オーディオの楽しみ

一音楽ファンの目から見たオーディオのページです。いい音で音楽を聴けるのは至上の喜びです。


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ボブ・ディランがノーベル文学賞を受賞した。一時は受賞辞退かという憶測も流れたが、まずは関係者は胸をなでおろしているだろう。

ディラン・ファンの間では、ディランの詩の文学的な価値について疑う人はいない。ディランの詩は、音楽とは別に、常に特別なものと考えられ、一行一句を分析するディラノジストなる人たちもいる。またディランの反戦プロテスト・ソングは、大きな社会的な影響力を持ってきた。

しかし、ひやりと感じさせたのには理由もある。

 

一つには、ノーベル文学賞の性格だ。

ノーベル賞は、自然科学分野が数からいって中心をなす。その自然科学分野では、賞は業績を具体的に特定して与えられる。例えば、アインシュタインは1921年にノーベル物理学賞を受けているが、対象は相対論に対してではなく、光電効果に関してだ。当時、相対論(特殊相対論)は有名ではあっても、まだ斬新な仮説だったのだ。アインシュタインも他の問題では自分の誤りを正して自説を修正しているから、賞の在り方として、業績や論文を特定して与えられるというのは非常に賢明なことだと思う。

同様に、たいていの文学賞や音楽賞は、著作やアルバムを特定して授与される。作品というのは、作者にとっては子供のようなものであり、世に出た瞬間から独り歩きする。その生みの親として、子供たちが評価されることくらいうれしいことはないと思う。

ところがノーベル文学賞は、作品を具体的に特定せずに与えられる。我々は、川端康成や大江健三郎が受賞しているのは知っているが、特にどの作品ということではない。

このことはノーベル文学賞が、作品やそれを成し遂げた人というよりは、その人自身を表彰している印象を与える。これは、もちろん人生最高の名誉と感じる人もいるだろうが、常に新しいことに向かって創作活動をしている人の中には戸惑う向きもあるのではないだろうか。

 

もう一つは、このような賞の性格から、ディランの何が評価されたのかよく分からないことだ。

ディランは確かに、プロテスト・ソングで世に出た。例えば初期の代表的なプロテスト・ソングに、「ハッティ・キャロルの寂しい死」という、黒人女性を歌った歌がある。(アルバム「時代は変わる」所収)

「大農場主ウィリアム・ザンジンガーは、何をしたわけでもない小間使いのハッティ・キャロルをステッキで殺した。さあ、訳知り顔のあなたたち、今は涙するときではない。」「ウィリアム・ザンジンガーは逮捕されて裁判にかけられ公正な裁判官は刑期6カ月の判決を言い渡した。さあ、訳知り顔のあなたたち、今こそ涙する時だ。」

しかしディランの歌の中で、反戦歌や公民権運動の歌はむしろ少なく、ごく普通のラブ・ソングも歌っていた。

その流れの中で、社会の底辺で生きる麻薬常習者の不安な心理を歌ったとされる「ミスター・タンブリンマン」。私はこの曲が死ぬほど好きだが、「the twisted reach of crazy sorrow(気が狂うような悲しみがある折れ曲がったところ)」とか、「let me forget about today until tomorrow(今日のことは明日まで忘れよう)」といった表現は特に好きだ。

このあたりからフォーク・ロックへ向かい、アメリカン・ロックの新しい流れを創り出した。「ライク・ア・ローリング・ストーン」は、経済的な成功を収めた後も、無名で、無一文で、転落者だったときの心を持ち続け、いつまでも転がる石のように自由でいることを宣言したような歌だ(そうは言ってないけど。たぶん。一つの解釈。なんせこれは、すべてのロックン・ローラーにとってのバイブルのような歌だ)。

しかしその後は、再びプロテスト・ソングを歌ったりしている(ただ初期のように、経済的弱者を歌っているわけではない)。

ディランは、歌手としての最盛期が数回にわたって訪れている珍しいアーティストだ。創作活動は現在も非常に活発であり、最近はさすがに「老い」を扱った歌も聞かせる。

 

私はディランが好きだから(最近のディランが好きだとまでは言えないけど)、今年の4月に東京ドームシティホールで行われたコンサートに行っている。ディランは昔の歌はほとんど歌わず、最新アルバムからの甘い愛の歌が中心だった。雰囲気はほとんど歌謡ショーだったが、いいコンサートだった。ギターも持たず、ステージ中央のやや奥で手ぶりを加えながらバンドをバックに歌うディランを見て、私は、「この人は、フランク・シナトラが歌手だというのと同じ意味で歌手なのだ」と思った。つまり、本質的にはエンターテイナーなのだ。

ディラン自身は、singerなのかpoetなのかと問われて、singer-dancerだ、と答えたと伝えられる。

 

ディラン・ファンは、その人気を自分たちの目的のために使おうとして、ディランを偶像視してきた人たちがことごとく裏切られてきたことを知っている。ファンの願いは、ノーベル賞をもらっても、そんなこととは関係なく、ディランには自分の歌いたい歌を歌って欲しいということだ。

