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2008-12-31 15:55:23

大晦日とプロレス

テーマ:ブログ

年末の大掃除

面倒なので僕の部屋は諦めた。

どうせ明日は仕事だし

ゆっくり音楽でも聴きながら、本を読んだりして過ごすことにする。


5月のある日や、10月のある日と同じように

年末年始を過ごすのは、少し寂しい気がするけど

それはいずれ出会う奥さんや子供たちのために取っておくことにしよう。



大晦日といえば、昔はテレビにかじり付きでね

ドラえもんや紅白を見てたよ。

今年と来年との間をたくさん見ようと

くるくるチャンネルを変えてね。


そういえば、2008年

ドラえもんではタイムマシーンが完成する年だったらしい。

まったくそんな気配ないね。


それにしてもどうして大晦日に格闘技をやるんだろうね。

嫌いじゃないけどさ、それほど見たいとも思わないし。

今年はあのちょっと精神が壊れ気味の林家さんとこの人なんでしょ?

どうなのかね。宗家のときは僕もちょっと興奮したけど

あまり興味もてないなぁ。


格闘技で思い出したけどさ

ずっと疑問だったことが解消されたんだよ。


よくさ、

すごく当たり前で、すごく無意味な恋人同士の喧嘩や仲違いがあるでしょ?

