悲しむ力
テーマ:私の想い何か大切なものを失った時、人はその喪失感にさいなまされ、なかなか立ち直れなくなるもの。
今回の震災では「いのち」ばかりではなく、家・仕事・故郷、そして思い出までが全て無くなってしまった。
その喪失感にさいなまされている人に向かって「頑張りましょう」「ひとつになろう」と言う方がいます。
確かに、言いたいことは理解できます。そう言わないといけない雰囲気すらあります。
しかし、自分の気持ちを押し殺して「頑張ろう」とすることは、果たして本当に良いことなのでしょうか?
苦しい時、「助けて」「今、苦しい」と勇気を出して言うことも、また大事なことのような気がします。
被災地に行ってみて、今、一番必要なことは、「頑張る」ことよりも、「安心して悲しめる場」「泣ける場」を作ることのような気がしています。(衣食住の確保は言うまでもありませんが・・・)
家族や仕事、住む場所すらない中で、一体何を頑張ればいいのか?というのが、多くの方々の本音だと私は感じています。
しかし、私たちの社会は弱音を吐くと「そんなんじぁ、駄目だ!」「元気よく!明るく前向きに」と言われかねません。
暗くて前向きじゃない人は、生きていてはいけないのでしょうか?
「ひとりになって、思う存分泣きたい!泣かしてくれよ!」
私が家族や仕事、その他、何もかも失った時はそう感じると思います。
しかし、男が泣くなんて、女々しいと言われてしまいそうです・・・
でも、男だろうが女だろうが、自分の気持ちに素直になれば、泣きたい時だってあります。
そのような安心して「悲しめる力」が、今の社会にはあまりないような気がします。
とことん悲しんで、涙も出ないほど泣きつくした後に、希望と言う光が差してくることだってあるのになぁ。