ディランの反応を「無礼で傲慢」と言ったスウェーデン・アカデミーの委員がそれで不満なら、こんなふうに答えるだけだろう。(ディランの歌ではないけど)

「(夜更けの電話 あなたでしょ 話すことなど 何もない)」

「疲れ果てたあなた 私の幻を愛したの」

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今年も9月30日(金)から10月2日(日)の間、東京インターナショナルフォーラムで、インターナショナルオーディオショウが開催された。私は最終日に行ってきた。

私はここ数年は、スピーカーを中心に聴いている。

 

意識しているわけではないのだが、いつもB&Wのスピーカーから聴き始めている。まずはこの音が基準と思うのかもしれないが、今年は新製品もあってその楽しみもあった。新しいD3シリーズはさすがにリアルだ。楽器がそこにあるように鳴る。

TADのスピーカーは、E1がアキュフェーズのブースで聴けた。もちろんアンプ類はアキュフェーズの最高級品だ。聴きながら、これ以上の音がいるだろうかと思った。ほとんどの人がこの国産システムで満足するだろう。

ヤマハのNS-5000も話題のスピーカーだ。こちらは、アンプはヤマハだがプレーヤーは自社品に拘らずアキュフェーズで、調音パネルを使ったこともあってか、森麻季さんの声が素晴らしくきれいに聴けた。この音なら、高級オーディオと胸を張って言うことが出来る。

それでも、ソナス・ファベールフランコ・セルブリンでヨーロッパの香りがする弦楽器の音色を聴くと、別な世界があることに改めて気づかされる。

そしてYGアコースティクスは、巨大な音の塊を揺ぎなく量感・質感たっぷりに聴かせて痺れた。これも全く違う世界を体験させてくれる。同じ印象は、マジコでも感じたが、こちらはより音が求心的だ。この2つのメーカーはアメリカらしく価格帯も凄いが、音の迫力もまた凄い。

ヴィヴィッド・オーディオは、黄色のG1 GIYAでレコードを聴いたが、ストレスなく響くアコースティック・ギターの音がなんとも生々しい。

そして最後はお約束のアヴァロン。まさにステージとの一体感、手を伸ばせば触れそうな音、と言われる通りの鳴り方で、新製品が少なくてもアメリカを代表するスピーカー・メーカーであることには変わりない。

全体を通じて欲しいとまで思わせたのは、YGアコースティクスのHeileyとアヴァロンのDiamondだろうか。みんな素晴らしい音だが、こうやって比較して聴くと、音質の違い以上にまばゆいばかりの文化の違いを感じる。それこそが海外製品の魅力であり、このショウの醍醐味だと思う。

 

もっぱらスピーカーに関心が向かうのは、東京インターナショナルオーディオショウが、本当に音の入り口に関する動きの中心にいるのだろうか、という思いがあるからだと思う。ネットワーク・プレーヤーは、TIDAL、roon、MQAの御三家に対応することが求められてくるだろうが、日本では今のところ他人事のようだ。日本の市場は、何か決定的に世界の動きから取り残されている。

また、今回のショウで気づいたことは、SACDの終焉がかなり公然と語られ始めたことだ。SACDプレーヤーという製品カテゴリーは、いよいよ幕引きの段階に入ってきた。特に海外市場ではきついだろう。より良い音とより良いライフスタイルを目指して、ネット・オーディオへの対応は待ったなしだ。

来年は「音展」がここで開かれるという。世界にキャッチアップして更にはリードする方向が見えるのか、こちらも楽しみだ。

 

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ソフトバンクの孫正義さんが、ARMの全株式を約3.3兆円で買収すると発表した。日本企業による海外企業の買収としては、過去最大級という。
で、ARMという企業だ。一般の人には馴染みのない名前だろう。だが、モバイル・コンピューティングの分野では、誰一人として知らない人のいないビッグ・ネームだ。

最近のコンピューターの動向をどう捉えるかというのは難問だ。PCからモバイルへとか、アップルの躍進という動きで捉えるのが一般的だが、ウィンドウズ・フォンが不調だったり、MacOSが勢いがないということがあったりして、一筋縄ではいかない。
しかしこれを視点を変えて、ハードウェアの「インテル・プロセッサーからARMプロセッサーへの移行」と捉えると、非常に単純に、かつ最も本質的に理解することが出来る。

インテルは、コンピューター・ハードウェアの覇者だ。しかしそのプロセッサーには問題点もあった。一つは価格、もう一つは消費電力だ。
価格が高いのは、パソコン用プロセッサーの製造をほとんど独占していることからきている。ARMは、プロセッサーの基本設計を行うのみで、製造はしない。ARMアーキテクチャーによるプロセッサーは、アップル(委託生産)、サムスン、クアルコムなどが作っており、激しい価格競争の中にある。
また、インテル・プロセッサーの消費電力が高いのは、命令セットの互換性を維持するために過去の設計思想を引きずっているからだ。ARMは、RISCプロセッサーの流れをくんでおり、新しい設計思想に立っている。ARMプロセッサーは、発熱が抑えられており、私が知る限り冷却ファンを持つものはない。
低価格と低発熱で、ARMプロセッサーは、特にモバイルの分野では向かうところ敵なしだ。

