2009-02-20 19:36:11
踊りつかれた。
テーマ:ブログ
たとえば新川公園のようなウォーターフロント。
春を感じさせるこんな時期の暖かい午前中に
ベンチで甘いものを食べあう。
そこには煎れたてのコーヒーがあって
明日のこととか、来年のこととか、そういうことを話していたのだと思う。
たぶん、それも一段落ついて
僕は同じところに長く座ってられないから
気づけば近くをあちこちウロウロしてる。
そして身振り手振りを交えて、くだらない話をする。
必要以上にオーバーに
たくさん笑わせてあげたくて。
ダンスなんて絶対言えないような
トンチンカンな踊り。
ベンチに座って、それをずっと眺めている人。
僕には顔を覗き込むことなんてできないから
それが誰だかわからない。
でも、楽しんでるのか呆れてるのか悲しんでるのかくらいは
目で見なくても感じることができる。
ただ、そのときは
いつまでも踊り続けていた。
その人から何一つ感じることができなかったから。
その場所にはもう1人僕がいた。
ベンチに座る女の子
その前でクルクル踊る変な僕。
それを少し遠くの東屋みたいなところから眺めてる僕。
その僕も、踊る僕も僕自身らしく
踊っている僕の見ているものも、感じてるものも
遠くで眺めてる僕の中にあって
遠くで眺めてる僕の見ているものや感じてるもの、聴こえてるものも
踊ってる僕の中にあるのかと言えば、よくわからない。
たぶん、より実体に近いのは、遠くにいる僕なんだろう。
踊ってる僕は遠くで眺めてる僕の分身のようなものなのかもしれない。
遠くで眺めてる僕は
踊ってる僕に呆れながら
振りの1つが恥ずかしければ
景色に誤魔化す。
だけど、必死に踊る僕をどこか羨ましくも思ってる。
できることなら、女の子も立ち上がって
一緒に踊ってくれたらいいのに‥と、思ってた。
だけど、そういうことは決してないこともわかってる。
いずれ女の子は踊る僕に飽きるのか、それとも諦めるのか
違う誰かのところに行くのか、それとも家に帰るのか
なんにせよ、ベンチを立ち
どこかへ行ってしまうのだ。
遠くで眺める僕はそれを知ってる。
人と人の幸福が重なり合う時間はとても短い。
だけど、重なりあっていたはずの幸福が
いつ、どこで、どのようにして、ずれてしまうのだろうか?
理由らしい理由がそこにはあるのだろうか?
たとえば、最後の葉が落ちたとき、僕は死ぬのだ‥的な
勝手に象徴化して、勝手に意味を持たせたなにかのためなのか
それとも、ジョゼのような
水族館が休みだったから的な
偶然の要素がずれる方向へ導いたのか
風があと一呼吸、遅れて、またははやく吹いてくれたら
その子がベンチから立つことはなかったかもしれない。
もしかすると、風がそのことにちょうど良く、的確に吹いてくれたら
その子は僕と一緒に踊ってくれたかもしれない。
そう、もしそういう偶然が何かを意図せず変えてしまうなら
そういうこともあるのかもしれない。
良いほうへ導いてくれるのかもしれない。
だけど、遠くで眺める僕には
そんな恵まれた偶然があることを信じてない。
偶然は必ず悪い方へ導くものだと
あそこで踊る僕に限って
必ず悪い方へ導くのだと思っている。
なぜなら、それは
すでに幸運の偶然の連続が、
もしくは、悪い偶然が影を潜めていたから
今、僕はその子の前で踊ることができている。
だから、恨むことなんてできやしない。
そして、その子はベンチを立った。
遠くで眺めてる僕は、それでも少し落胆した。
踊る僕はその子がいなくなったことを知ってる。
だけど、踊るしかなくて踊り続けてる。
それしかできないから。なんだそうな。
遠くで眺める僕は、踊りを止めたりはしない。
このままいつまでも、そこで踊り続けてれば
それはそれで様になると思った。
そして、景色に目を移して、そんな男の切なさや格好よさに
頬をゆるませ
ふと、目を戻せば
踊る僕は消えていた。
なんだよ‥
そのあと、何があったか覚えていない。
たしかに何かあって、また何かを考えたのだけど
それを何も覚えていない。
目が覚めると、なぜかグッタリ疲れてた。
布団の中でテレビをつけて
みのもんたが、フリップをめくりながら
なにかがなり散らしていて
まぁ、あれだけ踊ったのだから疲れてるのも当然か‥と、思った。
