2006-11-17 21:05:00

最悪の手前

テーマ:認知症の祖父のこと

貧しさと暴力から逃れるため


肩を寄せ合い暮らした姉妹三人。



それでも、結婚し別々に暮らすようになれば


想いは丁寧に折りたたまれ


ポケットのずっと奥に隠される。



共有する過去を持つだけに


姉妹はそれぞれの想いに触れることがでない。


もし、誰かが折りたたまれた想いを語れば


必ず、傷ついてしまう。



だけど、何事にも総括は必要なのかもしれない。


先送りにされたものは、


大概、最悪の時にツケとして圧し掛かってくる。




根底に憎しみがあることを認める母。


しかし、認知症になった祖父への対応は


あまりに、優しすぎた。


祖父に健全さを取り戻させようとする努力は


僕には信じがたいものだった。





その努力に、どうにか便乗しようとする祖父


「健全さを取り戻すなら」と


それを許す母。


主治医の先生は、母の方が危うく感じると僕に伝える


そして、僕も母の疲弊した表情に


健全でないものを感じていた。



「今日は調子が良かったよ」


「今日はちゃんと話してくれたよ」


と、嬉しそうに報告する母。





母の妹たちは、それを見て


当然、不愉快になる。


「甘いのよ」


「利用されてるわよ、それ」



母は、その態度に苛立つ。


「苦しんでいる現実を、最悪の状態を見ていないからだ」


「愛や憎しみ、云々じゃなく、人が苦しんでるんだ」


「結局、自分たちの家族だけが大事なんでしょ」





母は、「喧嘩になるから」と


妹たちと話すことをやめた。




僕は母と同じく、最悪な状態を見ていたから


母の気持ちは理解できた。


そして、最悪の状態を回避するためには


ある程度、やらなければならないと考えていた。





でも、祖父の状態を嬉しそうに報告する母は


どうしても不快だった。


表情も、健全ではない。


何かの切欠で、ポキッと折れそうな


それが心配で怖ろしくもあった。





「どうして、そこまでやるの?」


僕も母の妹たちも、疑問は1つだ。


そして、祖父に抱く不快感が


祖父を庇っているかに見える、母に向かう。


母に愛情をもつがゆえに、


異様さを抱えながらする、その行為を憎憎しく思う。




もちろん、僕は問いただす。


共有する過去を持たないからこそ


それが出来るわけで、


「高まりきった心配が牙をむいた」


愛情が皮肉な言葉を生み、


憎しみを招くように、


母の妹たちと、たぶん同じ気持ちで。





数年前、僕は父を亡くしている。


母は夫を亡くしている。


母は付きっ切りで看病し


苦しむ姿を見続けてきた。




僕には後悔しかないが、


母はもっと別なものを見ていたのだろう。


夫を亡くした経験が


「苦しみ」を頭でなく、心や体で理解させる


錯覚であろうと、「苦しみ」を共有してしまう。



だから、「苦しむ」という言葉の概念が


妹たちとも、僕とも違ってくる。



そして、


「良くなったほうが、私達も楽でしょ」


という、とても簡単な答えが


そこにはあった。




本当に、その通りだと思う。


母の言っていることは、正しいのだと思う。


憎かろうが、愛していようが


それとは別に、病気はあって


それとは別に、苦や楽がある。


まったく、母の言い分は正しいと思う。




僕は憎しみや嫌悪感といったものに目を奪われていた。


「祖父の状態が悪くなると心配し、良くなると、不快になる」


実際、僕はそうだった。


その非合理な心の動きを、なんとなく感じていたものの


「良くなったほうが、私達も楽でしょ」と、いう


当たり前の現実を


嫌悪感や憎しみで確認することができなかった。





でも、片方で


不快感は残る。


やっぱり嫌なのだ


現実に気がつけば、


「嫌」という


感情的なものでしか説明できないけれど


そして、その選択以外の「楽」は


祖父が「死ぬ」ことしかないことは理解しているけど


感情的に、嫌なものは嫌なのだ。



しかし、憎しみを「楽」のために乗り越えた母を思えば


「嫌」を愛情で乗り越えることはできるはずだ、と思う。


あれほどの危うい表情で、母はそれをしたのだから。





僕は黙って手伝うしかない。


僕の感情なんか、たいした問題ではないのだし。





でも、母と母の妹たちは


問いただすことができないから


理解しあうことができない。


言葉は直接的ではなくても


折りたたまれた過去の想いを刺激するからなのかもしれない。


刺激し、刺激されたくないからこそ


どこか別の欠陥を探し、責め合う。




僕はそのやり取りに、苛立ちを隠せなかった。


一番大切なのは、祖父の命でも、病気でもない


肩を寄せ合った姉妹の関係のはずなのに。




結局、母が妹たちと直接話さなくなったことで


僕を経由したやり取りが増えた。


祖父の状態や、母の状況は僕が伝え


妹たちの想いは、僕が母に伝える。




「もし、私がやらなければ、きっと妹たちがやるのよ」


「もし、姉さんが祖父を投げ出すのなら、誰も責めないし、私も投げ出すわ」



「じいさんなんて、どうでもいいのよ、妹たちが幸せなら」


「あんな、じいさんのために苦労することなんかないでしょ」



「もっときれいな場所で治療させたい」


「入院できる病院を探してるから」



日によって、言うことは違うけれど


たぶん、みんな一生懸命なのだと思った。



時々、母の妹たちは


しんみりと、過去を僕に語るけど


祖父が語られることはなく、


祖父の行為も語られることはなく


なにをどう思ったのかも語られることはなく


ただ、心配する母との30年間を思いかえすものでしかなかった。



そして、ここまであからさまになっている


「祖父への憎しみ」


実はそれさえも、3人は確認しあっていなかった。


言葉として、一度も語られていなかった。




共有する、折りたたまれた過去の事実は


30年間を経て、推測のようなものになってしまった。


推測に推測を重ねたような30年間の想い


一度たりとも、確認しあうこともなく


「たぶん、そう思ってるのだろう」の積み重ね。



30年前の想いからしか出発できない思いやりは


とても不適当で、不確実で、不正確になってしまう。


30年を経た現在の想いなんて、計れるものではなくなってしまう。



ツケは必ずどこかで払わなければならない。


もちろん、それは大概最悪のタイミングでやってくる。


最悪とは、ツケを払うことを言うのかもしれない。




なんにせよ、その最悪はまだ先で


ならば、祖父の症状は良化することなどなく、


むしろ悪化していく。


まったく周囲の努力なんか関係なく。
























2006-11-12 23:48:33

憎しみの根源

テーマ:認知症の祖父のこと

祖父は娘たちに憎まれていた。


過去にあった暴力が、その理由なのだろうが


30年も前の出来事を、未だ許さないのだから


相当の暴力だったに違いない。


いや、結果的に今もなお、憎まれている


過去がどうであろうと、事実として憎まれている。


それ以外、もうどうでもいいことなのかもしれない。




なにしろ、


祖父は、それにまったく気がついていない。


側にとても愛されていた祖母がいたからかもしれないし、


祖父は祖父なりに父親をしていた自負があるからかもしれない。




ただ、その愛されていた祖母が亡くなる数日前


寝ている病室を見舞った祖父に


「あんた、何しにきたの」


その祖母の表情、言い方がとても冷たくて


忘れられない出来事だと母は言う。



祖母に対する暴力を


自分が受けた暴力よりも憎んでいた母


もしかすると、他の妹たちも同じだったのかもしれない。


祖母が亡くなる数日前の出来事は


