10月19日、山形県の上山市へ行った。
朝、家の仕事をして、じいちゃんをデイサービスに送り出して、あわてて芦原温泉駅へ。
途中で気がついたら何と荷物をそっくり忘れて、持っていたのは肩にかけたバックだけ。
しかも夏のサンダルのまま。
切符は持ってるか?と夫が聞く。もどる時間が無いぞ!というので
そのまま出かけることにした。芦原温泉からかみのやま温泉まで、東京を回って何と8時間。
着の身,着のまま、何と遠くまで来たもんだ!
上山市役所はオープンスペースのモダンな市役所で、
温泉街がにぎやかなときにはきっと豊かなにぎやかな町だったにちがいない。
あずまやさんという旅館に泊めていただいた。フロントの方が親切で、ちかくのコンビニを
聞いたら送ってくださった。コンビニで日用品を買って間に合わせた。
翌日は講演会。上山農業大学校という勉強会だ。
何をどのように話したらいいのかとチエックインして
部屋の机の引き出しを引いたら、友人の枝元なほみさんとむぎとろごはんのレシピ集が出てきた。
上山温泉の引き出しから飛び出してくるなんて!懐かしい笑顔にほっとした。
夜は「華の舞」グループの女性たち16人と役場の担当の方と夕食をいただきながら交流会。
夜の10時ごろまで話あった。50代から60代の円熟した農家の女性たち。話がとっても面白い。
聞いているだけで笑いっぱなし。きっとこの町は田舎も活き活きしているのだろう。
江戸時代に日本の東北地方を一人で旅行したイザベラ・バードという女性がいる。
もちろん、通訳の日本の若者を一人つけて歩いているのだが、
彼女が書いた「日本奥地紀行」のなかで山形のことを書いている。
上山から南陽市にかけてこの辺りの盆地は昔から豊かなところだったにちがいない。
講演の終わった後、友人の倉田泰子さんが訪ねて下さって、一緒に上山市の武家屋敷や
斉藤茂吉記念館をまわって、むちゃくせいきょうさんの山びこ学級の本山小学校の前を通って南陽市へでた。
山びこ学級を是非知りたいと思っていたので学校の道を通ってもらった。
当時、子どもたちは正直に生活つづり方を書いたのが新聞でとり上げられ、有名になって自由教育運動の
うねりになったが、村の貧乏な生活を暴き立てたと批判的な人もいて
村が二分してしまったという歴史的な小学校だ。
山形は今も昔も、強烈な個性的な人間が多いようだ。
自然の環境が人を育て創るのだろう。
泰子さんが南陽市ですてきな喫茶店を経営している女性のお店に案内してくださった。
10数年ぶりにお会いした、南陽市の旅館を経営されていた女将さんだった。
年の数だけ、顔のしわの数だけ,苦労はしても筋の通った豊かな生き方の表情が
美しかった。
着の身、着のまま、身軽な充実した2日間をいただいた。余計な荷物を持たないで歩くということは
どんなに大切なことか!