ニュースは連日
鳩山総理のはじめての外交の話題です。
各首脳との会談は、顔見せ程度だったみたいですけど
国連でのスピーチは、好評だったみたいですね。報道によると。
特に、二酸化炭素の25%削減。
あとは、国民一人一人に行き渡るような経済対策
子供手当てとか、高校の無償化とか。
核軍縮についてもありました。非核三原則のこととか。
アフガニスタンでの職業訓練とか、ちょっと鼻で笑われそうなのもありました。
あとは、東アジア共同体ですか。
テレビを見てると、コメンテーターや評論家には
好意的に受け止められてるみたいで
国民の支持?
そんなのはわかりません。
なにがよくてなにが悪いかなんて国民なんかにわかりゃしません。
たしかに、友愛外交なんだなぁ‥とは思います。
これまでの価値観外交とは違って
主義なんか関係なく、自立した国がお互いの異質性を認め合って共存していく
まぁ、それも1つの方法で、本来、あるべき姿なのかもしれません。
なんにせよ、最初にあるのは自立した個
自立した個人であり、自立した国であるわけです。
だから、経済対策も個人を潤す方向になりますし、
外交政策としては、異質性を認め合うわけですから
その国の取る主義や、抱える内外の対立
そういったもの認めながらも、どちらに味方するということはせず
友好関係を築いて、ときに対立の架け橋になっていこうと、そういうことなんだと思います。
まず、内政、経済対策ですけど
周知のとおり、これまでのような大企業への減税等
公共事業は既に減らされてますから、微妙なところですが
川が上流から下流に流れるような仕組は壊れてしまっています。
ですから、下から上に、個人を潤わせる政策は考えとしてわかります。
だけども、一体どうして昔の構造が壊れてしまったのか?
なにを得、なにを失ったからその流れが起きないのか?
そこがはっきりしていません。
僕は原因として、1つに公共性というものがあると思います。
企業は利益をあげることで、社員の生活を守る。
利益をあげていくことで国を富ませていく
談合にも見えるように、昔の長屋の住人的な
利益を独占せず配分することで、自分たちが悪くなったとき配分してもらえる
そこには、貧しさへの怖れもあったでしょうし、社員を守るという責任感もあったのでしょう。
ところが、そうは言ってられなくなってしまった。
実際に国が富んだことで、貧しさへの怖れが消えてしまった。
共存共栄という素晴らしい価値観が膿んでしまって、
既得権益と過度な安定、過度な平等、新規参入を許さない排他性。慣習化。
企業だけでなく、官僚や政治家を含めて
あるべき公共心や、共存共栄の思想が、そういったものに成り下がってしまった。
たぶん、そういうことだと思うのです。
もちろん、国内の問題だけじゃなく、グローバル的な問題
他にも原因はあるのだと思いますが。
では、問題は
個人の側に、そういった公共性や共存共栄という美徳が
備わっているのかどうかです。
利益を独占せず、私欲に走らず
潤った財布が、良いもののために開かれるのでしょうか?
個人の価値観の問題もあるでしょう。
ただ、ひたすら安いものを求め、消費し尽くすような価値観では
結局は、コスト削減で人件費は抑えられたまま
消費者と生産者が同一のものであるという意識もなく分断されたまま
もし仮に景気が回復したにせよ、
その国がそこに住むたくさんの人々を満足させるようなものになるのかどうか
はたして疑問です。
たしかに、人間はパンだけで生きてはいけないと思うのです。
外交、国際関係の問題になると
より友愛は困難になると思います。
まず、単純に
この日本が自立した国であるのかどうか?です。
軍事をアメリカに預けている時点で、自前の憲法の制定もできぬままで
どこの誰が自立した国だと思ってくれるのでしょう?そして、思えるのでしょう?
自立した国が互いに異質性を認め合う。既に破綻しているように思えます。
もし、日本が自立していると認められているとするならば
次の問題は異質性を認め合うことです。
とりあえず、日本という国がどれだけ異質性を帯びているのか
はっきりさる必要があります。自分を知らずして相手の異質性など理解できませんから。
具体的なところを考えれば
人権の問題です。
相手の国に著しい人権侵害、虐殺等が起きている場合
それを異質性としてしまっていいのでしょうか?
たとえば、中国ですけど
もし、そうではないのなら、異質性を認め合う以前の問題として処理しなければなりません。
友愛の外交ができる状態まで、その国をどうするのでしょう?まったく無視するのか
人権侵害などをやめさせるための何か方策を取るのか
もしそれをするなら、相当な犠牲と覚悟を持たなきゃなりません。
友愛外交は、自立した国がお互いに異質性を認め合うわけですから
どちらかが自立していなければ話になりません。
ですが、自立していようがいまいが、経済的なつながりを放置するわけにもいかず
環境問題や安全保障の問題も放置できません。
そうなると、片方が一方的に相手側を認めて、
片方はまったく認めない、国益だけを重視する。そういうことも有り得ます。
ひたすら奪われる覚悟を持つか、自立した国になるまで待つか、
前言を撤回して、自国の利益を第一に、ときにしたたかに交渉していくのか
どれかを選ぶしかありません。
そして、友愛という理念を掲げる以上、できることは放置、待つことだけです。
仮に奪われる覚悟をするなら
国民の生命と安全を守るという、国としての大前提を崩さなければならず
それをしてでも得られる輝かしい未来があるとするなら、
奪われる国民を納得させ、是認を得なければなりません。
また、たいがいの国の外交方針と同様に
国益を第一に、是々非々でするのなら
友愛という理念は死にます。
理念というものは、一度曲げてしまえば死ぬものです。
一度でも理念と違う選択をしてしまえば、
すべての選択の説得力を失い、ゴミと同様になります。
思想は一貫してはじめて思想と呼べます。
理念も
きれいごとと呼ばれるものも同様です。
言い続けることで力を持っていられる。
理念を掲げた以上、泳ぎ続けなければならないのです。
実際、先日、防衛大臣は鳩山さんの足を引っ張りました。
しかも、友愛という言葉を捻じ曲げて。
沖縄県与那国島への陸自の配備を、
「アジアと連携をしていく情勢で、いたずらに隣国を刺激する政策はどうかと思う」と発言しています。
はたして、こういう態度が、自立した国のすることなのか、
また、自立した隣国に対して、するようなことなのか
これでは、理念として掲げた友愛は
フランス革命がどうのというものではなく、鳩山さんが否定した
あの甘っちょろいと言われた、ただの感情に成り下がってしまいます。
これは友愛という言葉を使う以上、もっとも怖れなきゃならないことです。
理念や思想、理想とかきれいごと。
一度、掲げてしまえば
掲げた自身が、そのとおりに生きなければなりません。
人生を費やしてでも、その信じるものに従順に生きなければなりません。
どうしたって、掲げてしまえば言行一致が原則です。
これはとても大変なことなんです。
日々、目先の利益に惑わされず、自分の弱さを受け止めつつ打ち勝ち
すべては遠い未来の理想のために。
もし、仮に曲げるとするなら
それなりの理由が、周囲を納得させる理由が必要になります。
どうしても実行できない理由、
自殺すらそこには含まれるくらいの大事です。
最近、言われてるマニフェストの問題
あれはどうでもいいのです。
理念にさえ忠実であれば、一貫さえしていれば
選ぶ手段がマニフェストですから、道は1つでは決してありません。
だから、そこまで捉われる必要はないと思うのです。
ただ、理念を曲げてしまったという印象をどうにかしなきゃいけません。
なんであれ、友愛はうまくいかないと僕は思いますけど。