「祖母が祖父の過去を許していない」表明であり


祖母が許さない限り、娘たちも許すことができないのだろう。



要するに、祖母が亡くなってしまった以上、


祖父と娘たちの間に、和解は存在しない。






僕の心に、祖父への嫌悪感が芽生えたのは


母の過去を聞いたからではない。


母の過去は、それは衝撃的ではあったけれど


やはり、どこかの遠い国の出来事のようで


痛みも喜びもある実態として捉えることができなかった。



ただ、祖父に異常を感じた数ヶ月前


叔母の義父の葬儀の日


その帰りの車の中で、祖父が語った言葉は


今もなお、許すことができない。



久しぶりに親戚と会った祖父は


葬儀でありながら、終始ご機嫌だった。


帰りの車は、お酒を飲んだこともあり、


少し感傷的になっていたのかもしれない。



後部座席の祖父は、隣の母に


一人暮らしの不便さを話していた。


話が変り、運転中の僕と、助手席の弟に


「ちょっと聞いてくれ」と言う。


すると、母を育てたことに関して、「1つだけ後悔がある」と言った。


僕も弟も、祖父の暴力を知っていたから


ちょっとばかり緊張した。


きっと、そのあたりのことでを後悔しているのだろうと思った。


ところが祖父は


「美容師になる夢を、叶えさせてあげなかったことだ」と。


しかも、その母の夢を知ったのは、つい最近で


「当時聞いていなかったから、叶えさせてあげられなかった」と。



たしかに、母の夢は美容師だった。


でも、祖父が事業に失敗し、暴力が激しくなり


働くこともしなくなったから、食べることができず


通っていた高校を諦め、母が働くことになった。



下の妹たちが、高校を卒業し働くまで


家族を養っていたのは、20歳にも満たない母だった。



そのことは、養われていた叔母さんたちからも


祖母からも聞かされていたから、たぶん事実だろう。




祖父の隣に座る母は無言で


ただ、呆れた顔をしていた。


弟は悲しそうに窓の外を眺めていた。


僕は聞かなかったことにしたかった。


だから、話を無理やり変えようとした。


でも、祖父は力一杯の完全に脱線した後悔を口にする。


お酒で真っ赤になった顔


この真っ赤な顔になるために、


深夜に娘を酒屋に走らせたのかと思うと、憎しみが湧き出る。



真っ赤な顔で脱線した後悔を語る。


たぶん、当時も、同じように


真っ赤な顔で脱線し、後悔する過去を受け入れることができず暴力を振るい


脱線した愛情、脱線した過ちで、妻や娘たちに恐怖を与えた。



結局僕も、怒鳴るより呆れた。


人はこうやって生きていくのかと思うと、生きていることも嫌になる。


反省もなければ、後悔も脱線する


自分のしてきた過去すら置き去りにして、


無条件で、父親の顔をする。


愛されることを望む。




結局その後も、


一人暮らしの苦労を語る。


要するに、「もっと俺の面倒をみろ」ということだ。




祖父はそれから数ヵ月後、


まず、最初に


「母が祖父の知り合いの人と付き合っている」という、根も葉もない


火も煙もない話を勝手に妄想し、


至る所に手を伸ばして、証拠を得ようとしていた。



次に、


下心で加入したのか、ヤクルトの女性が


大家と結婚し、自分のところには来なくなったと騒いだ。


大家さんは既に70歳を過ぎているし


しかし、それは事実ではなかった。



76歳の老人が、女性関係で嫉妬


しかも、勝手な妄想なのだから、吐き気がする。



次は金の話し


料金を支払った、支払わないで健康食品の販売員と揉める。


またもや、セールスの女性に下心を出したのか


格好をつけたかったのか


金もないのに、数万円の健康食品を買い


結局、母が話をつけ返品した。




また、文化センターなどで、やたらと商品を買う。


布団圧縮袋や、コート


そのおまけをあげたいからと、僕等を呼ぶようになる。



そのお金の出所は、


祖母が少しずつ娘たちのために貯めた貯金


母は祖母がなくなる前に、そのことを聞き


通帳には100万円程度あったそうだ。


それを、祖父は祖母が亡くなった後に見つけ隠した。


その事実を知っているのは母だけで


これから一人で暮らすことになる祖父だからと。


いらぬ争いだと、妹たちには話していない。



僕がなにより嫌悪する


人が最も醜い姿。


欲望と嫉妬


そんな祖父を好きになれるはずもない。




それでも、母は生活に困らぬようにと


毎月僅かずつ、お金を渡し


お米を渡していた。






認知症になった祖父のことで


叔母さんたち、母の妹たちと母が揉めた理由は


結局はそのあたりのことだ。



母は妹たちが結婚して離れた後


家が近いことや長女であることから


実家への援助を続けた。


そして、その援助したお金で


たとえば、たまに現れる妹たちが


何も知らず、ご飯を食べに行ったりして、楽しんでいる様子を聞くたびに


どこかで、許せない気持ちになっていた。




真ん中の叔母さん、妹は


他県に引っ越したために、なかなか祖母と会うこともできず


死に目にも会えず、側にいる母を羨ましく思っていたそうだ。


実家になにかあっても、直ぐに行ってあげられない苦しみ


誰も知り合いのいない他県に一人


誰も気がついてくれないけれど、寂しかったんだと言う。




末の叔母さんは


2人の姉たちが、はやくに結婚し離れていってしまったことで


残された寂しさや、最後まで面倒をみていたという自負


この大嫌いな家に、一人取り残されたという苦しさがあったそうだ。


しかし、祖父が病気になってからほとんど見舞いにも来ない。


祖父の話をするたびに、嫌な顔をする。


母は、それを心無い我侭だと言うけれども



はじめてきた、祖父の個室で


食事する祖父を遠くから見つめていた叔母さんの目


そして、誰も気がつかなかった小さな異常を


ことごとく見つけていったこと。



叔母さんは実の娘としての情を、ちゃんと持っていた。


だから、引き篭もりのように見舞いに来ない状態は


きっと、その情を抑える、母たちが知らない


何か特別な不幸があったのだと僕は思う。


結婚し、離れてしまった後


取り残された叔母さんは、


たぶん、違う現実を見たのだと思う。





そして、母と妹たちの決定的な違い


実の親子であるか、ないか。



母はそのことで、疎外感、妹たちとの関係に小さな寂しさを感じていた。


妹たちは、実の父親であることの不幸を感じていた。


末の叔母さんは特に血を嫌悪していた。



しかし、それを今まで心に秘め続けた。


誰も語ることはなかった。


様々な問題は、今になってはじめて


愚痴というかたちで、僕に語られただけだ。






2006-11-08 20:11:29

付着する汚臭と憎しみ

テーマ:認知症の祖父のこと

祖父を見舞うことが、常習化していた。


他の親戚よりも、時間に融通のきく仕事をしていたこともある。


祖父の症状や、精神病棟、そこで働く医師や看護師、患者


そういったものに、好奇心をかきたてられていたのも事実だ。


その好奇心は、人間の探究という、


ある程度の意義と正当性を主張できるものだけでなく、


たとえば、芸能レポーターのような


どこか悪趣味的な微笑があったに違いない。



そして、自分がまだ健全であることの安心感


たしかに、他の患者さん、病棟そのものへの違和感


いや、正直嫌悪感もあっただろうし、恐怖感もあった。


しかし、徐々に慣れると、


自分よりも酷い状況の患者さんがいる病棟に安心感を抱く。


そして、それが優越感に変ることもある。



僕は幸運にも、早いうちに気がつくことができたから、


気づけば頭を持ち上げる安心感に頭を振り


なんとか解き放つ努力ができたけれども


その安心感は、とても心地が良かった。