僕、そういうの見るたびにね

本気で馬鹿だなぁ‥と、思ってたんだ。

思い遣りも知性も足りてない。どうしてこんな人を愛せるのかと疑問だった。

ある時期は、世の中ってくだらない人ばかりなのかと本気で不安になった。


あれってさ、プロレスなんだって。

そう、プロレスをヤラセだとか八百長だとか怒る人がいないようにね

ああいうのも怒っちゃいけないんだ。真剣に馬鹿にしちゃダメなんだよ。

ロープに振られれば、何回かはちゃんとラリアットやドロップキックを受けて

佳境に入れば、うまく交わして逆に技を放つ。

大技の前には、ちゃんと大声を出してね、コーナーに上ったところで

逆に落とされたりして。


だけど、それをするには、ちゃんと訓練が必要でさ

鍛えておかないと怪我をしちゃう。

相手の良いところを引き出したり、観客を魅了させたり

そういうことも考えなきゃダメだし、本当はすごく強いんだよ、プロレスラーは。


僕、それに気づいて

目から鱗が取れた気分になったよ。

なるほどーって、心からね。


誰も教えてくれないんだもんなぁ‥

なんかすごく恥ずかしくなったよ。

でもさ、ジャイアント馬場も還暦までプロレスしてたし

まだ遅くはないよね。

とりあえずプロテインでも飲むか。


2008-12-30 22:52:47

今年を振り返ると。

テーマ:ブログ

もう明日で今年も終わり。

さすがに目前に迫ってしまうと

時間の速さに嘆くこともなくなるよ。

2008が2009になるだけ、来年を今年と呼ぶようになるだけさ。



でも、この一年は僕にとって大きな節目になりそうだよ。

たぶん、人生の転機と言えるかもしれない。

偶然、この世界に産み落とされて、数十年生きて、死んでいく

そんなどこにでもいる、い過ぎるくらいいる一人の人間の転機だよ。

これはきっとすごいことなんだと思う。


お店をやろうと思ったこともあるし、

悩みに悩んでた生き方が定まったこともあるけど

それよりもずっと大きなことは

たくさんの素敵な人に出会えたことだと思うんだ。


僕は今年ほど人に影響を与えてもらったことはないよ。

これほど人に関心を持ったこともなかった。


今の会社の人たちは

否応なく尊敬してしまう、そんな人が多くてね

僕はそういう人たちに囲まれて、一日の長い時間を過ごせた。

本当に幸せなことだと思うんだ。

たくさんの経験を分けてもらえたし、笑わせてもらえたし、

自信も与えてもらった。

僕は心からこの会社の人たちが好きだよ。

戻ることができてよかったと思う。本当に。

やめるとき、きっと泣くだろうな。



お店は流れちゃったけど、NPOの関係で

肩書きのある人たちと関係を持てたことも、すごく勉強になった。

こういう世界もあるんだなぁ‥って思ったよ。

向き合うのがすごく不安だったけど

とても社交的で、社交的過ぎて不安にもなるんだけど

少しの言葉である程度のところまで理解してしまう、そういう能力に驚かされた。

認める前と、認めた後と全然対応が違って

それが嬉しくもあり、寂しくもあった。


でも、そんな人たちより僕が出会えて嬉しかったのは

事務所のアルバイトの人だったりして

すごく一生懸命で、どこか抜けてて、真面目で

馬鹿にされたりもしてるんだけど、言葉にちゃんと知性があって

いろんなことをたくさん考えていた。大きなものが隠れてた。

なによりみんなに愛されてたよ。本当に愛されてた。

僕もこんなふうになれたらなぁ‥って思ったんだ。

ちゃんと、心を開いて向き合うと応えてくれるんだ。

真剣に、一生懸命応えてくれる。

お茶菓子代わりにトマトを出す、少し変わった人だけど

無邪気ですごく可愛らしいと思ったよ。



結局、ダメになりそうだけど

建築家の人も素敵だった。

どの話も、なにか深いものがあってね

僕は感心しっぱなしだったんだ。



お花屋さんの旦那さんは、すごく目の優しい人で

お花をすごく大切に思ってて

僕はそういう人、大好きでさ


ワッフル屋さんは、元気で明るくて個性的で

細い体の中にギラギラしたものがあって、

それがすごく魅力的だった。



僕がすごく気に入ってる焼き菓子屋さんは

並べるのもおこがましいくらい尊敬できる人だった。

お話をするだけで、会うだけでなんか嬉しくなっちゃう。元気になっちゃうんだ。

それにすごく素直になれる。恥ずかしいことも平気で言えてしまえるんだ。

なんかちゃんと受け止めてくれてる気がしてね、そういうのってすごく貴重なことだと思うんだ。

掛け替えのないことだと思う。

夢を叶えるってことや、充実するってことが

どんだけ素敵なことなのか感じさせてくれた。

どうすればそうなれるのかも感じさせてくれた。

それがとても難しいことで、なにより大切なことなんだって。

なにか気づかないうちに僕の人生を良い方向に動かしてくれたような気がする。

僕もいつかあんなふうになれたらいいなぁ‥って心から思うよ。



他にもさ、他にもなんて言うのも失礼で

そんな風に扱える人じゃ決してないんだけど

なんだかやたら可愛らしくて

どうしてか僕の心をかき乱して、気づくとどこかへ消えてしまうような

ネコの親分みたいな人にも出会えた。

珍しく僕が戸惑い素直になりきれない人だよ。

一言にするなら、足りないところが多すぎて、だけど余りあり過ぎる人だよ。

褒めようと思えばいくらでも褒められるし、貶そうと思えばいくらでも貶せる

そういう人ってすごく魅力的だと思うんだ。

たぶん、苦労も多いのかもしれないけど、その苦労も税金みたいなものだと思えてしまうよ。

だけど、可哀想なのは綺麗過ぎるところだと思う。

もしかすると、この国で一番綺麗だって思う人がいるかもしれない。

僕ぐらい美に興味を持ってるとさ

逆に、所詮は美に過ぎないと思えるんだけど、世の中そうじゃないからね。



この間久しぶりに会えた友達は

やっぱり優しくて、すごく自然になれて

考えるだけで涙が出てしまいそうになるけれど

僕は本当に幸せものだなぁ‥と、思えた。

それに、とても穏やかで繊細で

春になったら溶けてしまいそうな

雪でつくったうさぎみたいな人にも会わせてくれたしね。




なにしろさ、たくさんの素敵な人に出会えた一年だったよ。

僕はそのことをすごく感謝してる。

だけど、僕は不安になるんだ。

みんなこうしてたくさんのものを僕に与えてくれたけど

一体、僕はみんなのために何ができるんだろう?

僕はみんなに与えられるほどのものを持ってるんだろうか?


