2017年03月01日(水)

Mon 170206 過剰さに茫然/カフェは男子用/カタツムリを回避(モロッコ探険記11)

テーマ:ブログ
 連日マラケシュの旧市街を歩いていて、少なくとも旧市街を見るかぎり、その貧しさを実感せざるを得ない。狭い街路、剥げた舗装、崩れかけたトタン屋根、陽光の届かない裏町。土ぼこり、泥の色の水たまり、狭い檻に大量に押し込まれた鶏。この状況で豊かさを感じるのは困難である。

 別に、物資が不足しているわけではない。冷静に眺めてみて、物資の不足は全く感じない。バナナもオレンジも、肉も魚も、タマネギもニンジンも、カバンもスリッパも、みんな山のように積まれて、全てが消費されるのは遥か将来のことになりそうである。

 結局のところ、問題なのは分配の効率の悪さである。トマトやナスやナッツばかりこんなに山のように積み上げたって、そりゃそうカンタンには売れはしないだろう。

 靴の修理屋も同じことである。暗く狭い店に窒息するほど積み上げられた古靴の数は、ほとんど常軌を逸している。革のニオイが充満する古靴の山から、茫然として目玉を動かす気力さえ失ったオジーチャンが、一日中ボンヤリ外の様子を眺めている。

 肉屋の肉は、冷蔵庫にさえ入っていない。店の奥で、ブタやウシ、ヒツジやニワトリの肉をさばき、それをそのまま1日中むきだしのカウンターに置いて、売れれば売り、売れなければハエの餌食になるのを待つばかりなのである。
肉屋さん
(マラケシュ旧市街にて。吹きさらしに大量の肉が並べられる)

 魚屋となると、これはもう日本人の衛生観念からして耐えられるかどうかの限界に近い。マラケシュは、内陸の町である。魚たちはクルマで3時間のエッサウィラやカサブランカから、砂漠の道を横断して運ばれてくる。

 だから、マラケシュの店に並ぶ段階ですでに一定の生臭いニオイを放っている。イワシもアジも、イカも貝類も、周囲を遠慮なしにハエがブンブン飛びまわり、午後の時間帯になると、もう店のヒトビトも腐敗臭については完全に諦めている。

 山と積み上げられたオレンジは、直射日光に照らされてどんどん萎んでいく。マラケシュは道の並木が全てオレンジであって、街中オレンジだらけ。別にオカネを出して買わなくても、手を伸ばせばみんなオレンジだ。

 それでも八百屋さんたちは、無数のオレンジを店に積み上げて、ほとんど0ディルハムで売っている。売っても売っても暮らしは楽にならないだろうに、じっと手を見ることもなしに、日なたや日陰に茫然としゃがんで1日を過ごすのである。

 電気部品屋さん、水道部品屋さん、その他の雑貨屋さんもみんな同じである。そんなものをそんなに山積みにしたって、1日いくらの儲けも売り上げもないだろうに、とにかく積み上げられるだけ積み上げて、後はお隣りの店舗の人と、日がな一日雑談をして過ごすのである。
八百屋さん
(マラケシュ旧市街の八百屋さん)

 カフェも、男たちで丸1日混雑している。「カフェは男の行くところ」であるらしくて、カフェのテーブルに女子の姿はない。観光客相手のカフェでは、欧米女子がキリッと油断なく視線を巡らせていたりするが、地元民の地元民による地元民のためのカフェとなると、100%男子専門である。

 立派なヒゲを生やした男子諸君が、昼日中から延々とカフェに居座って新聞をめくり、雑談に耽っている。きっと商店主の皆様だが、その「商店」では今ごろ魚にハエがたかり、切り分けた肉は陽光に温まり、オレンジは萎み、カバンは陽に焼け、部品はどんどん時代遅れになっていく。

 やっぱり間違いなく分配効率が悪すぎるのだ。もしも国中でこんなことを続けていれば、国が豊かになるには気の遠くなるような時間が必要だろう。腐敗と疲労の速度が、誕生と回復のスピードを上回っている状況では、成長のための余剰が生じにくいのは当たり前である。

 むしろワタクシは「過剰の不幸」を感じるぐらいであった。過剰すぎればその過剰さに泥酔し、過剰な物資を整理分配する意欲が生まれにくい。過剰に茫然としているうちに、混乱は取り返しがつかなくなる。

