2010-01-27 18:09:49

ものが売れないと言うけど

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ものが売れないという記事をよく見かける。

不況ということもあるけれど

たいがいそんな記事には

低価格志向だとか、若者の車やブランド品離れとか

文化的な変化があって、

さぁ、どうしたものか…と、

異文化に対する戸惑いというか、世代間格差というか

対応できないことでの不安というか、先行き不透明感。

そんな感じのことが書いてある。


僕もなんとなくだけどわかる気がする。

たしかに、昔よりもずっと若い人は

よく言えば個性的になったし、悪く言えば自閉的になった気がする。

よいものよりも好きなものを大事にする。

自由だし、放蕩かもしれない。


要は、裕福になったということで

悪いことではないのかもしれないけど

使命感のない貴族みたいなもので

関心が散漫で、共に生きるには難しいと思う。

もしかすると結婚離れもそのあたりにあるのかもしれない。


ただ、僕はそういう記事を見るたびに

そういった文化的なもので誤魔化そうとしてるように思える。


あれだけリストラをして、賃金を下げて、下請けを切り捨てて

国内消費が下がるのは当然のことで

経団連の会長とか、そんな偉い人たちが

わからないわけがないから

きっと、騒いでるのは別な人たちだろうと思うけど

もし、本当に驚いたり悩んだりしてるなら

相当な間抜けだから、会社のためにならないので

それこそリストラするべきだと思う。


だけど、そういう議論なんかを聞いてると

どうにか落着させたいのか、安心したいのか分らないけど

結局は「よいものをつくれば売れる」で終わる。

少し前に、

効率化だとか合理化だとか、規制緩和だとか

叫びまくった人たちにかぎって、そういうことを言う。


「よいものをつくれば売れる」

僕もそうあるべきだと思うし、そういうところもあると思う。

だけど、同じ口で言って欲しくはない。


どうせなら、また何とか債権とかよくわからないのをつくって

虚構に虚構を重ねた、巨大な虚構の消費地をつくって

バカバカ売り込んで、その利益で債権を買って…みたいな

要は、竹中さんみたいに

景気対策なんかでお金を使うくらいなら、

アメリカにお金を注ぎ込んで、巨大消費地を復活させて

また危うい虚構の循環で生きてこうって言えば、ずっと一貫性があってわかりやすい。

もちろん、そんなことをまたすれば

労働と賃金のバランスに公平性が欠けて

道徳的な問題が出てくるけど、他国のことだからうまく隠せばいいだろうし。



責任をとりたくないだけかもしれないし

責任というものがあることを知らないのかもしれないけど

自分たちのしてきたことに触れずに

問題をすりかえるようなことは悲しい。



なにしろ、僕はそういう人たちに

「よいものをつくれば売れる」なんて言って欲しくないし

お金を払えば、その分のサービスを受けるのが当然といった

思いやりのない消費者にも言ってもらいたくない。

そういうものごとを一面的にしか捉えられない人が

いったい何が「よいもの」だと判断できるのだろう?


