Fri 161125 ヴッチリアの饗宴/カタコンベ/カタコンベまでのルート(シチリア物語21) | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Fri 161125 ヴッチリアの饗宴/カタコンベ/カタコンベまでのルート(シチリア物語21)

 高級レストランで大枚のオカネを使ってしまった後、路上の屋台で焼鳥を頬張るヒトビトの幸せそうな顔が、心から羨ましくなることがよくある。メシというものはそういうものであって、「安くて旨い」が一番であることは、洋の東西を問わない。

 というか、「ずいぶん高かったな」とフトコロが寒々した直後に限って、いかにも雰囲気のいい屋台が見つかるものである。銀座帰りの有楽町のガード下、浜松町から大門にかけての飲屋街、店からモクモク流れ出る青い煙がマコトに羨ましい。

「あーあ、オレは何て無駄なオカネをつかっちゃったんだ」
「こういう店を選べばよかった」
「次は絶対こっちにしよう」
と決意しつつ、自らの未熟さを思い知る。

 9月2日のワタクシも、まさにそのいい例であって、教会前の広場を占拠した高級店で、数カ国語ペラペラの高級女子従業員に恐縮しつつ、彼女たちが運んでくる高級ワインや高級イタリアンに恐れ入っているうちに、あっという間に2時間が経過した。何を食べたんだか何を飲んだんだか、さっぱり記憶がないのである。

 記憶に残ったことと言えば、昨日の記事に書いた通りの「犬を3匹連れたオジサン」。彼と店主の暗闇でのやりとりに、他のテーブルのお客さんたちと一緒に注目しているうち、味なんかちっとも分からないまま高級ワイン1本カンタンに飲み干してしまった。

 店を出たのが22時すぎ。パレルモの濃い闇の中、ホテルへの道を急ぎながら、ふと「ヴッチリア市場」の方から流れてくる酔っぱらいたちの歓声に気づいた。肉を焼く旨そうなニオイも漂っている。おお、ケムリだ、ケムリだ。市場では、そこいら中でお肉を焼いている。
ヴィッチリア
(パレルモ、ヴッチリア市場の夜。肉を焼くケムリが市場全体を満たしていた)

 パレルモに到着したのが、先週の日曜日である。ヨーロッパの日曜日は、多くの飲食店が店を閉め、閑散としている街が多いが、シチリアは特にその傾向が強い。日曜夜のヴッチリア市場は、上半身ハダカの小学生男子が駆け回るばかりで、「治安がわりーな」と感じるほどの静けさであった。

 あれから1週間、金曜日の夜がやってきた。バブルの頃は日本でも「花金」とか「花の金曜日」と言って、どこの繁華街も足の踏み場がないほど酔っぱらいで溢れたが、諸君、パレルモの金曜日、ヴッチリア市場はまさに花金状態。飲めや歌え、酒池肉林の大盛況である。

 路上には粗末なテーブルが並び、さすがに23時近い時間帯だから、溢れかえる酔漢たちはすでに完全に出来上がっている。

「もうビールは入りません」
「もうワインも入りません」
「まあ、そんなこと言うなよ」
「さ、もう1杯。さ、肉ももう一串」
「遠慮すんなよ、それ食え、やれ飲め」
すでに多くのテーブルで、「オレの酒が飲めねえのか?」ふうの騒ぎも始まっているようだ。
教会の夜
(サン・ドミニコ教会。ヴッチリアはこの教会の脇である)

 ここまで盛り上がった混沌の中に、外国人がノコノコ入っていくことは困難である。普段の今井君としては、高級店なんかよりこういう世界の方がずっと性に合っているのだが、いや今夜は我慢しておこう、そもそもさっきの高級店でかなりの大枚をはたいたのだ。そう考えて自重することにした。

 世界を歩き回っていると、NHKBSで紹介される「入りにくい居酒屋」みたいなのによく遭遇するのであるが、「入りにくい混沌」「入り込みにくい酒池肉林」なんてのも、やっぱり珍しくないのである。

