2016年09月11日(日)

Thu 160818 型破りと正統派の美(ボルドー春紀行36/第2997回/カウントダウン3)

テーマ:ブログ
「型破り」というコトバがあって、教師でも法律家でも銀行マンでも、「型破りな○○」という評価は、たいていの場合ポシティブなものであると言っていい。「型破りな○○」と言われて怒り心頭に発し「なんだこの野郎!!」と殴りかかるような人はいない。

 むしろ「型破りな教師」などと言われれば、人はみなその瞬間を人生の絶頂のように感じ、ウットリと目を閉じては自ら歩んできた道を振り返って、「ウフフ」なり「イヒヒ」なり、最も下劣な顔で微笑するに違いない。

 特に教師の場合はそうなので、映画でもマンガでも小説でも、ヒーローは必ず「型破りな教師」であり続けてきた。ワンパターンな型通りの先生しかいない学園に、その殻を打ち破るヒーローが登場するわけである。

 名作と言われる映画「今を生きる」でも同様で、おそらく一生つかうこともないカビの生えたラテン語文法なんかを教え込まれ、ウンザリ辟易していた生徒諸君の前に、「型破りな教師」が出現して旋風を巻き起こす。
深夜
(深夜、ライトアップされたモンサンミシェル)

 ただしこの旋風、考えてみると「余計なお世話」な部分があって、全てに恵まれた素晴らしい一生が保証されていた若者たちが、この教師との出会いの結果として衝突や幻滅を余儀なくされ、中には夢破れて自ら命を断つ者さえ出てしまう。

 それでも「素晴らしい瞬間を生きたのだ」「たとえ死んでもいい、激しく濃厚な時間を生きたのだから」と強情を張ってもいいが、果たしてホントにそう言い切れるか、ラテン語学習の向こう側に、瞬間の幸福を遥かに上回るホンモノの幸福の道が続いていなかったと、誰が言い切れるのか。

 そもそも、「ラテン語文法が役に立たない」という断定が、なぜ無条件に肯定されるのか。ラテン語と古代ギリシャ語、この2つの素養が、例えば学者なり法律家としてキチンとした仕事をしようとする時に、実は必須の要素であると、後から知っても遅いんじゃないのか。

 同様のことは、「英文法なんていう枝葉末節」「使いものにならない英文法」みたいな表現にも言えるのだ。「細かい文法なんかにこだわらず、型破りな教え方をする教師」。テレビやマンガの世界では、文法は悪、型破りこそ正義の味方であって、その傾向は半世紀も綿々と続いてきた。
夕景
(ピンクの夕焼けが美しい)

 テレビドラマなら「スペシャル90分一挙放映!!」の第1回で、すさんだ学園に若く型破りな教師が「赴任」してくることになっている。ワンパターンな中年教師の授業に生徒たちが辟易し、「もっと役に立つこと教えてくださいよ」などと言い放って、授業はマコトに荒んでいる。

 若く型破りな教師は、何故か必ず黒板に自らの名前を大書し、「オマエたちを鍛え直してやる」などと大言壮語することになっている。生徒は一瞬でトリコ、反発する優等生の表情も映し出されるが、それはホンの2〜3人。みんな「こんな先生を待っていた♡」という表情である。

「名前を大書する」「生徒をオマエ呼ばわりする」なんてのは、今井君みたいな控えめな予備校講師には恥ずかしくて絶対ムリであるが、何しろMr.Katayaburiは人間の出来が違う。自分を売り込むことについて、「名前を大書する」は、センキョでも教師の赴任でも基本中の基本なのである。

 あとの展開は映画「今を生きる」とほぼ同様であるが、21世紀のテレビドラマなら、ヒーローはおそらく英語教師である。「役に立たない文法なんかヤメちゃえ」の号令の下に、ハードロックやヒップホップは聞かせるは、教室にダンスを持ち込むは、優等生が嫌がることばかりする。

 昭和や20世紀なら、「教科書なんかいらないぜ」「テストなんか下らない」「紙切れ1枚で何が分かる?」と声を合わせて絶叫、教師はギターを持ち込み、みんなでビートルズを歌った。そこは別にピアノでもサックスでもかまわなくて、とにかく歌で英語をマスターしようというわけだった。
夕暮れ
(夕暮れ、ライトアップが開始される)

 この10年の傾向では、学園は「荒んでいる」というよりむしろ「荒れ果てている」。型破り君は何かの拍子に転落人生を歩み、しかしそこから立ち直って現在の地位をつかんだが、その地位に汲々としてもいない。生徒のためなら自分の地位なんかどうでもいいと思っている。

