2009-05-26 22:13:02
欠けてるものをみつけられた。
テーマ:ブログ本当に嬉しいときは、嬉しいと言うけど
本当に悲しいときは、悲しいとは言わない。
だから、少し悲しかったり、辛かったりすると
たいしたことじゃないから、平気で辛いとか悲しいとか言っちゃう。
そうすると、まぁ誤解される。
ウジウジ考えるのも
実際は答えの出てる、たいした問題じゃないからで
たいした問題じゃないから、ウジウジ考えて
違った答えもあるんじゃないかと探してるわけで
本当に決断しなきゃいけないときは
ウジウジ考えてることを誰かに見せる余裕もなく
違う答えなんか探してる猶予もないわけで
かなりさっぱり決める。
潔いことは美徳だと思うし
そういう人間でいたいと思うから。
だけど、大事なとき、本当に決断しなきゃならないとき
土壇場の状況って、そうそうないわけで
だから、僕の潔さとか
男性的なところは、まったく表に出てこない。
僕の中での男の価値って
土壇場で逃げないこと。身を犠牲にできること。だったりして
それ以外のところでは、どうだっていいと思ってる。
むしろ、安全なところでどうこう見せるのは
僕の考える男性的魅力とは逆になる。
誤解されるということは
有事ではないということだから、悪いことじゃないのだけれど
なんというか、寂しいときもある。
正直、自分の性格がわからない。
なにかを二つに分けて考えると、
どちらとも言えないことが多すぎる。
ある面では、びっくりするくらい子供っぽいし
ある面では、たぶん大人だと思う。
なんていうか、僕には「あえて」が多すぎる気がする。
あえて子供らしく振舞う。あえて大人っぽく振舞う。
冷静でいられるときは、自分を道具のように扱いたい。
はさみが必要ならはさみになりたいし
紙が必要なら紙になりたい。
相手が何を望んでいるのか?
そればかり考えてしまう。
たいがいの質問には答えられない。
矛盾を抱え過ぎてる。
昨日はよくて、明日は悪い。そんな気分屋なわけじゃなく
「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない」
何についてでも、そうなってしまう。
だから、自分に正直だったり、今思う気持ちを正確に伝えたいと思うと
僕はものすごく混乱して
結局、出せる答え
正しいにしろ、間違ってるにしろ
導き出せる答えは、相手が何を望んでいるのか?しかないような気がする。
よく素直だと言われる。
僕も素直でいたいと思う。
嬉しいとき、ちゃんと嬉しいと言う。
それなら、悲しいときも悲しいと言わなきゃならない。
素直さを好んでくれるのに
「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない」ばかりの
僕を素直に表現しようとすれば
たった今の、ある一面だけを切り取って
なにか名称をつけてくれる。
それがとても寂しい。
素敵な人と向き合えば
舞い上がるのはしかたない。
素敵だと思えば思うほど、
向き合えている、その大切な時間を手放したくなくて
必死に喋り捲ってしまう。
やり方は稚拙だけれど、それも素直さの表れかもしれない。
そうだ、表現が稚拙なんだ。
どんなに喋ったって、過ぎていく時間は同じだし
終わった後、残るのは
自己嫌悪だけで、本当に大事な相手の言葉は見当たらない。
なんとなく書き始めてみたけど、今、わかった。
素直さを一貫させるには
適切な表現が必要なんだ。
技術の伴わない心は誤解されてもしかたない。
なるほど、そういうことか。





