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2009-03-28 17:43:03

庭にテポドンが刺さったら。

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もう4月なんですね。

ここのところ寒いですけど

あと2ヶ月で一年の半分が過ぎちゃいます。


僕はなんとなく上向きになってきたのかな?と、思ってます。

いろいろ理由はあるのだろうけど

株価も騰がり始めたし

僕の周りでも、お金持ってる人が動き出してるからね

最近、発表された公示地価は、ほとんど下がってたし

あるところでは20%も下落してる。

でも、ピタリと止んでた不動産や建築関係の営業が

家にもくるようになったし

底を探る感じなのかな?

5月だか6月だか、危機説もあるらしいけど。


だけど、相変わらず騒がしいよね

小沢さんの秘書が起訴されて、どうのこうのと。

泣こうが喚こうが、小沢さんがクリーンなわけないんだし

支持してた人は、そこのところも含めてだったんじゃないのかな?

要は、見つからなければOK

倫理や道徳や筋なんかより、法律の内側でさえあればOK

そういうことなんだろうね。

なるほど、だから国策捜査だとか、そういうところをやたら言うわけか。


でも、実際、どうなんだろうね?

前に話をした学会の人は、国策だろうって言ってたよ。

それにテポドンのこともね、それと一緒に話してた。

選挙前にはそういうことが起こるもんだって。


僕はさ、そのへんの情報なんて持ってないからさ

そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。って思うしかないしね

それなりの根拠を提示してくれないとね。

ただ、テポドンは困るよなぁ‥

どうあれ落ちてきたら大変だよ。

特にさ、春の穏やかな日の商店街なんか歩いてるとね

こんなとこに落ちてきたら‥

こんな穏やかな生活を脅かすものを‥とかね

考えると不愉快になる。

だけど、僕の家に落ちてきて

残骸がグサッって刺さらないかな‥なんて、想像はしちゃう。



それにしても、変わらないよね。

北も南もさ。


前回のときもマウンドに国旗刺してたもんね。

誰も注意しなかったんだな‥


前も書いた気がするけどさ、

僕、少年野球してたからね

マウンドどころじゃなく、グラウンドに何かを刺すなんて

考えられないんだよね。

それも、野球をしてる選手たちが刺すんだからね。

でも、そこらへんは文化の違いなのかな?

日本の場合、野球道だから、なお更そう思うのかもしれないし。


ただね、あのグラウンド、スタジアムを見ればわかると思うんだよ。

あれだけ綺麗に整備してるわけじゃない?

その人たちの気持ちを思えばさ、なかなかできないよ。

しかも同じ国の人じゃないんだもの、他国の普通の野球が好きなおじさんたちだよ。

配慮があるべきだと思うんだけどね。

自分たちのことばっかり、そんな風に思えちゃうよね。



なにしろさ、勝ててよかったよ。

みんな嬉しそうだったし。

嬉しそうな顔を見ると、なんか僕も嬉しくなるんだよね。

イチローはすごいよ。あんな場面で打てるんだもん。

ちょうど仕事休みだったからさ、決勝戦はずっと見てたんだ。

気づいたら夕方で、一日潰しちゃったけど

さすがにイチローが打ったときは叫んじゃったよ。


それにしても、なんで韓国は敬遠しなかったのかな?

あの場面は無理に勝負する必要がないように思えたんだけど。

でも、そこにさ、韓国の国民性みたいなものを感じたよ。

もちろん、男気的なものじゃなくね。



これまであったいろいろな問題を含めて考えるとね

どうも、選択することが苦手なんじゃないかと思うんだ。

状況判断が悪いわけじゃなく

損して得を取れ、とか、二頭追うものは一頭も得ず、とか

そういう判断ができないというか、慣れていないというか、発想がないというか

それを良しとしないところがあるよね。

取れる可能性があれば、取れるものを全部取ってしまおうとする。

そういう気質があるんじゃないかな?と。


感情が多すぎるってのは知られてることだけどね。

その辺のことは、悪く出るときもあれば良く出るときもあるわけで

日本相手だと、力を発揮するのも

そういう感情が先行しちゃう気質だからだと思うしさ。



まぁ、あれだけイチローを敵視してたらね

なにせ暗殺Tシャツまで作るくらいでしょ?

さすがに敬遠できる雰囲気じゃないのかもしれないよ。

監督は敬遠のサイン出したらしいけどね。


たぶんね、プロ野球選手なわけだからさ

誰も積極的に勝負するべき!なんて思ってなかったんじゃないかな?

投手も捕手も、他の野手もベンチもね

だけど、それを大声で言えない雰囲気があったんだろうね。

もしそれを提案したら、その人が責任を追わなきゃならない。

本来なら、監督が負うべき責任だけど

捕手を立たせないようなやり方だとさ、

投手や捕手に責任が出てきちゃう可能性もあるよ。

国民の批判がそっちに向かう可能性がね。

まぁ、実際、そうなってるところもあるらしいけど。

監督が悪いよ。僕はそう思う。


でも、それだけじゃないと思うね。

だってさ、イチローを歩かせたら

次、中島選手じゃん。


なんか韓国は中島選手に思うところがあるんでしょ?

