2010-02-27 11:39:07
下品にはなりたくないけれど。
テーマ:ブログ
子ども手当ても高校の無償化も
一律にするなら反対はしないけど
ただお金を配るだけのことになりそうで
うまくいかない気がする。
金を出してるんだから、口を出せろとは
さすがに品がなくて言えない。
でも、実際はそういうことで
高校の無償化で
朝鮮学校のことも言われてるけど
もしそうなったら
学校側は当然、僕たちにわかりやすいように
なにをしてるのか説明する責任も出てくるし、
透明化ってのも責任になる。
だから僕は、どこの学校も隔てなく無償化された方がいいと思う。
どうしてなんだかわからないけど
これまで学校は、子どもたちを守るという理由で
社会との間に壁を作ってきた気がする。
僕はそれも間違いじゃないと思うけど
気が付いたら子どもを守るより
その壁が教師を守るために働いてたりして
どうにもならなくなってる。
今の状況を考えると
教育が親だけにも教師だけにも任せられなくなっちゃった。
そういう残念なことが背景にあるから
政治の介入が必要になった。そういうことだと思う。
政治の介入ってのは、本質的には民意の介入で
なんでもそうだけど、民主主義の国は
ものごとが破綻すると、どうしてもこうなる。
理性とか、良心の瀬戸際が民意ということになっちゃう。
逆に取れば、責任の分散ということで
うやむやにするにはもってこいのやり方だと思う。
この高校の無償化が
授業料を親に国が援助するってことなのか、
授業料分のお金を学校に援助して、授業料自体を取らないということなのか
よくわかってないのだけれど
もしやるのなら
高校の無償化は学校にお金を入れるかたちのほうがいいと思う。
教育に対する親側への介入は子ども手当があるわけだし
重ねて援助するより
学校に介入できるようにした方が
お金の使い方としては有用だと思う。
でも、僕は正直うまくいかないと思ってる。
子どもを社会全体で育ててく。
そういう自覚が親にも社会にも
子どもたちにもあるのかどうか疑わしい。
これまでとは変わるんだってことを
誰がどうやって説明するのか
言葉を扱える政治家も見当たらないし
そういう哲学的というか思想的な言葉を
受け入れる土壌もないと思う。
だから、結局
「ああ、生活が少し楽になった…」とか、親は感想を持つだけで
「ああ、税金がまた高くなった…」とか、嘆くだけで
「ぼくたち、わたしの勝手だ!」とか、子どもたちは呆けるだけで。
それに、たとえば朝鮮学校の教育に介入するような
権利の行使ができるとは思えない。そんな勇気はない。
賛成してる政治家も
そういうことで健全化していくなんてまったく考えてもいないだろうし
教師側にもそんな自覚はないだろう。
ものごとは、結果も大事なんだけれども
手順のほうがずっと大事だと思う。
その手順に、なにをどうしたいのか
方針とか、意思が見える。
さすがにこんなこと言うのは恥ずかしいけれど
この国に欠けている最も大きなものだと思う。
教育費の負担が減る。
せいぜい、お金の有無で教育に差が出ることを抑える。
もちろん、それは大事なことだけど
その程度のことしか考えられないなら
スノーボードの国母選手を批判することなんかできないよ。
この程度で商売したらすぐに失敗する。
少し前まで、合理的であることがすごく持て囃されたし
今だって合理的に考えることは正しいことだと思われてる。
自分自身がどれだけ非合理に動いているかも考えないで。
なのに、お金にしろ愛情とか思いやりにしろ
どのタイミングで、どの寄せ方で、どのくらいの比重で
手を差し伸べれば最も多くの利益を得られるのか
考えたり想像したりできない。
偽善が嫌なら嫌でもいいけれど、
配慮するにも思いやるにも、譲るにも
まずそれが前提にならない、考えないのは怠慢だと思う。
お金の持つ力とか
善意とか、良心とか
振りかざすのは下品なことだよ。
だから、黙っていて粛々と進めていくつもりなのかもしれないけど
あんだけ下品なことばかりしてる人たちが
ここだけ上品になるわけもなく
お金が有り余ってるならそれでもいいのだろうけど
国の借金がどうのとか、財源がどうのとか言ってる人たちが
お金を最大限に生かそうとか考えないのだから不思議だ。
施す側に意思も筋も思想もなくて