すべて含め、病棟は僕にとって魅力あるものだった。


しかし、それにも限界がある。



後回しにできる仕事を残し、手早く切り上げ


夕方、片道30分祖父の病院に車を走らせる。


以前は、車を運転する仕事をしていたから、疲労感はそれほどない


まず、ナースセンターで看護師さんに鍵を開けてくれるように頼む。


病室に着くまでに、祖父の状態を聞く。


答えがどうであれ、鍵を開けるときはとても怖い。



地べたに白い布団、白い便器と無造作にトイレットペーパーが1つ


壁には水色の紙が張られ、それ以外何もない部屋。


ただ1つ、大きく変ったのは臭いだ。



僕たちが来なければ、開かれることのない扉。


これまで


ただ見てみぬ振りをすればいいだけだった便器は


当然使われる。



だからなのか、夏の夕方でも部屋は寒い。


エアコンがこれでもかと効いている。


そのため臭いは耐え切れないほどではない。


耐え切れぬ臭いではないが、その臭気の原因が何かを知ってしまっている以上、


どうしようもない不快感に襲われる。



幸いなことに、扉は学校の防火扉のように大きいから


それを全開にし、パイプ椅子を、個室と棚のあるスペースの間に置き座る。



祖父は関を切ったように、昨晩から朝までの夢なのか幻視なのか


そういった類の、常識的でない話を一方的に話す。



時々、覗き込むように、訴えかけるように


そして笑い、怒り、脅える。



僕は、なんとか聞き漏らすことのないように、時々確認を取りながら聞くのだけど


やはり、まったく通じない。


結局、適当に頷き、適当に相槌を打ち、別な話で誤魔化そうとするしかない。



晩ご飯の時間まで、僕は祖父の話を聞いている。


時間になれば、祖父を連れ、テーブルの並ぶフロアに向かう。


食事中、側にいることを祖父は嫌がるから、


僕は離れた場所にあるソファーと個室を行ったり来たりし、


状態が良さそうならば外の空気を吸いにいく。




食事が終わると、祖父を個室に戻す。


そして、持ってきて欲しいものや、母や叔母へ伝達することを聞き


できるだけ引きとめようとする祖父をなだめ


やっと、僕は家に帰る。





僕はそれを、3日、4日と続ける。


大概、3日目で限界がくる。


車の運転中でも、自分の部屋でも、お風呂上りでも、


まとわりつく個室の臭いに、何もかも投げ出したくなる。


祖父の妄想のような話を聞いていれば、


すべてを壊してしまうような言葉を。


喉もとで、酷い言葉を何度も飲み込む。


笑顔で差し出す手を振り解きたくなる。


道端で汚物を見つけたような目で、祖父を見てしまいそうになる。



もう、誰が健全で、誰が健全でないのか、わからなくなる。




「何故、僕がこんなことをしなくちゃいけないのか」



僕が行くことが最も望ましいと


僕自身が決めたことだから、


投げ出すことはできない。



でも、僕の努力が結果的には


母と、他県に住む叔母さんと、


隣の街に住む末の叔母さん


3人の姉妹にの間に、歪みを作る原因になる。




もちろん、あの個室に行く理由


なによりもまず、本来あるべき祖父への想いが


僕を含めて欠如していたこと。


その決定的ともいえる愛情の欠如が根本にあることは間違いない。




















2006-11-06 10:37:17

徒歩15分の貧困

テーマ:認知症の祖父のこと

子供の頃、僕に語る母の過去は


躾の題材として扱われることが多かった。



妹に食べさせてあげる為に、給食のパンを残して持ち帰った中学時代。


当然、自分の部屋などなく、4畳半に妹2人と同じ布団で寝る毎日。


何の気兼ねもなく、食事が運ばれてくる幸福や


伸び伸びと寝ることができる布団の幸福を話す。





だけど、当時の僕にはアフリカの貧困を聞くように


まったく実感が湧かなかった。


今思えば、僅か30年前の、僕が今暮らしている町での出来事


「もはや戦後ではない」と言われたのが昭和31年ならば


それから10年もの月日が経過した日本の


それも、首都東京での出来事なのだ。




遠い国の貧困のような母の話しを


多少なりとも、実感を持って聞けるようになった頃


その成長を待っていたかのように、母の過去は深く語られるようになった。





妹の学費を捻出する為、美容師になる夢を諦め


高校を数ヶ月で中退したこと。



その会社で父と出会ったこと。


父との結婚に抱いた夢と、現実。




祖父が酷い暴力を祖母に振るっていたこと。


ついには、刃物まで持ち出し、身を挺して祖母を庇ったこと。




祖父の酒乱が納まるまで、寒空の下、妹たちと星を眺めていたこと。




夜中に酒を買ってこいと言われ、


言うとおりにしないと、祖母がまた暴力を振るわれると思い、


泣きながら酒屋のシャッターを叩いたこと。



何度も逃げ出そうとしたけど、残される妹と祖母に留まるしかなかったこと。






小学生の頃の数年間


祖父の仕事が成功し、


大きな家と、誕生日には両手で余るくらいの大きなケーキを買って貰ったこと。



騙されて、すべて失ったこと。




暴力と貧しさ、自分がこれまで、一応歪まずに生きてこれた理由として


「妹たちを守る」という、使命感と、僅かな期間の贅沢だと思う、と言った。



僕の頭の中の祖父と、暴力を振るう祖父の姿は一致することがなかったが、


そうだったのかもしれないという、想像はできてしまう。




幸福が時間と伴に装飾されるように、不幸も装飾されるものだから


現状母にとって都合の良い過去になっていたとしてもおかしくはない。


だけど、子供たちの前で私欲を一切見せなかった母が


汚い嘘を誰よりも嫌っていた母が


故意に装飾するとは考えられないし


たとえ、その認識が誤りだとしても


僕の過去には、装飾をしたところで、


「生きるか死ぬかだった」なんていう言葉を生み出す不幸は見当たらない。


それほど切迫した状況を想像すらできない。


なんにせよ、煙が立てば火はあるのだろう。






僕は想像できない不幸を、


母親が持っていた事実を素直に受け入れることができなかった。


だから、その程度の客観的事柄で覆い隠してしまいたかったのだと思う。


「火のないところに‥」なんて、


出来事を本質から外し、踏み込む手前でしたり顔。


20歳に満たない僕にはどうしようもなかった。









仕打ちに耐えることができず

何度も本気で祖父を殺そうとしたこと


何度も本気で自殺しようとしたこと


祖母も妹たちも捨ててしまえる自分に気が付いたこと


楽しく笑う同級生を憎んだこと


何も知らず笑う妹たちを憎んだこと




私の心は悪で満ち満ちている


だけど、祖母や妹たちと一緒にいたい、


自分と同じ不幸を味合わせたくない、というのも事実。


だから、いつも苦しかった。


心の半分が素直に喜べない自分を嫌悪した。



「答えはいつも単純だけど、


 それを引き出す人の心の中は、とても複雑なんだ」


母は言う。






母にとって最愛の人、祖母をガンで喪うと


滅多なことがない限り語らない過去を


何度も何度も語るようになった。



今思えば、祖母の思い出に限定された過去でしかなかったけれども


生々しく語られる祖父の暴力が


僕の頭の中にある祖父と、語られる祖父が一致しない混乱はまだ整理されていない。


「人は変るものだ」という、どこかで聞いた言葉が頭に浮かんだ。



そして21年目にしてはじめて、祖父が本当の父親ではないということを語った。


祖母の連れ子として、祖父が父親になった。


その後に生まれたのが妹たち。


「妹たちとは半分しか血が繋がってないんだよ」と、


僕の知る初めての事実を淡々と語った。



確かに僕は驚いたけれども


振り返ってみても、思い当たる出来事はなかった。


祖父と僕たちは、疑うこともなく祖父と孫だったし


