月読神社(朝倉)②

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月読神社に関する記載は無いようですが、高木神社は大行事神社と云ったとあります。

 

大行事神社と云えばあの橘の広庭の朝闇神社も大行事神社と云ったと有りました。

 

この辺で大行事神社と言えば英彦山神宮と関係が深いようで、先人達はどうも天忍穂耳命との関係が深かったのかもしれません。

この神社の土台も別所神社と同じですね。

末社

ここの裏山の山頂に南朝三代の慶長天皇が眠っているそうで天皇山と呼ばれているそうですが、長慶天皇の存在は全国に73ヶ所もの伝説があって、墓所がはっきりせず、宮内大臣は昭和10年6月に国会臨時陵墓調査委員会を設置したそうです。

 

誰かが大正時代に黒巖山に在った墳墓を掘った処、内側を朱に塗った棺が出て、中の遺物は持ち去り、朱に塗られた棺は壊され、元の場所に埋められて土を盛り、目印としていたそうですが、戦後、柿園の造成にてブルドーザーにて壊され、現在は場所の特定が成らなく為ったそうです。

 

このことからも誰かの墓所であることは判っていますが

長慶天皇の墓所で無かったとすると、元からそこは天皇山と呼ばれていたのかもしれません。

また千代田は「千年栄える田」亀山は「神山」との説もあります。

 

裏山裾に多数の古墳は斉明天皇の伝承にある「朝倉の社の木を伐り除けて造ったために、神の怒りにふれ宮殿は毀され、側近に侍する者多く病に死す」と関係があるのかもしれません。

 

もしかしたら橘の広庭は、ここであったのかもしれません。


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