今はダメでもさ、いつかはね

いつかはちゃんと、僕もこんな素敵な人たちみたいにね

何かを誰かに与えられるような人になりたいと思う。

何かを感じさせて、困らせてやりたいと思う。



でも、きっと来年もよい年になりそうだよ。

僕がこうしている限り、きっとよい年になるはずだ。

そんな気がするんだよね。













2008-12-29 23:50:49

ようやく仕事が終わった。

テーマ:ブログ

ようやく仕事納め。

昨日なんか、朝の7時半に家を出て

戻ってきたの夜の10時過ぎだよ。


数日前に言われて、受けようか断ろうか悩んで

だけど、どうせ用もないからと受けちゃったんだけど

そのあとすぐお誘いがきて

残業なんかより楽しいに決まってるからさ

かなり後悔したけど

一度、決めたことだからね。


で、来年は元日出勤だよ。

これも、どうせ用もないからと

受けちゃったんだけどさ

一度あることは二度あるもんらしく

せっかくの初詣、断らなきゃならなくなった。


二度あることは三度あるのかな

なんか二度連続で断っちゃうと

避けてると思われないか心配だ。




それにしてもこの時期の挨拶が苦手だ。

「今年、一年どうもありがとうございました。来年もよろしくお願いします」

長いよね。長すぎる。

なんか、もっとうまい言い方があったような気がするんだけど

全然、思い出せないから

こんな感じになっちゃうんだけど

なんかしっくりこない。


突然、振られるとワタワタしちゃうし

最悪、「はい!」と、元気よく言ってしまう。


そういえば、年賀状

一枚も書いてない。

というより、中学の時から書いてないんだけど

あれってやっぱり書くものなのかな。


2008-12-27 13:07:21

制度と同意・一般意思について。

テーマ:政治関係

ホッブズ、ロックと続けば次はルソー。

ルソーの「社会契約論」はあまりにも有名で

フランス革命の原理になったと言われてる。



ロックは人間の自然状態を

「人の食糧を奪うより、人間は作物を育てるものだ」と、

平和的なものとして考えた。

ホッブズとロックの一番の違いは、この自然状態の定義だと思う。



ルソーはもう一度ホッブズの定義に戻る。

「万人の万人に対する闘争」

人間の自然状態は、やはり相争うものだろうと。

そして、人間が相争う状態で最も強く願うものは

生命の安全だろうと。

生命・財産の安全は契約によって守る。

その辺りはホッブズと同じなんだと思う。


ホッブズとの違いは、その先

契約のあり方で

ホッブズは絶対的な主権者をつくり、

その主権者に暴力を含めた生き長らえる様々な手段、自然権を一元化する。

だけども、国家と市民・主権者と市民という二つの概念の対立が問題になった。

主権者に一元化した暴力を含めたさまざまな手段が市民に向いてしまうことで、

支配者と被支配者の一方的な関係をつくりだしてしまう怖れがあった。



そこでルソーはその問題を克服するために

自然権を一元化せずに社会契約を行う方法を考えた。


それは、人々すべてが主権者になること。

これはものすごくダイナミックな論理だと思う



たとえば、右手という言葉は、左手があってはじめて必要になる。

もし左手がなければ、それはただの「手」でいい。

主権者も同様で、非主権者、主権者に従属する存在がいなければ

主権者という概念は存在できない。当然、言葉も存在しない。



なのにルソーは「人々すべてが主権者」と言う。

なら、どう主権者という概念、言葉を成立させているのかというと

徹底して克服する方法と同じ

人々すべてが主権者なら、人々すべては非主権者になる。

そう、主権者と非主権者を固定する必要などなかった。



本来、人間は人間でしかなく、主権者・従属者の区別は後付けの

現状の区別でしかなかった。

たしかに、その区別は国家を成立させるためには必要不可欠だけれども

自然状態から国家までの流れを徹底して考えれば

人間を区別する方がずっと異常なことなんだ。

この発想はとても明確で明瞭で本質的だと思う。



ところが、明瞭で本質的なものほど不明瞭で複雑に見えてしまう。

「すべての人が主権者であり、すべての人が非主権者」

言語上、これは矛盾してように見えてしまう。