他の孫たちとの違いに、寂しい思いをすることもなかった。



だけど、そのことを母に話すと、


「そうだったね」と言いながらも、少しだけ寂しそうだった。


もしかすると、僕の知らないところで


妹の子供たちとの何らかの差を、母は感じていたのかもしれない。



血のつながりのない親子の不幸は


テレビなんかでよく見るけれども、幸福な関係も同じくらいあるものだと思った。


ただ、それが祖父と母との関係ではどうだったのか。


僕は聞くことができなかった。


もし、不幸だったとしたら


それを処理する心を僕は持っていない。



ただ、


「過去は過去でしかないのかな?」と、聞けば


「そうなのかもしれないね」と笑った。


その笑い顔に影があったことを見逃せるほど


僕は鈍感じゃなかった。



2006-11-06 10:35:22

犬と大木と題目

テーマ:認知症の祖父のこと

祖父の家は


歩いて15分、車で5分の距離にある。


大きな木が目印で


僕の家の屋根からも見える。





僕たちが通っていた幼稚園に近いこともあって


お迎えに祖母が来ることもあれば


帰りがけに寄ることもあった。






祖父の家に行くことは好きだった。


だけど、お土産で必ず揉めた。


お菓子屋で豆を買うか、海苔巻きを買うか。


姉はついでにお菓子を買ってもらえるから、豆。


色々な種類の豆が、ガラスケース一杯に詰まっていて


目方分、銀色のスコップで紙袋に入れてくれる。


それは見ていてすごく興味深いものだったけど


僕は海苔巻きのついでに買ってもらえる、お赤飯のオニギリや豆餅が好きで


それを包む、茶色い紙の匂いの方がずっと魅力的だった。





電気屋の路地を曲がると、騒ぐ犬の声が聞こてくる。


祖父の家には茶色いオス犬と、白いメス犬が飼われていて


どうしてだか、路地を曲った大きな屋敷の前で僕たちに気がつくようだ。


どっちの犬も薄汚れていて、固まった毛が痛々しかったけど


実はお土産なんかよりもずっと、2匹の犬に会うことが楽しみだった。




僕たちは毎度


「何で来ることがわかるんだろうね」って言い合いながら


屋敷の奥にある大きな木を見上げながら歩く。





屋敷の敷地には、ニワトリ小屋や農具を入れる小屋が並んでいる。


道の反対側は畑になっていて、


それはすべて母の実家の大家さんの持ちもの。


敷地の広さよりも、なだらかに広がっている瓦に


お金持ちの印象を持った。




道沿いの垣根が灰色のブロック塀に変ると、借家の区画になる。


昔は長屋だったそうで、同じような家が数件並んでいる。


色が同じだからなのかもしれないが


大家さんの敷地内にあるニワトリ小屋や農具小屋と同じように見えてしまうし、


その辺りだけ、地面がアスファルトで舗装されてなくて、砂利道。


当時でもそれは珍しい。




姉はどうだったか知らないけれど、


僕はそれを気にすることもなかった。


そういう躾はされていたし、


貧しさの意味は理解できない。


ただ、子供だから、うっすらと雰囲気を捉えてはいたと思う。






「こんにちは」と挨拶をしながらガラガラガラと扉を滑らす。


祖父の家が留守だったことはなく、


祖母は玄関で嬉しそうに立ち


祖父は居間から顔を覗かせる。


あと一人、母の末の妹がいるのだけれど、夜にならないと仕事から帰ってこない。


だから、会う機会はあまりないのだけれど


勤め先がデパートだということに、姉は憧れていた。





祖母は「入って、入って」と急かす。


祖父も手招きするけど


犬が待ちわびで、一際大きな声で吠えている


だから僕はそのまま庭に向かう。





鎖をギシギシ鳴らしながら、一生懸命飛びつこうとする犬。


地面には糞を片付けたホウキの後と、


騒いだときに抜けた毛。


水を入れる金色の鍋はボロボロで、水面にも毛が浮いている。


糞とエサ(ビタワン)が混じった独特の臭いがする庭で、二匹の犬を撫でて声をかける。


もちろん手は臭くなるけど、気にはならない。





犬への挨拶を終えると、縁側に座って眺める。


南向きの庭で風通しもいい。


垣根から透けて見える大家さんの屋敷は緑色の芝が敷いてあって


赤いイスのブランコがあるのだけれど


一度も遊んでいる子供を見たことがなく、いつも「勿体ないなぁ」と思っていた。




近況報告を終えた母が僕を呼ぶ。


玄関に回ると、長生きして、ものすごく大きくなった金魚が


苔だらけの小さな水槽を行ったり来たり。


題目をあげる母の姿が見える。






祖母と祖父は筋金入りの創価学会員で、


母の姉妹も学会員だ。


表彰状や池田大作氏の写真や、よくわからない集合写真が飾ってあった。



僕は仏壇に向かい、正座して「南妙法蓮華経」と3回唱える。


何のことだか良くわからなかったけど、


それをしないという選択が無いことくらい、子供でも感じていたし


終えて振り返れば、みんな笑顔だったから、それが正しいと思っていた。





それから、いくつもの質問に答えながら

お土産で買ってきたものやお菓子を食べる。


出されるお菓子は、お煎餅やビニールで包まれたなんだかわからないゼリーみたいなもので


あまり好きじゃなかったけど、


食べれば笑顔だから食べる。


それから夕方まで、持ってきた玩具で遊んだりして


帰りにもう一度手を合わせて、犬に挨拶して帰る。


やっぱり電気屋の路地まで犬は吠えていて


もしかすると、車の音なんかで聞こえなくなっただけで、ずっと吠え続けているのかもしれない。









夏休みになると、毎年数日間泊まりに行く。


8月末の夏休み最後のイベント。


その数日間の楽しみは、お土産でも犬でもなく


クーラーだった。




日中の暑い盛りに母に連れられて向かう。


遠慮がちに遊んでいた僕たちも、


自分の家で並べられるオカズとはまったく色合いの違う晩ご飯を


喜んで食べる頃、環境に慣れ始める。



料亭の女将だったと言う祖母の料理は


酒好きの祖父の好みもあり、味付けが濃くて肉料理が多い。


その祖父も、僕たちが来ることで手の込む料理に喜んでいる。


だけど、僕は豪勢な晩ご飯より、


朝食の方が好きだった。


特に納豆と味噌汁。



20年が過ぎた今でも、その味を思い出すことができる。


だから味を似せようとするのだけど、どうしても上手くいかない。


ただの納豆が、どうしてあんなに美味しくなるのか


何時ものことだからわからなかったけど


料理上手だと言われ、作り方を知る僕の母でも


同じ味を出すことはできない。


僕の知っている一番美味しい納豆とお味噌汁だった。





食事を終えると、いつからかいなくなった母が戻ってきて


涼しくなった外を、祖母と母と僕たちで散歩する。


今となっては、何を話していたのか覚えていないが


とても楽しかった。




家に戻ればクーラーが効いていて体が溶けるように涼しい。


祖父はビールを飲みながら、テレビを見ていて


僕たちは順番にお風呂に入る。



銀色の小さい浴槽で、触ると火傷してしまう湯沸かし器が横にある。


何度も注意を受けていたから、それを気にしながら湯船につかる。


髪を洗うにも、リンスはなく不思議に思ったりもしたけど


お風呂の雰囲気は、やはり貧しさを感じさせるものだった。




実際に、集金で千円札一枚に困る祖母を見たこともあるが、


このお風呂と、紙を切って遊ぶ時にハサミを借りようとしたら


妙に古くて大きなハサミが出てきて


「こんなものしかなくて、ごめんね」って言った祖母


僕はその2つの出来事に、


人を悲しませる触れてはいけないものを感じた。


人生ではじめて感じた「貧しさ」だったのかもしれない。





ただ、当時まだ高価だったクーラーが何故あるのか不思議だった。


今もそれはわからない。




お風呂から出ると布団が敷いてあり、


涼しい空気の中でゴロゴロする。


