月読神社(朝倉)①

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開皇二十年 俀王姓阿毎字多利思北孤號阿輩雞彌遣使詣闕 上令所司訪其風俗 使者言 俀王以天為兄以日為弟 天未明時出聽政跏趺坐 日出便停理務 云委我弟 高祖曰此大無義理 於是訓令改之
 

「開皇二十年、倭王の姓”アマ”、字”タリシホコ”。号”アハケミ”が遣使して宮中にやって来た。お上(高祖)は所司(担当官)に命令して、その風俗を訪ねさせた。使者は”倭王は天を兄とし、日を弟として、天がまだ明けない時に出て政務を聴き、跏趺して坐っています。日が出るとそれをやめ、我が弟に委ねようといいます。”と言った。高祖は”これはあまりにも筋の通らないことだ。”と言い、訓令してこれを改めさせた。」

 

この記載を見る限り、天多利思北孤は月の出ている時に政務を行うということだと思います。

すると天多利思北孤の神は月神ということになるのではないでしょうか?

 

当然月を祀る神社があるはずです。

以前は気がつきませんでしたが、朝倉の橘の広庭の付近にも月を祀る神社が有りました。

この石碑の脇を入ります。

月読神社

 

由緒書きも何もありませんが、土台の石は近くの別所神社と同じ造りで、少なくとも7世紀にはここにあったことが予想されます。

拝殿の左の扉には三日月 右の扉には満月が

ここは失礼して中を拝見させて頂きます(。-人-。)

御神体は霊石のようです。

更に奥にもう一つ神社があります。

高木神社

所在地 朝倉町大字須川字上須川

祭神 高皇産霊尊

 

別に大行事社とも云い、当須川の氏神である。 星野家初代の星野胤実の創建とあり、弥生(四月)と菊月(十月)の十月七日に祭りが行われている。古、此所に大東寺という寺ありき、朝倉紀聞という古い本に書かれている。

第九十八代慶長天皇度々この地に来られ、特に裏山の黒厳がお気に入りであった。

応永七年三月十七日にお亡くなりになると、星野胤実は御遺言により黒厳山の山頂に埋葬、その後この山のことを天皇山と呼ぶようになった。又近くに千代田・亀山と云う地名が残っている。なお裏山裾に多数の古墳がある。

 

朝倉町教育委員会

案内版より

 

麻底良布神社のことも朝倉紀聞に書かれていたようです。

幾つか重要なことが書かれているようです。

 

 

つづく・・・


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