まったく不明瞭な、曖昧な、どこか適当な、繕いのように思える。



だけど、僕は思う。

この一見、矛盾したようなものが

人間の本質なんじゃないだろうかと。



真実というものを求めるのなら、どうしても避けられない人間の本質的不明瞭さだと思う。

話はそれるけれども、もっと言えば



真実は限定することで明瞭・明確になる。

厳密に言えば、限定された真実は真実と呼べず、「正しさ」が精々だと思うけれども



まず、この世界に真実と呼べるものはまだ見つかっていない。

たとえば、宗教

キリスト教にはキリスト教の真実があり、イスラム教にはイスラム教の真実がある。

世界を宗教で区別・限定したとき、その限定されたところに「正しさ」「真実」は存在している。

同じように、国家・組織・集団に限定していくことで、正しさ、真実は明確になる。



もっと厳密に言えば

目的のあるところには必ず「正しさ」はある。

目的がないという目的を含めて「正しさ」はある。

ものごとは限定していくことで明確になる。

そして、人間は明確なものを好む。合理的であるものを好む。

だから、この限定して明確にしていく方法は、さまざまなところで取られる手段なんだけれども

限定された「真実」「正しさ」は、その限定された世界でこそ「真実」「正しさ」であり得る。


もちろん、限定された真実や正しさの中には、普遍的なものも含まれていて

応用することは可能だし、仮にこの世界に真実があるとすれば

間違いなく、限定された真実の中に、それは含まれていると思う。

だから、限定された世界から大きな世界を見ていく方法も、

ひとつの手段として成立すると思う。



話はどんどんそれてしまうけれど

この限定して探していく作業を徹底して、ある個人、僕自身まで掘り下げてしまうと

限定化が克服されて、また、あらゆる世界というとてつもなく大きな世界に放り出されてしまう。

自分を徹底することで他者に向かわざるを得ない状態になることと同じように

自分の真実・正しさを徹底して掘り下げれば、この世界の真実に向かわざるを得ない。

逆もまた同じことだと思う。

僕の経験的、個人的見解だから信用できないけれども。





なにしろ、ルソーは

「すべての人が主権者で、すべての人が非主権者」と、考えることで

ホッブズの市民と国家という二つの概念の対立を克服しようとした。



具体的にどういうことかと言えば

まず、自然状態で願う、生命・財産の安全を

すべての人々が、すべての人々のために共同して保護する仕組みをつくる。

これが社会契約の目的としてある。

ここまではホッブズと同じだと思う。

大事なのはその「仕組み」で

その仕組みづくりには「一般意思」というものが必要だと言う。



「一般意思」とは、人々が共通して保有する意思のことで

そう。限定することで正しさ・真実は明確になるんだ。

この仕組みの目的は、「生命・財産の安全」だから

その目的が「正しさ」「真実」になる。

要は、共有する目的を軸にした社会の形成。

その軸を根本にした社会。

ある軸を共有することができれば

人々の利害・欲望・関心もある程度共有できるものになるはずだ。



たとえば、恋人同士関係は

二人が愛し合っていることが前提にある。

その前提を軸にして、相手を思い遣る。

彼を、彼女を愛している。これからも愛し続けたいと思う。

そういう前提があれば、ある程度、思い遣りは適切に働く。

たとえ、多少の誤差があっても、理解し許し合うこともできる。

正誤の判断も容易になる。

「愛し合っていること」「愛し続けたいと願ってること」

それに反することが「誤」であり、「罪」になる。




人々が共有する意思を、ルソーは「一般意識」と呼んだ。

その一般意識に、人々は委ねる。従属するのではなく委ねる。

「一般意識」によって形成された社会に、人々は身を委ねることで

自分の意思・利益・欲望を実現していく。



この「委ねる」ということが重要なんだと思う。

ここでも徹底することで克服することが行われていて

ホッブズの場合は自然権という、本来人間が保有している自由を一元化することで

主権者をつくり社会を形成したけれども

自然権が人間の本来保有するものであれ、人間のすべてではない。



ルソーの場合は、自然権という限定されたものを預けるのではなく

