2016年08月31日(水)

Sun 160807 「はね・じんごろう」とは/ガリ版文化/楽しいかどうか(ボルドー春紀行25)

テーマ:ブログ
 中世の町を旅しながら、ふと羽仁五郎の名著「ミケルアンヂェロ」を思い出し、それを旅行記に書き記す。羽仁五郎なら誰でも知っていると思って書いたのであるが、若い読者からの反応は、驚くべきものである。

 そもそも、「羽仁五郎」をキチンと「はに・ごろう」と読めているかどうかも怪しいのである。
「センセー、誰なんですかこの『うじん・ごろー』って」
などというのはまだマシなほうで、苗字とファーストネームの境目さえハッキリしないらしいのである。

 つまり「羽・仁五郎」というわけであって、
「センセー、この『はね・じんごろう』って、何をした人なんですか? ちっとも聞いたことありませんけど」
というわけだ。

 いやはやワタクシなんかは、さすがに「時代は変わったな」と呟かずにはいられないのだ。昭和の真っただ中、明治生まれのヒトビトは「明治は遠くなりにけり」と慨嘆したものだが、21世紀もいよいよ深まって、我々の世代もまた「昭和は遠くなりにけり」と初秋の空を寂しく見上げざるをえない。

 羽仁五郎・羽仁進・羽仁未央とつづく3世代に、それをとりまく一連のヒトビト、羽仁説子(女性運動家)・左幸子・左時枝(女優姉妹)の一族には、むかしむかしの左翼系の人ならみんな一目置いたものである。それを「うじん」だの「じんごろう」だの、うーん、世の中はすっかり変わってしまった。
にゃご
(サルラで購入したポストカード。我がニャゴロワのイメージそのままだ)

 しかし諸君、「ミケルアンヂェロ」は間違いなく名著だ。ぜひ図書館で読んでみたまえ。昨日も書いたように、活字に次ぐ活字、行かえも段落かえもほとんどナシで綿々と綴られる中世批判に、少なくとも彼の強烈な熱意だけは感じるはずだ。

 こういうのを、「ガリ版文化」と呼んでいいと思う。するとまた「センセー、ガリ版って何ですか?」「ガリバーの間違いじゃないんですか?」というバカげた質問にさらされるかもしれないが、1970年代までは、民間のプライベートな印刷は、ほとんどガリ版に頼っていた。

 透明な薄い紙の片面にパラフィンを塗ったものが、「ロウ紙」ないし「パラフィン紙」。これを鉄の板の上に乗っけて、鉄筆で原稿をガリガリ書きつける。正式名称は「謄写版」だが、鉄筆のガリガリいう音から一般には「ガリ版」と呼んだ。

 鉄筆とは、ペンの先っちょが固く細い鉄でできたシロモノ。ひと昔前に一世を風靡したパイロット社「Hi-Tec」シリーズの、一番細いタイプのものぐらいの細さであった。細い鉄筆で細い字をガリガリ書きまくるのが、いかにも「世を忍ぶ知識人」っぽくてカッコ良かった。

 普通の原稿用紙の1/4ぐらいの小さなマス目に、ギッシリ書き込んだパラフィン紙。その下にワラ半紙をあてがい、黒いインクを塗り付けたローラーを、パラフィン紙の上から2度か3度グルグルさせれば、鉄筆で削られた部分だけはインクが染み通って、ワラ半紙に文字が印刷される仕組みである。
にゃごうさぎ
(サルラで購入したポストカード。これも若干ニャゴ姉さんのイメージ)

 何しろ印刷の一種だから、手書きの文字ではあるけれども、ホンモノの活字みたいにキチンと小さくスキマなくギッシリ並んでいないとカッコ悪い。学校の先生はみんなこれが得意で、小中学旅行のシオリ・卒業文集・運動会のプログラム・文化祭のパンフレット・夏休みの諸注意まで、全てがガリ版刷りだった。

 大学の中にもガリ版刷りの文書が溢れた。左翼系の学生運動はほとんどすべてガリ版に支えられていたと言ってよくて、薄暗い学生会館の地下室で、学生運動独特、略字体の漢字がタップリのガリ版文書が刷られ続けた。例えば「闘争」と書かずに「斗争」。1980年代までの風景である。

