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さようならゲイリーリーブス

7月19日土曜日にナバホ族のシルバースミス、ゲイリーリーブス氏が永眠されました。IFPの最初のメンバーでもあり、残念でなりませんが今は感謝の気持ちしかありません。
週末でもあり、好きなお酒を飲んだ後の出来事で、せめてもの救いは奥さんに発見されたことでしょうか。朝早くにギャラップのIMC(インディアン専用の病院)に運ばれた時には既に手遅れだったそうです。
僕がバイクでゲイリーの自宅に行くと自分のバイク歴をすごく嬉しそうに話していたのを思い出して、胸が苦しくなります。ハーレー買おうかなって言ってたのに、、、、。それは叶わなかったけど、天国で好きなだけ飲めることを切に祈ります。
兄弟のサンシャインリーブスやアンディキャドマンに次に会った時には、彼らもお酒が大好きですので気を付けるように話すつもりです。
ゲイリー、長い間ご苦労様でした。そして有難うございました。

宮城県石巻市震災奨学金の受け渡しに教育委員会と福祉施設での炊き出し&交流会に行ってきました

リトルクラウドの新島です。

3月27日、石巻市役所内、石巻教育委員会に先日アメリカの友人たち提供のチャリティージュエリーの分を震災児童奨学金として託してきました。
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チャリティージュエリー4点総額・396、200円のところ、ヤフーオークション手数料21、220円を差し引いた金額は374、980円ですが、キリのいい金額ということで375、000円を受け渡してきました。
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そして、チャリティーオークションで落差し、ご協力いただいた4人の方、どうもありがとうございました!

アメリカで2年前に預かったみんなの思いをこうして義援金という形で受け渡すことが出来て、ぼくも正直肩の荷がおりました(笑)

<インディアン・フレンドシップ・プロジェクト>を立ち上げて、3年間・・・・

チャリティーTシャツを作ろう・・・・から始まって、まずはそれのデザインにホールマーク(刻印)を使って、ぼくらインディアンジュエリー店にしか出来ない、ぼくららしい形のものを・・・・ってことで、アメリカで話を進め、インディアンアーティストたちの賛同があって、それを聞いた<ギャラップ・セレモ二アル>の実行委員のひとたちの賛同があって、先日の写真展の出来事があって・・・で、それを聞いたギャラップやニューメキシコ州都アルバカーキの名だたるトレーディングポストのオーナーたちからのチャリティージュエリーの提供があって・・・・

日本サイドでも、ウチのお店に来ていただいてる縁でお願いして、Tシャツとフライヤーデザインをチャリティーで快諾してくれて、先日、写真と映像展をやってくれたアートディレクターの佐々木さんに始まり、その出来上がったTシャツを販売・もしくはお客様に配るためのノベルティとして購入してくれた同業者のインディアンジュエリー店やアパレルショップ様だったり、スタッフ全員分のワークウエアとして採用してくれたぼくの友人の会社や自動車やバイクガレージのみなさま・・・・

そして、なによりも・・・・チャリティーTシャツやジュエリーを賛同し、買ってくれた、全国各地のみなさまの思いや祈り・・・・

そんなふうに、ひとの善意や思いやりがひとつひとつ細い糸でつながっていって・・・・

ぼくひとりでは何も出来なかったし、ほんとうにみなさまのあたたかい思いや祈りに感謝しますし、こうしていつもそれをつなげる役目を担わせていただいてることに感謝します。

※また、今回の東北行きの交通費もそれにかかる経費、当時のアメリカでの旅費、経費も、すべてぼく個人で自己負担して行っていますので、みなさまから預かった金額にはいっさい手をつけていません。

本当だったら2月末~3月11日頃に行きたかったのですが、2月は2週も大雪に降られて、車もノーマルタイヤだし、なによりも・・・ぶっちゃけお店の経営が危機的状況でしたので、あれこれやりくりしてたらもう3月末で・・・・そうこうしてるうちにアメリカ出発も31日だし、資金繰りも店のシフトもあるし・・・・でも、もしアメリカの旅の途中に万が一のことがあったら、このお金はどうしよう・・・・って思ったり・・・・で、先日の六本木ビリオンでの写真展の際、いろいろな方とお会いし、話をして・・・・やっぱり今しかない・・・・と、1泊2日のスケジュールで行ってきました。