これらのプロセッサーが支えているソフトウェアの分野では、「WindowsからUnix(Linux、iOS、Android)への移行」が著しい。
そしてその勢いはモバイルに限らない。テレビも、メーカーは公表しないが、どんどんARMプロセッサーが組み込まれているはずだ。つまり、低価格、低発熱を武器に、汎用から単機能への流れが止まらないのだ。そしてそのほとんどが、孫さんも言うようにインターネットに繋がっている。
Windowsとインテルの組み合わせは、ウィン・テル連合などと呼ばれた。新しい組み合わせは、Unix-ARM連合とも言うべきもので、これを創り出したのはスティーブ・ジョブズ氏だ。そしてその流れは、Googleに引き継がれている。「これから100年間、インターネット一本で行く」と言ってきた孫さんも、そういう大きな流れの理解者に入れていいだろう。

ARMという会社は、イギリスのケンブリッジにある。ケンブリッジというところは、オックスフォードのように町の中に大学があるのではなく、大学の中に町がある。そのくらい浮世離れした特殊な雰囲気を持っている。こういう中で、プロセッサーの基本設計というのは神学あたりと相通ずるところがあって、他の会社が同じ土俵で太刀打ちするのは難しいという印象を持つ。
孫さんは出来るだろう。しかし後継者も決まらないようなソフトバンクに、このような最高頭脳ともいうべき会社の経営を導く人材がいるのだろうかというのは、単なる杞憂なのだろうか。

ARMプロセッサーは、オーディオにどういう影響を与えるだろうか。
今、オーディオで最も動きが大きいのは、ネットワーク・プレーヤー周りだ。これがどんどんコンピューターとしての性格を強めている。今までは、それを突き詰めるとインテル・プロセッサーを使ったWindows/Macintoshということになった。汎用機は依然として、ネットワーク・プレーヤーの王者だ。しかし、これからはARMプロセッサーを使った、LinuxやAndroid(またはiOS)による専用機が有望なのかもしれない。

ネットワークプレーヤー、DAC、NASなどが一体化ないしは接続が簡単になって、コンピューターという意識を持たなくてもよくなる日が近いづいているように思う。


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mqa

たまたま手にした米誌「The Absolute Sound」の今月号は、MQAと関連機器に関する19ページにわたる特集を組んでいる。記事は熱気に溢れたもので、デジタル・オーディオ革命が新しいフェーズに入ったことを感じさせるに十分なものだ。

MQA(Master Quality Authenticated)とは、英国Meridianの創業者・技術者ボブ・スチュアートが、英国人数学者ピーター・クレイヴァンと共同で開発した新しいデジタル・ファイルのフォーマットだ。単にもう一つのファイル・フォーマットというのにとどまらず、高忠実音、スタジオ・マスター品質ということに対しての新しい考え方に立った、画期的な技術だ。
この技術の特徴は、次の2点だ。
①音の時間軸上の「滲み」を除去したこと。(これにより音は劇的に改善されるという)
②ハイレゾ・ロスレス・ファイルであるにも関わらず、ビット・レートが1.3Mビット(CDが1.4Mビット)であること

音というのは、出た瞬間に出て、消えた瞬間に消えなければならない。それがナマ音だ。しかし、これまでのデジタル技術では、これが出来ない。
音声のデジタル化はサンプリングとフィルタリングにより行われるが、この技術は20世紀の前半に電信技術者のハリ―・ニキストにより開発され、更にクロード・シャノンによって定式化されたという。その時から現在まで、ローパス・フィルターの存在は不可欠とされ、これがCD品質だと、5ミリ秒の滲みをもたらすそうだ。つまり、出る前に滲み出て、消えてからも滲みが残るのだ(写真でいえばピンぼけのような状態だろう)。新しい技術は、これを10マイクロ秒、つまり事実上ゼロにしたという。このような技術の背景には、最近の脳神経科学の発達により、人間が音の時間軸方向に、これまで考えられていた以上に敏感であることが判明したことがある。
このことの音に対する改善効果は絶大で、単に声の入り方が自然になったとか、音の混濁がなくなったとかというだけでなく、音楽の音色、空気感、立体感、解像感、演奏者との距離感などが格段に改善されたという。「The Absolute Sound」の記事の執筆者ロバート・ハーレイ氏は、27年間オーディオ評論家としてあれやこれやのコンポーネントの音を比較して論評してきたが、MQAを前にするとそれらが何だったのかと感じる、と述べている。同氏はまた、「私の人生で最大の技術」とも述べている。
デジタルがアナログに比べて音が良くないと感じる最大の原因が、このことにあった可能性がある(音のキレ味に関しては、私はレコードがCDを上回っていると思う)。

また、ハイレゾは、音がいいのは当然として、ファイル・サイズがどんどん肥大化するのは考え物だ。その大半の信号が、音がよくなるのにはたいして関係ないのだ。
MQAでは、20Hz以上の信号は、可聴域のノイズフロアー以下の部分にカプセル化して押し込むという。対応するソフトで再生するとこの部分が展開される(対応しないソフトでは単に無視される。このあたり、オブジェクト・ベースのシアター・サウンド技術を連想させる)。それでいて音はたいていのハイレゾより良いという。