守備妨害とか、ヘッドスライディングのこととかさ。

実際、その打席で

報復でボールぶつけられてるしね。


「次の中島選手の打席で報復する」って約束があったんじゃないかな?

それはもう決まったことでさ、

よくわからないけど、上下関係とか儒教的なこととか、その辺の事情でさ。

勝負より優先しなきゃならない倫理や道徳的なものとしてね。


だからさ、イチローを歩かせちゃうと満塁だから

報復すると押し出しでしょ?

これは困るよ。投手も悩んだんじゃないかな?


そうなると、もうイチローで勝負して打ち取って

次の回に報復する。それしかないもの。


こんなことありえないと思うだろうけどさ

いや、僕もないと思うけどね

なんか、あっても不思議じゃないような気がするんだよね。

そう言われても、そうなんだ‥って納得できちゃう気がするんだよね。

これまでだって、想像を超えた論理で驚かせてくれてたからさ

たぶんあるような気がする。



なんにせよ、ぜんぜん変わらないんだね。

当たり前のことなんだろうけどさ。









2009-03-24 22:00:36

抱きしめてもらいたくなること

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浮き輪をした僕が流されていく。

小さい頃、サマーランドの流れるプール。

側に姉がいて、なんだかすごく楽しくて

休憩の笛が鳴るまで、ずっと流されていた。


途中で姉が、何か思い付いて

プールの青い壁に寄って、僕だけが流されてしまう。

僕は不安になる。「お姉ちゃん!」って叫ぶ。

だけど、姉は僕の不安なんか気づきもしない。

「ちょっと、お母さんのところ行ってくる!」

プールから上がった姉を必死に目で追うけど

流れる僕と反対側に走っていくから、すぐに見失ってしまう。


僕は姉を怒る。でも、すぐに不安になる。

もし、流されるがままに誰かにぶつかったらどうしよう?

あの監視員の笛が鳴って、プールから出なきゃならなくなって

でも、うまくこの流れをかわし、壁にたどり着けるかわからない。

不安そうな顔をしちゃいけない。

誰が見てるかわからない。

怖い。僕はこれから起こることにうまく対処できるだろうか?


あれだけ楽しかった世界が一変して

僕はたった一人、不安を抱えたまま流されてる。




そんな気持ちを、ときどき思い出す。

歳を重ねている、重ねていくことを意識すると

そんな気持ちになる。

時間の流れに、たった一人放り出された不安。

怖くて、怖くて

泣きだしそうになる。


老いることが怖いんだ。

今のまま老いることが怖い。

僕はまだ、何一つ残してない。

老いのかわりに何も得ていない。


音楽を聴いて、空を見上げて、誰かとお話をして

笑ったり、泣いたり、塞ぎ込んだり

嬉しさに飛び上がったり

こうして過ごしていく日々のその未来に

老いた僕がいて、老いた僕しかいなくて

そのうち、お話をしていた人たちは

それぞれのあるべき場所へ戻って行き、

理解できない音楽が氾濫し、空は白く濁ってしまう。

自嘲で頬を緩め

昔を想い、泣いて

重たい両足を引きずる。


なにかをそのとき決意しても、すべてが遅い。

しみとしわ

まとわりつく嫌な臭い

タンスの奥から引っ張り出す洋服は穴だらけで

すぐに決意は伸びきった爪にひっかかり、

気持ち悪さと、自分自身への怒りと、諦めと

うんざりして何ヶ月も干していない布団に横たわる。

不快な頭痛、目を閉じれば

可能性だらけだった当時の自分が。

想像する。そこから新しい未来を想像する。

少し晴れやかな気持ちになる。

お腹が空き、現実に引き戻される。



そんな想像するのも苦しい未来に

僕はとても怖くなる。

できることなら、誰かに抱きしめてもらいたい。

なにも言わなくていいから、なにも期待しないから

ただ抱きしめてもらいたいと心から思う。

まだ、僕には可能性が残ってるんだ。

それを忘れないためにも

時間に削り取られてしまう前に。



僕も老いて、いずれ死ぬのだろう。


あれは夏、まだ夏がとても暑かった頃。

白いランニングを着た僕は

暑さに苛立っている。


母や祖母がなだめてくれる。祖父は煩そうにテレビを見ている。

玄関のドアは開きっぱなし

廊下に小さな白い布団を敷いてくれる。

僕はそこに横になる。お昼寝。


玄関から心地よい風が、僕の寝る廊下を通って

階段を駆け上がり、窓から抜けていく。

日陰の廊下は暗く、茶色い。

玄関から差し込む白く強い光

僕は目を瞑る。

風鈴の音。チリン。

祖父がテレビのチャンネルを摘んで変えている。カチカチ。

お菓子の袋を破り、器に盛る音。ガサガサ。

台所から母の足音。スタスタ。


僕の最初の記憶。

思い出せる限り最初の記憶。


時間の流れに放り出された不安の後に

いつもその記憶がやってくる。


また、違う切なさが胸を締め付ける。

不安なんて何一つなかったように思える。

とても軽快に生きていた気がする。

たぶん、もう二度と

あの頃には戻れない。あの頃の気持ちにはなれない。

だけど、思うんだ。

僕にはそういう記憶がある。そういう過去がちゃんとある。

もしかすると、とても幸せなことなのかもしれない。



なんとなくわかるんだ。

死んだ後、きっと僕はそこへ行くんだろう。

最初と最後の記憶がくっ付いて

ようやくそこへ行くんだろう。

今思えば、たしかにあれは天国だった。










2009-03-23 20:52:26

はじめての嬉しさ

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生きてりゃ、楽しいことも嬉しいこともあるよ。

ときどきだけどね。

何を嬉しいと感じるかは

人それぞれ?