施される側に公共心がない。
なんであろうとうまくいきっこない。
一律にするなら反対はしないけど
ただお金を配るだけのことになりそうで
うまくいかない気がする。
金を出してるんだから、口を出せろとは
さすがに品がなくて言えない。
でも、実際はそういうことで
高校の無償化で
朝鮮学校のことも言われてるけど
もしそうなったら
学校側は当然、僕たちにわかりやすいように
なにをしてるのか説明する責任も出てくるし、
透明化ってのも責任になる。
だから僕は、どこの学校も隔てなく無償化された方がいいと思う。
どうしてなんだかわからないけど
これまで学校は、子どもたちを守るという理由で
社会との間に壁を作ってきた気がする。
僕はそれも間違いじゃないと思うけど
気が付いたら子どもを守るより
その壁が教師を守るために働いてたりして
どうにもならなくなってる。
今の状況を考えると
教育が親だけにも教師だけにも任せられなくなっちゃった。
そういう残念なことが背景にあるから
政治の介入が必要になった。そういうことだと思う。
政治の介入ってのは、本質的には民意の介入で
なんでもそうだけど、民主主義の国は
ものごとが破綻すると、どうしてもこうなる。
理性とか、良心の瀬戸際が民意ということになっちゃう。
逆に取れば、責任の分散ということで
うやむやにするにはもってこいのやり方だと思う。
この高校の無償化が
授業料を親に国が援助するってことなのか、
授業料分のお金を学校に援助して、授業料自体を取らないということなのか
よくわかってないのだけれど
もしやるのなら
高校の無償化は学校にお金を入れるかたちのほうがいいと思う。
教育に対する親側への介入は子ども手当があるわけだし
重ねて援助するより
学校に介入できるようにした方が
お金の使い方としては有用だと思う。
でも、僕は正直うまくいかないと思ってる。
子どもを社会全体で育ててく。
そういう自覚が親にも社会にも
子どもたちにもあるのかどうか疑わしい。
これまでとは変わるんだってことを
誰がどうやって説明するのか
言葉を扱える政治家も見当たらないし
そういう哲学的というか思想的な言葉を
受け入れる土壌もないと思う。
だから、結局
「ああ、生活が少し楽になった…」とか、親は感想を持つだけで
「ああ、税金がまた高くなった…」とか、嘆くだけで
「ぼくたち、わたしの勝手だ!」とか、子どもたちは呆けるだけで。
それに、たとえば朝鮮学校の教育に介入するような
権利の行使ができるとは思えない。そんな勇気はない。
賛成してる政治家も
そういうことで健全化していくなんてまったく考えてもいないだろうし
教師側にもそんな自覚はないだろう。
ものごとは、結果も大事なんだけれども
手順のほうがずっと大事だと思う。
その手順に、なにをどうしたいのか
方針とか、意思が見える。
さすがにこんなこと言うのは恥ずかしいけれど
この国に欠けている最も大きなものだと思う。
教育費の負担が減る。
せいぜい、お金の有無で教育に差が出ることを抑える。
もちろん、それは大事なことだけど
その程度のことしか考えられないなら
スノーボードの国母選手を批判することなんかできないよ。
この程度で商売したらすぐに失敗する。
少し前まで、合理的であることがすごく持て囃されたし
今だって合理的に考えることは正しいことだと思われてる。
自分自身がどれだけ非合理に動いているかも考えないで。
なのに、お金にしろ愛情とか思いやりにしろ
どのタイミングで、どの寄せ方で、どのくらいの比重で
手を差し伸べれば最も多くの利益を得られるのか
考えたり想像したりできない。
偽善が嫌なら嫌でもいいけれど、
配慮するにも思いやるにも、譲るにも
まずそれが前提にならない、考えないのは怠慢だと思う。
お金の持つ力とか
善意とか、良心とか
振りかざすのは下品なことだよ。
だから、黙っていて粛々と進めていくつもりなのかもしれないけど
あんだけ下品なことばかりしてる人たちが
ここだけ上品になるわけもなく
お金が有り余ってるならそれでもいいのだろうけど
国の借金がどうのとか、財源がどうのとか言ってる人たちが
お金を最大限に生かそうとか考えないのだから不思議だ。
施す側に意思も筋も思想もなくて
施される側に公共心がない。
なんであろうとうまくいきっこない。