で、コチラは昨年6月の石巻を訪ねた時のブログ・・・・

インディアンフレンドシッププロジェクトとセレモニアル義援金を宮城県石巻の3箇所に受け渡しました

2013-06-16 22:05:55
テーマ:

http://ameblo.jp/littlecloud-isarock/entry-11552052065.html

そして今回は義援金を渡すこともですが、もう一個の目的がありました。

上の以前のブログを見ていただくとわかりやすいかと思います・・・・

昨年、<石巻スコッパーズ>瀬戸さんと訪ねた社会福祉法人・石巻祥心会さんで、瀬戸さんがチャリティーイベントをやるということで、代官山の主婦の方とその娘さんの同級生や、その方が所属してる生協パルシステムの方々などなどで、炊き出しをすることになりまして、そのお手伝いもしてきました~~~
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イトーヨーカドーさんのうどんとプリンのご協力、パルシステムさんから食材や備品のご協力もありまして、みんなで150食のけんちんとん汁うどんを作りました~~~

で、食事後は施設の方とスコップ三味線で交流^_^
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ぼくらも踊りの輪に加わって短い間でしたが楽しい時間を持つことが出来ました~
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で、チャリティーTシャツ分の10枚分12、000円を、いつもぼくらと被災地をつなげてくれてる石巻スコッパーズ瀬戸さんの活動資金として手渡してきました。
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瀬戸さんはどこかの団体に所属するわけではなく、スコップ三味線の公演を通して、おひとりであちこちの施設や仮設住宅を回っていたり、震災関連のイベントに呼ばれてたりして、それも毎度毎度交通費や経費の出るイベントばかりでなく、自腹でやっています・・・・

自宅は津波は来たけど全壊したわけではなく、今住めてるわけだから、みんなに申し訳ない・・・・少しでもみんなが笑えることを手助けできればと、草の根的な活動をずっと続けられてて・・・・

今回の津波で自分も含め、ひとは何もできない。被災したひとに対しても出来ることは限られてるけど、せっかく縁あって繋がったひとだけでも顔を見に行っておしゃべりしたり何かしてないと自分だけ無事でほんと申し訳ない気持ちでいっぱいになっちゃうから、自分のこころの落としどころを探して、こうして自分を必要としてくれるところがあれば、どこでも行っちゃうんだ・・・・自分がそうしたいからしてるだけだと・・・・

ぼくも、瀬戸さんほどではないけど、同じような気持ちを持ってて、結局この震災に対して、自然に対してもひとに対しても微々たることしかできなくて・・・・

自分の身の回りのひとたちが元気で笑ってることが自分の幸せだってこと・・・・

インディアンも日本人も・・・・すべてのひととしての根幹は一緒なんだよね・・・・

で・・・・前のブログでも触れましたが、震災直後は仮設の体育館の安置所で、ご遺体のお清めや衣服、遺品などをきれいにして、ご遺族につなぐ仕事もやったりして、多くの悲しみと儚さをを目にしてきた来た瀬戸さんのひととしての行動・・・・陰ながら応援させていただきます・・・・

ちなみに石巻の近郊の方、瀬戸さんがこんな教室もやってるので、興味のある方は是非~~~
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で、26日の道中・・・・朝7時に西東京の自宅を車で出発・・・・

練馬大泉で外環に乗るも、朝のラッシュということでまんまと渋滞にハマり、東北道の入口・浦和料金所に行くまでで小1時間・・・・

途中、宇都宮の先の上河内サービスエリアで朝からギョーザ・・・・
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けっこうヘビーでした(;_;)

で、12時くらいに宮城県菅生サービスエリアでランチ
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牛タン定食と十割そば・・・・

で、フリーペーパー見てたら奥松島に縄文村があるとのことで、宿は塩釜に取ったのですが、それを超えてまで遠出して行ってみたら・・・・

が~~~んんん(°д°)
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休館日でした・・・・
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奥松島に向かう道もほぼ復興関連のダンプ以外、普通乗用車はほぼ走ってない状態で、途中工事箇所や未舗装のところもあって・・・・

この東松島市野蒜地区・・・・街がすっかりこの運河を残して無くなっちゃってることから、被害がどれほどのものだったのか・・・
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時々すれちがうダンプとぽつんぽつんと工事現場のプレハブしかない街の中心県道27号線を走って松島海岸に向かう途中にこんなドライブインを発見・・・
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足の悪い真っ白な頭をしたおばあちゃんがやってる店?休憩所でした・・・

