吉田裕子BLOG「国語で人生に輝きと潤いを!」 国語講師、古典講座、日本語本

国語を学ぶことで感受性と対話力を磨いたら、人生はもっと楽しいと思う。国語の先生を始めて14年目。(予備校講師、高校教師、カルチャースクール講師(大人向け古典入門講座)、著述家) 東大教養学部・慶應通信(文学部第1類・教職)卒。放送大大学院在学中。


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2016年1月16日(土)に実施された、平成28年度の大学入試センター試験「国語」の古文『今昔物語集』について、本文の現代語訳(全訳、現代日本語訳)を作成いたしました。

取り急ぎ作ったため、不確かなところもございますが、受験生あるいはセンター試験同日模試などを受験した生徒さんにとって、少しでも内容の概要把握にお役立ていただけたら幸いです。

漢文の現代語訳同様、お気づきの点はコメントなどでご指導いただけましたら幸いです。よろしくお願いいたします。


【リード文】
次の文章は、『今昔物語集』の一節である。京で暮らす男が、ある夜、知人の家を訪れた帰りに鬼の行列を見つけ、橋の下に隠れたものの、鬼に気づかれて恐れおののく場面から始まる。

【本文書き出し】
男、「今は限りなりけり」と思ひてある程に……

【現代語訳】
 男は「俺はもうだめなんだなぁ」と思っていたときに、一人の鬼が走ってきて、男を捕まえ、引き連れて(橋の上に)上げた。鬼どもが言ったことには、「この男は重罪があるだろう者ではない。許してしまえ」と言って、鬼は四、五人くらいで、男に唾を吐きかけながら皆、通り過ぎた。

 その後、男は殺されずにすんだことを喜んで、気分が悪く頭は痛いけれど、我慢して、「はやく家に行って、さっきの様子を妻に話そう」と思って、急いで帰って家に入ったところ、妻も子も皆、男(のいる方)を見るけれど、話しかけない。また、男は話しかけるけれど、妻子は答えもしない。それなので、男は「呆れた事態だ」と思って、近寄ったけれども、そばに人がいるというのに、いると思わない。そのときに、男は理解して、「さっき、鬼たちが私に唾を吐きかけたことで、私の身が見えなくなってしまっているのだなぁ」と思うと、悲しいことは限りがない。私が他の人を見るのは元の通りだ。また、人が話すことも差し障りなく聞く(ことができる)。人は私の姿も見ず、声も聞かない。それなので、人が置いた物を男が取って食べても、人はこのことに気付かない。このようにして夜も明けてしまったので、妻子は男のことを「昨夜、誰かに殺されてしまったのであるようだ」と言って嘆きあっていること、この上ない。

 そうして数日間が経ったが、どうしようもない。それなので、男は、六角堂に参籠して、「観音様、私をお助けください。ここ数年、あてにし申し上げて参詣しておりましたご利益として、私の身を元通り見えるようになさってください」と祈って、参籠している人の食べ物や寺に寄せられた米などを取って食べていたが、周囲にいる人は気づくことがない。こうして十四日くらいにもなったところ、夜寝ていると、暁ごろの夢で、御帳のあたりに尊そうな僧が姿を現して、男のそばに立ってお告げをしておっしゃったことに、「お前はすぐに朝ここから退出し、そしたら、最初に会ったような者が言うようなことに従いなさい」と。こう見たときに夢から覚めた。
 
 夜が明けたので六角堂から退出したところ、門のところに牛飼童でとても恐ろしそうな牛飼童が、大きな牛を引いて男に遭遇した。男を見て言ったことに、「さあ、お前さん、私のお供に(来なさい)」と。男はこの言葉を聞き、「私の姿が見えるようになったんだなぁ」と思うので、嬉しくて、喜びながら、夢の内容をあてにして、牛飼童のお供をして行ったところ、西の方に十町ほど進んだところ、大きな棟門があった。門が閉まっていて開かないので、牛飼童は牛を門にくくりつけて、扉の隙間で人が通れるはずもない隙間から入ろうということで、男を連れて、「お前も私と一緒に入れ」と言ったところ、男は、「どうしてこの隙間から入るだろうか、いや、入れるはずもない」と言うのだが、牛飼童は、「とにかく入れ」と言って、男の手を取って引き入れたところ、男も一緒に入った。見たところ、家の中は大きく、人が極めて多い。

 牛飼童は男を連れて板敷にあがったところ、「どうしたんだ」と見とがめ話しかける人は全くいない。はるばる奥まで入って行って、様子を見たところ、姫君が、病気に苦しんで横になっている。枕元にも足元にも、女房達が並んで座って姫君の看病をしている。童はそこに男を連れて行って、小さい槌を持たせて、この病み患う姫君のそばにいさせて、頭を打たせ、腰を打たせる。そのときに頭を立てて、病み戸惑うことがこの上ない。それなので、両親は、「娘の子の病、とうとう臨終を迎えるようだ」と言って泣き合っている。見たところ、誦経を行い、さらに、尊い験者を招聘するために人を遣わすようだ。ちょっとくらいして、験者が来た。病人のそばに近く座って、般若心経を読んで祈っていると、そのありさまは尊いこと、この上ない。身の毛がいよいよ立って、何だか寒いように思われる。

 そうしている間、この牛飼童は、この験者の僧侶を一目見るや否や、とにかく逃げに逃げてどこかへ去ってしまった。僧は、不動の火界の呪文を読んで、病人のための加持祈祷をしていたところ、男が着ている物に火が付いた。ひたすら焼けに焼けるので、男は声を上げて叫ぶ。そうしたところ、男の姿がすっかり見えた。そのとき、家の人が、姫君の父母に始まって女房どもも、その様子を見たところ、とても卑しい感じの男が、病人のそばに座っている。呆然として、最初に男を捕らえて、引っ張り出した。「これはどういうことだ」と問い詰めたところ、男は事の次第をありのままに最初から語る。人は皆、この話を聞いて、「めずらしいことだ」と思う。その間(一方で)、男が姿を現したところ、病気だった姫君は、病を掻き拭ったかのようにすっかり治った。それなので、家族は喜び合っていること、この上ない。

 そのときに、験者の言ったことには、「この男は罪のあるだろう人ではない。六角堂の観音のご利益を受けている者なのだ。それなので、すみやかにお許しになるのが良い」と言ったところ、家族は男を逃がしたのだった。それなので、男は自分の家に行って、事の次第を語ったところ、妻は「驚くべきことだ」と思いつつ喜んだ。

 例の牛飼童は神のお供だったのである。誰かの頼みによって、この姫君にとりついて苦しめていたのであった。


※最後の方が分かりにくいので、問6 内容一致の問題の正解選択肢を参考に載せておきます。
六角堂の観音は、男の祈りに応えて、男を姫君に取り憑いていた牛飼と出会わせて、姫君を加護する験者の呪文を聞くことができるように導いた。
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