それなら、今の若い人の

「よいもの」よりも「好きなもの」という考えの方が

ずっと好感を持てる。

「よいもの」がわからなければ、最初から考えない。

そっちの方がずっと誠実だと思う。


それに、気持ちとか心とか精神とか

なんでもいいけど、それを合理化して効率化していけば

当然、そうなるに決まってる。

共感の喜びとか、共に生きる喜びとか

それがどれだけ素敵なことだと気づいていても

それをするのはすごく難しいことで

人との関係だから、どれだけ努力しても報われないこともあるわけで

そんな苦労をするくらいなら

好きだと思えるものや、好きなことをして

個人的な満足で十分足りる。


どんなことでも理由はある。

因果の末に今がある。

僕にはなるようになっただけ

なるべくしてなっただけとしか思えない。



2010-01-20 23:05:28

逡巡

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趣味が映画鑑賞で

毎週、映画館に行ってるっていう人と知り合いになった。

外資系の会社に勤めてるらしく

会話がほとんど英語なんだそうな。

中学一年レベルから、まったく進んでない僕にしてみれば

なんて過酷な世界なんだろうと思う。


顔をあわせたときから、知的な印象を受けたけど

話してみると、いろんなことをとてもよく考える人で

どこか人を試すような眼差しに

僕は少し戸惑ったけど

複雑な人ではなくて

合理的でさえあれば正しい考える人。

それさえわかればなんとかなるし、むしろわかりやすくて気が楽。


ただ、少し才気走っていて

たぶん好かれたり嫌われたりしながら生きてきたんだろうなぁ…と、思うし

好きになったり嫌いになったりして生きてきたんだろうと思った。

なんていうか、揉めてる様子が目に浮かぶ。


だけど、才気走ったり、知恵誇ったり

僕が言うのはどうかと思うけど

そうなるのもわかります。

ここまでくるには、結構な努力もあっただろうし

悔しさとか、勝敗を意欲にかえられるタイプの人は

そうなりやすいし、ちゃんと結果も出てると思う。


話を聞くことより、話すことの方が好き。

たぶん、好きというよりも

詰まらない話を聞かされるのが嫌なんだろう。

きっと、話の流れで次の言葉が想定できてしまうんだろうなぁ

だから言葉の出だしだけで何を言おうとしてるのかわかっちゃう。

人間なんてそれほど大きく違わないから

そのほとんどが想定内で、最後まで聞くのも面倒。


逆に想定外の言葉には関心を示してくれる。

僕が好感を持ったのは

そういうとき、ちゃんと考えてくれるところ。

考えた上で否定にしろ肯定にしろはっきり言うところも

潔くて心地よかったし

そういう人にありがちな、主観でバッサリ言葉にして切り取ろうとする

今ある言葉で簡単に括ってしまったりしない。

竹を割ったような…って表現があるけど

それって潔く見えて、たいがいは

秩序立ってないと気持ちが悪いとかで

自分の中にあるものに無理やり当てはめてバッサリって多くて

また、バッサリ割ったものは

もう勝手に秩序立てちゃったから、興味ないんだ。

頭に残すとか、心に残すとか

そうじゃなくて、あれは捨てるだよ。

捨てられる身にもなってみてほしいよ。


まぁ、なんであれ、そういうところがなかった。

そういう人は珍しいと思う。



それと、ちゃんと硬い殻の下に

柔らかいものもあるんだってことを、ためらいがちにも感じさせてくれた。

人に感じ取らせるってことは、ちゃんと期待してるってことなんだろう。

柔らかいものをふれあう楽しさとか、喜びとか

経験したことがあるんだろうと思った。

大人の小さなためらいは可愛らしいと思う。


ある人は不器用だって言うかもしれないし、臆病だって言うかもしれない。

でも、僕はそれでいいんだって思う。

不器用さは誠実だと言うことだし、臆病は知恵になる。

あとはそのときを待つだけだよ。

ただ、残念なのは、日々、歳を取り続けるってことだ。



それにしても思うのは

どうして映画好きな人って

みんな映画が好きだと思ってるんだろう?