ちょっとお話したところ、東松島市のこの野蒜地区だけで500人が亡くなり、街も川の両サイドにあったんだけど、それがすっかり流されてしまったと・・・・

…で、ここは元は自動車修理工場の仮設ドライブインみたいなことをやってて・・・写真などもあり、当日の話しを聞かせてくれた。


足が悪く高台に逃げられなかったから家の中でどんどん水かさのが増し、泥水を飲みながらもどうにか柱にしがみつき助かったと…


で、旦那さんはそのとき学校のそばにいて、体育館にしがみつき助かったと…


そんな頂いた生命だから、地域の方の物産を売ったり、支援に来てくれてる方々のためになにかしたいと、たくさんのボランティアの支えもあってこんなことをしてると…


その後、震災から3年ぶりにこの土地を訪れましたという主婦の方が来たので、一緒に話を伺ってたのですが、震災後、子供もいたので避難所や仮設には入らずどこか親戚のところに行って、そのまま新しい土地での暮らしが始まってしまい、なかなか帰れず・・・・この3年、知り合いが無事なのか、今はどうしてるのかとか聞きたくても聞けるひとがいなくて、ひとまず帰ってきたものの、何もなくなっちゃっていて、途方にくれていたところ、看板を見て立ち止まったと・・・・地元の方の込み入った話になってきたので、ぼくはこの辺で退座したのですが、そういう情報交換の場にもなってるようです。



もし、近くを通ることあったら是非寄ってみてください。

観光でもなんでも、全国いろいろなところからひとに来ていただけるのが嬉しいんだとおばあちゃんが言ってました~~~

ちなみに、ぼくは焼き海苔やらワカメやらいろいろ買い込みました~~

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その後は松島水族館マリンピアへ・・・・
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小ぶりな水族館ですが、ショーやイベントもあって、夕方3時に滑り込んだのですが、5時閉園時間まで楽しみました~~~

今日までの復興の道のりとして、震災時の様子なども展示されてて、日頃の訓練から、当日もお客様を高台に避難させたりスムーズに出来、人的被害は無かったことなどありまして、防災意識というものはぼくら都会の人間は希薄ですが、そのへんはみんなが今後意識していかないとな・・・と
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で・・・・どうやらペンギンがここの売りらしく、お散歩タイムは大盛況でした~~
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平日夕方とはいえ、春休みシーズンでこれですので、皆様是非、行楽シーズンに東北行きを考えてる方がいましたら、よってみてください!!!!

ちなみに、売店で新鮮な海の幸・・・・焼きカキ、つぶ貝、サザエ、とうもろこしなど現地ならではのラインナップで、ぼくはカキととうもろこしで500円!でした。

運転じゃなければアシカショー見ながらビールもいいかと思います(笑)

長くなりましたが、今回もいろいろなことを感じ、いろんな出会いもあり、正直行き帰りのロングドライブは疲れて、今も疲労は継続中ですが、ぼく自身、行ってよかったと思える旅となりました・・・・

瀬戸さんとの別れ際・・・・ぼくが、「もう次から振込先教えてもらって振込にしよっかな~(笑)」って言ったら、「さみしいこと言うなよ。一年に一回でもなんでもいいから着てケロ。」・・・って(笑)

ま、そんなこんなで大口の義援金を渡すことは今後はおそらく無いかもしれないけど、せっかく出来た縁ですので、またいつか・・・・

リトルクラウド 新島功

六本木ビリオン<アメリカインディアン写真展Pray>終了しました。共有してくれたみなさまに感謝!

3年前の震災の年の8月に撮影したインディアンの写真展<Pray>昨日最終日でした・・・・ご来場いただきまして、共有してくれたみなさま、どうもありがとうございます!!!!
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写真ももちろん存在感もあり、メッセージも込められていたのですが、この1時間ほどのムービーは、すごく考えさせられる内容で・・・・
一緒に行ったアメリカでの3~4日間。あれだけ膨大な時間カメラをまわして、無数の人にインタビューして・・・・それをよくここまでまとめて、それに字幕もつけて・・・・
アートディレクターである佐々木さんの仕事には、ほんとうに感服します・・・・
日々の自分の仕事もしながら、あの日、インディアンや、そこに集ったひとびとから預かったメッセージを伝えるために、なるべく多くのひとにわかりやすいように注意しながら・・・・ほんと膨大な時間とお金がかかったことと思います・・・・
ぼくももちろんですが、あのときアメリカへ行く交通費や経費はすべて自腹で、ぼくは自分の分だけで良かったけど、佐々木さんは映像のカメラマンを帯同してだったし、今回のこのスペースもだし・・・・
とにかく・・・・あの出来事をこうしてみんなに見える形で発表してくれた佐々木さん・・・・インディアン的に言うと「ビックハート」・・・・寛大なこころの持ち主であり、その使命感あふれる仕事と、その存在に感謝します!!!!
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ほんとぼくはあの時も・・・・今回も、連日さまざまなジャンルの方が来るので、わかる範囲で応対したり、ただインディアンとみんなをつなげただけで、それ以外なにもしてません(笑)それはそれでパイプとしての使命かも・・・・
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佐々木さんとの話の中でも、次は是非、被災地で公開したいと言ってくれていたので、これを東北のみなさまに届ける機会は近いかも・・・・