この場合はそう言ってもいいのかもね。

僕はさ、素敵な人に出会えた喜び。

それをね、今、すごく感じてる。

はじめての経験なんだ。




僕、たぶん、友達少ないよ。

男だからね、なにかある度に連絡するような関係って

よくわからないしさ。

だけど、友達と呼べた人はそれなりにいたよ。

学校に通ってるときは、人と比べても少なくはなかったと思う。


たいがいさ、友達になる切欠なんて

たいしたもんじゃないよ。

出席番号が近いって偶然だけだったりする。

それが、徐々に話をしたりね、いろいろあって

深く理解し合えて、まれに親友になる。

親友って呼んでも怒らない友達も何人かはいたさ。



だけど、今、感じてる嬉しさはさ、

そういうのとは少し違うんだ。


なんていうのかな?

少し話をしただけなのにね、「あ、この人は!」って思ったんだ。

もしかしたら、僕を理解してくれるんじゃないか?って、すぐに思えた

思えたというより、感じたんだよね。


同じ言葉で話ができるっていうのかな?

必死に言葉を合わせなくても

説明しなくても、言葉の裏側にある想いを、すっと理解してくれる?

そんな気がしたんだ。


そして、僕もその人の言葉が

実感を持って感じられてる気がする。


ものごとを選択するときの、選択肢の数

数というより、出すカードの中身が似てるのかな。

気持ちが想像の枠内にある。そんな感じ。

だから、すぐにわかるし、わかってくれたと思える言葉が返ってくる。

「あぁ、なるほど、そういうことね‥」って。

気のせい?

その可能性もまだあるね。



だけど、なんていうか

これまでにない感じなんだよね。

運命的。そんな気もしちゃうくらい。


もちろん、これまでにもね

理解し合えるかもしれない期待を感じたことはあるよ。

「あ、わかってくれるんだ‥」って、嬉しくなったこともある。


だけど、それはさ

言葉を尽くした結果にあったんだよね。

お互いが、説明することを諦めないで、理解してもらおうと努力した後に。

それもすごく嬉しいことなんだよ。

努力してくれること。努力して理解できたこと。

一度、そうなれば、もう安心だしね。

もしかすると、そっちの方がさ

不確定要素が少ないから、確かなのかもしれないね。


でも、はじめてなんだよ。

予感して、それがその通りだったと思えて

ものすごく心地がいいんだよね。

5月の木漏れ日の縁側みたいなさ

期待とか、希望とか、夢とかね

過去を遡っても、それが必ず未来に結びつく。

矢印は青い空に向いてるんだ。


もし、これが気のせいじゃなく

相手も同じ気持ちで思ってくれていたなら

ちゃんと育まなきゃいけないなって思う。

そんな特別な気持ちを見過ごして、一体なにをしようというのか?

なによりもまず大切にしなきゃいけない気がするよ。

その関係の呼称なんて、どうでもいいんだ。

友達だろうが、知人だろうが、恋人だろうが、親の敵だろうがさ

そんなことはどうだっていいって思えるんだよね。

ほんと、これが気のせいだったら笑ってしまうけどね。







2009-03-21 00:52:02

すごく疲れた。

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疲れたよ。さすがに疲れた。

創価学会の人と3時間も話をした。


しかも、今日は

ある学会系財団法人の哲学研究所の研究員。

東洋哲学と仏教の専門家で、博士号を持ってるらしい。


こんな素人相手に、専門家を連れてきやがって

まったく苦労したよ。


はじめて折伏の厳しさを知ったよ。

聖教新聞の編集者だか、局長だかに受けたことはあったけど

全然、非じゃない。


もうね、最初からその専門的知識で

僕を論破しようと挑んでくるからね。

もともと、そんなつもりで話してないし

論破されるほどの論なんて持ってないし

こっちは言葉を理解するのだって大変だよ。

あぁ、これが折伏か‥って、はじめて思った。



もちろん、僕だって

感情で駄々こねるようなことはしたくないし

だからと言って、相手の思うがままってのも嫌だしね。


なんだか、馬鹿にするような話し方で

最初は腹が立ったけどさ

まぁ、こんな僕だからしかたないよ。


最初から質問攻めだよ。

答えが用意されてる質問だよ。

さすがにそれに気づけないほど鈍感じゃないからさ

逆にたくさん質問したよ。

もちろん、学会のことは避けて、仏教のことをね。


その答えに、感心したり、驚いたり、納得したりね

実際、とても勉強になったし、楽しかったけど

適切な質問と相槌は、相手を気持ちよくさせるからさ

少しだけ親しみを見せてくれるようになった。



やり口はすぐにわかったよ。

僕の考えを否定せず、その出所を否定する。

少し卑怯だと思ったよ。それは本質的じゃないって思うよ。

そうすれば、欠席裁判のようなかたちで

いくらでも責められるしね、表立って僕を傷つけることもない。

でも、それって表立ってないだけで、フォローが下手だと

不快感を残して、憎まれるやり方だと思うんだけど。



まさに紙面によく載ってる言論戦ってやつ?