好きじゃなくても、嫌いじゃないと思ってる。

僕はほとんど映画を見ないから

映画好きの人と話をすると、たいがい驚かれる。

2時間が面倒なんだ…って言うと、呆れられる。

後に残らないんだとしたら、何をしても一緒のような気がするんだけど

もしかすると、映画好きの人たちのあいだでは

観たということが何か大きな意味を持つのかもしれない。


僕はどちらかというと、誰かと一緒に見て、その後話をするのが好き。

映画自体がどうこうは思わない。

詰まらなくても楽しくても、まったく関係ない。

なにか引き出せるものがあればいいけど、

これまた人間の考えることなんて、大きく違わないから

新しい何かを感じるなんて無理なんじゃないかとも思う。

なるほど、僕もこういうところは似てるんだなぁ。



映画で思い出したけど

冷静と情熱のあいだ

そんな映画が昔ありました。

もちろん見てない。

見てないから、実際、そのあいだに何が描かれたのか知らない。

近頃、その冷静と情熱のあいだにあるものが

逡巡だと気づきました。

カビラさんがよく言う、何が彼を逡巡させたのか?の逡巡です。


大人になって人を好きになると

冷静にも情熱的にもなれず、そのあいだで逡巡するんですね。

冷静さを持ちえながら、冷静でいられる時間的余裕を持たない。

情熱的に向き合う純粋さを残しながら

純粋さは傷口でもあり、相手を傷つけるナイフにもなることを知ってる。

そのあいだでためらうんです。

歳に関係なく、好きになってしまえば

掛け替えのない唯一の人だと思い込みますけど

さまざまな経験をした大人が、そんな風に思ったときは

まさに逡巡、100兆分の1ですからね。




2010-01-13 22:50:12

僕が何も得られない理由

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元旦に顔を噛まれて

だいぶ痛かったけど

会社の人はすごく楽しんでくれたみたいで

なかなか深い傷が残ってるけど

そんなに悪いことでもなかったような気になってる。


なにかを失えば、なにかを得れるかといえば

たしかにそうなのだろうし

なにかを得たら、なにかを失ってる

まぁ、そういうことなんだろう。


予期せぬものとか、欲しくはないものとか

いろいろあるけれども

そういう取引を日々繰り返しながら生きてることになる。

気持ちの問題、肯定的にあるいは否定的に迎える。気持ちの問題。



ただ、そういう予期せぬものじゃなく

自分が望んでるもの

得ようとしてるものを考えると

少し言い方を変えたほうがいいような気もする。


捨てるじゃなく、手放す。

得るということは、どこからか貰うということだし

奪うということかもしれない。

どちらにせよ相手のいること。


自分のことなんか考えなくても考えてる。

なんでそれが欲しいのか、それを得てどうしようというのか。


欲しいものが得られない、そのたいがいの理由は

自分のことばかりで

それを今持っている誰か、何かのことをちゃんと思わないからなんじゃないかと思う。


ただで何かを得ようなんて、相当の運がなきゃ難しい。

お金を持たず、買い物に行くようなもの。



もちろん120円で缶コーヒーを買うとか

そんなわかりやすく平等なものじゃなく

もっと自由で不平等な原始的取引になるわけで

それが交換とか取引の真髄というか、頭の使いどころというか

誠実さとか情とか人間性が試されたり、知恵とか脅しとか生まれとか環境とか

その人の力が試される。


それに固定相場じゃなく完全に変動相場だから

そのとき、その状況、その気分で対価が変わってくる。


もし、何かが欲しいなら

まず考えるのは、どれとなら交換が可能なのか考えることだと思う。


どうして自分は何も得ることができないんだろう?

