2016年09月01日(木)

Mon 160808 チャスラフスカ/20世紀が終わった/雨の日のカヌレ(ボルドー春紀行26)

テーマ:ブログ
 昭和の有名人の訃報が頻繁に入る悲しい夏休みだったけれども、その夏休みの最後の1日、「チャスラフスカが亡くなった」という知らせに茫然とした。「昭和が終わった」「昭和は遠くなりにけり」と嘆いていたが、チャスラフスカの死去は、要するに「20世紀が終わった」ということである。

 チャスラフスカは、1942年生まれ、プラハ出身。第2次世界大戦の悲劇の真っただ中に生まれたわけである。1964年、東京オリンピックの女子体操個人総合で金メダル。平均台と跳馬でも金メダル。チェコスロバキアは団体でも銀メダルを獲得した。

 4年後の1968年、メキシコオリンピックの年のプラハは、「プラハの春」の真っただ中。そこへワルシャワ条約機構軍が介入して、プラハの街はソ連の戦車に蹂躙される。

 当時のことは、ノーベル賞を受賞したミラン・クンデラ「存在の耐えられない軽さ」に詳しいが、長い小説を読むのがメンドーなオカタは、映画化もされているからそちらでどうぞ。

 故郷の街がソ連軍の戦車に踏みにじられている状況で、それでも彼女の金メダルラッシュが続く。最大のライバルは、ソ連のナタリア・クチンスカヤ。レニングラード出身、当時19歳。チャスラフスカより7歳も若い。下馬評は「若いクチンスカヤ有利」に傾いていたと記憶する。
16632 カヌレ1
(4月9日、雨のボルドー・サンジャン駅で銘菓「カヌレ」を購入する)

「記憶する」と言ったって、何しろ当時の今井君はまだホンの小さなオコサマであって、その記憶はマコトに頼りない。そもそも今井くんちはまだ「白黒テレビ」。今井くんちは何事につけチョー消極的だったから、カラーテレビの導入も電話の導入も、町内で最後というアリサマだった。

 古ぼけた白黒テレビは、もちろん真空管テレビ。ボワーッと滲んだ白黒画面も、ちょうど演技や競技のクライマックスにくると、プツリと切れてしまったりした。

 そういう時には、テレビのどこでもいい、コブシで3回ぐらい殴りつけるのである。すると不思議や、テレビはすぐに復活して、チャスラフスカやクチンスカヤの美しい演技が目の前に戻ってくるのであった。

「NHK以外は見てはいけない」
「民放なんかもってのほか」
「テレビのコマーシャルで宣伝しているようなお菓子やオモチャは絶対にダメ」
そういう家庭である。

 ファンタはいいが、コカコーラはダメ。そのファンタも、オレンジはいいがグレープはダメ。そういうマコトにフシギなオウチで、幼い今井君は「ワタナベのオレンジジュース」や「ソーダラップ」を飲みながらオリンピックを観戦した。ジュースが粉末になっていて、粉を水道水に溶かし、氷を3個浮かべて飲む。その氷も「3個はいいが4個はダメ」なのだった。
16633 カヌレ2
(フランス南西部の銘菓「カヌレ」、拡大図)

 メキシコシティの観客の大声援は、完全にチャスラフスカびいき。手拍子とともに「ベラ、ベラ、ラララ!!」「ベラ、ベラ、ラララ!!」と絶叫するのである。「ベラ」とは、チャスラフスカのファーストネーム。あまりのことに、幼い今井君はクチンスカヤが可哀そうになった。

 思えば、あれがワタクシの「判官びいき」の始まりなのである。源九郎判官義経は、頼朝に追いつめられれば追いつめられるほどヒイキが増えるのであるが、いつでもワタクシは観客の罵声を浴びて追いつめられた側の味方。お相撲なら北の湖・曙・朝青龍、最近は何を隠そう白鵬のファンである。

 だって諸君、大国と小国の力関係、大国の軍事介入、戦車による蹂躙、そんなことはクチンスカヤの責任でも何でもない。それにも関わらず、クチンスカヤが段違い平行棒から落下した時、世界中がベラの勝利に喝采したのである。