気持ちよくて嬉しくて、やたらと高揚してしまうし


既に寝入ってしまっている祖父のいびきで


布団に入っても寝付けない。





ウトウトし始める頃、母の末の妹が仕事から帰ってくる。


10cmくらい開いた襖の隙間から射しこむ台所の明かりは橙色で


楽しそうな声が聞こえてくる。


僕は眠い目を擦りながら、本当に導かれるように隙間に向かう。





物が一杯置いてあって、半分しか使えないテーブルに


帰ってきて食事している母の妹と、母が座り


洗い物をしている祖母の背中が見える。



僕は言い訳のように「眠れない‥」と言い。


祖母が「うるさくしてゴメンネ」と言う。


そして、「食べるかい?」と聞かれ、僕は頷く。



余りものの夜食でも、祖母の料理は美味しかった。


それよりも、遅い時間の食事が特別なものに感じて嬉しかった。


母は家では見せないような笑顔で祖母と話をしている。


僕はその雰囲気がとても好きで、


本当はその雰囲気の中にいるのが嬉しかった。



やはり姉も同じらしく、僕よりも先に居ることもあれば


僕の後から起きてくることもある。


母の真ん中の妹の家族が泊まりにきた時も同じだそうで


本当にその台所は優しい場所になっているのだと思う。





次の日は犬を散歩させたり


晩ご飯の買い物をしたり


僕はテレビが好きだけど、泊まりに行った数日は


ほとんどテレビを見ることもなく、


自分からも特別な環境を楽しもうとした。



最後の夜は、やっぱり悲しくて


迎えに来た父の車の中で、夏休みの終りを意識する。


夏休みを終えれば、日常に戻る。


祖母のことも祖父のことも、夏の思い出も


離れてしまえば隅に追いやられていく。








母の実家の子供の頃の思い出は、こんな感じで


祖父母から愛されている実感は強くあったし


特に祖母は、とっても暖かい人で僕も大好きだったし


母が何かにつけ祖母の話をする理由もわかった。






祖父と祖母が怒鳴りあう様子を見たこともあった。


母の妹たちが、なんとなく祖父を敬遠している様子を


感じたこともあった。


だけど、それほど重大なことには思えなかったし、


僕は大人を疑うことを知らなさ過ぎたこともある。





今思えば、大人たちはたくさんの想いを丁寧に隠していたのだろうと思う。


祖母が亡くなり、母が少しずつ語り始め


これまでの出来事や言葉をつなぎ合わせることで


僕は丁寧に折りたたまれていた過去を知ることになった。






2006-11-04 20:06:36

笑う人

テーマ:認知症の祖父のこと

祖父は話すことで徐々に健全さを取り戻していく。


僕と母をこれ以上ないほど困惑させた


幻視や幻想を一方的に語る異様さも


昼食も過ぎ、祖父と血の繋がった、


本当の娘である次女が駆けつけると


そんなことがあったとは、想像もできないくらい落ち着く。



やはり、そこには本当の娘に対しての信頼感があるのかもしれないが、


入院する前の異常に最初に出くわしたのも僕と母であり


入院後、今回は二回目になるが


異様さを目の当たりにしたのも、僕と母だ。



結局、叔母さんたちは


最悪の状態を一度も見ていないから


どうしても、危機感が僕たちと一致しない。



それが僕には歯痒く、「何故自分たちだけが‥」という不公平感を


持ってしまうのだか、


祖父にはもう一人一番末の娘がいて


その末の娘は、こんな状況でも駆けつけることがない。


見舞いには何度か来ているのだけれど、


緊急時にまったく動いてくれない。



それを思うと、他県からわざわざ来てくれる叔母夫婦を


どうこう言うこともできず、


祖父に親身に接する叔父さんに、いつも助けられていることからも


何も言うことはできない。





その日は午後に、ある程度自分を取り戻した祖父と


叔母夫婦と、主治医の先生から病状について聞くことができた。



昨晩、暴れた理由は、幻視というやつで


祖父が言うには「玄関にデモ隊がやってきた」ということらしい。


もちろん僕は「は?」と、言うしかない。


「なんだ、デモ隊って?」


でも、今新宿を練り歩いているJRのデモ隊のようなものではなく


たぶん、安保闘争の頃のデモ隊を言っているのだと思うから


怖がる理由もなんとなくわかる。



要するに、祖父はそのデモ隊の病院への侵入を防ぐ為に


杖を振り上げ玄関に向かったらしい。


そこで止める看護師さんに杖を振り回し


幸いなことに、看護師さんに怪我はなかったが


警備員を呼ばれ、拘束されたそうだ。



そして、これからもそれは度々あるかもしれないから、


日中も、付き添いの人間がいない限り


個室は施錠されることになった。


要するに、僕たち誰かが来ないことには、個室から出られない。



後は、認知症についての説明があった。


主治医の先生の話に、姿勢をただし、


一つ一つの言葉に、ため息や安堵の表情を浮かべる。


叔母夫婦も、母も自分のこと以上に話を聞いている。


祖父は勝手に1人で、何を言っているのかわからないことを楽しそうに話している。


時々、誰も聞いていないことに気がつき、母や叔母の顔を覗く。


しかし、先生も誰も祖父のことを相手にしないから


また、祖父は1人で勝手に喋っている。


僕はその5人で囲んだテーブルの少し後から


その妙な光景をなんとなく見ていた。




先生の話は


認知症は治ることがない。


徐々に悪くなる。


方法は2つで、できるだけ進行を遅らせるために投薬するか


今のような幻視に悩まされるのなら、悪い言い方をすれば、投薬によって悪化させる。


そして、痴呆がもう少し進んだ安定した状態で保つか。


しかし、ちゃんと検査したわけではないから言い切れないけれども、


通常の認知症の症状とは少し違う


記憶力も健全だし、他にも問題がない。


ただ、被害妄想や幻視といった症状が出ている。


もしかすると、脳になんらかの病気があるのかもしれないと。






母は最悪の状態を見ているが、どうしても小さな希望にしがみつく。


だから、脳にある病気に期待し、まだ治るかもしれないと信じている。


ただ、認知症だったとすれば、薬でも何でも入れて楽にしてあげたい。



叔母は、最悪の状態を見ていないからか、


できる限り、現状を維持したいと思っている。


そして、祖父のこれまでの態度から、


認知症であることすら、偽りではないかと考えていた。




僕も意見を聞かれたけれども、


病気については、僕の出る幕ではないと思っていたから


何も言わなかった。


ただ、看護の当事者である母や叔母さんが、


できるだけ、楽になれる方法を望んだ。




結局は


ここの病院では、これ以上の治療も難しく


また、認知症専門の病院の方が、個室の環境も良いだろうから


転院することを勧められた。


できる限り、早いほうが祖父の為にも良いだろうという話だった。



とりあえず、僕たちは病院探しという「やるべきこと」が見つかり


少しばかり安堵した。






説明の後、主治医の先生は


祖父の話を一生懸命聞いてくれた。


入院する前の大家さんの話し(ほとんど被害妄想)から


幻視として見た、デモ隊や祭りのこと


親戚についてや、亡くなった祖母の話し、


軍隊での出来事まで。




先生が席を外した後、


話を聞いてもらえたことが、ものすごく嬉しかったようで


屈折した祖父だから、素直には言わないけれども


やたらと先生を褒めていた。


その頃には、どうしてだか祖父は以前の健全な状態のように


しっかり話し、しっかり聞くことができるようになっていた。




僕たちは、話ができる祖父に安心し


その後もずっとテーブルを囲み話をした。


今日あったことが、本当に嘘のように感じた。


夢を見ていたのかと、


あれは何かの間違いだったのだと、僕も感じるようになった。


祖父もだんだんと素直になり、