その身のすべてを、社会に委ねてしまう。

生命も財産もその身のすべてを社会に委ねてしまう。

徹底して委ねることで、保有しないことで

委ねた社会の力を自分のものとして得ることが出来る。

生命や財産の安全を守るために、逆にそれらを委ねてしまう。

欲望や夢や希望を実現させるために、逆にそれらを委ねてしまう。

これは、「一般意思」があってはじめて成り立つ。

一般意思が、それらを実現しようという方向に動いていく。


これが、「すべての人々が主権者で、非主権者」を成立さている。

だけども、これは概念上の問題だと思う。



実際、人々が自らの意思ですべてを委ねることは大変なことだ。

なぜなら、主権がある以上、責任と義務を負う必要に迫られるからで

人々が主権者であるなら、主権としての責任・義務を分担して負う必要がある

これまでは、主権者に担保することができた責任や義務を

非主権者・従属することで逃れてきた、責任や義務を

人々自らが引き受けなければならない。
2008-12-26 17:45:50

表現することは生きることだと思う。

テーマ:ブログ
朝、なんとなくNHKを見ていた。

トーク番組の総集編で

俳優の藤原竜也さんが出ていた。

彼が主演してる蜷川さんの演劇を見て感動したことがある。


その番組の中で

蜷川さんのインタビューがあって

そこで、藤原君の演技は

勉強したものじゃなく、過去のさまざまな経験から紡ぎだして

演じる役の想いに結びつけるのだと、そんなようなことを言ってた。



なるほど、と思わず感心した。

演劇に限らず、それはとても重要なことのように思えた。

他の芸術でも、いや、僕たちが生きるうえでも重要なことだと思った。


僕は芸術というものを、学んだことも真剣に取り組んだこともないから

あまり大きな声じゃ言えないけれど

芸術は内面の表現だと思う。


もし、芸術が表現だと言うなら

すべての人が芸術家なんだと思う。

僕たちが生きる上で、表現は欠かせない。切り離せないものだ。


なぜなら、僕たちは社会に生きているからだ。

たった一人、孤島に暮らしてるわけじゃない。

どうしたって、どこにだって他者はいる。

そのたくさんの他者の中で僕たちは生きている。


僕たちには名前がある。

なぜ名前が必要なのかを考えれば、誰でもわかることだと思う。

既に、生まれたときから他者に対して自分がいる。自分に対して他者がいる。

これはどうしたって切り離せないことだし、無視し続けることもできない。


最近では、どうも自分の関心にしか興味を示さない人も多いけれど

たとえば、引きこもりも

「引きこもり」という言葉を使う以上、そこには対比する「他」がある。


これはもう生物としての本質に限りなく近いと思う。

人間はそういった関係性を否定することのできない生き物なんだと思う。


そうであるなら、今の風潮としてある

自分の関心に閉じこもろうとする方向は

必ず歪を生み、自身を苦しめることになると思う。

そして、関係性を切り離せないのだから

関係する人を苦しめることにもなる。

深ければ深いほど、苦しめてしまうんじゃないだろうか?



なんにせよ、表現だ。

表現を簡単に言ってしまえば

他者に見せたいか?どう見られたいか?

そういうことだと思う。


まず、伝えることが前提にある。

だけども、伝わらないことの方がずっと多いということも覚悟しなきゃならない。

表現方法、技術の問題なのか?伝えるべき想いが複雑過ぎるのか?

想いが足りないのか?

それとも、伝えるべきものではないのか?



やはり、僕は表現の根本に「想い」があると思う。

まず、自分がどう想うのか?

想わなければ、伝えることもできない。



その「想う」ということが

蜷川さんのインタビューで語ってた

経験から紡ぎだすことなんだと思う。



もちろん、経験だけがすべてじゃない。

人が経験できることなんか限られてる。

だから想像する。

ある経験から想像することで、経験していないことを受け止めていく。

理解じゃない。決して理解はできないと思う。

やはり現実と想像は違うのだから。



経験と想像

そして、想い。

それから技術の問題になる。


表現はこうして完成していくんじゃないだろうか?





