2009-11-30 20:16:33
どうあれ人生の決まるとき
テーマ:ブログ感情がないのか、目を背けてるだけなのか
それを冷静さだと言っていいのか
人の気持ちっていうものは、本当に難しい。
ものごとを何らかの言葉に置き換えることは難しい。
二ヶ月前に、庭で転んで骨折した祖母。
手術をしたけど、車椅子の生活になった。
退院後は、老人保健施設でリハビリをしてる。
もし、仮に足が治ったとしても
家に戻ることはもうない。
僕の家はかなり古いので
車椅子で生活するのは無理だ。
だからといって、祖母と暮らすために
住み替えをしたり、ヘルパーさんを雇ったり
そういうことはできない。
金銭的な問題もある。だけど、それ以上に
そういう気持ちにならない。
だから、もう二度と
祖母がこの家に、半生を過ごしたこの家に戻ることはない。
冷静に考えて、その選択は正しいと思う。
祖母の気持ちのことだけじゃなく
これからいつ終わるかわからない介護をする母のことも
僕と弟がやりたいこともある。
ただ、父親が認めてくれるかどうかはわからない。
きっと寂しく思うかもしれない。
だけど、もうお墓の中で
それがこうなってしまった原因のひとつでもある。
僕たちに父親のかわりはできないし、したいとも思えない。
正直、祖母の問題で時間を犠牲にしたくない。
したいと思えるほど、きっと愛情を持ってない。
祖母も一応は納得してくれている。
だけど、本心では悲しんでいるに違いない。
想像しようと思えば、いくらでもそんなもの想像できる。
愛情が少なかろうが、家族は家族で
僕はその祖母の想いを想像すればするだけ
躊躇うし、「なるようになるだろう」で、受け入れてしまうかもしれない。
実際、前にも
こういうことがあったとき、僕は真剣に想像して躊躇った。
「もうどうせあと数年だから‥」と、諦めた。
今度は、車椅子の生活になるということで
納得する理由ができた。
もしかすると、これが最後のチャンスなのかもしれない。
言い方は悪いけど、僕はそう思った。
そして、あれだけ家のことを気にしていた祖母が
入院したあと、まったく何も言わなくなって
結局は、家が大事だったんじゃなく、自分のいる家が大事だったんだとわかった。
もちろん、ものごとを言い切ることは難しい。
そうでもあるし、そうでもない。
ただ、なにを一番大切に思っているかくらい、一緒に暮らしてればわかる。
自分よりも誰かを‥という人ではないことも知ってる。
僕が、いや僕たちが
祖母に強く愛情を持てない理由は、子供の頃からそういうものを
強く感じたことがなかったからだと思う。
もちろん、今も昔も
そんなことは気にしてない。
そうだったというだけで、それでも実際の気持ちはわからないし
ただ、そんな風にいてくれたことは、今になって良かったと思う。
身勝手でいてくれたほうが、ずっと楽だ。
でも、本当のところ
僕の気持ちは、よくわからない。
「しかたのないことだ」で、終わらせられるかわからない。
やっぱり、想像すれば苦しくなるし、悲しくなると思う。
ここまで決めていて
もうなにもしなくても、そうなっていくようになってるけれど
まだ、僕は前みたいに
真剣に祖母の気持ちを想像してない。
悲しくなると思う。思うに留まってる。
まだ、想像して悲しくなってはいないんだ。
この先、僕はそれをするかどうかもわからない。
現実には、もうそんな必要はなく、ただ流れるままにそうなっていくのだろうけど
ちゃんとそれをするべきだとも、使命感のようなものもある。
僕たちはどうあれ、誰かの人生を決めてしまう。
想像して苦しくなって悲しくなって、それはしなければならないことのような気がする。
僕は冷静に決断したのだろうか?
心を閉ざして、頭の先だけで決めてしまったんじゃないか?
実は、今も決めることを避けてるんじゃないか?
ただ、流れるままに任せてるだけじゃないのか?
それでいいのか、悪いのかもわからない。
その後、どう生きていくかが大事。
それもわかる。きっとそれしかないのだろうと思う。
でも、ただの言い訳に過ぎない気もする。
そして、それと同じような問題を
もうひとつ抱えることになった。
土地が売れそうなんだ。
たぶん、喜ぶべきことで幸運なことなんだと思う。
金額的にも十分満足できるし
僕たちはそれを期待して売りに出していたのだから
喜んでいいことなんだと思う。
でも、大きなものを背負わされた。
いや、背負っていたものの重さをはじめて感じてる。
想像と現実は違う。
頭で理解してることと、体で感じることは違う。
こんなにも重いものだったんだ。
潰されてしまいそうだ。
こうなることを希望したのは僕だし
正しい決断だと説明することもできる。
それをする現実的な権利も僕にある。
だけど、本当にそうなり、手放すことを考えると
心は痛む。悲しくなるし寂しくもなる。
本当にそれでいいのか、いいのだろうけれど躊躇う。
間違いをおこしてしまうんじゃないか、不安もすごく大きい。
たぶん、このまま流れに任せてしまえば
不動産屋さんもすごく一生懸命やってくれているし
それなりに信用できる人だと思えるし
動いている姿を見て、頼りがいのある人にも見えた。
だから、すんなり事は運んでいって
とりあえず、売却のことは来年の頭くらいには
終わるのだと思う。
今年に入って、地価の下落は続いたけれど
値段を下げることもなく、売却できることは
素人の僕でも、幸運だと思う。
この先、上昇に転じるなんて想像しづらいし
ただ、売り控えで物件の数が減ったのが幸いしたのだろうか。
なにしろ、これだけデフレだというときに
現金を持てることは強みになるのかもしれない。
なにが僕を躊躇わせるんだろう。
感情的なことから目を背ければ
淡々と決めてしまえれば、悩む必要もないんだろう。
契約の予定日が、数日後に迫ってる。
まだ、心を決めかねてるうちに
その日がやってきてしまうことを怖れてるのだろうか。
でも、たとえ一ヵ月後でも同じことのような気もする。
正直、誰か助けて欲しいって気持ちもある。
だけど、男は1人で生きるもんだって気持ちもある。
まだ、このことに対して想い足りないんじゃないかっていう不安もあるし
いや、もう決断するとき、進むときなんだって気持ちもある。
どんなものにもいろんな見かたがあるし、感じ方がある。
自分の気持ちでさえ、言葉一つで捉えることなんかできない。
冷静なのか閉ざしているのか、背けてるだけなのか
こうなれば、決断もいらない。
既に決断は済ました後なんだ。
だから、流れるままに任せることもできる。
でも、本当にそれでいいんだろうか?
心の決め方、覚悟のしかた
いろいろ考えてはきたけれど、実際に向き合えばオロオロしてしまう。
誰かの人生、大きなお金
このまま時間を進めてしまえば、もう後戻りはできない。
現実と心を同時に踏ん切ることなんて
もしかしたら、誰にもできないのかもしれない。
未来をどう生きるのか、言い訳に体を埋めてしまいたい。