 難しい言葉遣いをして申し訳ないが、要するに鍋物とおんなじだ。鶏肉は鶏肉、魚介は魚介。キノコはキノコ、野菜は野菜。ある程度まで整理された余裕のある状態を保持しないと、寄せ鍋をつつく元気もなくなっちゃうじゃないか。
市場
(マラケシュ、生鮮食品屋さんの並ぶあたり)

 その辺は、屋台のエスカルゴについても言える。今井君はエスカルゴが大好き。せっかくパリのシャンゼリゼを歩いていても、貪るのは結局「カフェ・ドーヴィル」のエスカルゴである。4年前の冬、6歳ぐらいの男子が、エスカルゴを貪る今井君をじっと見つめていた。あの驚嘆の目が忘れられない。

 そのエスカルゴも、マラケシュでは溢れるばかり大量に供給されるのである。迷宮のようなスークの奥、昼間から店を開いている屋台に、地元の人たちが集まってカタツムリをつついていた。

 イスラムの人々であるから、お酒なしでカタツムリをつつくのである。コーラでカタツムリ。ファンタでカタツムリ。または甘いモロッカン・ティーをすすりながらカタツムリ。コップ1杯で5ディルハム程度。50円ぐらいである。

 うーん、ワタクシとしては冷たいビールをグビグビやりながらがいいが、とにかく大量のカタツムリが鍋でクツクツ煮られている。フランスのエスカルゴみたいに、バターでジュージュー焼くんじゃなくて、お湯で煮るのがモロッコの定番らしい。
旧市街1
(マラケシュ旧市街の風景)

 しかも諸君、そのエスカルゴの原材料(要するに生きたカタツムリどんたち)が、店の脇のポリバケツの中でウジャウジャ這い回っていらっしゃる。

 貝殻は、ごく普通のカタツムリ色。大きさは、梅雨時に日本のアジサイの葉っぱの上でウニョウニョしているヤツらの5倍程度。そのウニョウニョな肉体は、濃い緑色であって、青いバケツの縁までみっちりカタツムリだらけである。

 メンドーになっちゃったのか、そのうちの数匹はバケツの縁の上を這い回っている。逃亡を企てたわけであるが、たとえ逃亡に成功しても、待っているのはマラケシュのスークの迷宮。走り回るバイクにプチュッと踏みつぶされておしまいだ。

 しかも、必死の逃亡をせせら笑うように、店番のダンナがカタツムリをバケツに投げ戻すのである。バケツから汚い路上にポタリと落ちた瞬間、ダンナの手が伸びてカタツムリ君をつかまえ、哀れ再び地獄の釜への運命を、仲間とともにしなければならない。

 むかし「NHK みんなのうた」に「でんでんむしのでん子さん」というのがあった(作詞作曲:橋本美和子)。でん子さんに恋した男子のカタツムリが、
「いまは6畳一間でも、やがて大きな家にする」
「それまでお嫁に行かないで」
「それまで待ってて、でん子さん」
と歌い上げる。しかし諸君、ここは残酷無比。そんな優しさは皆無なのだ。
旧市街2
(旧市街の「安宿」での宿泊には、かなりの勇気が必要なんじゃないか)

 お湯で茹であげられた濃緑のカタツムリ君は、プラスチックのコップに投げ込まれる。塩味か、そのままの生々しいお味か。少なくともフランスのエスカルゴみたいに、凝りに凝ったソースなんかからめてはくれないのである。

 不幸にしてというか、幸いにしてというか、今井君は口内炎が痛すぎて、固いエスカルゴはとても食べられない。調理の様子をチラ見した感じでは、コイツらはどう考えてもゴリゴリに固い。日本のツブ貝、またはサザエ、そのぐらいの固さは覚悟しなきゃいかん。

 しかしこちらは、上アゴ全体がベロンと剥がれて3日目。帰国さえ考えるほどの緊急事態だ。プリンでも痛いし、ヨーグルトでも痛い。お湯もヌルくなきゃ飲めない状況で、まさかアンタ、ゴリゴリのカタツムリなんか食べられるわけがない。

 こうしてマコトに素晴らしい言い訳も整って、ニョキニョキ角を生やした濃緑色のカタツムリを、ワタクシは無事に回避できたのである。ふー、口は痛いけれども、とりあえず助かりましたでございますです、はい。

1E(Cd) Böhm & Berliner:MOZART 46 SYMPHONIEN⑥
2E(Cd) Böhm & Berliner:MOZART 46 SYMPHONIEN⑦
3E(Cd) Akiko Suwanai:SIBERIUS & WALTON/VIOLIN CONCERTOS
6(DMv) IL MIO NOME È NESSUNO
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