時間は限られてる。時間は限られてるんだ。

僕たちは失い続けているんだ。

美しさをただ消費し続けてはいけないと思う。

若さを消費し続けてはいけないと思う。

花の命は短くても、

満開の桜だけが人を魅了するわけでは決してない。

結果じゃない。大事なのは経緯で過程で

たとえ枯れ木になったとしても、その枯れ木の背景にあるものが

僕たちの人生を分けるんだ。


表現は表現に留まらない。

僕たちの人生そのものだと思う。

経験と想像と想い

これが僕たちの背景になる。

咲き終えた枯れ木だからと

むざむざ伐られるような生き方はしたくない。

するべきじゃないと思う。




2008-12-26 00:48:45

ちゃんと聖なる夜だった。

テーマ:ブログ
頭痛くてね。

すっごく痛くて、8時に寝た。

そしてさっき起きた。


仕事の休憩時間に

少しお昼寝したんだけど、それでも足りなかったみたい。

いつもなら平気なのに

どうも昨夜のお酒が悪かったみたい。


でも、楽しかったよ。

5年ぶりくらいの友達がさ

お店を予約してくれてね。

5年分くらい喋った。久しぶりに気持ちよくなれた。


最近はさ、あまり喋らなくなったというか

必要じゃなくなったってのもあるけど

でも、喋りたくても喋れないこともあってね

少し自信を喪失してたんだけど

相手によるんだってことを確認できただけでもよかったよ。



学生時代の友達でね

色々あったからさ、なかなか揃って会うこともできなくて

たとえば友達の離婚や、僕の前の彼女も

友達の奥さんの友達だったからさ

そういうこともあって、少し時間が必要だったんだ。


どうせ冗談で嫌なこと言われるだろうと思ってたけど

そういうこともなく

むしろ、そんな僕のために気を使ってもらっちゃってさ

わざわざたくさん友達呼んでくれちゃって

楽しかったけど、疲れたよ。

でも、みんな優しいんだ。


どうせ僕相手だから、口は酷いんだけど

ずっと優しさを感じてたよ。

ほんとにありがたいと思う。

もちろん、紹介してくれたことじゃなくて

僕の有り様や、僕の扱い方を忘れないでいてくれて。




いろいろ最近、悩んでいたからさ

すっごく楽になった。

うん。そりゃ僕だって悩み事くらいあるよ。

むしろあり過ぎるくらいある。

だけどさ、これまでもずっとそうやって悩んで

僕なりに答えを見つけてきたからさ

たいがいのことはすぐに解消できてしまうのさ。

だから、悩みのない能天気な奴だと思われるんだけど

実際は逆だよ。

僕から悩みを取ったら虫歯しか残らない。

こうなると、ほんとに虫歯だけみたいだけど

最近の悩みは、ちょっと生々しすぎてね。

どうにもならないことでね

処理の仕方に困っていたんだ。


答えはいくつか出ていて

だけど、感情がうまく落ち着かない。

そういうのって面倒なんだよ。

ガスの切れたライターみたいな歯がゆさ。

新しいライターを買えばいいだけなんだけどね。

だからすごく楽になれた。



本当にどうもありがとう。

何度か口にした感謝だけど

心からそう思ってるよ。





2008-12-26 00:02:56

こんなのは寂しいと思う。

テーマ:ブログ
飯島愛さんの急死には驚いた。

死因はまだ特定されてないみたいだけど

死後一週間も経過して発見されるなんて

ちょっと寂しすぎると思った。


僕、あんまり好きじゃなかったけどね

本を書く前は生理的に

書いた後はその反響含めて好きじゃなかった。


でも、「擦り減らした」って感じはしてた。

特に、引退直前の頃なんて。

自分自身を消費し続けた結果のような気もする。


家出してた頃の飯島愛を見た人を知ってるけど

ほんとにホームレスみたいだったって言ってた。

薄汚くて若い女の子だなんて思えなかったって。


そういう酷い環境から抜け出すためにAV女優になって

テレビにも出て、お金や名誉も手にして

たしかに凄いことだと思う。頑張ったなぁ‥って思う。

だけど、たくさんの無理があったんだろうね。

きっと、これをするには

自分をたくさん擦り減らさなきゃならなかったんだろうね。



僕はさ、自分の娘にも周囲の人にも

こんな生き方してもらいたくないからさ

絶対に認めないけどね

やっぱりAVは必要悪でさ

必要なんだけど、悪は悪だと思う。

社会的にそうしておくべきで

決して肯定しちゃいけないと思うんだ。


でも、それにしてもさ

寂しい死に方だと思うよ。

こんな寂しい死に方をしなきゃならないほど悪いことはしてないよ。

どうあれ頑張ったんだから。たくさん辛いことあったんだからさ

もっと穏やかに終わってほしかったな。


イブの夜に発見されたのが救いなのかな。

連日続く酷い不況のニュースに混じって

これを聞くとさ

性なる夜も終わりかなって、ちょっと思った。





2008-12-23 23:56:40

よい一日を過ごしてほしいと思う。

テーマ:ブログ
あしたはクリスマスイブだということで

たぶんたくさんの人が楽しそうに街を歩くんだろう。


僻みとか嫉妬とか

僕にはちょっと考えられないけど

寂しい気持ちにはなる。

だけど、それいじょうに

楽しそうな人を見るのが好きで