今どきのウヨクやサヨクとか、ネット的なものや

僕が伝統を重視するとわかれば、その出所を探ろうと

読んだ本とか、いろいろ聞いてくる。

きっと、小林よりのりとか言わせたいんだろうな‥と、思ったよ。


たぶん、そういうことに慣れてるんだろう。

否定する材料も豊富なんだろうな。


だけど、そんなのに乗るわけないし

一生懸命、自分の言葉で説明したよ。

僕の考える世界の成り立ちから、共通の価値観にいたる経緯まで。


たぶん、その答えに納得したんだと思う。

正しいか間違ってるかは別にして、納得してくれたみたい。

態度がずいぶん変わったもの。

僕、そういうの慣れてるからさ、こんな見た目だから。

そんな態度嫌になる人もいるんだろうけど、

僕は逆に嬉しいよ。

なんだかわからないけど、これが通用するんだ‥って。

一応、認めてくれたわけだもの。そういうのって嬉しいことだよ。


それからはずっと親密になれて

いろんな話を聞けたよ。

相手もなんだか楽しそうだったし、よかったな‥って思った。

裏話みたいのも聞けたしね。


だけど、やっぱりすごいな‥って思ったよ。

どんな質問にも答えてくれるし、さすがは専門家

古代ギリシャの哲学、万物の根源からソクラテスまでの経緯とか

僕が触れたこともないサルトルの話とか

天台宗や禅の話

一応、研究員だからいろんな宗教を研究してるそうで

オウムの上九一色村に行ったときの話や

天理市とか、真如苑の話とかね

すごく楽しかった。

ただ、学会のことになると首を傾げざるを得ないところもあるけど。

まぁ、それはしかたない。



また、今度話そうよ!って、楽しそうに行っちゃったよ。

僕もまた話を聞きたいと思った。

最初はどうなることかと思ったけどさ

なんか一仕事終えた気分。







2009-03-19 21:26:15

春の過ごし方

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サイドミラーに黄色い夕陽が映る。

窓を開けて匂いを嗅げば

あの夏の寂しい夕方の匂いがした。

暖かい日が続いたからだと思う。

桜はまだだけど、

もう春なんだ。いずれ夏がくるんだ。

春の服を買わなきゃいけない。季節は目まぐるしく変わっていく。



この春、僕は何をしようか。

そろそろ季節をしっかりかみ締めなきゃいけない歳だ。

梅が咲いて、そのうち散る

桃が咲いて、そのうち散る

桜も咲いて、そのうち散る

菜の花だけは、少しだけ長く咲いて、そのうち散る。



菜の花の黄色が川を挟み、桜が舞う。

水面に浮かぶ白桃色の花びらが

ひとかたまりに流れていく。

僕はシャツの袖をまくり、風を心地よく受け

そんな景色を橋の上から眺めている。

こうして春が終わっていく。


そんな過ごし方は、もうやめようと思う。



僕の夢は、ますます羊になった。

いくつかある丘に、それぞれ日向ぼっこしている羊がいる。

そのどれでもいい。

そのなかのどれかが夢の羊

どうして羊は幸せそうに見えるんだろう。

モコモコの毛がそう思わせるんだろうか。



いつかそんな羊をクレヨンで描いてみたい。

抱える想いをたくさん込める。

そこに黄色いバケツで溶いた絵具を垂らして

クタクタになった画用紙を、風で乾かして

クルクル巻いて紐を通し、描いた羊の首にかける。




そろそろ夏ですね。その後かわりはないですか?

僕は今、こうして暮らしています。

できることなら、少し苦い珈琲を差し入れてくれませんか?