 舞台も、「学園」から「予備校」へ。若く型破りな予備校講師が、経営の傾きかけた予備校で大活躍、まだ30歳そこそこなのに「オレは合格の秘訣を知り抜いている」。大言壮語の方向性も変わった。「フフフ」「ダメなオマエたちを合格させてやるぜ」「フフフ」。ヒーローは常に「フフフ」と不敵に笑うのである。

 あとは、もちろん「熱血」だ。「知り抜いている」とおっしゃる受験テクニックでダメなときは、若さと熱血で勝負する。しかし諸君、「その型破り、ワンパターン過ぎませんか?」である。50年もおんなじような型破りばかり描き、見せられ、描くほうも見せられるほうもすっかりゲンナリしてませんか?

 ワタクシなんかは「また型破りかい?」のヒトコトであって、「ワンパターンな型破り」にとっくに飽き飽きしている。テレビマンや漫画家さんの中に、もし覇気にあふれたヒトがいたら、逆パターンのドラマやマンガを作って見せてくれませんかね。

 中年ないしオジーチャンの、いかにも昔ながらの古くさい教え方。文法が何より大事。新しがり屋のハードロック先生やビートルズ講師を厳しく一喝。「そんな一過性の盛り上がりが、実は最もコワいんだ」と正論を静かに主張する。

 しっかり勉強するキチンとした生徒を何より大事にして、常に文法の重要性を説く。単語だってキチンと覚えさせる。日々音読に音読を重ね、だから生徒の学力はどんどん伸びていく。

「荒れ果てた学園」「伸び悩む予備校」も何も、そもそも荒れ果てさせない教育、伸び悩まない経営努力こそ最も重要なので、1人静かに学園を支える、そんな模範的ヒーロー教師を見たいものである。
夜景
(紺色の夜空を背景に、夜の勇姿は格別である)

 4月12日から13日の今井君は、モンサンミッシェルから約1km、正三角形の模範的絶景を常に眺められるホテル「ル・ルレ」に宿泊して、そういうことを考えていた。

「模範的」とは、マコトに素晴しいことである。型破りのヒーローを描き続けて疲れたなら、模範的ヒーローを描くことに挑戦すべきなんじゃないか。このモンサンミシェルみたいな、一点の曇りもない清楚な美しさ。「フフフ」みたいな、根拠のない不敵さなんか足許にも及ばない。

 まず夕暮れ、正三角形の腰のあたりにタナびくピンクの夕焼けの美しさに絶句する(写真2枚目)。やがて周囲に青い薄闇が訪れ、日帰りの騒がしいツアー客が去った静寂の中に、正統派の勇姿がますます悠然と際立ってくる(写真3枚目)。

 夜8時、空の色はますます濃くなって紺色にかわり、その紺色の空を背景に、ライトアップされた島が無言で立ち尽くす。今や周囲はほぼ完全な静寂であって、寺院の真下まで往復するシャトルバスはまだ走り続けているが、人の声も馬のいななきも、今は聞こえない。
朝焼け
(早朝のモンサンミシェル。荘厳&壮麗な勇姿を満喫する)

 深夜、宿泊しない限り目撃することの出来ない寺院の姿を、ホテルのバルコニーからうっとり眺めるのもまた素晴らしい経験である。4月中旬、外に出ていてもまだ虫にさされる心配はない。ひたすら暗闇の向こうを見つめていればいいのである(写真1枚目)。

 ただしこのホテルのバルコニー、お隣の部屋から丸見えだ。油断して「パンツ一丁」なんてことをやっていると、隣りのバルコニーから冷たい視線が飛んでくる。モンサンミシェルの模範的&正統派の美に対する敬意の上からも、くれぐれも「パンツ一丁」は慎んだほうがいい。

 そのまま一晩夜明かしをすれば、早朝5時のモンサンミシェルに挨拶することも出来る(写真5枚目)。日帰りで見る真っ昼間の騒々しいモンサンミシェルとは、陽の光の当たり方も正反対。これこそまさに荘厳&壮麗、正統派の真骨頂と言っていい。

1E(Cd) 東京交響楽団:芥川也寸志/交響管弦楽のための音楽・エローラ交響曲
2E(Cd) デュトワ&モントリオール:ロッシーニ序曲集
3E(Cd) Paco de Lucia:ANTOLOGIA
4E(Cd) 寺井尚子:THINKING OF YOU
5E(Cd) Ono Risa:BOSSA CARIOCA
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