なんだか自分も楽しくなる。


もし、そんなとき、大きな災害や事故や事件が起きて

どうにかしなきゃならない状態になったら

とりあえず、率先して事に当たろうかと思う。

彼らの、彼女らの楽しい1日は守られるべきだと思う。

どうしてなのかわからないけど

親心のようなものが働く。へんなの。



でも、こういう大きなイベントのある日に

いつも感じることは

もしかすると、この世界の幸せは、総量が決まっているのかもしれない。ということ。

たくさんの人が幸せなら

そのほかの人は不幸せを感じなきゃならなくなる。

たくさんの人が、大きな幸せを感じていたら

その分だけ、大きな不幸せを感じてしまう。


そういうのって、なんだか悲しい。

ただ、貧富の差より固定化されてないから

来年もしかすると、幸せの人と不幸せの人が逆になるかもしれないわけだから

まぁ、いいのかとも思う。

たとえ、どんな人だろうと可能性はある。

貧しい人がお金持ちになるよりも可能性はある。と、信じたいね。



僕も、手を拱いてるわけにはいかないし

ちょっとだけお酒が飲めるようになったので

その可能性を試してみようかと思うけど

あまり期待はしてない。

どうも昔と違って、モチベーションが低い。

ただ、「いいとも」を見なくてすむ。


世の中にはたくさんの素敵な人がいるけれど

僕にとって素敵な人は少なくて

そんな色好みできる僕じゃないけど

そこまでする必要があるのかどうか疑問に思う。


なにしろ、たくさんの人が幸せな一日を過ごしてくれたらいいと思う。

そのためなら多少の無理はしてもいいかな‥と、思うんだ。

まぁ、僕なんかにできることなど無いのだけど。


2008-12-20 22:13:33

トランス地獄

テーマ:ブログ
音の繋がりや重なりが

どうしてこんなに僕たちを惹きつけるのかわからないけど

音楽の聴こえない暮らしなんて想像もできないよ。


最近は携帯音楽プレイヤーも安いのから

動画まで見れちゃうものまでたくさん出てる。

携帯電話にだってくっ付いてる。

聴く気になればどこでも聴けちゃう。

まぁ、それはウォークマンの頃からのことだけど

流行の理由はやっぱり音楽配信なんだろうか。

簡単に買えるし簡単に入れられるし。


僕はさ、ずっと携帯音楽プレイヤー

こういうの好きじゃなかったんだ。

そこまでして聴きたい曲なんてないだろうに‥と、思ってたし

そうね、昔は思ってたよ。

流行歌なんて、そこまでして聴く音楽じゃないって。

どうせ聴いてる曲はそんなもんなんで、誰もまじめに考えてないんでしょ?ってさ。



今はちゃっかりiPodなんか買っちゃってね

仕事の行き帰りとか、車で聴いてるよ。

電車の中で聴くのは少し抵抗があったんだけどね

音漏れが迷惑とかじゃなくて、

自分の呼吸が聞こえないから、変な呼吸していないかな‥って気になっちゃって。

神経質?そうかもしれないけど、変な呼吸してたら嫌でしょ。恥ずかしいし。



でもさ、音楽の趣味でさ

その人の性格というか、あり方のようなものがわかるじゃない?

どうしてもさ、好き嫌いと、カッコいいカッコ悪いってのがあるじゃない?


なんていうかさ、車に乗せてもらったらさ

流れてきた曲が、ズッタン タタタン ズッタン タタタン みたいなね

古いというか、なんかモサッコイというか、ドラムが恥ずかしいリズムを刻んでたりするとね

なんていうかさ、なんていうかね‥


いや、古い曲とか聴いててね、たまたまそういうこともあるわけだよ。

自分でも気がついてる。「これ、ちょっと恥ずかしいなぁ‥」みたいなのね

そういうの聴かれちゃうとさ、顔真っ赤になるよね。僕だけかもしれないけど。


はじめてのデートとかだったらさ

それがラジオでも嫌だよ。

ツクツクツクツク ドーン!みたいなのとか。

顔真っ赤になっちゃうもん。



そう。ツクツクツクツク ドーン!なんだけどね

昨日か、一昨日だったかな

たまたま乗せてもらった車にね、流れてたのがトランスでね

僕は嫌いなんだよ。珍しいくらいに嫌いなのね。

はっきり言って、最低の音楽だと思ってる。

あんなもんこの世にあっちゃいけないと思ってる。

いや、好きな人には悪いんだけどさ。これは僕の趣味の問題だからさ。



ダンスミュージックが嫌いなわけでもない。

たしかに好きなほうじゃないけど、そこまで嫌いじゃない。

ドイツのなんていったか忘れたけど

なんとかトランスとかいう種類の‥

あれは聴けなくもない。

だけど、基本的にはダメだ。


テクノは好きだよ。それでも選ぶけどね。

なんていうのかな、軽薄過ぎるんだ。知性が微塵も感じられなくて。

ユーロビートとトランスは最低だと正直思ってる。



なにしろさ、その乗った車がトランス地獄でね。

僕もまぁ大人だからさ

やんわりと「好きじゃない」って言ったんだ。


「トランスが好きなんですか?」って聞いたら

「うん。好き」って言うからね

で、「好き?」って聞かれたんで、「いえ、好きじゃないです‥」と。


そしたらさ、トランスの良さを伝えたいみたいで、ずっとトランス講義。

僕もさ、そういうの好きだからさ。

だって、僕の食わず嫌いかもしれないじゃない?