 結果として、クチンスカヤは銅メダル。金はチャスラフスカ、銀はソ連のボロニナだった。チャスラフスカは個人種目別のほとんどで金ラッシュ。クチンスカヤも平均台で金。ソ連が獲得した団体の金も合わせて、2つの金メダルをレニングラードに持ち帰った。
16634 オペラ座
(ボルドーのオペラ座も、春の雨に濡れていた)

 その後の女子体操は、1972年ミュンヘンオリンピックのコルブト、1976年モントリオールのコマネチから、小柄な選手のアクロバット的な演技が全盛になった。

 チャスラフスカ的な「優雅さ」なんてのはすっかり時代遅れであって、いま彼女の演技を見ても、スマホの時代にガリ版刷りの文学雑誌を見せられたようなものかもしれない。

 だって諸君、メキシコオリンピックなどというのは、大阪万国博覧会「こんにちはー♡こんにちはー」の2年も前のことなのである。ワタクシの記憶は、まあそんなところ。しかしこうして書いてみると、やっぱり「20世紀が終わったんだな」の感を強くする。

 第2次世界大戦、東西冷戦、ワタナベのオレンジジュース、白黒テレビ、体操のアクロバット化、ソ連の解体、ベルリンの壁の崩壊、20世紀の記憶のほとんどがベラ・チャスラフスカに結びついているじゃないか。
16635 ボルドーサンジャン駅
(ボルドー、サンジャン駅)

 4月9日、ボルドーは朝から冷たい雨に濡れていた。しかしさすがにフランスも南西部となると、4月の雨にも若干の温かさを感じる。ホテルの目の前のオペラ座もしっとり濡れていたが、何となく春の匂いがするのである。

 雨の日の体育館には、雨の日の体育館独特のニオイがあった。外の体育が中止になって、サッカーでもソフトボールでもなく、「マット運動」「跳び箱」に変わっちゃうわけであるが、その類いの体操が苦手な男子としては、あのニオイを嗅ぐとマコトに悲しい気持ちになったものである。

 そんな悲しさを、まさかチャスラフスカやクチンスカヤが理解していたとは思えないが、一方、雨の日の駅の匂いなら今井君も大好きだった。雨の日に駅に着いて、濡れた傘をたたんで、「これから汽車で遠くまで旅行に連れていってもらう」なんてのは、コドモにとっては最高の朝である。

 そんな時に、例えば父親が「蕎麦でも食ってくか?」と声をかけてくれてみたまえ、まさに狂喜乱舞、かけ蕎麦を食べ終わり、旅の時だけ許される冷たいコカコーラの瓶を握りしめ、胸いっぱいに駅の匂いを吸い込むと、要するにそれは立ち食い蕎麦屋の匂いに過ぎない。それでもやっぱり幸せの絶頂だ。
16636 バイヨンヌ
(たどり着いたバイヨンヌも雨。川は濁流と化していた)

 ボルドーのコドモたちにも、同じような記憶はきっとあるのだ。固いフランスパンに冷たいハムとチーズを挟んだだけのサンドイッチ。そんな簡素なものでも、外はちょっと生温い雨、雨に濡れた手のひらにパンを握りしめれば、こんな幸せな旅の始まりは考えられない。

 ボルドー中央駅「サンジャン」では、フランス南西部の銘菓「カヌレ」も売っている。カステラを元の体積の1/4ぐらいに押し固め、蜜を塗って焼いたようなお菓子であって、世界中の銘菓の例に漏れず、ハッキリ言って「何だこりゃ?」な味。あえて言えば、大学イモの味である。

 しかしそれにもかかわらず、お店の側はチョー気合いが入っている。すべて若い女子で固めた店員さんは、真紅のジャケット、黒いタイトスカート、髪の毛はギュッと固いオダンゴに結んで「できるOL」な感じを演出する。

 大学イモ味の古くさいお菓子なんか売るカッコとは思えないが、東洋からやってきた旅人としては、とりあえず1個ぐらい召し上がってみないわけにはいかない。思いがけず高いお値段にびっくりしつつ、一個つまんでまたびっくり。やっぱりこれはまぎれもなく、大学イモのお味なのだった。

1E(Cd) Prunyi & Falvai:SCRIABIN/SYMPHONY No.3 “LE DIVIN POÈME”
2E(Cd) Knall:BRUNNER/MARKUS PASSION 1/2
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