下照姫神社

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飾り山笠 素神宝剣之奇瑞

 

博多のシンボル櫛田神社のすぐ近く祇園町にある神社があります。

下照姫神社

下照姫神社御略記

一、御祭神 下照姫神 相殿 衣通姫神、味耜高彦根神
一、例祭日 七月三十一日 十月十三日
一、御由緒
御祭神下照姫神は大国主神の御子神に坐し、容姿は光り輝くばかりの艶麗なりしが故にかく称え奉る。
御鎮座は最も古く年代不詳なれどその昔、此の宮は、現在の近接「吉聖の森」に鎮座し大小の祭礼盛大に行われしが、応仁の乱後、戦火の厄を蒙り社運衰微したり。慶長五年藩祖黒田長政公、博多の町割(博多瓦町)をなしたる時、現在の地に移せり。
古来住吉神社恒例の大祭(約千七百年前)神輿の渡御ありし際の頓宮なり。此の縁起により明治四十五年住吉神社の「摂社」となれり。
旧瓦町は黒田藩の瓦師として備前国より随行した由緒ある町で、当神社は町の守護神としてなの津と言った頃に鎮座され吉祥天社とも称し、古来より博多及び周辺の人々に縁結びの神として親しまれ敬慕されている。

住吉神社宮司 横田豊謹撰
旧瓦町下照姫神社奉賛会

 

 

小さな神社ですが、縁結びにご利益があるそうです。

 

御祭神の下照姫ですが

古事記では、葦原中国平定において登場する。シタテルヒメの夫(注:アメノワカヒコ)で、高天原に復命しなかったために死んでしまったアメノワカヒコの葬儀を訪れた。しかし、アヂスキタカヒコネはアメノワカヒコとそっくりであったため、アメノワカヒコの父のアマツクニタマが、アメノワカヒコが生きていたものと勘違いして抱きついてきた。アヂスキタカヒコネは穢わしい死人と一緒にするなと怒り、剣を抜いて喪屋を切り倒し、蹴り飛ばしてしまった。シタテルヒメはアヂスキタカヒコネの名を明かす歌を詠んだ。

 

天なるや 弟棚機の 頂がせる 玉の御統の  穴玉はや 御谷 二渡らす 阿治志貴 高日子根 


天離る 夷つ女の い渡らす迫門 石川片淵
片淵に 網張り渡し 目ろ寄しに 寄し寄り来ね 
石川片淵

 

アヂスキタカヒコネとは別名は賀茂社の神のことのようです。

 

もう一人の祭神 衣通姫とは

 

記紀にて伝承される女性。衣通郎姫(そとおしのいらつめ)・衣通郎女衣通王とも。大変に美しい女性であり、その美しさが衣を通して輝くことからこの名の由来となっている。本朝三美人の一人とも称される。和歌に優れていたとされ、和歌三神の一柱としても数えられる。

WIKIより

宝塚でも演じられているようです。

 

こもりくの 泊瀬(はつせ)の河の

上(かみ)つ瀬に 斎杙(いぐい)を打ち
下(しも)つ瀬に 真杙(まぐい)を打ち
斎杙(いぐい)には 鏡をかけ
真杙(まぐい)には 真玉(またま)をかけ
真玉(またま)如(な)す 我が思う妹(いも)
鏡如(な)す 我が思う妻
ありと言はばこそよ 家にも行かめ 国をも偲ばめ


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