久しぶりに長く記憶に留まる夢を見た。
春を感じさせるこんな時期の暖かい午前中に
ベンチで甘いものを食べあう。
そこには煎れたてのコーヒーがあって
明日のこととか、来年のこととか、そういうことを話していたのだと思う。
たぶん、それも一段落ついて
僕は同じところに長く座ってられないから
気づけば近くをあちこちウロウロしてる。
そして身振り手振りを交えて、くだらない話をする。
必要以上にオーバーに
たくさん笑わせてあげたくて。
ダンスなんて絶対言えないような
トンチンカンな踊り。
ベンチに座って、それをずっと眺めている人。
僕には顔を覗き込むことなんてできないから
それが誰だかわからない。
でも、楽しんでるのか呆れてるのか悲しんでるのかくらいは
目で見なくても感じることができる。
ただ、そのときは
いつまでも踊り続けていた。
その人から何一つ感じることができなかったから。
その場所にはもう1人僕がいた。
ベンチに座る女の子
その前でクルクル踊る変な僕。
それを少し遠くの東屋みたいなところから眺めてる僕。
その僕も、踊る僕も僕自身らしく
踊っている僕の見ているものも、感じてるものも
遠くで眺めてる僕の中にあって
遠くで眺めてる僕の見ているものや感じてるもの、聴こえてるものも
踊ってる僕の中にあるのかと言えば、よくわからない。
たぶん、より実体に近いのは、遠くにいる僕なんだろう。
踊ってる僕は遠くで眺めてる僕の分身のようなものなのかもしれない。
遠くで眺めてる僕は
踊ってる僕に呆れながら
振りの1つが恥ずかしければ
景色に誤魔化す。
だけど、必死に踊る僕をどこか羨ましくも思ってる。
できることなら、女の子も立ち上がって
一緒に踊ってくれたらいいのに‥と、思ってた。
だけど、そういうことは決してないこともわかってる。
いずれ女の子は踊る僕に飽きるのか、それとも諦めるのか
違う誰かのところに行くのか、それとも家に帰るのか
なんにせよ、ベンチを立ち
どこかへ行ってしまうのだ。
遠くで眺める僕はそれを知ってる。
人と人の幸福が重なり合う時間はとても短い。
だけど、重なりあっていたはずの幸福が
いつ、どこで、どのようにして、ずれてしまうのだろうか?
理由らしい理由がそこにはあるのだろうか?
たとえば、最後の葉が落ちたとき、僕は死ぬのだ‥的な
勝手に象徴化して、勝手に意味を持たせたなにかのためなのか
それとも、ジョゼのような
水族館が休みだったから的な
偶然の要素がずれる方向へ導いたのか
風があと一呼吸、遅れて、またははやく吹いてくれたら
その子がベンチから立つことはなかったかもしれない。
もしかすると、風がそのことにちょうど良く、的確に吹いてくれたら
その子は僕と一緒に踊ってくれたかもしれない。
そう、もしそういう偶然が何かを意図せず変えてしまうなら
そういうこともあるのかもしれない。
良いほうへ導いてくれるのかもしれない。
だけど、遠くで眺める僕には
そんな恵まれた偶然があることを信じてない。
偶然は必ず悪い方へ導くものだと
あそこで踊る僕に限って
必ず悪い方へ導くのだと思っている。
なぜなら、それは
すでに幸運の偶然の連続が、
もしくは、悪い偶然が影を潜めていたから
今、僕はその子の前で踊ることができている。
だから、恨むことなんてできやしない。
そして、その子はベンチを立った。
遠くで眺めてる僕は、それでも少し落胆した。
踊る僕はその子がいなくなったことを知ってる。
だけど、踊るしかなくて踊り続けてる。
それしかできないから。なんだそうな。
遠くで眺める僕は、踊りを止めたりはしない。
このままいつまでも、そこで踊り続けてれば
それはそれで様になると思った。
そして、景色に目を移して、そんな男の切なさや格好よさに
頬をゆるませ
ふと、目を戻せば
踊る僕は消えていた。
なんだよ‥
そのあと、何があったか覚えていない。
たしかに何かあって、また何かを考えたのだけど
それを何も覚えていない。
目が覚めると、なぜかグッタリ疲れてた。
布団の中でテレビをつけて
みのもんたが、フリップをめくりながら
なにかがなり散らしていて
まぁ、あれだけ踊ったのだから疲れてるのも当然か‥と、思った。
久しぶりに長く記憶に留まる夢を見た。