フィルターは、D/A変換(再生)だけでなく、A/D変換(録音)の際にも必要だ。したがって、スタジオ・マスター・ファイルにも悪影響を与えている。録音機材さえ特定できれば、過去の録音でもフィルターの影響を除去できる。MQAがしばしば、スタジオ・マスター・ファイル以上の音質を持つと言われるのは、このためだ。
これにより、「スタジオ・マスター品質」というのは、演奏者がスタジオで奏でたアナログの音の再現、というように再定義が必要となる。われわれはその音を知らないが、MQAでは再現可能ということだ。
MQAは、既存のデジタル音源、アナログ音源すべてのデジタル再生に音質改善効果がある。また、その恩恵はポータブル・プレーヤーから大型ステレオ・システムまで及ぶ。そしてPCMベースのほとんどのファイル形式をコンテナとして使え、それらは通常のファイルとしてなら、たいていの再生環境で再生できる。ビットレートが低いことからストリーミングにも使え、TIDALが採用する意向を示している。

日本はハイレゾ先進国だから、MQAの導入もトップを走っている。e-onkyoでも、最近、配信が始まった。ただ、日本では②のファイル・サイズのことばかりが取り上げられているように思う。私も雑誌の記事とかから、そういう印象しか持っていなかった。対応機器も今のところモバイルぐらいだが、海外では夏ごろまでにはあらゆる価格帯で揃うらしい。
早速、e-onkyoで買ってみた。foobar2000で、通常のflacファイルとして再生は可能だ。その場合、e-onkyoではCD品質としているが、「The Absolute Sound」ではCDよりちょっといい程度としている。私の耳では、CDよりかなりいいと思うが、これはそもそも録音がいいからかもしれない(いい加減)。いずれにせよ、本格的にはこれからだ。
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aitec

AiTEC社の「Λ3.16mini The Premium」というアクセサリーを導入した。昨年末から使っていて、もう3か月くらいになる。手のひらに収まるほどの小さなもので12万円強する。これをスピーカーの中央前方に置くだけだ。
効果は絶大で、音場はスピーカーを一回り大きなものにしたのかと思うほどに拡がる。音に躍動感が出て、臨場感も増す。いまや、必須アイテムになっている。

「置くだけで音が良くなる」というアクセサリーは他にもある。何かオカルト的で、関心を持ったことはなかった。これに興味を持ったのは、「オーディオアクセサリー」誌の「アクセサリー銘機賞」で「特別開発大賞」と「金賞」を受賞したからだ。
そしてこれがどうも、電磁波や静電気対策に関係しているらしいことが分かった時点で、購入することを決めた。電磁波も静電気も実体のあるもので、計測も出来る。音には確実にマイナスの影響を与える。その対策であれば、オカルトとは言えない。
ただ、同社のホームページを見ても、原理についてはほとんど何も書いていない。この手のものは、アイデアが全てで、マネをされるからだろうか。それはそれで、理解できる。

置く場所は、2つのスピーカーを結んだ線の中央から、手前22cmのところが一番いいという。ただ、これは厳密ではないようだ。最初に設置した場合は、効果が出るまで20秒くらいかかるという。
基本的に一家に一台で、25m以内に2台置くと干渉するので、勧められないようだ。効果をなくしたいときは、上下を逆さにすればいいらしい。

音は、まず音場が、左右、上下、後方に拡がる。この効果は非常に大きく、スピーカーを大きなものに替えたのかと思うほどだ。私は、どちらかというと音場がこじんまりして、楽器がある一定の範囲に収まってくれるような鳴り方が好きだと思っていた。ところが、この音場の広さは一度味わっていますともう戻れない。スピーカーの周りに広大な音場が現れる。
そして、音域も拡がる。特に低域方向は、ゆったりと音が拡がる。これも、一度味わうと元に戻れない。
また、音楽にナマ音が持っている躍動感、臨場感が加わる。何か、押さえつけられていたものが開放されたような感じだ。
買って初めてこれを聴いていると、家人が帰ってきて部屋に入るなり「なにこれ-、全然違う!」と言った。
要は、音の何にいいというより、全てにいいのだ。

この製品は、画質にもいいという。また、PCオーディオにもいい。一家に一台だから、持ち歩くことになる。私は、PCで音楽を聴くときには、PCのところまで持ち歩いている。

原理がよく分からないことから、心配になるのは健康に対する影響だろう。しかし、音にいいものは、たいていは健康にもいいと思うしかない。電磁波自体が健康には良くないのだから、その対策をして健康に良くないはずがない。これも、「オーディオアクセサリー」誌でチェックされているものと信頼しよう。

音楽には、格段の臨場感が増した。何かを人為的に工夫したというより、悪さをしていたものを除去したという感じだ。これが本来的な音なのだろう。
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beatles1