 なお諸君、「酒池肉林」というコトバには、何となく男女が入り乱れているイケナイ雰囲気を感じるかもしれないが、その使い方は誤りである。

「酒池」は酒で満たした池、「肉林」は樹々に肉を吊るした光景。殷の紂王の故事であるが、「肉林」の「肉」は文字通り「食肉」の意味であって、男女が入り乱れて戯れるイメージは、誤解に基づくものである。
古書店
(パレルモには、こんな古書店が多い)

 こうして9月3日、とうとうパレルモ滞在の最終日がやってきた。この旅の最終日、1週間後の9月10日に再びパレルモに戻ってくるが、その日は「ヴィラ・イジェア」という別の超高級ホテルに宿泊する。お世話になった「ホテル・ワグナー」は、今日が最後である。

 相変わらず快晴の1日。朝からウンザリするほど熱い日差しの中、ご苦労なことに今井君はパレルモの街をひたすら西に向かう。「カプチン会修道院のカタコンベ」を目指すのである。

 カタコンベには諸君、18世紀から19世紀にかけての約8000体の遺体が収容されているのだという。空気が乾燥しているため、その多くがミイラ化し、ミイラの状態で立てかけられていたり、何段にも重ねられたベッドの上に無造作に安置されていたりする。

 死体また死体の光景はマコトに恐ろしいが、古代とか中世とかならまだしも、「18世紀から19世紀にかけて」ということになると、ぐっとリアリティも高まってくる。着用している衣服にしても、むかし我々のバーチャンやジーチャンが着ていたものと大して違わない。

 中でも、「ロザリア・ロンバルド」のミイラ化した遺骸には息を飲む。将軍の娘、死亡当時2歳。死から約100年が経過して、今なお元気に息をしているような姿である。カタコンベ内は、現在は撮影禁止。入口の写真しか許されていない。
カタコンベ
(カプチン修道院、カタコンベの入口で)

 なお、カタコンベはパレルモ中心街から徒歩で30分ほど。真夏の太陽に焼かれて歩くのはかなりの難行苦行だし、ガイドブックの地図もちょっと精度が落ちる。最新版の「地球の歩き方」を持参していたのだが、大事なところが不明確で、何度も道に迷った。

 途中、「こりゃヤバい所に迷い込んじゃったかな」という一角も通った。日本人なら誰でも「治安が悪い」と震え上がるような雰囲気の街である。

 しかし諸君、そんな一角でも、パレルモのヒトビトはマコトに優しいのである。3階や4階のバルコニーから「どうしたんだ?」「どこに行きたいんだ?」「困ってんのか?」という声が盛んにかかる。

 遠くの路上からも、ちょっとコワい感じのオジサンが声をかけてきた。「カタコンベに行きたいのか?」とおっしゃる。オジサンに教えられて、地図にない道をたどり、地図にない坂道と民家の裏の階段を登って、ようやくカタコンベの入口が見えてきた。
カタコンベへの道
(カタコンベまでは、こんな感じの街を通っていく)

 もし諸君がパレルモのカタコンベを目指すなら、
① クアトロ・カンティからヴィットリオ・エンマヌエレ大通りを直進
② ピアッツァ・インディペンデンツァで2股に分かれる道のうち、右側のVia Cappuccini(ヴィア・カプチーニ)を選択
③ 若干「ヤバいかな?」と感じても、恐れずにその道を直進
という方針で突き進めば、クアトロ・カンティから30分ほどの道のりだ。

 地図を見ると「Via G. Mosca」という道をたどった方が楽そうに見えるが、こちらを選択すると「Danisinni広場」で完全にスタックする。実を言えば、今井君が「コワい感じのオジサン」に救われたのが、この広場の脇であった。特に「民家の裏の階段」がコワかったでござるよ。

1E(Cd) Queffélec:RAVEL/PIANO WORKS 2/2
2E(Cd) Martinon:IBERT/ESCALES
3E(Cd) Bruns & Ishay:FAURÉ/L’ŒUVRE POUR VIOLONCELLE
4E(Cd) Collard:FAURÉ/NOCTURNES, THEME ET VARIATIONS, etc. 1/2
5E(Cd) Collard:FAURÉ/NOCTURNES, THEME ET VARIATIONS, etc. 2/2
total m126 y1996 d19701