪の状態を見ていないからだ」
「愛や憎しみ、云々じゃなく、人が苦しんでるんだ」
「結局、自分たちの家族だけが大事なんでしょ」
母は、「喧嘩になるから」と
妹たちと話すことをやめた。
僕は母と同じく、最悪な状態を見ていたから
母の気持ちは理解できた。
そして、最悪の状態を回避するためには
ある程度、やらなければならないと考えていた。
でも、祖父の状態を嬉しそうに報告する母は
どうしても不快だった。
表情も、健全ではない。
何かの切欠で、ポキッと折れそうな
それが心配で怖ろしくもあった。
「どうして、そこまでやるの?」
僕も母の妹たちも、疑問は1つだ。
そして、祖父に抱く不快感が
祖父を庇っているかに見える、母に向かう。
母に愛情をもつがゆえに、
異様さを抱えながらする、その行為を憎憎しく思う。
もちろん、僕は問いただす。
共有する過去を持たないからこそ
それが出来るわけで、
「高まりきった心配が牙をむいた」
愛情が皮肉な言葉を生み、
憎しみを招くように、
母の妹たちと、たぶん同じ気持ちで。
数年前、僕は父を亡くしている。
母は夫を亡くしている。
母は付きっ切りで看病し
苦しむ姿を見続けてきた。
僕には後悔しかないが、
母はもっと別なものを見ていたのだろう。
夫を亡くした経験が
「苦しみ」を頭でなく、心や体で理解させる
錯覚であろうと、「苦しみ」を共有してしまう。
だから、「苦しむ」という言葉の概念が
妹たちとも、僕とも違ってくる。
そして、
「良くなったほうが、私達も楽でしょ」
という、とても簡単な答えが
そこにはあった。
本当に、その通りだと思う。
母の言っていることは、正しいのだと思う。
憎かろうが、愛していようが
それとは別に、病気はあって
それとは別に、苦や楽がある。
まったく、母の言い分は正しいと思う。
僕は憎しみや嫌悪感といったものに目を奪われていた。
「祖父の状態が悪くなると心配し、良くなると、不快になる」
実際、僕はそうだった。
その非合理な心の動きを、なんとなく感じていたものの
「良くなったほうが、私達も楽でしょ」と、いう
当たり前の現実を
嫌悪感や憎しみで確認することができなかった。
でも、片方で
不快感は残る。
やっぱり嫌なのだ
現実に気がつけば、
「嫌」という
感情的なものでしか説明できないけれど
そして、その選択以外の「楽」は
祖父が「死ぬ」ことしかないことは理解しているけど
感情的に、嫌なものは嫌なのだ。
しかし、憎しみを「楽」のために乗り越えた母を思えば
「嫌」を愛情で乗り越えることはできるはずだ、と思う。
あれほどの危うい表情で、母はそれをしたのだから。
僕は黙って手伝うしかない。
僕の感情なんか、たいした問題ではないのだし。
でも、母と母の妹たちは
問いただすことができないから
理解しあうことができない。
言葉は直接的ではなくても
折りたたまれた過去の想いを刺激するからなのかもしれない。
刺激し、刺激されたくないからこそ
どこか別の欠陥を探し、責め合う。
僕はそのやり取りに、苛立ちを隠せなかった。
一番大切なのは、祖父の命でも、病気でもない
肩を寄せ合った姉妹の関係のはずなのに。
結局、母が妹たちと直接話さなくなったことで
僕を経由したやり取りが増えた。
祖父の状態や、母の状況は僕が伝え
妹たちの想いは、僕が母に伝える。
「もし、私がやらなければ、きっと妹たちがやるのよ」
「もし、姉さんが祖父を投げ出すのなら、誰も責めないし、私も投げ出すわ」
「じいさんなんて、どうでもいいのよ、妹たちが幸せなら」
「あんな、じいさんのために苦労することなんかないでしょ」
「もっときれいな場所で治療させたい」
「入院できる病院を探してるから」
日によって、言うことは違うけれど
たぶん、みんな一生懸命なのだと思った。
時々、母の妹たちは
しんみりと、過去を僕に語るけど
祖父が語られることはなく、
祖父の行為も語られることはなく
なにをどう思ったのかも語られることはなく
ただ、心配する母との30年間を思いかえすものでしかなかった。
そして、ここまであからさまになっている
「祖父への憎しみ」
実はそれさえも、3人は確認しあっていなかった。
言葉として、一度も語られていなかった。
共有する、折りたたまれた過去の事実は
30年間を経て、推測のようなものになってしまった。
推測に推測を重ねたような30年間の想い
一度たりとも、確認しあうこともなく
「たぶん、そう思ってるのだろう」の積み重ね。
30年前の想いからしか出発できない思いやりは
とても不適当で、不確実で、不正確になってしまう。
30年を経た現在の想いなんて、計れるものではなくなってしまう。
ツケは必ずどこかで払わなければならない。
もちろん、それは大概最悪のタイミングでやってくる。
最悪とは、ツケを払うことを言うのかもしれない。
なんにせよ、その最悪はまだ先で
ならば、祖父の症状は良化することなどなく、
むしろ悪化していく。
まったく周囲の努力なんか関係なく。





