憧れのあの人
目標とするあの人
あるいは自分で作りあげた理想の人物像
そういう人がいるのは悪くないけど
根本的に憧れのその人のキャラクターにはなれない
やっぱりどこか無理がある
そんなことを思い知らされる、ある一連の出来事を聞いた
残念…もったいない
この言葉が繰り返されて仕方がない
その出来事を要約すると…
A子さんが所属しているグループにB子さんが入会してきました.
入会したばかりなのに、そのグループでのB子さんの振る舞いは、A子さんにとって憧れであり羨ましいもので、自分もあんな風に振る舞えたらいいなぁって、常々感じていました.
B子さんの影響もあって、それまでとても緊張しちゃうタイプだったA子さんは少しずつ打ち解けて笑顔がでるようになり、発言も多くなりました.
ある時、ちょっとした出来事があり、事態収拾のためにA子さんは、いつもB子さんがやっているような振る舞いをしました.
険悪な雰囲気にならなかった結果をみると、相手は大人な対応をしてくれたようです.でも言葉の端々から良くない印象を持たれたことは間違いなく…
客観的にみるとその振る舞いはその場には適していませんでした… むしろ相手との溝を深くしてしまうような振る舞いだったのです.
でもA子さんはそこに気づいていません… 「私にもB子さんみたいな振る舞いができた!」と大喜び…
A子さんは勘違いの成功体験をしてしまいました.
本来の自分のキャラクターではないものを演じて、相手がたまたまピシャリと指摘をしなかったから、振る舞いが自分にとって「何か違う」 ってことに気づかない.
その振る舞いはB子さんには自然体だから、B子さんがやってこそステキに見えるんであって、同じことをA子さんがやっても違った受け取られ方をしちゃう
憧れのその人にはなれないのよ〜
キャラクターが全然違っていたら…
勇気を出してあの人がやっているような振る舞いをやっちゃっても…
それを出す場面なのか、出さない場面なのか判断ができないのよ…
自分じゃないものはどこか無理がある
フォーカスすべきはA子さんにはA子さんの良さがあって、その良さを活かしていくことなのに.もったない!もっと自分の良さを知っていればいいのに!とにかくもったいない!その一言に尽きる
結局は、一番自然体で振る舞える自分自身を探索していく以外にない
憧れのあの人になるべく振る舞うのではなく、自分じゃない誰かを演じるのではなく、自分を知って自分自身を生きること.
日常生活の小さな出来事から自分自身を見つけていって、そのひとつひとつを受け入れて、それらを活かすにはどんな風にすればいいかな
活かしていると、今風の表現で
自分を輝かせることができる
ワタシ的にはあまり好みじゃない表現ですがね(笑)
別に輝かなくてもいいんじゃない?フツーでいいのよフツーで
なんだけど、きっと輝いているように見えるんじないだろうか…と(笑)
とにかく、人は、いつの間にか憧れのあの人みたいに、理想のあの人みたいにやんないといけないって強迫観念的になっている.
これって、みんな知っているようで気づいていない.その知識はみーんな持ってるの.
だけど、自分のコレがソレだった ってのは意外にすぐに気づかない
なにかのお知らせがきて、はっ!とする
コレも自分じゃなかった
理想の誰かになろうとしていた
それを積み重ねていって自分を生きるってことが、「生きる」のひとつなんじゃないかなぁ
と、つくづく考えた出来事でした