こんなに必要としてるのに…

なんて悩むなら

そこを考えるべきだと思う。


よくよくその構造を見つめれば

運や偶然、賭けなんか最小限ですませられるはず。

そうじゃなきゃ、僕はもう負けることが決まった人生だよ。

まぁ、無理だとわかってても

目の前にきれいな宝石があれば

ついつい手を伸ばしたくなる。

二度と手に入れられないと信じれば、無謀でも賭けに出てしまう。

そういうことはしかたのないことだと思うし

そのくらいは許してくれてもいいと思うけど

無謀な賭けで相手を傷つけてしまうことも覚悟しなきゃいけない。

どうあれ、自分の利のことばかり考えてると

自分の利には決してならない。

そういうことだと思う。
2010-01-06 20:00:59

美しさの欠陥について

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はじめて傷口を見たんだけれど

絆創膏で皮膚がふやけてることを考慮しても

なかなかひどいものだった。


どのくらい残るのかわからないけど

もし形成なり整形をするにしても

手術台に寝かされた僕を先生が

「どこを治せばいいのだろうか…」と、

悩む姿が想像できる。


この先生の悩みはなんとなく哲学的な気がする。

さまざまな応用が考えられる思考法の例になる気もする。


どうあれ人それぞれ美醜がある。

その点は不平等であるけれども不公平ではないと思う。

持つものは持たざるものであり、持たざるものは持つものでもある。

それに、持つものにも持つものの悲喜があり、持たざるものにも悲喜がある。

だから、人それぞれ持って生まれたものを

理由なく否定したり、賛美したりするのは好きじゃない。


持つ人が幸福で持たざる人が不幸か、そんなことはどうでもいい。

大きな意味で関係はなく、小さな意味で大きく関係している。

結局は人それぞれで、そういうことなんだと思う。


ただ、容姿のだけに限っても

もし美男や美女が醜く生まれてたとしたら、醜い人が美しく生まれていたとしたら

今とは違う人生を歩んでいたと思う。

行き着く先が、人生の目標が同じだとしても、その道はまるで違っていると思う。


生きてる以上、まだ道の途中だけど

僕はその道の違いに、なんとなく公平さを感じてる。

そして、その公平さを口惜しく思う。

ときどき傷つけられることもあるけれど。



美しさは人の心をよく奪う。

なのに、美しい人はたいがい残酷だ。

美しい人がたいがい残酷なのは

奪われた人のほとんどに、その美しさが与えられないことではなくて

好きなら好き、嫌いなら嫌い

それがはっきりしすぎてるからで

段階的にでも、部分的にでも

気持ちを受け入れようとしないことだ。


勝手に心を奪われて悲喜してるのだから

こればかりはどうにもならない。

お腹がいっぱいなのに食べ物を与えれても嬉しくないし

好きでもないものをほしがる人はいない。

だから、それが悪いと言ってるわけじゃなく

それをしないから罪だと言ってるわけでもなく

仮に僕が美しい人だったとしても、そんな義理もないし、余裕もないと思う。

そして、僕が美しくない、奪われる側の人間だから

その気持ちを汲んでくれと嘆いてるわけでもなく、

誠実に見たままをそう思う。


なにしろ、美しい人は残酷な傾向にある。

それは、美しい人が辿ってきた道が、その傾向を生んでいるのだと思う。

そしてその傾向が、美しさを枯らせてしまうことになる。


ただ、これは見た目の美しさに限定された話じゃなくて

人の心をどんなかたちであれ、持って生まれたもので奪える人

全般にその傾向があるように思う。


だから、僕はわりと世の中は公平にできてると思うし

美しさ、人の心を奪うものたちが

枯れていくのを惜しく思う。



ただ、この枯れるは、草木が枯れるという意味ではなくて

正しくは、涸れる

井戸が涸れるの涸れるで

歳を重ねて老けることで、枯れるということじゃない。

もっと言えば、飽きられるということだと思う。


美人は三日で飽きるというけど、さすがに三日はないにしても

三年は持たないと思う。


ものごとはよくできていて、与えれば与えられるし、奪えば奪われるもの。

心を奪われたということは、相手から何かを奪ってることでもある。

意識しようがいまいが関係なく、そうなっている。

だから、奪い続けるということは、奪われ続けてるのと同じことで

美しさに心を奪われたなら、その人の美しさを奪っていることになる。


飽きとは水が涸れて渇いてしまうことだと思う。

だから、潤してくれる何かに目が移る。

心を奪われるようなものを、潤してくれるものを

人は求め続けているとも言える。



美しさが枯れるのは、老いるからじゃなく

美しさが涸れ、渇くからだと思う。



もちろん枯れずに美しいままの人もいる。

僕はそういう人がいることを偶然知ることができたけれども

なんていうか、深みを感じる。

そばにいればいるだけ、美しさが増すようで

ふれればふれるほど心をひきつける。


それは質が違うのだと思うくらいで

でも、深みというものは持って生まれるようなものではなく

だとするなら、美しさにも成長があるんだろう。

成長した美しさか、成長途中の美しさかの違い。たぶん、間違いなくそうだと思う。


そうなると、すぐに心の問題、心と体を別にしたり

心技体だとか、美徳や知恵の問題にしてしまうことが多いけれど

いや、大きく言えばそういうことになるのかもしれないけど

僕はそんな簡単な話じゃないと思う。