ここはとても素敵なところですよ。


画用紙の裏にそう書いて

きっとそれは誰かに届く。


枕をふくらますように背中をポンと叩いて

振り返ると

山羊じゃなくてよかったね

そう言って欲しい。

2009-03-19 00:07:16

尊敬がいずれ甘えになる

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僕らしくありたいと思う。

そして、きっとこれが僕なんだと思う。

僕らしくの「僕」

あれほど悩んで決めたことなのに

いざとなるとぶれてしまう。

もしかすると、現状追認、

今の自分を肯定したいだけ

言い訳だったのかもしれない。



やっぱり僕は子供だと思う。

とてもとても幼いと思う。

振り返っても、なにが原因なんだかわからない。

犠牲を払わなさすぎた。

たぶん、そういうことなのかもしれない。



もし、僕がなにかの目標を得て

たくさんのものを諦めたり、犠牲にしながら

それでも目標を見据え続けていたとしたら

僕も歳相応の落ち着きや寛容さで

誰かに心地よさを与えられたのかもしれない。


そして、その目標にたどりつくことができたなら

揺るぎない覚悟や自信で

誰かに安心と威厳を与えられたのかもしれない。



甘く、幼く、鈍い。

小さな無用の気遣いを捏ねる。

僕は思ってたよりずっと小さな人間だと思った。


そこでまた甘える。

いつまでもその心地よさに包まれていたいと願い

大きな傘の下で子犬のような仕草をする。

まったく可愛くもないのに。

こうして尊敬する気持ちが甘えに変わっていくんだ。


だけど、まだ、その自分への不快感が残ってる。

恥じ入る気持ちがまだ残ってる。

もう少し頑張れるかもしれない。

たった4年なんだ。

走り出せば追いつけるかもしれない。そうなるまえに。



2009-03-16 20:37:10

春の最初の月曜日

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もし神さまがいるのなら

2009年の春の最初の月曜日が

3月16日の今日だったことに

たくさん、たくさん感謝しなくちゃいけない。



つい、さっきまで

実はなにがなんだかよくわからなかった。

今日したこと、今日起きたできごと

時間を追うごとに、それぞれの意味を感じてる。

だけど、春の最初の月曜日が今日だったことは

天気予報を見たときから、素敵なことだと思えたんだ。



感じたり、思ったことを率直に言葉にしたい。

そのことで、どんな不利を得ようとも

もし、その言葉で喜んだり、よかったと思ってくれるなら

そうするべきなんだと思う。


だけど、今度はそれができるかわからない。

僕はある程度時間を置いてからじゃないと

それぞれの意味をくみ上げることができなくて

どんな順番で、どんな言葉で伝えるべきか

うまく掴めなくて

でも、今度はそういう意味じゃなく、伝えることが難しい。

なぜなら、僕は今

とても自分の不利を怖く感じてる。

たぶん、今日のおだやかな陽射しが

長い長い冬に眠っていた感情を呼び覚ましたのだと思う。

僕の側にも、あるときそういうものが訪れる。




たしかにそれはあったと思う。

公園のベンチにも、騒がしい商店街の通りにも、珈琲店の一番奥の座席にも。

もちろん、それは、実際そこにあるわけじゃなく

そこで起きた出来事やにあるわけで

たとえば、歩調のずれや、わずかなよろめきで近づいた腕や肩に

そういうものを感じ取った。

そこにはたしかにそれがあるって、感じ取れたんだ。



やっぱり違う。

僕は率直に伝えるべきなんだ。

こんなとこにこんなこと書いてる場合じゃない。


2009-03-14 21:42:39

よくわからなくなってる。

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水溜りに空が見えた。

たぶん、これが雨上がりなんだと思った。

ドラえもん的だと思った。


雨上がりって言葉はそれなりに使うと思うけど

こうして雨上がりを見ることができるのは

年に数えるほどしかない。

黒い雨合羽の新聞配達員よりかは少なくて‥

なにより多いかは考えつかない。



ちょっとここのところ、頭がうまく働かない。

寝不足だと思ってたけど、それだけじゃないみたい。


今日は髪を切る予約を入れたのに、

コートから何から何までクリーニング屋に出しちゃった。

なんだろう、このうわの空。

うわの空というか、

たくさんの小人に担がれたガリバーの気分。

僕はどこかへ運ばれている。

行き先はわかってる。それはたった今を通り過ぎて、5分後を通り過ぎて

明日を通り過ぎて明後日。

よくわかってるんだ。自分の足で歩かなきゃならない。

そうしないと準備不足で大変なことになる。

でも、よくわかってるようで、よくわかってないみたい。

僕は担がれて運ばれっぱなし。逃げようと思えば逃げられるのに

運ばれ続けてる。


なんだろう、こんな気持ちはじめてだよ。

焦燥感が深く沈んでる。

深く沈んで地下水のように溜まってる。

どうしていいのかよくわからないんだ。


なんか、この先を書くのも、思うのも辛いんだ。

とりあえず、早く寝よう。

よし、今日は11時に、あしたは10時に寝るぞ。

すっきりとした気持ちで月曜日を迎えたいんだ。

どうやらとても暖かいみたいだし

なんとなく祝福があるような気がするんだ。
2009-03-07 19:03:23

オタク的傾向

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「オタク」って呼ばれる人たちに、ずっと興味があった。

興味があるのは、「その人が好きなもの」じゃなく、その人本人。

もちろん、その人本人に興味があるから

「これがいいよ」って教えてもらったものは見たり聞いたりすることもあるけどね。



ここ数年、そう呼ばれる人たちは

たしかに増えたと思う。急増したって感じるよ。

たとえるなら、一時期のカラオケボックスくらい。

気づくと、あそこにも‥あそこにも‥ってね。

今はだいぶ、というより、ほとんど潰れてしまってるけどね。

ただ、趣味として浸透しきったよね。

カラオケボックスの数と、カラオケという趣味の浸透具合は比例しない。

最初からこう言っちゃうのはどうかと思うけどさ

僕、「オタク」ってのも、きっと同じようになってしまうと思うんだ。


ただ、そこにある問題は

カラオケボックスなんかとは違うよ。

僕は思うのね。

以前はたしかに、オタク文化ってのがあったと思う。

とても凝縮された、異質な文化があったと思う。

だけど、世の中に浸透していくことでね、きっとそれが

特異性みたいのが消えてしまうんじゃないかな。

ある意味無害になって、垣根が低くなって

だけども、コアなオタクの人たちは居場所を失って。


日本文化と大きく括れば、今も昔もオタクもその中に含まれるものなのかもしれないけど

それでも以前は、なんていうのかな?

それとは別にあったような感じがしたんだよね。

詳しく調べていかない限り、見えてこない日本文化の一部としてのオタク文化?