「こうやって皆が来てくれると嬉しい」と言って笑う。


しかし、僕はその笑い顔に愕然とする。


いままでないほどに、異様さを感じる。




祖父の笑い顔には、まったく、1つも憂いがなかった。


嬉しさ以外、1つの塵さえも見えなかった。


僕はそんな笑い顔を、これまで一度も見た事がない。


絶対の嬉しさ、笑い顔なのだろうと思った。



それは吐き気がするほどに、醜い笑い顔だった。


もはや理性のない、壊れた人間の笑い顔なのだと思う。


僕は全身が寒気に覆われ、


「認知症は治らない」と、言った先生の言葉が思い浮かぶ。



良い状態も、長くは続かない。


もしかすると、次の瞬間におかしくなるかもしれない。



案の定、その日の帰り際に祖父は大声を出した。


祖父は個室に閉じ込められることに納得していたわけではなかった。


叔母夫婦が来たのは、緊急の為に僕たちが呼んだのだと気づかず


どうやら、叔母夫婦の家に連れて行ってもらえるものだと勘違いしていたらしい。



僕たちは叔父さんのはからいで、先に部屋を出ることができたが、


だからと言って、叔母夫婦を残して帰ることもできず


小窓から言い合う祖父と叔母さんを見ていた。


祖父の大声が就寝時間間際の病院に響く。


叔母さんの悲しい叫び声も響く。


その様子に、主治医の先生が駆けつけ


祖父をなだめる。



僕たちは、叔父さんの好意を無にしてしまいたくないから、


とりあえず病院の外に移動した。




一時間くらい経っただろうか


疲れきった叔母夫婦が病院から出てくる。


「やっと落ち着いたよ‥」と言って駐車場に向かう途中、


明日についての話になった。


さすがに明日も来てくれとは、他県から駆けつけてくれた叔母夫婦には言えない。


母も憔悴しきっていて、冷静ではない。


僕はあの怖ろしく、異様な笑い顔を思い浮かべながらも


「僕が行くよ」と


たぶん憂いのある人間らしい笑顔を見せられたと思う。









2006-11-02 12:55:14

脅える人

テーマ:認知症の祖父のこと

便所の床に座るのは


いくら清潔にされていたとしても嫌なものだ。


ましてや、そこに布団が敷かれている。



幸福なことに、祖父にはそれが感じられない。


それ以上の何かに気を取られているか、


あるいは、気がついていることを知られたくないためか。


やはり、ボケ老人だからなのか。



どちらにせよ、僕たちは


それを含め、この部屋の奇妙さに気がつかせないため


どうにか自然に振舞おうとする。


どこにでもあるアパートの一室にお邪魔したように。



それでも、便所と同じ床には抵抗があって、


どこにでもあるアパートの一室のように、


べったりと座ることも


要は、寝ている祖父と同じ目線で話すことが難しい。









認知症になったのも、1人暮らしの寂しさが主な原因だと


解釈していた母は、


仕方のないことだとしながらも、少し後悔している。


だから、もう同じようなことがないように


仕事帰りに毎日見舞おうとする。



僕は1人で暮らすのは祖父の生きてきた経緯からも当たり前のことで、


祖母が亡くなってから祖父の家に顔をだす機会が減ったことも


母の妹たち含め、当然のことだと思っていた。



しかし、なんであれ、このような状態になってしまった以上、


母が見舞うと言う以上、捨て置くことなどできないから


日を決め、分担して二人で見舞った。




初日の事件以来、


祖父は徐々に安定していった。


3日たち、4日たつと


もともとの被害妄想、大家への不信感は


残り続けているものの、


日中は、自分の意思でタバコを吸いに行き、


他の患者さんとも会話する。



時々、「ここのボスはあいつだ」などと


黒いトレーナーを着た男性を恐れたりもしていたけど


感情は露骨であれ、理解できないものでもない。


ただ、この被害妄想的なものが


どこで踏みとどまるのか、どこまで飛躍してしまうのか


その辺りが、恐ろしくも悩ましくもあった。




母は状態がだいぶ改善されたからと


大部屋にもどることを希望し


主治医の先生も、「考える」と言ってくれるようになった頃。


たぶん、入院して一週間くらいたった日だと思う。



その日は雨で、蒸し暑かった。

仕事が休みの弟を


連れて行った日だった。


弟は「怖いから嫌だ」と渋ったけど


人生経験だからと、無理やり連れて行った。



その日も、多少のズレや被害妄想的な話はあったけど


晩ご飯の食事が終わるまで付き添った。


家に帰ると、母に「今日もだいぶ良かったよ」と報告した。






「この先どうなってしまうんだろう」


あの日、誰もが思っていた不安も薄らいできて


誰もが、良い方向に向かっていると思えるようになった。


今度は回復後の居場所についての悩みも生まれた。


それは、すごく困難な問題だったけれども


そこまで考えられるようになったことを、とりあえず喜んだ。




次の日の朝、病院から電話があった。


声は、天気予報のダイヤルのように


東南東を告げるように、昨晩祖父が暴れたことを伝える。


普通なら、昨日の様子が良かったことを思い、困惑するのかもしれないが


どうしてだか、そういうものだと思ってしまう。



たぶん、病気も祖父も、その病棟の意味することも


ちゃんと理解できていないからなのだと思う。


理解できない場所から生まれた事柄を


理解することはできない。


まぁ、そんなことはどうでもいい。


僕は母を乗せ、またしても車を走らせる。


なにしろ熱くなりそうな白い入道雲と青空だった。




病室の前、声は聞こえてこない。


あの日と同じ手順で


看護師さんは、僕たちを落ち着かせることもなく上下の鍵穴に鍵を指す。


僕はその僅かな時間で、窓を覗く。



床に敷かれた白い布団の上に正座している祖父。


白い丸首の半袖の下着、その背中は少し丸まっていて


身を小さくしている。


顔は向かい側の壁にしっかり向いていて、表情はわからない。


まるで父親を目の前に怒られている子供のようだった。


なんにせよ、尋常な雰囲気ではない。




扉が開けられる。空気が重く、とても寒い。


今まで嗅いだことのない、歯を横に食いしばりたくなるような臭いがする。



祖父はまったく反応が無い


看護師さんに声をかけられて、やっと振り向く。


表情に、身内が来てくれた安堵感は無く、憔悴しきっている。


目は深くくぼみ、昨晩から一睡もしていないかのようだ。



看護師さんは戻り、僕と母と3人になった。


すると、関を切ったように話し始める祖父。


まったく何を言っているか聞き取れない。


はっきり言って、壊れている。


目の動きも、話し方も、手の動かし方も、なにもかも異常で異様だ。


泣きたいくらい怖い。吐き気がするほど怖い。



母は涙を浮かべながら、「うん、うん」と頷く。


僕は祖父を見れず、部屋の雰囲気を確かめている。



祖父は言葉をとぎらせることなく、立ち上がり歩き出す。


僕とは母はすぐに反応できない。


部屋を出て、廊下に出た辺りで、やっと動ける。


「他の人に迷惑をかけてしまうかもしれない」という不安だけで


僕は祖父を追うことができた。




祖父はトイレに入って行った。


「困ったな‥」これしか言えない。


とりあえず、出てくると外の空気を吸わせようと喫煙所に誘う。


清々しい夏の朝の空気と、照りつける太陽ならばと、思ったかどうかはわからないが、


僕にも母にも、頼るべき手段も、経験もない。



しかし、時々興奮したように、時々脅えたように、そして時々笑う祖父に


会話はまったく成立しない。


意思の疎通を諦め、無理やり連れ出す。




外に出ると、なんとなく落ち着いたらしい。


少しだけ黙る。


そして、母の腕をとり、いないはずの虫を払ったり


マンホールを、何かの生き物のように避けたり