難しい話でもないと思う。



たいがいの人が枯れてしまうのなら

その分岐がどこにあるのか考えれば

やっぱり辿ってきた道にあるんだと思う。

きっと、美しさを成長させる何かが

その道には根本的に欠けているんだ。

ただ、どこにあるのかはすぐわかる。

ないところにないのなら、あるところにはある。

それは、あるところにないのなら、ないところにあるんだ。


持って生まれない人の辿る道に、それはあるんだろうと僕は思う。

しかも、持たざる人が生きるうえで原罪のようにまとわりついていて

頭を抑え付けられる重石のようなもの

持たざる人が、それがないという世界を想像できないくらいのものなんだろうと思う。


そして、そのあるなしが

結果的に感情を露骨にさせてしまう。僕はそう考える。

また、持たざる人の卑屈さもそれだと思う。



今、目に見えているものがすべてだとは誰も思ってない。

だけど、それを本当に理解するのはとても難しい。

想像できないものをどう理解すればいいんだろうか

生まれ持った人が、持たざる人を

持たざる人が持つ人を

本当の意味での共感なんて、どうしたらできるんだろう。


この難しさを越えることで、枯れない美しさが得られるのだろうと思うけど

人はその過程を、努力を想像することも怠るから

一見、世界は不公平になる。


ただ、正直僕は

持って生まれたものに劣等感がある方が

最終的には恵まれていると思うのだけれど

それも人それぞれで、自分を慰めてるわけじゃないけど。






2010-01-05 01:52:58

新年早々苛立つ

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責任感があるなんて言われたことないけど

あまりに無責任が目に付きすぎる。

特に偉い人

どうしてこんな無責任な人たちが

偉くなれるんだかわからない。


言葉に対する責任と、行動に対する責任と

どっちが重いのかと考えれば

現実になるかならないのかの差はものすごく大きいというか

無と有の違いだから。


だけども、行動に伴う責任は

わかりやすいから、当分批判の的にされて

少したてば、みんな忘れちゃうみたいだけど

何が目的で、何を手段として失敗したのか

そこまで丹念に調べる人もいないわけで

たまたま運がなかったとか、次につながる失敗だとか

完全に暴走で、目先の利にとらわれた恥ずべき失敗だとか

身勝手だったり私欲を満たすためだったり、

矛先をかわすためだったり、いろいろあるけどね

それはもう、批判する側の問題。

僕は僕なりに考えて、可哀想だ…と思ったり

もう忘れちゃったのか…と、呆れたりしてます。



でも、僕が嫌なのは

行動しない、言葉に対する無責任さで

これが世の中にびっくりするほど溢れてる。


人は誰でも間違う。

僕だっていつも間違ってる。

間違いに気づいたとき、もし相手がいるなら

その相手に間違いだったことを伝えるのは苦しいことだよ。

どんなことであれ、苦しいことだ。


僕はその苦しさはよくわかる。

よくわかるから、逆に相手が間違ったとき

「あぁ、僕に言いたいんだろうけど、言いづらいんだろうなぁ…」と

僕からはふれないようにするし

それに、僕なんかに、そんな苦しさ感じなくてもいいから

もし、ちゃんと伝えてくれたなら、何であろうと許すつもりだし

元に戻れるように、僕もちゃんと努力するつもりだよ。


でも、そういうのって最悪の状態じゃない。

大人のやることじゃない。

大人になるまでそんなことたくさんあったはずなんだ。

最初にそうなったときを想定してなきゃいけないよ。


だから、最近は最初に決め事を作ることにしてる。

間違ったら間違ったと言う。嫌になったら嫌だと言う。口にちゃんと出す。

察してもらうこと、察することは簡単だけど、疑心暗鬼になるし心は痛む。

結局、察してもらう側と、察する側じゃ

その心の痛み方が違うんだ。

察してもらう側だってちゃんと痛んでる。痛まなくても心は曇る。

でもね、察する側の痛みはそんなもんじゃない。

あることないこと考えて、それが意味のないことだとわかっても考えてしまう。

不安だし、悲しいし、裏切られた気持ちにもなる。

でも、信じたいという気持ちも残る。

だって、それだけの相手だと思って、ここまできてしまったんだから。


まぁ、これは偉い人に限らないか。

偉い人には限らないけど、察してもらう側と察する側には

完全に上下関係ができてるから、同じようなものかも。



言葉はさ

行動じゃないから、周囲を巻き込むことも少ないし

人に危害を加えることも少ない。

その分さ、責任は取りやすいはずなんだ。

とりあえず、間違いました、ごめんなさい…と、言えばいいんだから。

僕はそれもできない人たちが行動した人を責めるのが許せない。

テレビを見れば、ほとんどがそうなってる。

気持ちが悪くてしかたない。


あと、問題の重大さもわからずに、言葉だけだからと

簡単に口にするのを聞くのが嫌だ。

いや、きっと言葉だけだからと思ってる。

そうじゃなきゃ、相当な馬鹿か、お金でも貰ってるんだろう。

そういうのが多すぎる。

こんなのいちいち例を出すまでもないよ。

昨日のニュースでも、今日のニュースでも、間違いなく来週のニュースでも

そういうことが伝えられてるはずだよ。



でもね、身近なことでもそういうの多いからね。

しかも、悪いことじゃないとされてることも多い。

たとえば、結婚するときとか、

幸せにします!とか、言い切るべきなんでしょ?