これを待っていた。
ビートルズのアルバムはCD化が遅れ、やっと出てきたときには「アナログの柔らかい音を目指していた」などと言い訳を言っていたが、その割に音は良くなかった。
それで、2009年にリマスター盤なるものが出てきて、ファンは相当に期待したが、所詮はEMIのフツーの技師の仕事であり、その期待は満たされなかった。
しかしファンは諦めなかった。なんせ、「LOVE」や「Let It Be Naked」の音は素晴らしいのだ。「LOVE」のようにオリジナル・テープに遡って、ジャイルズ・マーチンがリミックスすれば、ビートルズはもっといい音で蘇るはずだ...。

今回は遂にと言うべきか、オリジナル・テープに遡って、ジャイルズ・マーチンが編集し直したリミックス盤だ。ジャイルズ・マーチンは、ビートルズのほとんどの曲をプロデュースしたジョージ・マーチンを父親に持つ人で、ジョージ・マーチンが高齢であることを考えると、現時点でこれ以上リミックスに適任の人はいない。もちろん、一聴したところ同じ音楽だが、定位感が改善され、音はリアリティが増しており、何より音楽的な感興が向上している。(日本盤はさらにSHMだ)

「イエスタディ」は、最初のギターから生々しいが、ポールの声がごく自然にそこにいるような雰囲気で再生される。「ゲット・バック」は、ギターやドラムスのそれぞれの音の実在感があるので、シンプルで力強いパートが重なり合って、楽曲がメンバーの掛け合いで出来上がっていく様が手に取るように分かる。「ジョンとヨーコのバラード」での、左右にチョロチョロ鳴るギターの音の何とチャーミングなこと!ジョンとポールのコーラスとなる最後の節に向かって、音楽と言葉が盛り上がっていく素晴らしさが、生々しいベース・ギターが響く中で堪能できる。
旧盤の「1」がわずかに持っていた硬さが取れて、音は全体に自然のふくらみを持っているので、ステージの空間感があり、演奏に接していると実感を持つことが出来る。これまでのCDでは、「夢中になって聴いたレコードの音は、本当にこれだったんだろうか?」という思いがどうしても消えなくて、あと一つ没入できなかった。
今回の新盤を夢見心地で聴きながら、私は、「やっと、この音で聴けた」という感慨にしばしふけった。
ここに収められた27曲は、ヒット・チャートの1位を取ったものを集めたものだ。当然に誰にとってもビートルズのベスト27曲という訳ではない。「ラバー・ソウル」や「サージェント・ペッパーズ」や「ホワイト・アルバム」からは1曲も入っていない。ビートルズの他の全てのオリジナル・アルバムも、ぜひこの音でリミックスしてほしいものだ。

私が買ったのはBD盤付きのものだ。ミュージック・ビデオの画質も、コンピューター処理により見違えるほど改善されている。

(追記)2015.3.14
ジョージ・マーチンが死んだ。90歳という。ジョージ・マーチンは5人目のビートルズと言われたが、私はこの5人の中では、3番目か4番目くらいに好きではないかと思う。
ジョージ・マーチンは、ビートルズのほとんどをプロデュースしたと言われるが、プロデュースしなかったアルバムもある。それは「Let It Be」で、フィル・スペクターがプロデュースした。私は、女声合唱まで入れてポールが激怒したというこのアルバムが大嫌いだ。これは編集し直した「Let It Be Naked」が、音質まで含めて断然いい。
アルバム全体はプロデュースしても、プロデュースしなかった曲というのもあって、「Sargent Pepper's Lonely Hearts Club Band」中の「She's Leaving Home」だ。私はこの曲は、ビートルズの中でも1,2を争うほどに好きだ。
ジョージ・マーチンの最高傑作は、「Abbey Road」だ。
最後にプロデュースしたのは、おそらく「LOVE」中の「While My Guitar Gently Weeps」だろう。ジョージの死後、残されたボーカルの別バージョンを使ってプロデュースしている。涙モノの出来だ。
ジョージ・マーチンは、ジョンの最高作は「Strawberry Fields Forever」だと言っている。おそらく自分自身が入れた効果音がよほど気に入っていたのだろう。しかしマーチン自身の述懐によると、ジョンは、自分たちだけで取りなおしたい曲の筆頭にその曲を挙げていたという。
ご冥福をお祈りします。
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オーディオ・ホームシアター展(音展)に行ってきた。
インターナショナルオーディオショウが海外のオーディオ・ブランドが中心であるのに対し、こちらは国内のオーディオ・メーカーが中心だ。モノづくりの現場を見せてもらうようなところがあり、売るためであるのと同時に、モノづくりへのフィードバックの役割も持っているように思う。
インシュレーター、ヘッドフォンから高価なステレオ・システムまで色とりどり、メーカーの規模も大・中・小と幅広いが、どのブースからもいい音を目指してのモノづくりへの情熱のようなものを感じた。
内容的な特徴としては、比較的にネットワーク系が充実していることが挙げられるだろうか。
もう一つの特徴として、映像系(液晶テレビなど)が入っていることも挙げられる。