咲く花をむしりとろうとしたり、


喫煙所の水色のベンチを見て


突然大声で「危ない!」と叫び、体を小さくして脅え始めたり


愕然とした。これ以上ないくらい愕然とした。


息を呑むことしかできない。


頭を抱えることしかできない。







それでも精一杯母はなだめ、


なんとかベンチに座らせ、タバコを吸わせるのだけれど


一つ一つの動作が、ものすごく不自然、


不自然というか、まず違った動作をしてから通常の動作をする。


違うものが見えているよりも、内面的な違和感を抱き


それよりも、ずっと危ういものだと感じる。



ただ、言葉は少しずつ聞き取れるようになり、


それでも大半はわからないのだけれど


「昨日は祭りがあって、あいつらが来ていた」と言っていた。


「ここにいるのは、おかしいと思って、俺も信じられなかったんだけど、いたんだよ!」叫んだ。


「あいつら」というのは、どうやら大家らしい。


大家の息子と、その兵隊が祭りにきていたのだそうだ。


興奮して「いたんだよ!」と叫んだことよりも


「祭り」というのが、なんだか怖かった。




蝉の鳴き声と、祖父の声しか聞こえない。


照りつける太陽と、蒸し暑さで時間を思い出した。

気がつけば12時になろうとしてる。


僕とは母は、なにをすべきなのか、してはならないのか、まったくわからなかったから


12時の食事は安心感を与えてくれた。


とりあえず、病棟に戻ろうと催促する。



またしても、祖父が興奮しだす。


何を言っているかわからなくなって、空を指差し


また、何かが見えていて叫ぶ。



なんとか落ち着かせて、歩き出す


僕は前を歩き、母は祖父に寄り添う。


やはり、電柱や植物を違うものだと思っているようで


脅えたり、僕たちを心配したりする。



突然、母が歩くのをやめる。


祖父は、横にはもういない母に向かって話し続ける。


祖父が僕に近づき、母と祖父は離れていく。



僕は祖父を無視し、母の方に向かって歩く。


できるだけ、笑顔で歩いた。


母はこれ以上ないほど酷い顔をしていた。


そして「もう駄目だ」って、吹っ切るように言った。


僕も「うん、駄目だね」って。



「これでも生きているのかね?」


「これでも生きていいのかね?」って誰に聞くでもなく母は言う。


そして、僕に向かって


「もう、いっそ殺しちゃおっか、可哀想で見てられないよ‥」




母はたぶん本気だった。


後に「あの時は本当にそう思った」と言っていた。




僕は孫であり、母よりも当事者としての資格がないから


あの時も、「なにがあろうと僕は家に帰れる」と思っていたし


どこかで、「なるようになるだろう」と思っていた。


だけど、母が望むのなら、それでもいいだろうと思った。



僕は黙って、うつむいた。


祖父は横にはいない母に気づくことなく、ヨタヨタと歩いていく。


僕たちと祖父の距離は少しずつ開いていく。



祖父が道を曲がり、壁で姿が見えなくなると


僕と母は祖父を追いかけた。


結局、「他人に迷惑をかけてしまう」という理由で


僕は祖父を追いかけた。
































2006-10-31 09:36:58

想像のさわり心地

テーマ:認知症の祖父のこと

通常の個室にしては大きすぎる扉。


錠は上下に2ヶ所、冷たい鉄の大きな扉。


特殊ガラスがはめ込まれた小窓。


足元には、食器が出し入れできるくらいの小さな扉。


そして、室内のトイレの水を流すレバー。



午前9時に、異変を知らせる電話があり


僕と母は病院に向かった。



到着すると、すぐに看護師が


「このまま見に行かれますか?」と。


僕はその言葉に、覚悟しなければならないことを感じる。




看護師さんは、心など落ち着かせる必要はないのだと、


むしろ、心など落ち着かせてはならないのだと


言っているかのように、躊躇なく上下についている鍵穴に鍵を指す。



その僅かな間に


小窓から中を覗くことはできるが、


怖くてできない。



何があろうと、明日は来るのだし、僕は家に帰れる。


心は自然と、時間が過ぎていくことに期待している。



扉が完全に開く前に、隙間から祖父は出てくる。


心配とか、情とか、そういうものよりも前に


様子は恐ろしい。



祖父はとても慌てている。


いや、何かに追い立てられている。


何故かズボンは半分下りたままで


それでもベルトをしめようとしているのか


ベルトをカチャカチャと鳴らしながら、


隙間から出てくる。



「あのな‥」と言ったきり


顔をこちらに向けることなく、病室を出て行く。



母は戸惑いながら追いかけていき、


僕はその後をゆっくり歩く。


向かいの病室の患者さんが、小窓からこっちを見ていた。


目が合うと、小窓をガンガン叩き、何かを叫んでいる。



どうしていいのかわからない。


この状況は、もう笑うしかない。


だけど、笑うこともできずに、「わけわかんねぇよ‥」と小声でつぶやく。



祖父はわからないが、トイレに入って行く。


側にいる看護師さんに、「もう大丈夫ですから‥」と


何が大丈夫なんだかわかんないけど、すごく良くわかることを母が言う。


僕はトイレに付き添うべきか悩んだけど、


行くことはできなかった。


ただ、なにより母の様子に、冷静になろうと、落ち着こうと考えた。




トイレから出てきた祖父は、そのままテーブルが並ぶフロアの方へ。


足を引きずってはいるけど、やたら速い。


声をかけても立ち止まらないし、こっちも見ない。


あの個室から逃げたいことは、良くわかるのだけれど


ここまで人を脅えさせるものとは、何だろうか。



テーブルのあるフロアに入ると


ものすごい視線の数を感じる。


わざわざ、側に来て顔を覗き込もうとするお婆さんもいる。


理由は珍しいからなのか、


それとも、昨夜の祖父の行動に原因があるのか


対処に悩む。


見ないふりをするべきなのかとも思ったが、


とりあえず、一々挨拶することにした。


この場所では、それが正しいのだろうと思った。



テーブルで向かい合い、話をする。


一方的で、しかも何を言っているかわからない。


慌てて話していることもあるし、内容もわからない。


でも、時間がたつと落ち着いてきたのか、


それとも、僕が慣れたのか


徐々に言葉の意味が理解できてくる。



表情も穏やかになり、時折笑うこともある。


食事が運ばれてくると、一生懸命食べながら話す。


両方同時にやるから、食べ物が散乱する。



その異様な光景とたくさんの視線の中


やっと、親戚が駆けつけてくれた。



僕と母は祖父を親戚に任せ、


母は来なくてもいいと言ったけど、


祖父が一晩明かし、


たぶんこれからも夜を明かし続けるだろう奇妙な個室に向かった。



途中、看護師さんを呼び止め、


昨晩の出来事を聞く。



どうやら、徘徊があったようで


説得したけれども、興奮して聞いてくれない。


だから、個室に入れて施錠したのだけれど


そこで、ベットに登り、換気口の鉄パイプを引きちぎり


外に出ようと暴れたらしい。



僕と母は謝る。


だけど、混乱しているのか、


何がどう悪いのかも、逆に何が良いのかもわからなくなっていて


昨夜の様子を想像することはやめた。


いくら想像しようとも、祖父が苦しむこともなければ楽にもならない。


ただ、想像する僕自身が混乱するだけだ。




大きな扉を開ければ、


ベットは無かった。


「転ぶと危ないから」と、看護師さんは言っていたけれども


コンクリートの冷たさを感じる灰色の壁に囲まれ


茶色の床は学校の廊下のような素材。


そこに、白い布団と、白い和式の便座がある。


便座の横には、トイレットペーパーがむき出しで1つ。


窓と反対の壁には、水色の布が張られていて


それが何か、とても生々しく、怖い。