もしかすると、好きになるだけの理由があって共感できるかもしれないし。


何十曲と聞いてね、この曲は何ていうアーチストの、なんていう曲で‥とか。

僕は、うんうん聞いてたんだけどね、やっぱり気持ちは変わらなくて

そしたら、今度はトランスミックスっていうの?有名な曲をアレンジしたやつね。

浜崎あゆみとかいろいろ。

さすがの僕も諦めたよ。

どうにも共感できない。やっぱり無理だった。

家まで送ってくれたんだけどさ、ずっと頭痛。その後ずっと。


まぁ、ときどきこういうこともあるよね。

だけど、共感できるかもしれない。好きになれるかもしれないって思って

いろんなものと向き合わないと

自分の世界が小さくなっちゃう気がしてね。

一度きりの人生だからさ、いろんなものを知っておきたいからね。


ほんとはさ、だいたいわかるんだ。

好きになれるものとなれないもの。

話を聞いただけで、なんとなくわかる。

それが良いものか良くないものかもなんとなくわかる。

だけどさ、わかるからってそこで止めちゃうとね

たとえ、それが好きになれなくても、良いものじゃなくても

それを切欠になにか掴めるかもしれないしね。


それにさ、好きなものを誰かに伝えたい。共感しあいたいって気持ちは

すごくよくわかるし、すごく健気なことだし、すごく可愛らしいことだし

すごく優しいことだよね。

僕はそういう気持ちを大事にしたいんだよね。


僕はこれも言い切れるんだ。

大事なことは過程にある。

その過程の先端に今があるんだ。

結果がすべてだとよく聞くし、そう言う人を非難するつもりはないよ。

だけどね、今は結果じゃないんだ。結果はもっと先にある。

はっきり言えばさ、僕たちに結果なんてないんだよ。

あるのは過程と、その先っぽにある今だけ。

もし結果だと言ってしまえば、じゃあその先にある未来はなんなのさ?と。

結果が次の過程を生む?

そう考えることもできるね。

「寝ることは死ぬこと。そして次の朝僕たちは生まれ変わる」的なね。












2008-12-18 22:36:31

想いはちゃんと伝わるんだ。

テーマ:ブログ
すごかったね、サッカー

僕、ちょっと感動したよ。


ガンバ大阪って素晴らしいチームだね。

見ていてすごく楽しかったし

すごく気持ちよかった。

僕、また見たいと思ったよ。


やっぱりさ、

やりたいこと

伝えたいこと

目的意識が徹底してると

ちゃんと伝わるんだね。

僕にはしっかり伝わってきたよ。本当に素晴らしいチームだと思う。




僕がときどきお邪魔してる焼き菓子屋さん。

また、すごく素敵な話を聞けたんだ。


焼き菓子屋さんはね、本当にお菓子を焼くのが好きみたいなんだ。

そしてね、その焼き菓子で誰かを幸せにしたいと言ってたよ。

そのために焼くことが自分の幸せなんだって言ってた。



すごく理想的で、ある意味うそ臭く思ってしまう言葉だよね。

だけど、本当に心からそう思ってる。徹底して思ってるんだ。

どうして僕がそんなこと言い切れるかはね

食べたからだよ。その焼き菓子をさ。


ちゃんとさ、ちゃんと伝わってくるんだ。

だから言い切れるんだ。

想いはちゃんと伝わってる。


そう、ちゃんと伝わるんだよ。想いはさ。

心から想いを込めればね。ちゃんと伝わるんだ。


それってさ、科学的じゃないし、ちょっと都市伝説的な

よく聞く話なんだけど、「心頭滅却すれば火もまた涼し」的、精神論?

理想の世界のお話みたいに感じてしまうけれど

違うんだよ。本当に違う。

ちゃんと伝わるんだ。ちゃんと伝えられるんだ。



僕、それ聞いてさ

やっぱり想像と現実は似ているようで似ていなくて

頭にある言葉と、それを現実にしてしまうことは、まったく違うからさ

僕は心から感心してしまってね。

それができる人がいるってことに感動したし

こういう理想的な、どこかうそ臭くもある、少し恥ずかしくもあることをさ

ちゃんと徹底してできるって、すごいことだよね。

まったく素敵な人だなぁ‥と思ったのね。



だからさ、僕にもできるかもしれないじゃない?

たぶん、誰にだってできることなんだよ。

ちゃんと徹底して、ちゃんと想いを込めればさ

しっかり伝わるし、伝えることができるんだ。


そうすればさ、きっと僕もね、みんなもね

幸せだって言い切ることができるんだよ。

素敵なことでしょ?

本当に素敵なことだと思うんだ。


僕はもう信じることができるよ。

それは現実にあることなんだ。

想いは伝わる。伝えることができる。


さぁ、それじゃ次は

一体、なにを伝えるかだよ。


僕にはあるよ。伝えたいことがちゃんとある。

感謝の気持ちや、そのままの気持ちや、大好きだということや

弱さや悲しさや、夢や理想や現実があるよ。


今度はそれを誰に伝えるかだね。

そう、誰にだよ。

僕はここが問題だと思うんだ。

冷たいようだけどさ、想いは伝わる人と伝わらない人がいる。

気づく人と気づかない人がいる。

寂しいことだけどね、これは現実の問題としてあるね。

悲しいことだよね。ほんとに辛いことだよね。苦しいことだよ。

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