2016年09月27日(火)

Sat 160903 9月雨をあつめて早し/古口村/新庄くじら餅(をせばおつま・ボクの細道3)

テーマ:ブログ
 酒田を発車した懐かしの気動車は、東酒田 ☞ 砂越 ☞ 余目まで羽越本線を行く。2005年の冬、強烈な季節風が吹き荒れる吹雪の夜に、JRの特急電車が脱線転覆したあたりである。

 荒れる日本海も間近、列車を吹き倒すほどの暴風雪は珍しくない。晴天の日には砂が飛ばされ、砂嵐というか大砂嵐というか、とにかく砂が大量に風に飛ばされて、かつては農業に大きな打撃をもたらした。

 一計を案じた庄内藩や秋田藩は、「海岸線に沿って松の木を大量に植え、砂防林を形成することで水田を守ろう」と決意。栗田定之丞という名前のおサムライさんの大活躍もあって、見事に砂防林ができあがった。

 秋田県の男鹿半島から延々と、庄内平野の鶴岡まで続く素晴らしい松の緑を、一度ヒコーキから眺めてみたまえ。ワタクシはフランス南西部の「ランドの森」を見た時、「日本海の砂防林だってこれに負けないぞ」と胸を張る思いだった。
稲の中をゆく
(稲穂の中を行く)

 植えても植えても、砂と潮風と雪のせいで枯れてしまう松の苗木。絶望しかけた時、捨てられたワラジの下で成長する松の芽生えを見て、栗田どんは「これだ!!」と膝を打った。ムシロで松の苗木を砂から守りつつ、長い年月をかけてこの松林を完成させた。

 どのぐらい砂が飛ぶかは、羽越本線の駅名に「砂」という文字が目立つことからも分かる。酒田の南には砂越。「砂越」と書いて「さごし」と読む。酒田と象潟の間には「小砂川」。これで「こさがわ」と発音する。

「遊佐」という町があるが、そのお隣が「吹浦」。読んで字のごとし、「ふくら」とは風が吹き付ける浦であって、海岸では波しぶきが白い大きなアブクの塊になって風に舞う。「波の花」と呼ばれ、観光資源にもなっているが、農業にとっては塩害の元である。

 余目の駅から、そのまま南下する羽越本線と分かれて、我が陸羽西線はグイグイ東の内陸部に進入する。「余目」は難読駅名の一つであるが、これで「あまるめ」。「よもく」「よめ」と間違われて、地元の人もそれなりに苦笑しているに違いない。
最上川1
(最上川の絶景。ライン川ローレライ付近を髣髴とさせる)

 ここから父・三千雄の故郷・清川までの庄内平野は、日本有数の農業地帯であって、我が父は12歳の春から17歳の冬まで、この豊かな風景を眺めながら酒田まで汽車通学した。遥かに鳥海山、両側に果てしない水田。弥生時代以来の日本人の原風景が続く。

 年賀状やお手紙で住所を書く時は、「山形県 東田川郡 清川駅前」だけで済んだ。何丁目も何番地もなくて、「駅前」でお手紙が届くんだから、そりゃマコトに閑散とした村である。

 村の背後には雄大な最上川が静かに流れ、父は小学校低学年で最上川を泳いで横断した水泳の名手。腕力も将棋も囲碁も強くて、センセに厳しく叱られてもビクともしなかったツワモノである。

 最上川を左に見て東に15分ほど歩くと、「御殿林」というキレイな林が広がっていた。夏休みに清川を訪ねると、小学生のワタクシは毎朝必ずこの「ごてんばやし」を1人で散歩した。植物採集や昆虫採集に夢中の頃で、初めて見る雑草をたくさん採集してくるのが楽しかった。

 御殿林は今も残っている。江戸時代、藩主の宿があったことからこの名がついた。樹齢200年以上の杉の大木が並ぶ光景は、なかなかのものである。戊辰戦争では「清河口の戦い」の戦場となった。今でも弾痕の残る杉の木が存在する。映画やドラマのロケ地にも使われるらしい。
最上川2
(最上川は9月の雨をあつめ、ほとんど激流となっていた)