この先、浸透しきった後は、完全に取り込まれちゃって

誰もそれに口を挟まない。そんな状態になるのかなぁ‥ってさ。



そんな風に感じたのはさ、

秋葉原に行ったとき、普通のサラリーマンのおじさんが

メイド喫茶に行こうとか、そんな話を聞いたりね

やたらテレビで取り上げられててさ、しかも肯定的にね

こういうの見るとさ、流行なんだな、これも‥って思うのね。

そして、その流行が終わろうとしてるんだな‥って。


それとさ、

僕の周りにもそういう人たちがずっと増えてね

話をする機会も増えて

だけど、僕の想像してた「オタク」とは、かなり違うんだよね。

僕の想像にはだいぶ誤解があったって思った。

良い意味でも、悪い意味でもさ。




僕が想像してた「オタク」はさ

その好きなことにやたら詳しくてさ、

周辺の情報にもたくさん持っててさ、論理的で繊細な感じ。

社会性の部分で、問題があるってイメージもあるけどさ

でも、そのバランスの崩れたところが

個性だったり、面白みだったりするんだよね。

実際、話を聞くと楽しいんだよね。

ものすごく分析されててさ、だんだん話が乗ってくると

それまで隠していた自尊心みたいのが出てきて

啓蒙的というか

少し傲慢になるんだけど、そこも楽しい。


友達になるならさ、僕の知らないことたくさん知ってる人のほうが楽しいしね。

しかも、すっごく楽しく話してくれるしね

普通の話をしてても、世間と少しずれてるからさ

思ってもみない、普通じゃない指摘をしてくれたりする。


僕が一番好きなところはさ、彼らにはちゃんと理由があるんだよね。

1つ1つ話すことに、ちゃんと理由がある。

突拍子もないことでも、「どうして?」って聞けば

ちゃんと答えが返ってくるんだ。

それが、また納得できる理由なんだよね。

同意することはできなくてもさ、「なるほど‥」って関心しちゃう。


好きなものに対しての感覚的な鋭さなのかな

それを的確に表現してた。

「よくわからないけど、楽しいことはわかる‥」みたいなね

聞いてて、それに対する想いがちゃんと伝わってきた。


それと、抱えてる寂しさがあったと思う。

偏見とか自覚する欠陥とか、自嘲もあったしね。

普通の幸せへの憧れもあったんじゃないかな。

だけど、それを受け流すんじゃなく、吹っ切ってたよ。

求道者みたいな吹っ切り方をしてた。

誇りと悲しみを抱えてね、その知性を頼りに生きていこうって。

好きであるためのたくさんの努力を感じたしね。

感覚的好きをあきらかに超えてたもの。

よく言いすぎかな?