自信があろうがなかろうが。

やっぱり僕にはさ、幸せにします!は言えないよ。

言えるとしたら、僕は幸せになれます!だよ。相手のことなんかわかんないよ。

せいぜい、できる限り努力しますで、一生をかけて幸せにする覚悟はあります。だよ。


たいして思ってなくても、可愛いと言い、好きだと言い

また、それを喜ぶ人も多くて

ちょっと僕には信じられないのだけれども

なんていうか、やっぱりプロレスとか相撲なんだろうな。

ショーとスポーツが大人の関係でうまく絡み合ってる。

観客もそれはそれとして…みたいな感じでさ

僕、そういうの大好きだけど、ほんと成熟した大人のものだよ、そういうのは。

だから、それならそれでいいんだ。

責任についてだって同じさ、プロレスだとわかってやってるならいいよ。

ほんとにみんなそう思ってるなら、僕もそうするべきなんだと思うし

そうなのに、憤ってるとしたら、僕は完全に野暮になるよ。

でも、学校の先生は一度もそんなこと言ってなかったしなぁ…



2010-01-03 15:44:43

病院通いが続きます。

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せっかくの三が日なのにどこにも行けません。

もちろん病院には通ってますけど

行きたくはないです。


左の目のあたりが腫れています。

犬猫に噛まれたりすると、どうしても化膿するらしいです。

もともとが酷いので、たいした変化はないのですけど

鏡で見る限り、みんなを正月から不快にするわけにもいきません。



今日聞いたところによると

昨日の痛かった治療は

傷口をあえて開かせて、ジャブジャブ洗って

膿が出るようにしたのだそうです。


麻酔も痛かったけど、麻酔が切れた後の痛みは

ちょっと言葉じゃ説明できないような

まるで世界の終わりでした。


でも、これで一度経験したんで

どこかの山奥に行って、狼かなんかと戦闘になったとしても

怖さは半減です。

暴漢にナイフで襲われても、結局、似たような痛みだろうと。

大事なのは、一度経験した痛みに怯えないことです。

「あんな痛いのは嫌だ…」ってなって竦んでしまうのではなく

一度耐えたんだから、また耐えられるって考える。

そして、痛みを知ってるからこそ慎重になる。

こうして僕は少しだけ大人になるのです。



毎日行くたびに先生が変わるんで

いちいち説明するわけですが

飼い犬に噛まれたと言うと、みんな驚く。

今日の先生は「どうして顔?」なんて聞いてきて

「いえ、犬のしっぽを噛んだら、噛み返れたんです…」と、答えたら

「ふん…」と、言ったきり無言でした。


傷は三ヶ所らしいです。

目の下は浅く長く

目の横が短く深くて、だいぶ抉られてると。

もうひとつが、目じりのギリギリのところ

ここはそんなに大きな傷じゃないらしいです。

なにしろ、目が傷つかなくてよかったねって。

さすがに逃げましたから、寸でのところで逃げましたから。


今でも覚えてますよ。うちの官兵衛が牙むき出しで噛み付いてきたところ。

一瞬、顔を背けたんで、なんとか正面は逃れましたけど

遅かったら完全に鼻をもってかれてたかもしれない。

まったく恐ろしい犬です。

でも、そんなところが好き。


あれからね、何度かもう一度噛み付いてやろうと考えたりもするんですが

さすがに恐怖感がある。

ちょっと無茶してやりたいけど、怖いんですね、少し。

まぁ、それでもやりますよ。

なんか、これからそういうの控えちゃったら

あいつもずっと気後れし続けちゃうだろうし、

あれと一緒です。

ふられた後のフォローみたいなものです。

僕はそういうのなれっ子だ。




こうなったらね、傷の整形するときに