ソニー、Technicsといった大手は、ネットを志向して新たな提案を行っているが、PCレスの方向に向かっていることがはっきりと窺えた。Technicsのネット対応システム・コンポは、はっきりと女性がターゲットであることが実感される音作りで、ゆったりとした時間を過ごすために、食堂兼居間あたりに合いそうだ。
アンプ、スピーカーの聴き比べも面白かった。ヤマハやパイオニアのアンプを、デノンのCD/SACDプレーヤー、フォステクスのスピーカー、ヤマハの調音パネルで聴いた音は、品が良くて開放的、どれも思わず聴き入った。20万円クラスの製品でも、音はずいぶん明るくて良くなっていると思う。
超高級システムでは、ダイヤソウルのスピーカー。ウーハー用のパワーアンプが内蔵で、ペアで1000万円。ライブ音源を聴いたが、ピュアでクリーンな音、ライブ会場が彷彿とされるような見通しのいいリアルな音場感が忘れられない。

映像関係では、何と言っても実用化間近いHDR(High Dynamic Range)に熱気を感じた。画質に与えるインパクトは、補間が効く高精細化より大きいという人もいる。HDRはデジタル映像の最大の弱点であった、輝度ダイナミック・レンジの不足(要は、白飛びと暗部つぶれ)にメスが入ったものだ。これにより画像には、一層の陰影感、奥行感が加わっていた。
ネット・オーディオと映像とを並べるのもいい機会だと思った。テレビは大きくなっているのと同時に、小さくなっている。若い人の映像関係の関心は、圧倒的にスマホ/タブレットが中心だ。4Kとこれらの相性は抜群だから、次の技術革新は、このあたりの新しくて楽しい使い方から生まれてくるかもしれない。

テレビの地上波などがネットや光ファイバーなどを通じて4K規格で見られるようになり、劣位規格であるインターレスがなくなって、スマホから大画面テレビまでスケーラブルな高品位動画環境が実現し、一方では、イヤホンからスピーカーに至るまでTIDALなどで豊富な非圧縮音源が横断的に提供されるようになれば、私たちのAV環境、さらには生活空間はずいぶん上質でリッチなものになるだろう。
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Apple Musicが始まり、デジタル・オーディオがストリーミングの方向に進むことがかなり鮮明になる中での、ハイエンド・オーディオショウ。

今回、色々な意味で最も印象に残ったのは、タイムロードのブース。入るといきなり非常に躍動感のある音が鳴っているので何を演奏しているのかと思って席に着くと、なんとiPhoneから有線ケーブル(カメラ・アダプタ+USBケーブル)でCHORDのDAC、HugoTTに信号を入れて、CHORDのパワーアンプ経由で、TADのスピーカーCE1を鳴らしている。iPhoneをCDプレーヤーに代えても演奏したが、音はiPhoneからの方が鮮明に聴こえた。新しいDAC、DAVEによるハイレゾDSDファイルの試演も行って、音自体はその方がステージのライブ感の再現という点で上だったが、体験という意味ではiPhoneの方が強烈だった。
このブースは、定在波対策からか、部屋を斜めに使って(こんなのは初めてだ)平行面の壁を排し、柱状拡散体を配するなどの音響処理をしていたことも、音の躍動感に影響を与えただろう。完成度の高いTADのスピーカーの豪快な鳴りっぷりももちろん寄与したと思う。
私はここ数年はスピーカーを中心に聴いているが、Franco SerblinやYG Acousticsなど有名どころは当然にどれもそれぞれに個性があっていい。珍しいところでは、ハイエンドのブースでドイツのLansche Audioのアクティブ・スピーカーNo.4.1が透明感の高い高音域に、それでいて低音も伸びているという、他のスピーカーがローズウッドとすればヒノキの無垢材のような、アナログにも通じるピュアな音を聴かせていて印象的だった(アンプはEMM Labs)。
あと印象の残ったものと言えば、レコードと真空管。心が落ち着いて心地いい時間が過ごせる。オーディオを部門別にみると、世界的に伸び率が最も高いのはレコードだそうだ。アメリカでは、レコードを買っている人の半分は25歳以下という調査もある。(MusicWatch

一方で今回改めて感じたのは、現代のデジタル・オーディオの最前線を引っ張っている多くの海外ブランド(Weiss、LUMINなど)が、このショウには出ていないことだ。それでいいのだろうか、という気はした。

CD品質、あるいはハイレゾ品質の音楽信号が、ストリーミングで(それにダウンロードも併用できて)ステレオ・システムに直接入って来れば、我々の音楽ライフは一変するだろう。中心となる機器としては、USB-DAC(A/B端子)付きのネットワーク・プレーヤーが有力だ。それに加えて、現状では、膨大な非圧縮音源を持つTIDALにつながることが必須となるだろう(日本ではまだだが。Apple Musicは同じ圧縮音源であるGoogle Play MusicやKKBoxに比べても音が良くない)。
問題はそこへの信号の経路だが、多くの家庭で一般的になりつつある無線LANでもよいが、音質上は不利だ。各部屋にある有線端子としては、テレビの引き込み線がある。これは、インターネットに使えないことはないから、LAN端子が理想としても、現実的にはここらあたりが狙われるのだろうか。
数年来続いていた音の入口の混乱が収束して、今は長い革命の入口に立っていて、その向こうにはいい音と豊かで楽しい音楽ライフが待ち受けているのだと信じたい。
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ザ・ビーチ・ボーイズの中心的存在だったブライアン・ウィルソンの伝記映画「ラブ&マーシー 終わらないメロディー」を観た。今は誰もが最高作と認めるアルバム「ペット・サウンズ」の成立と、その後のブライアンの精神の病を診断され精神科医の監視下に置かれる生活に焦点を当てたもので、今はもう歴史となりつつある初期のロックン・ロールの歩みの一コマを見る思いがした。