 列車が清川からさらに東に入ると、いくつもの小さなトンネルが続き、車窓左側に最上川が見え隠れする。「深い山に入ってきたな」と実感するが、つまり列車は庄内平野に別れを告げ、新庄盆地に接近してきたわけだ。

 この辺の最上川こそ、「五月雨をあつめて早し」と松尾芭蕉どんを感激させた最上川なのである。今も舟下りの名所であって、ちょうど川をカーブしてきた舟を列車の窓から目撃できた。

 9月の川は茶色く濁り、ほとんど「濁流」と呼んでいいほどであったが、それでも舟は悠々と下っていく。秋の雨をあつめても、やっぱり「早し」なのであって、をせばおつま君は「9月でも やっぱり早し 最上川」と、下らん一句を詠んでから、片手の日本酒「初孫」をゴクリと飲み干した。

 こうして最上川の激流を眺めつつ、小さな峠を1つ越えた所が「旧・古口村」。ワタクシのジーサマだったかオジサマだったかが、かつて村長として活躍した村である。

 1955年、お隣の「戸沢村」と合併して、2村まとめて戸沢村という名称に変わった。なおこの村長情報、あくまで伝聞によるもの。もし間違いだったらお許しくださいませ。
古口駅
(陸羽西線、古口駅)

 ジーサマの名が「小作」、オジサマの名が「紋蔵」。紋蔵と書いて「モンゾウ」と読む。おお、なかなかフランス語的なカッコいい響きじゃないか。パリ地下鉄2号線、凱旋門の隣りの駅が「モンソー」。モーパッサンの名作「死の如く強し」に登場するモンソー公園はすぐそばである。

 一方の古口駅は、最上川舟下り(最上川芭蕉ライン)の玄関口であって、「東北の駅100選」にも選ばれている。おお、やりますな。しかし人口減は免れず、現・戸沢村の人口は6000人。古口駅の乗降客は1日平均たった30名。もう1度、コサクやモンゾーみたいな傑物が必要であるね。

 古口から先は新庄盆地に入る。江戸時代なら、庄内藩の勢力下から新庄藩の領地に入ったことになる。最上川も視界から外れて、鄙びた穏やかな田園地帯が続く。豪雪地帯であって、昔はよく新庄付近で列車が立ち往生したりした。

 昔の東北人はマコトに気丈に出来ていて、ちょっとぐらい列車が立ち往生しても、一向に慌てない。人々は「また立ち往生か」などと呟きながら、カバンから「名物くじらもち」を出して分けあった。「飲み物は?」であるが、必ず誰かが日本酒の4合瓶を持参していたものである。
芭蕉丸
(新庄駅にて。「芭蕉丸」が展示されていた)

 これが「名物くじらもち」であるが、① 青森の浅虫と鯵ヶ沢 ② 山形県新庄のくじらもちが有名。青森では「久慈良餅」、山形のほうは「久持良餅」と書く。海の鯨さんをお餅にしちゃったのかと勘違いするが、正しい平仮名表記は「くぢら」であって、ホエールの鯨とは関係なしである。

 練った米の粉に、クルミ・砂糖・味噌・醤油を入れて蒸し上げる。クルミが入るから、「くるみゆべし」と似た味わいであるが、くじら餅のほうが粘り気が強いように記憶する。そんなに好きなお菓子ではなかったから、今回の東北横断の旅でもわざわざ買い求めることはしなかった。

 こうして諸君、新庄に到着。しかし翌日の仕事の関係で、どうしてもこの日のうちに宮城県仙台に入らなければならない。明日は午前9時から岩手県花巻で授業がある。仙台発、朝7時の新幹線に乗らなければ、授業に間に合わないのである。

 そういうわけで、「必死こいて」な形相で陸羽東線の列車に乗り換えた。中山平や鳴子など、宮城の名湯がひしめく「ゆけむりライン」ということになっているが、マコトに多忙な今井君には、お湯にひたってフヤけたりニヤけたりしているヒマはないのであった。

1E(Cd) George Benson:THAT’S RIGHT
2E(Cd) George Benson:LIVIN’ INSIDE YOUR LOVE
3E(Cd) George Benson:LOVE REMEMBERS
4E(Cd) George Benson:STANDING TOGETHER
5E(Cd) Chicago:CHICAGO
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