また、ぼくら関東の人間でも、この写真や映像を見て、インディアンからのメッセージを聞き・・・・自分が弱っていたこと、傷ついていたこと、癒しを必要としていたこと・・・・そういうことに気づかされた方も多かったかと・・・・


で、もちろんメッセージ性の強い展示でしたが、社交場でもありまして、ここで感じた自分の気持ちや思い、インディアンからの祈りを、それぞれのフィールドに持ち帰ってもらい、広げていってもらえたら・・・・と
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祈りと共に生きること・・・・ひとがひとを思いやり、それがいつもつながっていること・・・・ぼくらは生きてるのではなく、生かされているということ・・・・

だからそれぞれが特別な存在であり、この世に存在する意味があること・・・・


みんな知ってると思うけど、彼らインディアンの人々もその昔、アメリカ開拓時代に戦争で負けて強制移住させられて多数の犠牲者を出したり、その後、部族の言葉や伝統、信仰を捨てることを強要され・・・・そんな中で、自身のアイデンティティを忘れず、それらを失うことなく・・・・そして取り戻し、今日。このようなパウワウや伝統儀式も認められています。


そんな彼らが言うネバーギブアップや、再び歩き出せる・・・・というメッセージはほんとうに重いし、先の戦争と今回の自然災害を通して、日本に通じるものがたくさんあるからさらに身近に感じられる・・・・


そして・・・・自然をコントロールなんて出来ないこと、ぼくたちが自然の一部をいただいたり借りて生かされてるという、あたりまえでシンプルなことにもっと多くの人が立ち帰るべきだということ・・・・


震災から3年・・・・ぼくはいつも東北のことを忘れたことはないし、みんなその思いは口に出さずとも持っていることでしょう。


ぼくやインディアンのひとびとの祈りは失われたひとびと、残された人々から比べたらとても小さなものですが、ぼくらはいつも思ってるし、祈り続けています・・・・


震災後、ガレキ処理の支援活動や義援金活動などをしましたが、それでわかったことは誰かのため・・・・と思ってやってるけど、結局それで自分のこころが救われるからやってるんだな・・・・ってこと。


誰かのために祈ることも、結局はそれを祈る自分のこころが救われるから・・・・ってことで、すべてはつながっているんだってこと・・・・


だから祈る・・・・誰かが元気でいてくれること、笑ってくれてることが自分の幸せ・・・・みんなが楽しくなければ、自分も楽しくない。当たり前のこと・・・・結局ひとりでは生きられない。


インディアンの教えとか祈りって・・・・本とか調べたり、小難しく考えなくてもわかるような、ほんとごくあたりまえのひととしての教え・・・・だからこころに響くし、こころがささくれだってるときは染みる・・・・


で、そんなこんなで、かれこれ18年インディアンに関わり、資本社会ではいちおうジュエリー店オーナーをしてますが、ひととしての仕事はインディアンの伝統儀式・サンダンスのサンダンサーなので、この長年の儀式の中で受けとってきたちょっとした教えと歌を簡易的ではありますが、パイプのかわりに羽根を使って、初日と最終日・・・・小さな祈りの輪を作らせていただきました。

千葉のスウェットロッジにも時々参加してる友人、横須賀の米軍基地からチェロキーのアルトンもいきなり(笑)来てくれて、一緒に・・・・
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一見すると、ふつうのアメリカ人にしか見えなくて、何者か???と思った方もいたと思いますが、彼は父親はチェロキーと白人のハーフ、母親は日本とフィリピンのハーフのオクラホマ生まれで、ハワイ米軍基地にいるときにアメリカインディアンの伝統儀式に参加したり、パウワウダンサーとして踊ったりしてたので、今回のこの写真展に興味を持ったらしく、遠くから来てくれて、いろいろぼくに写真を見ながらダンサーの衣装の種類、その意味、その起源など・・・・聞いてもいないのにまくしたててました(笑)・・・・で、彼はアフガンの退役軍人で今は出動してないのですが、奥さんはナバホで、現役の海軍・ネイビーで、3年前の震災の時は石巻港に行ってくれていたことなどを話してくれました。


と・・・・短い期間ではありましたが、来てくれて共有してくれたみまさまに感謝します。
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ぼくとぼくにつながるすべての存在に感謝します・・・・


one heart,one voice, one mind, one chanupa<pipe>


ミタクエオヤシン


ウィ・ルタ・ウィチャシャ・・・・red sun man・・・・新島 功 <リトルクラウド>

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