ビーチ・ボーイズは、ブライアン・ウィルソンとその2人の弟、従兄弟のマイク・ラブらによる、1960年代前半から中葉にかけて全盛期を迎えたカリフォルニアのグループだ。マネージャーでもあった父親がサーフィンの明るいイメージで売り出したが、ブライアンはサーファーでもなく、スタジオ引き籠りのような人で、ここに父親との確執が生まれた。
映画はブライアンその人に焦点を当てているが、音楽ファンとしてはどうしても、当時の音楽的背景に関心が向かう。

1950年代のアメリカ音楽を代表するのはエルビス・プレスリーのロックだ。しかし1960年代に入ると、東海岸ではボブ・ディランが出て社会性の強いフォーク・ソングを歌うようになる。それに対して、西海岸ではこのビーチ・ボーイズがアメリカの豊かさを象徴するかのようなハッピーな歌を歌っていた。
そんな中でアメリカ音楽界を襲ったのが、ビートルズ、ローリング・ストーンズといった強烈なリズムを持ったブリティッシュ・ロックだ。
ブライアンは、ビートルズのトータル・アルバム「ラバー・ソウル」に衝撃を受け、アルバムを全体として世に問うような作品を作りたいと思うようになる。そうして生まれたのが、この傑作「ペット・サウンズ」だ。

1966年発表のこのアルバムは、ブライアンがステージ・ツアーを離れ、ほとんど単独でスタジオ・ミュージシャンと作り上げたもので(なんでもスタジオに動物たちを入れたらしい)、ツアーから戻った他のメンバーがそれにコーラス、ボーカルを加えて完成された。
このアルバムのサウンド作りは、一方ではビートルズの注目するところとなり、史上初めてのコンセプト・アルバムと言われる「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」に影響を与えた。
全体として愛の諸相を歌うトータル・アルバムとなっているが、今聴くと、一番いいと思うのはトラッド・ソング「スループ・ジョン・B」だったりする。スループ・ジョン・Bとは、これからやっとの思いで帰郷の航海に出ようとする船の名前で、はやる想いが一点の曇りもない晴天の空のように、マイクの張りのある声で、ブライアンらのノリのいいファルセット・コーラスをバックに、素晴らしいアレンジで歌われる。
もちろん、「素敵じゃないか」「神のみぞ知る」といった名曲を始めとして、どの曲も何度聴いても飽きることがない。

60年代後半に入ると、ディランがロックを取り入れメッセージ性の強いフォーク・ロックを始め、やがてそれがアメリカン・ロックの主流となっていった。ベトナム戦争など、アメリカは次第に深刻な社会問題を抱え始めるのだ。
そういう風潮の中、「ペット・サウンズ」はいくらか翳りのある歌を含み(と言っても失恋まではいかない。それはファミリー・バンドのビーチ・ボーイズには似合わない)、これが他のメンバーとの路線上の確執をも生み、そのためほとんど完成していた次作「SMiLE」はマイクの反対で発売中止に追い込まれ、以後ビーチ・ボーイズは離散・集合を繰り返すこととなる。
ブライアンは、作曲、ボーカルのほかにプロデュースまでもこなし、その音楽的な才能に関しては、専門家の間でも評価が非常に高い。しかし物静かな印象を与える人で、基本的に作詞家ではないため、音楽以外に何を考えていたのかよく分からない面がある。現在、実際に接触した人たちは一様に、人間的には素晴らしい人であると言っている。
1960年代後半以降、特段のメッセージ性のないビーチ・ボーイズの歌は、次第にロック・シーンには居場所をなくしていったという印象を持つ。(もっとも、アメリカン・ロックそのものが勢いを失っていったという事情もある。ロックはアメリカで生まれたが、それが開花したのはイギリスだったのだ)

最新CDは、オリジナルのモノ版のほか、ステレオ・ミックス版も含まれる。オーディオ・ファンにとっては価値の差は圧倒的で、ステレオ版が断然素晴らしい。

映画の上映場所は、有楽町ビックカメラの最上階にある映画館。音楽映画をよく上映するところだ。
上映後、満席の劇場を出ると、この日は初日で午前の第1回目の上映だったためか出口調査に会い、「鑑賞後の満足度は100点満点では何点ですか?」と訊かれた。とっさに「90点」と答えた。一緒に見た人も訊かれたようで、やはり90点と答えたと言っていた。
お約束通り、最後は爽やかなハッピーエンドだ。


[付記] 復帰したブライアン・ウィルソンが、2002年にロンドンで開いた「ペット・サウンズ」の演奏会の様子が、YouTubeで見ることが出来ます。
また、「ペット・サウンズ」について書かれた本に、ジム・フジーリ「ペット・サウンズ」(村上春樹訳、新潮文庫)があります。内容は、「ペット・サウンズ」の成り立ち、ブライアンのこと、曲目のことなどについてのエッセイです。
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ankh