僕はかなり好感を持ってたんだ。


もちろん、ちまたで言われる中傷にも、それなりの理由があるってことはわかる。

啓蒙的な姿勢が鬱陶しかったりしたのかもしれない。

「勝手に1人でやってろよ」みたいなね。

普通を当たり前に生きてる人にとって、理屈ってのは面倒なだけだからね。

そして、実際、裏打ちされる理論なしに人は生きられる。

もし必要になったら、理由は後からいくらでもついてくるんだから、そこから拾えばいい。

多様性は認めても、多様な考えを一々受け取る義務はないよ。

垣根が高すぎたんだ。お互いが理解しあうなんて難しかったよ。



それにさ、宅八郎みたいな人が、実際にいたわけだから。

さすがにマジックハンドを縦横無尽に操る人ばかりじゃないけど

紙袋からフィギアみたいなね、ベタベタの長髪を垂らして、みたいなさ。

お洒落とは縁遠いというか、遠過ぎて大変なことになってたもの。

確実にその辺は感覚の欠如だと思うし、

もし理解し合うことを望むなら、努力不足というか、なんというか。


人は見た目を重視するよ。それはしかたのないことだよ。

そういう意味では、彼らはちゃんとロマンを抱えていたのかもしれないね。

「人は見た目じゃない。人を見た目で判断するのはよくない!」ってさ。

だけど、まぁ、そこはね

そんな彼らの好きなアニメのキャラは美少女だったりするわけだし。



たださ、当時のオタクの人たちを目にすればね

普通の人たちは「もてないから、そうなったんだろ?」って思ったんじゃないかな。

実際、そうであろうがなかろうが、みんなそんな感じで思ってたよ。

いくつか選択肢はあったけど

オタクにならざるを得なかった。そんな風にね。

「違う!」って叫びは届かないよ。

ジャニーズを批判すれば僻みだと笑われる。そうであろうがなかろうがね。

理由を聞かなきゃわからないんだけどさ、そういった意味でも世の中は偏見で溢れてる。



それにさ、宮崎勤の事件も大きかったよね。

オタク=ロリコンでさ、ロリコン=犯罪者だものね。

ちょっと暗い雰囲気出してれば、「お前オタクだろ?」って中傷される。

もう「オタク」は「馬鹿」とか、そういった類の言葉になっちゃった。


オタクにもいろいろ種類はあるみたいだけどさ、一括りにされちゃったものね。

まぁ、実際、同じような傾向にあるって言えば、その通りかもしれないし

種類わけをするほど規模も大きくなかった気がするしね、今みたいに。





こんなこと書いちゃってるけどさ

僕はオタクじゃないよ。

残念ながら、オタクにはなれない。


もし、オタクの概念が

マニアと同じようなものだったらね

僕はそこまで何かを好きにはなれない。


だってさ、僕は自分の「好き」まで疑うからね。

「好き」って言い切れないんだよ。

そこまでの覚悟がない。

たとえば、僕はクマが好きだけど

「クマを好きだと思っている」って解釈する。

たいがいの「好き」なんて、思い込みに過ぎなくて

その「好き」を自分の本質に置くようなことは怖くてできないんだ。

もちろん、それじゃ自分を見失ったままになるから

必死に、信じきれる「好き」を探し出したけれども

それは僕が僕である理由みたいなものだからさ

超個人的だからね、オタク化させることはできないんだ。


なんていうのかな?

たぶん普通の人より興味を持ってるし

好感を抱いてるけど、普通の人よりずっとオタクにはならないと思う。

まるで正反対のようなところにある気がするんだ。

自分と社会との身の置き方の部分でね。

それは僕と宗教の関係に近いような気がする。

たぶん、普通の人より偏見を持ってないし

その価値も認めてると思う。

だけど、間違いなくどこかへ帰依するようなことはない。

なにせ自分自身をある意味宗教化してしまう方がずっと道徳的に倫理的に振舞えるし

自分自身を救うこともできるからね。



たださ、なんとなくオタクってものを考えてるとね

現代人のあり方のようなものが見えてくる気がするんだ。

僕はさ、オタクは人間の本質にはなり得ないと思うんだ。

「僕は、わたしはオタクだから‥」と、言うけどね

オタクってのは、1つの性格みたいなものでさ

性格を形成するなにかじゃないと思うんだよ。

オタクは表現の一つだと思うんだよね。

そりゃ、本能的だと言えるくらい、好きになるものはあるにせよだよ。

それもさ、オタクそのものじゃなくね、オタク的傾向とでもいうのかな

僕が興味があるのは、その傾向なんだ。

その傾向はさ、きっと現代の傾向として考えることもできるんじゃないかな。







2009-03-06 23:16:30

姉がお店をはじめる。

テーマ:ブログ

どこでどうなったのかわからないのだけど

姉がお店を任されることになった。


オーナーは

市議会議員や、商店をいくつも出してる

地元の有名な一族の人。

小学生の頃、野球のユニフォームや道具を揃えたお店で

僕も何度か会ったことがある。


派遣社員だった姉は、この不況で失業して

ハローワーク通いをしてたのだけど

どういうことだかそうなった。

お店は、レンタルボックスを主にして

古物商的な、なんだろ、代理販売とか

まだ、いろいろアイデアを探してるみたいだけど

そういうことらしい。


正直、レンタルボックスと聞いて疑問だった。

この街でそんなものが商売になるとは思えなかったから。

今も、まだ疑問だけど。


個人が販売するとなると、オークションやフリーマーケットがあるけど

レンタルボックスって、どうなんだろう?

僕が知ってるのは

たとえば、秋葉原や中野なんかの

同じ趣味を持つ人が集まりやすい場所で

コレクター向けというか、委託販売できるほどでもなく、

手軽になんとなく出すみたいな感じのものだけど。


売りたい人はいるのかもしれない。

レンタルボックスだと、売る人からお金を貰うわけだけど

買う人がいなきゃ続かない。


「なにかいいものあるかな?」みたいな気持ちで入るお客さんなんて

たかが知れてるように思える。

それに、そんなとこに出すようなもの、それこそたかが知れてるような気がする。


たとえば、それがお洒落な子がたくさん歩いてるような場所なら

お洒落な佇まいのお洒落な入れ物に並べれば

ブランド力なしでも、なんとかなるのかもしれない。

好きなもの、可愛いと思うもの、珍しいもの

普通のお店で並んでるような商品と比べて見劣りしないもの

モノを選ぶ能力があるような気がするから。


そうすれば、作り手と買い手の垣根の低さが

うまく働いて、仲介者を通して個人サービス的な販売ができるのかもしれない。

買い手の意欲が作り手の意欲に直結して、

お互いを充実させることができるのかもしれない。


他にも老人ホームや病院。

仮に作った人が死んでしまったとしても物は残る。

残された命と切実に向き合う人には

その当たり前な世界の継続が

悲しくもあり、小さな希望でもあると思う。

僕なら、なにかを残して

もし、それを僕が消えた後も使い続けてくれていたとしたなら

こんなに嬉しいことはないと思う。

家やビルや橋を建てた工務店の人や設計士さんや大工さんと

似たような気持ちになれるんじゃないかな。

やっぱり僕は、気持ちでも物でもいいから

何かを残したいと思うもの。

なにかをつくる時間もあるしね。



それから、開いたスペースで

なにかの教室を開くとかね。

そこで作ったものを置く。


今のところ僕が考えられるのはその程度だよ。


だけどさ、なんとなくだけど

人はなぜ物を売るのか?

お金を得るためってだけじゃなくね、なにか人間の本質的な欲望が

そこにはあるんじゃないかと思ったよ。

伝達というのかな、

大きく括ればコミュニケーション?