「細いペンで細かい文字でギッシリと」でなければ、チャンとした思考を進めている実感がない。昭和世代に共通した特徴なんじゃあるまいか。博物館に保存された戦時中の手紙なんかを見ると、中学生や女学生が親とやりとりしたお手紙でさえ、背後にガリ版の存在を痛感するのである。
死者のカンテラ
(サルラ、サン・サセルド大聖堂の裏の坂道を上ると、古い墓地の横に「死者のランタン」を発見する)

 思い出して久しぶりに本棚から羽仁五郎を取り出し、ペラペラと数十ページ、中世への罵倒の連続する部分を読みながら、そのギューギューの文字ギッシリぶりに「これはまさにガリ版文化だ」と思い、鼻先にローラーのインクのニオイが蘇った。

 学校の先生は、小学校でも中学校でも高校でも、連日むずかしい顔をして鉄筆を握り、ガリガリ小さな文字を書き続けた。書き間違えた場合、「ガリ版用修正液」というものも存在するが、鉄筆で削ったパラフィンを塗り戻すわけであるから、どうしても痕跡は残ってしまう。

 書き間違えないように、書き間違えないように、作業は細心の注意を要して深夜まで続き、原稿が完成すればローラーを握って手刷り作業に移った。当時の先生方は、こうしてどんどん気難しくなっていった気がする。

 1980年代から、ガリ版は一気に姿を消していった。当時は「ゼロックスする」と言ったが ☞ 要するにコピー機が普及して、「深夜にガリガリ」「ローラー♡グルグル」なんてのは、時代錯誤にしか見えなくなったのだ。
大聖堂
(サルラの中心、サン・サセルド大聖堂)

 学生運動が衰退したのは、もちろん「ベルリンの壁崩壊」とか「ソ連の解体」もあるだろうけれども、実際には「ガリ版の衰退」も多大な影響を与えたんじゃないか。

「小さな文字をギッシリ詰め込む」タイプの知性のありかたも衰退。いまやパソコンさえ旗色が怪しくなってスマホ全盛。しかし奢れるものは久しからず、盛者必衰、スマホの命運も10年後にはどうなっているか分からない。

 そういう時代に「フランス中世の町」などを旅して、13世紀から14世紀の町の商業の隆盛を思う。友人知人の多くが「そんなことして何の役に立つんだよ?」という意見であるが、価値のすべてを「役に立つかどうか」「この記事を読んで役に立ちましたか?」で考えているようじゃ、ガリ版と同じ運命が待っている。

 こういう旅を「役に立ちましたか?」で考えていたら、それこそ何の役にも立たないのは当たり前であって、全ては「楽しいかどうか」。「この記事は役に立ちましたか」ではなく、「この記事を読んで楽しかったですか」が、然るべき21世紀の価値判断であると信じる。
中世の町
(サルラ、土曜朝市の立つ「リベルタ広場」のあたり)

 穏やかに静まり返ったサルラは、半径約400メートルの円形の町。円形の城壁の4カ所に塔があり、17世紀ごろまでは町の守りの役を果たしていた。

 町の中心に、サン・サセルド大聖堂。大聖堂の裏の坂道を登っていくと、遥かな時代の墓地の不気味な静けさの中に「死者の角灯」が立っている。死者たちがランタンの光を頼りに冥界を旅する、そのための灯火である。

 ただし、こんな中世の町にも活気が蘇ることがある。昨日も書いた土曜日ごとの有名な朝市もそうだし、7月下旬から8月上旬には「サルラ演劇フェスティバル」で盛り上がる。

 夜9時から真夜中過ぎまで、歴史的建造物を舞台に、世界中から集まった演劇集団が、いろんな野外劇が繰り広げるんだそうな。

 どうですか、来年の夏、しばらくサルラに滞在してみては。昼間はサルラからの小旅行、夜は野外劇を満喫。真夜中の「死者のランタン」にも、別格の風情があると思いますが。

1E(Cd) Collard:FAURÉ/NOCTURNES, THEME ET VARIATIONS, etc. 1/2
2E(Cd) Collard:FAURÉ/NOCTURNES, THEME ET VARIATIONS, etc. 2/2
3E(Cd) Cluytens & Société des Concerts du Conservatoire:BERLIOZ/SYMPHONIE FANTASTIQUE
4E(Cd) Lenius:DIE WALCKER - ORGEL IN DER WIENER VOTIVKIRCHE
5E(Cd) Bernstein & New York:BIZET/SYMPHONY No.1 & OFFENBACH/GAÎTÉ PARISIENNE
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