リスニング・ルームの音響アクセサリーとして、日東紡音響エンジニアリング製のANKH-III(アンクミニ)を数か月前に導入した。最近、いろんな機会に広告を目にする製品だ。決して安いものではなく、片手で持てるような小型品だが、10万円ほどする。
オーディオ・アクセサリーにどの程度の改善効果を期待するかによって言い方は変わるだろうが、私にとってはこれ一つで、「劇的に改善する」と言ってもいいほど、改善効果は大きい。もうこれなしには考えられないほどだ。
同社のホームページには、
「左右スピーカーの間に置いていただくだけで解像度が上がり、音場に奥行感が出てきます。音像定位もいっそう明確になります。音の響きが整い楽音のクオリティが上がるため、リアリティ感が高まります。」
とあるが、まったくその通りの効果がある。

[きっかけ]
私のリスニング・ルームは、正面がスライド式ドアになっていて、夜はカーテンを閉めて聴く。私は、昔から何の疑問もなく、カーテンは吸音効果があるので音にはいいと理屈で思いこんでいた。ただ改めて考えると、実感としてそういうことを感じたことは一度もないのだが。音楽を聴くのはたいていは夜で、聴き比べる機会もあまりなかったからかもしれない。
ある休日の午前、カーテンを開けてステレオを聴いていると、いつもよりピアノの音がクリアに聴こえることに気が付いた。それで、同じソースを夜、カーテンを閉めた状態で聴くと、昼より歪があるように感じた。カーテンがない方がいいのだ。
それで、どうすればよいのか考えてみた。少なくとも、吸音材ではない。

[吸音と拡散]
吸音でなければ、拡散ということになる。
音の拡散体というは、以前から導入を考えていた。昔から有名なのは、米国QRD社の「Diffusor/ディフューザー」で、かなり真剣に検討したときもあったが、結局は部屋でかさばることを考えてためらった。リスニング専門の部屋ではないし、音楽を聴かないときのことも考えなければならない。
それで、広告でよく見る柱状拡散体のことを思い出した。販売店に行って試聴させてもらい、効果がはっきり分かったので、その場で購入を決めた。

[使い方]
使い方は簡単で、左右のスピーカーの間に置くだけだ。ただ、位置は、スピーカーの奥でも手前でもいい。効果は異なって、奥に置いた場合は、左右の広がりに効果があり、手前に置いた場合は奥行の方向に効果がある。部屋のどこに置いても何らかの効果があるから、試して使うもののようだ。私の場合は、スピーカーの間の手前に置いている。
材質は、タモ材という。家具などに使われる、ごく普通の木材で、たいていの部屋で違和感を感じるようなものではない。
(シリーズ中には、部屋の角に置くもの、サイドの壁に置くもの、天井に置くものなどが用意されている。アンクミニは、最も手軽で安価な部類に入る。)

[音]
音はまず、クリアになる。音に纏わり付いている余計な付帯音が取り除かれるような感じだ。とにかく自然な音になる、というのに尽きるだろう。音を良くしたと言うより、電気処理をする以前の音に戻したという印象だ。クリアになる分、定位もはっきりしてくる。奏者が左右のスピーカーのどのあたりにいるのかが、見えてくるような感じで、リアルさは一層増す。
どんなアクセサリーにも「固有音」のようなものがあって、何らかの音色が加わるものだ。私が外国製品にこだわるのは、国産製品は物理特性が改善されても、何か音色から華のようなものが失われるような気がするからだ。
このANKHの場合は、導入当初からそういう印象がなかった。音は、「高級になる」。音響処理を行ったオーディオ・ショーの部屋やスタジオで音楽を聴かせてもらう時に感じるような音の高級感がある。精気や艶やかさも増す。この印象は、数か月たった現在も変わらない。特にその副作用と言ってもないと思う。音は単純に良くなるだけだ。(こういうアクセサリーは珍しい)
同社のホームページを見ると、もともとは、放送局やスタジオの音響設計をするのが本業で、NHKを始めとしてそうそうたる納入実績を誇り、コンシューマー市場はその延長にあるような会社のようだ。音の印象とはまったく符合する。

[余談]
私の環境では、カーテンはない方がいい。夜にカーテンをしないわけにはいかないが、その際にはレースのカーテンは畳むようにしている。その方が、高音域はクリアだ。
ANKHにはまだ大きなものもあるので、本格的に導入すると数十万円から百万単位になるようだ。私の部屋は幸か不幸か、構造上、これ以上の導入は無理だ。
また、周波数特性の補正を行うものではないから、ある意味で安心して導入できる。もし周波数特性の補正が目的なら、それは吸音材ということになるだろう。私の場合、低音をやや上げるために、クリプトン社のMystic Whiteという吸音シートを1枚使っていて、相当の効果がある(ただし当然に高域のある種の成分が失われるという副作用はある。周波数のどの帯域にどう影響があるかは吸音材ごとに違う)。
ルーム・チューニングは面倒なので、最近はアンプ類で自動補正するようなアプローチもあるようだ。
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