一緒に目とか鼻とか全部やってもらっちゃおうかな。

別人になって帰ってきたら、みんな笑うだろうなぁ…

せっかくだから、嵐みたいにしてもらおう。

いや、誰かはわかんないけど、どれでも今よりいいだろうし。




とりあえず、問題は明日からです。

また、明日も病院に行かなきゃならないのですが

腫れがひいたら縫うらしくて

僕、縫った経験ないんで、すごく怖いし

ずっと、弟が運転して連れてってくれてたんですけど

弟、明日から仕事なんですね。

なので、僕、一人で行かなきゃならない。


絆創膏みたいのが、小さくなったんで

両目が使えるようになって、運転には支障がないんですけど

痛みに一人で耐えるっていうのは、ちょっと辛そうです。

今日だって、消毒がすごく痛かったんですけど

終わった後、「痛いよ… 痛かったよ…」って、言えたんで。



今、考えてることは

僕はそんなに思ってないですけど

たぶん世間的には、この不幸な出来事を

どうやって好転させるかで

この病院通いで、なんかいいことないかなぁ…と、思ってます。


2010-01-02 12:18:51

元日、犬に噛まれる

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この時期は

ことしの運勢がどうだとか

初夢がどうだとかで、残り364日を占ったりするけれど

占うまでもなく

僕は昨日、元日に

顔を犬に噛まれました。


なかなかこんなことにはならない。

世の中にはたくさん不幸な人がいるけれど

僕もそこそこいけてると思う。


犬はもちろん飼い犬の黒のラブ

官兵衛オス6歳、来週7歳になります。

飼い犬に手を噛まれるとかあるけれど、飼い犬によりによって顔を噛まれたのです。


なにしろ痛い。痛くてしかたありません。

左目の下なのか上なのか横なのか

痛いだけでまだよくわかってないのですが

もう血だらけ。

いつまでたっても血は止まらないし

これはまずいと、緊急外来で行きました。


先生も看護婦さんも、ちょっと笑ってるし

まぁ、僕もそんなの来たら笑うけれど

縫うと傷が残るし、膿んじゃうからってテープで止めてくれました。


とりあえず、家に帰って

加害者の官兵衛と仲良く一緒に写真を撮って

一応、記念ですから

またじゃれあってたんですけど

なんか、涙が出てるのかな…なんて拭ってみたら

また血で

これは安静にしておこうと、お布団に入りました。


仰向けで寝たんですが、夜中気がつくと

目の窪みに血がたまってて

怖くなったんで気がつかないふりをして寝ましたけど

朝、カピカピで目が開かない。


とりあえず、今日、午前中にもう一度病院に行きましたけど

どうやら膿んでしまってたらしく

「どうして昨日、傷口洗わなかったんだろう…」なんて先生が言ってて

なんか、膿んじゃうと傷口が汚く残るみたいで

2ヶ月くらいしたら傷を消す手術を受けろとかなんとか。

よくわかんないけど、すごい大事みたいです。


なにしろ麻酔を打って

目の下でしたけど、これがすごい痛かった。

なんかでジャブジャブ洗って、消毒をして

痺れてて全然痛くなかったですけど

終わったあと、お会計待ちで急に激痛がきて

たぶん、経験したことないような痛みで

本気で、結婚したいと思いました。

やっぱ大事ですよ、そういうの。

それで明日も午前中に病院です。

でも、もう痛いの嫌だから逃げちゃおうかな…


犬に対しては別になんとも思ってません。

これで嫌いになるとかは、ないです。

むしろ、ちょっと恐れが出て、いい関係になれそうです。


なんで、手や足じゃなく顔を噛まれたかといいますと

ええ、僕は最初に官兵衛のしっぽに噛み付いたからです。

なんで30の大人が犬のしっぽに噛み付くのかといえば