なにしろ、囚人の入る独房のようだ。




壁には無数の傷があり、何が起きる場所なのかは想像できる。


中に入れられる人間の想いも、想像できる。


危険だからと、持ち込んだ備品はすべて外に出され


無造作にバックが置かれている。


本来なら病室内にあるべき


スライド式の棚のようなものも外に出されていて


棚の上には、奇妙に曲がったスプーンがあった。



たぶん、夜中このスプーンで、どうにか扉を開けようとしていたのだろう。


母はそれを見て堪えきれず泣いた。




その日は、親戚のおじさんの


信じられないくらいの情の深さで祖父は眠りについたけれど


その頃には僕にも余裕ができていて、


最後に誰がこの大きな扉を閉めるのかと、そればかり考えていた。


身内の人間が帰ってしまえば、この扉には鍵がかけられ


明朝の食事の時間まで、開くことはない。


誰も扉の閉まる音は聴きたくないだろうし、


施錠される音も嫌だろう。



扉を閉める悲しみを感じるのは


最も子供である僕の役目だろうと考えた。



扉が重い音をたて、閉じられると


直ぐに看護師さんが施錠した。


母も親戚のおばさん、母の妹なんだけれど


やっぱり泣いていた。




でも、こんなことは、ほんの始まり。


いっそ「殺してしまおうか」なんて本気で考えたりもしたんです。


2006-10-30 00:27:18

精神病棟にて。

テーマ:認知症の祖父のこと

人里離れた山間


がっしりした門に、大きな錠


鉄格子、床に設置された和式便所、泣き喚く患者。


医師は研究に感情を打ち消し


看護師にとって感情は、職務の障害にしかならない。




「精神病院」というものが


物語の為に誇張された姿でイメージされる。



しかし、母に聞けば、


過去、事実として、そのような奇妙で恐ろしげな場所は存在していたそうだ。


ハンセン病患者の裁判を見れば、


たぶん、それはあったのだろうと想像できるし


今現在もひっそりと、


山越えの道の途中にある、セメント工場のように


ある時まで、ほとんど気づかれることなく


それはあるのかもしれない。




今年の春


祖父に認知症の疑いをもち


近所にある、キリスト教系の病院で検査をして


梅雨の頃、都内の総合病院に入院することになった。




そこは精神病の病棟だったのだけれど


総合病院であったからか、


さすがに物語の為に誇張されたような場所ではなかった。


ただ、本館とは道路を隔てて離れていて


入り口は中から自由に出られないように、


機械で施錠されていた。



施錠される理由は、「精神病の病棟だから」で


何も疑問には思わない。


病室も、通常の病棟とそれほど変らず、


鉄格子もなければ、床に設置された和式便所もない。



祖父は大部屋にベットを用意され、


同室の患者さんも、会話すれば多少違和感をもつけれども


それは「生きてきた環境の違い」で片付けられるような


あるオフィスの一室なら


「今度の新人、少し変ってるね」と


他意のない指摘がある程度だと思う。



出入り口は1つで、


大きめのナースステーションが受付になる。


それを中央に、左が男性患者の病室


右は、状態の良い患者が、そろって食事するテーブルが並べられ


窓からは中庭が見える。


ベンチとパラソルが、天気の良い日の暇つぶしに使われるのだろう。


角には、わりと高そうなソファー


そこに大画面のテレビがあって、何故か音はステレオ経由でスピーカーから流れる。


テーブルが片付けられた空間で、月に何度かのイベントも行なわれる。


そのフロアの右奥が、女性患者の病室。



女性の病室の廊下とフロアの角に、緑の公衆電話があって


車椅子のお婆さんが、いつも同じその電話の横で遠くを見ていた。





もちろん、個室もある。


そこは望んで入るというよりも、


急を要する患者が入る部屋になっている。


カーテンの隙間から見えるベットの上には


やたら管のついた患者さんが寝ている。




さすがに精神病棟だから、


何かの拍子に、泣き喚く声も、怒号も聞こえてくる。


がんじがらめに縛られ、ストレッチャーで移動する患者の顔は


健全性の欠片もなく、身が震えるほどだった。



でも、本当にそんな状況は稀。


みんな入院に飽き飽きしているみたいだけれど


それなりに楽しんでもいて、


病気の程度の差も、大概の人は意識していないみたいで


「思いやり」「同情」なんて言葉は微塵もなく


まったく公平だった。


いや、僕にはそう感じた。





ただ、大部屋の奥


廊下の一番奥に、妙な区画があった。


入院の初日に、あんまり興味本位でウロウロするのは


特殊な病棟であることからも、患者さんを逆撫ですると思い、


様子を見ることはできなかったけど、


案内板を見ると、その区画には2つ個室がある。


2つの病室と廊下の間には、扉があり


扉を開けると、水道と小さな空間がある。


そして、その空間に向かい合うようにして病室がある。




その部屋からは、定期的に叫び声が聞こえる。


まるで人体実験される直前のような


鬼気迫る悲痛な叫び声だ。


他の患者は慣れているのか、まったく気にも留めていない様子だったけど


祖父も僕も、親戚も


その声が聞こえるたびに、顔を見合わせ、


「どこにも問題がない人間の声だとしたら‥」


考えただけでも、その状況に恐ろしさを感じた。




無論、ここは精神病棟だから


「どこにも問題がない」なんてことはない(あってはならない)わけで


それは僕を安心させるけれども、


受け入れることができるほど、僕は精神病を知らないし


精神病棟を知らなかった。





その日の夜、入院して初めての夜に


祖父がある事件を起す。


そして、あの悲痛の叫びの病室の向かいに


移動させられることになる。




そこで僕は何度も


祖父と、精神病棟の現実を見なければならなくなる。


施錠された分厚い扉、鉄格子、誰かが傷をつけた壁と特殊ガラス


床に設置された和式便所の部屋で。

2006-06-11 10:46:50

ボケ逝く祖父

テーマ:認知症の祖父のこと

高齢化社会において、「痴呆症・認知症」


要するに、ボケというやつは


投げ捨てられた空き缶のように、


残念ながら、どこにでも転がっているものなのかもしれない。





先日、母方の祖父が健全さを失いはじめた。


それが、認知症と呼ばれるものかどうかは病院の検査が必要だろうが、


奇妙な結論を導き出す思考に、なんらかの問題があることは確かだ。




原因は単純に寂しいからだと思う。


祖母を10年前に亡くし、今まで一人で生きてきたこと。


痛む体


足音が聞こえてきそうな寿命



孤独では、迫る不安を誤魔化すことも難しい。


僕自身、一人でいることを好む方だから、


一人でいることの負の部分は、実感を伴って想像ができるし、


孤独の恐怖を、ある程度想像することもできる。



そして、人を思いやることを含めた教養のない祖父は


孤独で揺れ動く自分自身の心情を認識することもできなければ、


そうならない為に、やらなければならなかったことを理解することもできない。


これから先、どうしていけばいいのかも、考えることすらできないだろう。






この状況になれば、


致し方なくにせよ、心から心配するにせよ


身内は動かざるを得ない。



切なさ、諦め、憎しみ、背負うべきもの


痴呆の老人を前にして、事実負担する身内の想い。


それが露骨に現れることは心配していないが、


悲しくも、祖父は同情を拒否される過去を抱えている。





身内の恥をさらすことになるし、とても重い話になるが、


母方の家の事情について書いてみたい。


僕自身、どう扱って良いのか持て余している現状がある。


正面から受け入れれば、憎しみと軽蔑でどうしようもならない事実がある。





Amebaおすすめキーワード