誰かに何かを残すこと

誰かに何かを伝えること。

なんとなくね、人間の本質的な欲望なんじゃないのかな?と。

本能ってやつ。




なにしろね、今日、開業準備を手伝ったんだ。

お店の場所は、会社だったんだけど

この不況で縮小したから、開いたスペースを貸そうとね

そう考えてのことらしい。


前にあった会社の社長さんとも会ったんだ。

コミュニティFMを設置したり立ち上げたりするのが仕事なんだと。

僕の家の近くだと調布FMとかね。


社長さんはもうお爺さんでさ、すごく感じの良い人だった。

僕、お爺さん大好きだからさ

たくさん話をしたんだ。


これからのコミュニティFMのあり方や役割とか

日本が高齢化していくなかでね、どんなことができるだろう?って

いろいろ話をしたんだ。

地方分権が進んでいけば、またそのニーズも高まるんじゃないかな。


もともとはレコード会社に勤めてて

音楽の業界話は楽しかったよ。

お店で流すBGMや、映像の権利関係のこと

よくわからなかったから、いろいろ聞いた。


お爺さんなのにさ、すごく最近のこと詳しくてね

今どきの歌手から、音楽機材のことまでね
 
僕よりずっと詳しかったよ。


お店を開くときにはさ、スピーカーやらアンプやらね

良いものを知り合いに頼んでくれるって。

それとジャスラックだっけ?

権利関係のことはやってくれるってさ。



日ごろ思うんだけどさ

行政のサービスって、わかりにくいんだよね。

もちろん行政のやることだから、いろいろ欠陥もあったりするんだけど

調べてみれば、思った以上にサービスが充実してたりもする。

それがうまく住民に伝わってない。

ややこし過ぎるし、役所の人も説明がうまくできなかったり

高齢者には難しかったりね

宣伝がとても下手だしさ。


コミュニティFMでもね、そういった行政サービスの宣伝とか

「市から市民のみなさんへ」みたいな、番組をやってるわけだけど

僕はさ、高齢者向けに特化させちゃえばいいと思うのね。


若い人はさ、インターネットもあるしね

調べようと思えばいくらでも調べられる。

だけど、高齢者はさ、そうはいかないよ。


高齢者にわかりやすい言葉で、高齢者向けの行政サービスを伝える。

流す音楽も昔の曲ばかりにして、ラジオドラマもいいんじゃないかな。

高齢者にうけのよい人を出して面白い話をしたりさ。

もしかしたら、高齢者のアイドルみたいな人が生まれるかもしれない。


それに、やろうと思えば出演者が家を訪問することだってできるよ。

イベントを開けばさ、すぐ側で話を聞けたり、会話することもできるよ。

選挙じゃないけどさ、握手して手が触れ合えば

それだけで、ファンになったりするもんじゃない?

特に高齢者だからさ、そういったテレビやラジオの作り出す幻想や神話みたいなものが

まだ生きてるしさ。

若い人だってさ、ニュースで近所のことが報じられたら

「おっ!」って見ちゃうよ。

コミュニティFMなら、それができるような気がするんだよね。


もちろんさ、収入は広告になるわけだけど

高齢者がたくさん聞いてるとなればね

広告の方法も変わってくるし、広告も高齢者向けの商品やサービスになるよ。

通販とかさ、そういうのなのかな。


でも、コミュニティFMだからね、

宅配便を使ったり、そういう物流に頼る必要もあまりなくて

お米屋さんや酒屋さんが配達するみたいにさ

商店が自分たちで家まで配達する。

そうすれば、詐欺のような心配もないし、人間関係もそこで出きるしね。


もちろん、そんなふうにうまくはいかないんだろうけどさ

なんかそういうのもありなんじゃないかな。


向かいのお店は

みのもんたと同級生だったって言うおじさんが

グランドピアノを置いた飲食店のようなものをはじめようと準備中でね

そのおじさんがすごく面白くてさ

みのもんたと二人で都内のデパートの女の子のほとんどに手を出して

もう気に入る子がいないから、大阪まで出張したって話を聞いたよ。


そのおじさんは、木工所のようなものと、花屋を経営してて

今度開くお店のビルは自分のものだから

家賃なしで気ままにできるんだって。


知り合いのピアニストや落語家を招いてね

イベントをしたりするんだってさ。

明後日のオープンには

音楽のイベントをするらしくて、招待状を貰ったけど

人がいっぱいで入れないから、外で聞いてくれだってさ。

ケーキとコーヒーが無料なんだけど、それだけは貰えるみたいだ。



やっぱりさ、お金持ちはお金持ちのコミュニティがあるんだよね。

それでその中でいろんなものが動いてる。

銀行に不動産の仲介してもらって、手数料無料みたいなさ

裏技的なものがあるんだろうな。

でも、羨ましいのはさ

ロマンがロマンとしてちゃんとあるってこと。


みんないろんな希望を持ってるけど、現実と折り合いをつけてる。

ときにはね、夢やロマンを捨てなきゃならない。

たいがいの人は、そんなことに関わってはいられないよ。


もちろん、この人たちにだって

現実があって、折り合いをつけて生きてるんだろうけど

その幅がね、普通の人よりずっと広いと思った。

僕の希望だけの話を穏やかな目でちゃんと聞いてくれる。

その余裕が羨ましかったよ。



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