特に理由はなく、なんとなくです。

僕はなんとなく犬のしっぽを噛んだりするんです。

もちろん軽くですけど、5倍くらいで返されました。


そんな僕の初夢は

レンタルを返してないことに気がついて

誰にも悟られないように心の中だけで焦る夢でした。


とりあえず、会社に行ってみんなに話すのが楽しみです。

今日明日、休みもらっちゃったけど。
2010-01-01 00:43:45

あけましておめでとうございます

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あけましておめでとうございます。

今年は2010年。

ミレニアムなんたらで騒いでた2000年から

もう10年も経ったことになります。

十年一昔と言うけれど、1990年に生まれた人が成人ですから

僕にとって90年代は、昨日のことのようなんですけどね。


去年はうまくいったことも、いかなかったこともある

いつものとおりの年でした。

ただ、いつもの年より少しスケールが大きかったように思います。


僕にはどうしたら稼げるのかわからないような金額が動いたり

生まれてはじめてずっと一緒にいられたらいいと思える人と

デートをしたり、でも、うまくいかなかったり。

あと、なんだろう?

他のことなんてどうでもいいんです。



そんな昨年を経て、僕が学んだことといえば

結局は肝だということでした。

心臓の強さ、度胸とか

どんなに想ったって、その気持ちをどれほど素敵な言葉に置き換えられたって

結局は、肝がすわってないと

口にすることもできないし、上ずってしまいます。

だけど、こればかりは資質の問題もあるんだろうし

どうにもならないのかもしれない。


準備をして事に当たるとしても

その準備のしかたがよくわからない。

冷静を心がけようとすれば

心が閉じてしまうし

そうなると、相手の言葉がうまく入ってこない。

なにしろ、今年はこのあたりをどうにかしようと思ってます。



あと、お店のほうは

もう宿無しになってしまったので

遅くても、税金の問題であと二年のうちにはじめなきゃならないし

良い場所が見つかり次第、進めていこうと思ってます。

特別焦ってはいないです。

僕はそういうことに対して、過度の期待を持たないし

正しく冷静でいられる自信があったりします。

たいして思い入れがない?

そりゃそうです。夢というより生きるために致し方なく…って部分が大きいですもの。

もし僕一人だったら、絶対他のことします。


きっと今年はこれまで以上に気楽に生活できるような気がしてます。

目的はあるし、やるべきこともある。

やるべきことはそれほど難しくない。

期限もあるから、適度に縛りもある。

たぶん、その適度な縛りが自由を実感させてくれると思うし

モラトリアムというやつになるんでしょうか

なにしろ気楽だと思います。


今年はね、できるなら

この正月や大晦日や春や夏をいつもと同じ日々にしないように

素敵な人と一緒にいられたらいいなぁ…なんて思いますけど

僕、もしかすると自覚してないすごい欠陥があるような気もしてて

愛されることなんてない人間なんじゃないかと近頃考えます。

仮にそうだったとしても

まぁ、しかたない。これは対価だと思います。

たぶん、僕はそういうことと何かを交換してしまったんだ。

悪魔と契約しちゃったのかもしれない。


なんであれ、今年は去年よりずっとよい一年を皆様はお過ごしになりますので

どうぞこの2010年を満喫してください。

絶対に今年は良い年になります。

言い切れる理由は簡単。あなたが僕ではないからです。

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